映画評「アドリフト 41日間の漂流」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2018年アメリカ=イギリス=香港合作映画 監督バルタザール・コルマウクル
ネタバレあり
海洋でのサバイバルものと言えば、「オープン・ウォーター」(2004年)という、プロダクションとしては誠に貧弱ながら、観客の本能的な想像力に訴えて商業的に成功した作品がある。
本作は邦題が示す通り乗っていたヨットが操行不能になって41日間太平洋を漂った末に大型船舶に発見された、タミー・オールダム・アシュクラフトという女性の体験記を映画化した実話ものである。結果がある程度解っているので楽しめるレベルはたかが知れているが、脚色のよろしきを得て、その限界にまで達していると思う。
タヒチで知り合ったタミー(シェイリーン・ウッドリー)は9歳年上の英国青年リチャード・シャープ(サム・クラフリン)と意気投合して婚約者同士となり、富豪に頼まれた高級ヨットをアメリカのサンディエゴまで回航する旅に出る。しかし、発生したハリケーンを避けきれずにヨットは破損、リチャードは海に投げ出される。
以降、タミーが一人奮闘し、やがて海上に浮かんでいるのを発見したリチャードを救い上げ、彼の介護をしながら41日間漂流する。
時系列に沿って書くとほぼ(!)こういうお話だが、回想形式の映画の一タイプである、並行して見せながらやがて過去が現在に追いつく形の構成。これでこの映画はかなり楽しめるものになったのである。
現在は遭難してヒロインが一人になってから、過去は遭難するまでである。ヒロインが孤軍奮闘する描写の狭間に過去が挿入され、やがてリチャードが遭難する。ところが、本作では、これで過去が現実と追いついたと思わせて実はそうではないというアイデアが一応の殊勲である。
どういうことか? 助けたリチャードが幻想であったと判明するのである。事前の知識として遭難して5日目後くらいから幻想が始まるということが紹介される。一種の夢落ちだが、彼女の事前の知識が紹介されて初めて過去が現実に追いつくのである。
夢落ちと思って腹を立てる人もいらっしゃるかもしれないが、これは追いかけ型回想形式を生かした作劇の妙と思ったほうが良い。
本作のように一時期香港や中国と合作をするアメリカ映画が多かったが、欧米の現在の中国に対する批判的態度を見ると激減するだろう。香港も今や中国だから同様と思われる。当時は国家と民間は別というスタンスがあったが、映画界は政界以上に人権意識の高い人が多いから、状況が変わったと思う。僕は四十何年か前の高校時代からウイグルやチベット(と内モンゴル)の問題を指摘していた。我ながら先見の明があった。尤も、自治区の問題を早くから指摘して来た東京新聞の記事の影響か、あるいは世界史の授業によってか、なのだが。
2018年アメリカ=イギリス=香港合作映画 監督バルタザール・コルマウクル
ネタバレあり
海洋でのサバイバルものと言えば、「オープン・ウォーター」(2004年)という、プロダクションとしては誠に貧弱ながら、観客の本能的な想像力に訴えて商業的に成功した作品がある。
本作は邦題が示す通り乗っていたヨットが操行不能になって41日間太平洋を漂った末に大型船舶に発見された、タミー・オールダム・アシュクラフトという女性の体験記を映画化した実話ものである。結果がある程度解っているので楽しめるレベルはたかが知れているが、脚色のよろしきを得て、その限界にまで達していると思う。
タヒチで知り合ったタミー(シェイリーン・ウッドリー)は9歳年上の英国青年リチャード・シャープ(サム・クラフリン)と意気投合して婚約者同士となり、富豪に頼まれた高級ヨットをアメリカのサンディエゴまで回航する旅に出る。しかし、発生したハリケーンを避けきれずにヨットは破損、リチャードは海に投げ出される。
以降、タミーが一人奮闘し、やがて海上に浮かんでいるのを発見したリチャードを救い上げ、彼の介護をしながら41日間漂流する。
時系列に沿って書くとほぼ(!)こういうお話だが、回想形式の映画の一タイプである、並行して見せながらやがて過去が現在に追いつく形の構成。これでこの映画はかなり楽しめるものになったのである。
現在は遭難してヒロインが一人になってから、過去は遭難するまでである。ヒロインが孤軍奮闘する描写の狭間に過去が挿入され、やがてリチャードが遭難する。ところが、本作では、これで過去が現実と追いついたと思わせて実はそうではないというアイデアが一応の殊勲である。
どういうことか? 助けたリチャードが幻想であったと判明するのである。事前の知識として遭難して5日目後くらいから幻想が始まるということが紹介される。一種の夢落ちだが、彼女の事前の知識が紹介されて初めて過去が現実に追いつくのである。
夢落ちと思って腹を立てる人もいらっしゃるかもしれないが、これは追いかけ型回想形式を生かした作劇の妙と思ったほうが良い。
本作のように一時期香港や中国と合作をするアメリカ映画が多かったが、欧米の現在の中国に対する批判的態度を見ると激減するだろう。香港も今や中国だから同様と思われる。当時は国家と民間は別というスタンスがあったが、映画界は政界以上に人権意識の高い人が多いから、状況が変わったと思う。僕は四十何年か前の高校時代からウイグルやチベット(と内モンゴル)の問題を指摘していた。我ながら先見の明があった。尤も、自治区の問題を早くから指摘して来た東京新聞の記事の影響か、あるいは世界史の授業によってか、なのだが。
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