古典ときどき現代文学:読書録2021年下半期
新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。
本年も記事の第一弾は読書録です。相変わらずオカピーの爺は変なものばかり読んでいると呆れられるでしょうが、例によってリストの前に少し前口上をば。
前言に反するようでありますが、実は相対的に新しい作品や百科事典派ではない方にお馴染みの作品も増えているのではあります。例えば、今期は芥川賞第69回から第78回までの作品群を読んで、印象としてはぐっと若返りました。
映画となった作品も結構あります。映画になった作品を読んでいくという手もありますね。ミステリーはもう少し増やしても良いでしょうか。
一期(半年)に3つくらいは、かねてより読みたかった最重要大作をこなすようにしておりまして、今期は「南総里見八犬伝」の後半(原文のみ・・・これはしんどい)、宮廷文学(小説)の「うつほ物語」(「源氏物語」の半分くらいの長さだが、これも時間がかかった)。漢籍「戦国策」も三分冊。水俣病ルポルタージュもしくは私小説「苦海浄土」三部作はそこまで長くはないにしても、読み応えがありましたねえ。
日本の大古典(江戸時代以前のもの)や漢籍はまだ結構残っていますが、余り多く読むと敬遠されてしまいそうなので、ぼちぼちと。
睡眠導入剤的に寝る前にkindleで無償のばかりを読んでいるうちに再鑑賞のものも増えました。
その中にはカフカなんてのも。海外文学は原作者の著作権は切れていても訳者の著作権が切れていないものが多い為、無償では意外と読めない。TPPの関係で(アメリカが参加しなかったくせにアメリカの基準通り)著者の死後70年著作権が保護されることになり、今後20年近くパブリック・ドメインの作家は現れません。作者を保護するのは勿論必要ですが、その恩恵をひ孫辺りにまで残す必要はないような気がしますがねえ。またこれによって死蔵作品が増えると言われ、文化保護という意味ではマイナスというご意見も。
愚痴はさておき、皆さんの読まれた作品はありますでしょうか。
以下、ご笑覧ください。
三遊亭 円朝
「塩原多助一代記」
★★★★江戸中期に実在した炭商人・塩原太助(円朝は日本的遠慮か、多助に変更)の実話を基にした人情噺でござる。不運に不運を重ねた後に商人に拾われ、その節制ぶりが奏功して大聖人に上りつめたわけで、その端緒に付くまでの苦労話。ピンチに遭う度に誰かが偶然助けてくれるという繰り返しは現代の感覚では相当不自然だが、それはともかく面白さは抜群。彼の養父の後妻になった女性がその前に娘を拉致されて、悲劇の末に助けられた人物なのに、養父が死ぬや悪党に変身するという展開が相当新鮮だ。上野国(現群馬県)のお話で、出て来る方言が僕らの父親以上の世代が使っていた言葉そのまま、非常に感じが出ていた。円朝は群馬弁をよく研究したと思う。
アイザック・アシモフ
「黒後家蜘蛛の会1」
★★★SF界の巨匠による短編ミステリー集で、男性しか所属できない“黒後家蜘蛛の会”で話される謎を、給仕ヘンリーが解明する12編を収める。安楽椅子探偵ものに分類される内容。最初の一編「会心の笑い」はヘンリーその人が当事者で他の十一編とは趣が違うが、会員たちがあれやこれやと悩んでいる謎を、シンプルな視点からヘンリーが解明するという構成は同じ。殺人などは殆どなく知的なお楽しみといった趣向が目立つが、構成が同じなので連続して読むと飽きるかもしれない。訳者(池央耿)の韻文の訳がなかなか秀逸。
三木 卓
「鶸」
★★第69回(1973年上半期)芥川賞受賞作。固有名詞が一切出ず、満州国と解釈する人もいるが、戦争の中を逞しく生きる少年兄弟の姿には、どこか欧州の香りも漂う。僕が少年たちが戦時下で頑張る欧州映画を多く見ているせいもあるかもしれない。余りピンと来なかった。
森 敦
「月山」
★★第70回(1973年下半期)芥川賞受賞作その一。中学時代に老作家の受賞として話題になったことを憶えている。舞台は現代なのだろうが、密造酒製造の発覚を警戒する古俗の残る山地の村で冬を過ごす主人公が遭遇する猥雑な暮らし。映画で言えば、今村昌平のような世界であるが、方言が100%は理解できないので面白味は必ずしも解らず。
野呂 邦暢
「草のつるぎ」
★★第70回(1973年下半期)芥川賞受賞作その二。作者の実体験を基に書かれた自衛隊隊員の成長期を綴って爽やか。自衛隊メンバーとして水害に遭った故郷に向う場面などその筆頭だろう。昭和32年入隊と本人が年譜で語っているから戦後十年余り、自衛隊に太平洋戦争や日中戦争を戦った上官もいるのが感慨深い。
阪田 寛夫
「土の器」
★★★★第72回(1974年下半期)芥川賞受賞作その一。亡くなった母親を最期を思い出しながら綴るお話で、詳細な心情描写にじーんと来る。芥川賞受賞作としては大衆的、直球で解りやすい。
日野 啓三
「あの夕陽」
★★★第72回(1974年下半期)芥川賞受賞作その二。韓国人(在日ではない)の愛人をもって妻との離婚を考える主人公の心情が語られる、四畳半フォークのような小市民的小説。今回読んだ一連の芥川賞受賞作の中でも最も日本的純文学の香りが強い。
林 京子
「祭りの場」
★★★第73回(1975年上半期)芥川賞受賞作。芥川賞受賞作の作品は実体験に基づくものが多い。これは長崎で被爆して文字通り奇跡的に生き延びた作者が体験記。描写に凄味がある反面、何かを体験する度に自他に対する皮肉めいた一言が付くのが可笑しい。
中上 健次
「岬」
★★★第74回(1975年下半期)芥川賞受賞作その一。映画ファンなら読まなければならない作家だが、今回が初めて。彼には土着作家(こんな言葉ないだろうが、土着作家で検索したら最初に中上健次が出て来た。面白い)というイメージが強く、本作でも和歌山の母親・父親がそれぞれに違う訳あり兄弟多数の絡みが綴られる。選者たちも人間関係に苦労したようだが、僕は読み進むうちにすんなり理解できた気がする。
岡松 和夫
「志賀島」
★★第74回(1975年下半期)芥川賞受賞作その二。金印発見で有名な福岡県志賀島の対岸を舞台に進行する戦争末期から終戦初期の頃の、シングルマザーに育てられる二人の国民学校6年の同級生二人の数年を綴る。一人は志賀島での海洋訓練中に事故に遭い結局はお寺で行者となり、一人は中学校に進学する。戦後の混乱期一人は母を自殺で失い、一人は殺人で失う。少年行者はお寺に匿われていた戦犯(九州大学での生体実験絡み)が逮捕されるという事件も垣間見る。国民が戦争に翻弄される様を淡々と描いて味わいがある。
E・M・フォースター
「ハワーズ・エンド」
★★★★映画よりヒロインたちの一々の心理が解りやすいが、ヒロイン(姉)が富豪と何故結婚したかという命題は意外と難しく、妹が解ったということだけが解るだけ。少なくとも僕は解らなかったのだ。しかし、フォースターがこういう話を考えたのは、物質主義と精神主義という、フォースター自身における矛盾を解決する為だった。と、弊ブログ愛読者モカさんが検討結果を教えてくれた。
ニコライ・N・ノーソフ
「ヴィーチャと学校友だち」
★★★子供の学校生活は社会主義国でも大して変わらんわいと微笑ましくなるところが多いが、先生の意見の中に “国” が絡んでくるところは厭らしい。日本でも安倍元首相のシンパでその後裏切られた某氏が経営した学校がそんな感じだったように喧伝されているが。
児玉 花外
「社会主義詩集」
★★★★文語だが難しい単語は殆どなく解りやすい。大塩平八郎の乱なども出て来るのがユニークだが、作者にとって僅か70年弱前の出来事に過ぎなかった。僕らが前回の東京五輪を思い出す若しくは想像するくらいの感覚なのだ。
讃岐典侍(=藤原 長子)
「讃岐典侍日記(さぬきのすけにっき)」
★★★前半では重病になった堀川天皇への看護を、後半では押し付けられた幼少の鳥羽天皇を見守りながらも堀川天皇への追慕が綴られる。しかし、やがて鳥羽天皇への愛情が芽生える。日記文学だが、心理小説風に読める。中世の女流文学において日本は世界に冠たるものがあると再認識させられる。
ジャン=ジャック・ルソー
「人間不平等起源論」
★★★人間が言葉を発明した後所有が始まり、外見を含めて様々な持てる者が生れた。これが差別の起源とルソーは考える。彼はここでも “自然に帰れ” という思想を基礎に持っている。
滝沢 馬琴
「南総里見八犬伝:第七巻(第116回~第135回)」
★現代語訳が尽きて、いよいよ原文にて読む第一弾。事の発端となった戦いで亡くなった主君を弔う大法会(だいほうえ)が行われ、これを機に初めて八犬士が集合する。続いて、八犬士に同じ金碗の苗字(姓ではない)を授ける為許可を取るべく、新兵衛らが京都の管領の許に向う。その海路で海賊に会うのが後半のスペクタクル。列伝に比べるとやはりスペクタクル性が落ちる“その後”という感じ。
「南総里見八犬伝:第八巻(第136回~第153回)」
★★前半は、管領に抑留されていた犬江新兵衛が、解放を条件に、絵から抜け出た虎を退治する。後半は、里見に反旗を翻した扇谷定正らと戦うための八犬士の準備模様。前回よりは面白いかな?
「南総里見八犬伝:第九巻(第154回~第176回)」
★八犬士が分離しながらも全員活躍するように配置されているのは良い。反面、超能力的なファンタジー要素は、犬江の持つ薬が生き延びる価値のある死者だけに効くという場面以外に全くなく、軍記ものを読んでいるのと全く同じなのは興醒める。現代人にはちと向かない。
「南総里見八犬伝:第十巻(第177回~回外剰篳)」
★いよいよ最終。原爆投下後の日本を読むような戦後の事務処理が綴られ、面白味に乏しい。本編が終わって回外剰篳において、ほぼ失明した馬琴が娘に言葉について教える回想部分が一番興味深い。
小野 十三郎
「大阪」
★★★仕事をする大阪の地域を読んだ詩集。カール・サンドバーグの「シカゴ詩集」を彷彿とする。調べたら完全版が読める。
高橋 新吉
「ダダイスト新吉の詩」
★★★1923年発表。ダダイズムの詩はなかなか面白い。わが県が生んだ山村暮鳥の「聖三稜玻璃」(1915年)に似ている。暮鳥はダダイストとは言われないが、作者が影響を受けた可能性はある。
ミラン・クンデラ
「存在の耐えられない軽さ」
★★★知人同士の関係にある二組の男女のお話だが、主題の展開の為に時系列が崩されるというのが文学的工夫として注目される。1990年代から2000年代に映画界で流行したドラマのミステリー化の為の時系列操作ではない。もう一度映画を観た方が小説・映画双方にとって面白そうだ。
ポール・クローデル
「繻子の靴」
★★フランス大使として日本にいた頃書かれたと思われる大作戯曲。16世紀後半、スペインの新大陸発見後の力関係をめぐる物語。前半はお話がよく理解できないが、後半(分冊2冊目)になると面白くなってくる。大仏という日本画家が出て来るは日本への表敬だろうか。
中山 義秀
「テニヤンの末日」
★★★★テニヤン島での戦闘を生きのびた軍医が、医学を並んで学んだ戦友と自分が経験した戦時中のことを回想する。読み応えのある短編。
武田 泰淳
「森と湖のまつり」
★★★時代背景は正確に掴めないが、発表された1958(昭和33)年より少し前くらいなのだろう。アイヌの人権(そもそも文化としてのアイヌ人が本当にいるかどうかを含む)をめぐる論争が今と殆ど変わらず、70年近くの間に人々は何をしてきたのか。人権主義者は “アイヌはもはや(日本に)いない” と主張する人々を差別主義者などと批判するが、実はそんな単純なものではないと思う。民族としてのアイヌ人はロシアにもいるので、アイヌ人はいないというのは間違い。日本人VSアイヌという単純な構図ではなく、アイデンティティの問題も絡めて、アイヌ人同士の対立もあり、少々まだるっこいが、面白い。
ニコライ・カラムジン
「哀れなリーザ」
★★★★18世紀末に発表された、ドイツ・ロマン主義にも似た抒情的な小説。少し後のプーシキンがお好きな方には楽しめる可能性が高い逸品。
トルクァート・タッソー
「エルサレム解放」
★★十字軍のエルサレム解放を素材にした叙事詩。大大大長編なので、一部を梗概と解説で処理した編集版でござる。完全版の和訳はないと思う。作者はイタリア人だから当然、十字軍側を正義として扱うが、騎士たちに絡んでくる美女たちが皆イスラム教徒(物理的に当然と言えば当然)で、その絡め方はなかなか面白い。
夏目 漱石
「吾輩は猫である」(再)
★★★★★ドイツのホフマン「牡猫ムルの人生観」をベースに英国風のシニカルさで味付けし、日本流の戯作気分濃厚に仕立てた作品。漱石の小説デビュー作。僕にとって、リズミカルの文章が圧巻で、内容は二の次だ。
「坊ちゃん」(再)
★★★★愛媛の中学(現在の高校にほぼ相当)に赴任した数学教師の主人公が上司・同僚・生徒を相手に暴れ回る。生徒に対する対抗意識は、相手に非があるにしても、現在ならアウトですな。僕がマドンナという言葉を憶えたのは本作の映像版によるが、たったあれしか出て来ないとは!
「草枕」(再)
★★★★★読むのは三回目? 中味の記憶が意外と鮮明なのである。内容は小説の形態を取った芸術論で、ストーリーは余り重要ではない。初期漱石で僕が一番関心のある文体については、明治末の和漢混交文と言っても良いのではないか。つまり、漢文調の難しい熟語が多く出て来るが、その結果が漱石の中でも最高と言いたくなるリズム感溢れる名文。こんな文章を二週間で書いたという漱石の語彙力は物凄い。
吉本 隆明
「共同幻想論」
★★★★作者は “国家は人々による幻想である” と直接的には余り言っていないのだが、僕はすっかりこの考えが気に入った。政権を担う僅かの政治家と、それに絡む僅かな官僚と、政治を動かす力のある一部経済人が実は国家なのである、という僕の考えと、どこかで繋がるところがあると思う。国家は幻想であると考えれば、国家主義を象徴する反日(非国民)や自虐史観という言葉自体が本来意味のないものと思えてくる。
マルグリット・デュラス
「愛人 ラマン」
★★★映画版が物凄い話題になりましたね。1930年前後、インドシナで過ごしていた少女時代をモチーフにした自伝小説。基本的に回想ばかりであるが、フラッシュバック的記載であるから、お話は必ずしも時系列通りに語られるわけではない。
「太平洋の防波堤」
★★「愛人 ラマン」の変奏曲とも言える長編デビュー作で、「ラマン」より2,3年後のお話。こちらは自伝的ではあってもフィクション部分が多いだろう。意図したものか、それとも時系列の関係か「ラマン」に登場する長兄は影も形も出て来ない。ぐっと構築的な小説らしい小説で、こちらを読んでから「ラマン」を読んだ方が解りやすかっただろう。時代が重なるハードボイルド小説のような感じ。
葛 洪(伝)
「西京(せいけい)雑記」
★後漢までの歴史的逸話を取り上げた記録集の趣きだが、余りに抄録なので評価しかねる。完全版でなくてももう少しまともな翻訳はないのか。
ヴィクトル・ユゴー
「死刑囚最後の日」
★★★ユゴーの死刑廃止の願いは、140年後に実現する。主題も明確な、ヒューマニストによる読みやすい中編。
江戸川 乱歩
「悪魔の紋章」
★★明智小五郎もの。小林少年が少し出てくるが大人向け。全体の三分の二以上において別の探偵が事件を捌く設定だから、勘の良い人は犯人が解ってしまう。決してつまらなくはないが、死体を展示するといった怪奇ムードの在り方が旧作と大して変わらず、新味不足の感は否めない。
「影男」
★★★明智小五郎もの。アルセーヌ・ルパン的に変装が自由自在で策士として能力も圧倒的な影男が善悪両方の活躍する。そんな彼に殺人請負会社が絡んで、作戦を依頼する。さらにこれに影男もびっくりするパノラマを見せる男が絡み、途中で影男と殺人請負会社の虚々実々の殺し合いを演ずる場面もある。「悪魔の紋章」同様、明智は最後にちょいと出て来て一網打尽にする、という都合の良さ。乱歩が「パノラマ島奇譚」など旧作を色々と再利用した作品に過ぎないが、三つの要素を組み合わせたのはなかなか面白い。
「黒手組」
★★★明智小五郎が手紙の暗号を解く初期短編。個人的にはエドガー・アラン・ポーを意識したこのような初期の乱歩が好きであります。
「一枚の切符」
★★「二銭銅貨」と並ぶ初期短編の傑作と言われる作品だが、轢死事件そのものも解決もピンと来なかった。もっときちんと読まないといかんのだろう。
テオフィル・ゴーチエ
「モーパン嬢 序文」
★★★歪んだ道徳を重んじる無粋な保守層や評論家に対して、唯美的な立場から徹底して批判する、芸術論。「モーパン嬢」とは別個の作品として考え、別扱いにしました。
「モーパン嬢」
★★19世紀初めまで主流を占めていた書簡体小説の体裁を基本としながら、その中に戯曲風の台詞の応酬を入れたり、作者の地の文を入れたり、工夫が見られる。自分の審美眼に適う女性を求めている若者が、女性のような男性に惚れ込んでしまう。と言っても同性愛ではなく、彼が途中で見抜いたように相手は男装の麗人。ヘルムアフロディテもしくはアンドロギュノス的観念を基調にしたお話だが、主人公が持つのは変態性欲ではなく耽美主義なのだ。しかし、手紙の部分がくどくどと長くて、どうも退屈してしまう。
野坂 昭如
「心中弁天島」
★★★★新潮文庫の短編集の題名ではなく、そこに収められた同名短編。格助詞を多く省く地の文が、格助詞を抜くことの多い関西の少年少女の台詞と頗る合っていて、それがどこか心中ものを多く書いた近松門左衛門の文体のように調子よく響く。格助詞を抜いた文章は五七調に通ずる印象があるのだ。内容は、四畳半フォーク的な、出会ったばかりの下層階級少年少女の切ない逃避的な行動を綴ったもので、最後に死ぬとは限らないのだが、小説の結末に感じる二人の小さな幸福感が実に感動的。名短編と言うべし。
「銀座のタイコ」
★★上記短編集より。実力者や有名人に媚を売ってひとかどの人物となったと勘違いした人物が上流を気取ってパーティーを開いてみるが・・・というお話で、幕切れは切ないと言っていいのか。
「殺さないで」
★「心中弁天島」の男主人公と似た境遇のチンピラ少年がヤクザに絡んで起こる悲劇。ブラック・ユーモアはあるが、恐らくその後のどんでん返しがない最後は救われない。落ちがあればもっと好印象を持てたと思うが。ベンツに乗った男に文句を言ってはいけない。赤信号で動かなくてもクラクションを鳴らしてはいけない。
「くらい片隅」
★★★終戦の何年か後に野坂を思わせる主人公が、バーで黒人と英語のできない学生が飲んでいる場面に出くわす。この二人の問題は別途あるのだが、主人公はこの風景に戦後日本人のアメリカ・コンプレックスを感じるのだ。
「万婦如夜叉」
★★★流行作家が二人の悪妻に悩まされるお話。このお話の背景には、戦後日本男性の白人女性コンプレックスがあるようで、つまり、よく言われるように戦後強くなった日本女性を表現している。僕は、権利の有無を別にして、戦前の日本(特に都会の)女性も強かったと思っているが。
石牟礼 道子
「苦海浄土 第一部:苦海浄土」
★★★★★水俣病を扱ったルポルタージュと捉えるムキもあるようだが、1960年代に書かれたこの第一部は壮大な私小説と思う。自ら近代の呪術師と宣言しているように、作者のフィルターを通って翻案された患者やその家族の言葉の至上の美しさ! 標準語ではこの幽玄は無理であった。
「苦海浄土 第二部:神々の村」
★★★★★近代文明に否定的な立場が濃厚になるとともに、呪術師としての文は益々冴えわたる。
「苦海浄土 第三部:天の魚」
★★★加害者であるチッソを断罪した裁判をめぐる前後の経緯を描くこの第三部は、極めて散文的な実務文の引用が多くルポルタージュといった印象が強い。地の文に作者らしい古代的で豊潤な表現があるが、分量少なく文学としては多少味気ない。しかし、勝訴した後の患者家族の苦闘を僕は知らなかった。
エーリヒ・ケストナー
「飛ぶ教室」
★★★小学校の学級図書にあったような記憶があるが、読まなかった。英国やドイツに伝統的にあるスクールもので、学校間のバンカラな喧嘩とその間に出現する教訓的出来事が綴られる。
「点子ちゃんとアントン」
★★★★映画によって存在を知った。実業家の奇妙な娘と貧乏人の息子の奇妙で教訓的な友情物語。点子ちゃんは愉快だなあ。
芥川 龍之介
「仙人」
★★中国もの。鼠の芸を見せる大道芸人が、貧しい老人と馬鹿にした老人、実は仙人にぎゃふんと言わされる。老人は紙きれを大金に変えるのだ。人生の苦労を楽しみにする境地を説くお話。初期の芥川らしい寓話でござる。
「戯作三昧」(再)
★★★★★大長編「南総里見八犬伝」を延々と書くうちスランプに入った馬琴。その半日くらいの心理の変遷を綴る長めの短編。序盤の銭湯でのファンとアンチの馬琴論からして面白く、馬琴が戯作三昧の境地に達観する幕切れが爽快。芥川の時代ものの中の最高傑作ではあるまいか。
「南京の基督」
★★★★南京の少女娼婦が梅毒にかかり、客に梅毒を移せば治るという同輩の忠言をキリスト教信仰により無視するが、キリストに似た男に宗教心を揺り動かされて同衾する。その後彼女は奇跡的に治る。彼女は、それをキリストのおかげと考えるが、彼女から梅毒を移されたその男はやがて発狂したという事実を知らない。宗教心に対してなかなかシニカルな視点が効いた好短編。
「芋粥」(再)
★★★今年の前半本作の原型となる物語を「宇治拾遺物語」に読んだ。経緯は殆どそのままだが、近代的自我への分解が現代文学なのである。
二葉亭 四迷
「浮雲」(再)
★★★★日本で初めての言文一致(口語)体の小説として有名。1887年発表だから、言文一致体が定着するより15年近くも前に、ロシア文学を意識して、自意識が高いだけで優柔不断の主人公の内面を丹念に綴ったことに感嘆させられるが、作者が完成させる自信を失って未完に終わったせいか、それが本格的に定着するには尾崎紅葉「多情多恨」や泉鏡花「高野聖」が登場する1900年以降まで待つ必要があった。しかし、本作や漱石の初期作品を文語体と言っている若者の情ないことよ! これが文語体であれば、それ以前の本当の文語体は到底読めますまい。やれやれ。
イヴァン・ツルゲーネフ
「はつ恋」(再)
★★★★十代前半から高校を卒業するまで僕は青少年のはかない恋模様を主題にした小説を愛読した。非常に有名なこの「初恋」も内容的にはその類であるが、「若きウェルテルの悩み」「即興詩人」「春の嵐」「みずうみ」に比べると満足度は低かったと記憶している。文学的価値は高いが、現実的な痛みが明確に描かれすぎて散文的と感じたからではないか、と再読して思う。
チャールズ・ディケンズ
「エドウィン・ドルードの謎」
★★★親のない若者エドウィンが後見人の決めた婚約者との結婚を合意の末に破棄して研究の為海外へ旅立つ直前に姿を消す。彼の所有品が発見されて恐らくは殺されたものと推定される。ディケンズ初の本格的なミステリーと言われているが、本格探偵小説的なものを期待すると当てが外れると思う。完結する前にディケンズが亡くなった為に、犯人はぼぼ特定されているが、色々な謎が残った。つまり、作品における謎が一番のミステリーとなっているのだ。当時の風俗等がごく丁寧に綴られているので、そこで退屈しなければ面白い作品と思いますデス。
小松 成美
「アストリット・Kの存在 -ビートルズが愛した女-」
★★★★「バック・ビート」という映画にアストリット・キルヒャー(キルヒヘア)というドイツ美人が出て来た。日本女性による彼女の伝記である。人気者になる前のビートルズの写真を撮っていた為に、彼女は写真家たることを止める羽目になる。勿論ビートルズの伝記的部分も大量に出てきて興味深いと同時に、彼女の人生の思いもよらぬ挫折に切ない気持ちを禁じ得ない。泣き虫オカピーは、見事に泣かされました。
レフ・トルストイ
「芸術とは何か」
★★★面白く読めるが、トルストイの芸術に対する考え方は賛同できない。作者が経験した感動を鑑賞者に伝えて同化させることが芸術の目的である、という総論は部分的に納得する。しかし、特に映画好きの立場からすると、想像力に頼ったものも芸術であると思う。それより各論に疑問が多く、特に模造はダメというのは気に入らない。確かにまがい物はダメであるが、他人の作品から盗んで再構築するのが芸術文化であるとする僕の芸術観とは全く合わない。美を善と切り離したのは殊勲としても、何だかんだ言って、彼は芸術を宗教から切り離せないのだ。
栄西
「興禅護国論」
★★鎌倉時代初期に日本で臨済宗を興した栄西の著作。昔読んだ「喫茶養生記」に比べ、こちらは文字通り仏教書なので、僧侶もしくは研究者以外の一般人にそう面白いわけがない。一般的に禅宗二宗と他の宗派は大きく分けられるので、天台宗などの古来宗派にも禅の要素があるという部分をとりわけ興味深く感じた。
野村 胡堂
「銭形平次捕物控 第四話:呪いの銀簪」
★★★妙齢美人の連続殺人。今回読んだ四つの作品の中では推理の論理が明確と思う。
「銭形平次捕物控 第五話:幽霊にされた女」
★★死んだと思われた高利貸しの小町娘の事件は実は誘拐。犯行動機は復讐なのだが、序盤の平次の強気やその後の解決がどうもピンと来ない。
「銭形平次捕物控 第六話:復讐鬼の姿」
★★今度の平次の上司に当たる与力の息子が誘拐される。ネタバレすると、犯人は身内だったというお話。これも復讐譚。与力本人がピンチに陥るのはサスペンスとして面白い(彼は本当に縄で吊るされるsuspendedのだが)。
「銭形平次捕物控 第七話:お珊文身調べ」
★★★文身とはいれずみのこと。刺青に同じ。短編とは言え、高木彬光「刺青殺人事件」に先行する刺青女をめぐるミステリーで、少し変わり種。こちらには捜査陣に犯人がいる。
オノレ・ド・バルザック
「幻滅」
★★★★膨大な叢書 “人間喜劇” の中で恐らく一番の大作である。バルザックの文章は非常に濃密なので長たらしく感じるが、僕はその濃密さが好きだ。田舎では田舎流の、都会には都会流の生き馬の目を抜くような生存競争の中で挫折する詩人。彼は最後に悪党に見込まれて悪の道に入って行くらしい。その後の物語は別の作品「浮かれ女盛衰記」で描かれているとのこと。
フィリップ・ロス
「グッバイ、コロンバス」
★★★50年余り前「さよならコロンバス」の邦題で新人アリー・マッグロー主演の映画版が公開された。佳作だった。1950年代後半若いユダヤ人男女が恋に落ち、避妊具ペッサリーをめぐる騒動で別れてしまう。今では全く使われなくなったペッサリーが世代間と男女間のギャップを表現する小道具になっていた。
劉 向
「戦国策」
★★★中国戦国時代後期、主に食客(しょくかく)や説客(ぜいかく)が繰り出す策略を集めたもので、国ごとに編集されている。秦が力を付けてからの時代が中心なので、合従(がっしょう=秦に対抗する連合)策と、連衡(れんこう=個別に秦と宥和する)策をめぐる挿話が多い。3か国以上が絡むお話はややこしいので、食客や家臣が主君の基本的な考えを改めさせるエピソードのほうが楽しめる。“蛇足”“虎の威を借る狐””隗より始めよ”といった有名な諺の出典元。
村上 龍
「限りなく透明に近いブルー」(再)
★★第75回(1976年上半期)芥川賞受賞作。村上一押しのドアーズに始まり、ジミ・ヘンドリックス、ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリンの名前が出て来る。村上が好きだった筈のビートルズが出て来ないのは謎だが、その代わりオシビサという僕がずっと興味を持っていたアフリカ出身のバンドが出て来る。このグループがデビューしたのが1971年で、ドアーズの新譜(恐らく「LAウーマン」)の話がでているので、1971年が背景だろう。高校時代に読んだが、麻薬とセックスの描写が多く退屈した。それが一段落する後半はそれなりに面白い。オシビサはこの小説を読んだ後二枚のLPをダウンロードしてCDにした。
三田 誠広
「僕って何」
★★★第77回(1977年上半期)芥川賞受賞作。1960年代末に作者が体験した学生運動の一側面を描くが、主人公はどの組織にも真に埋没できない。グループで彼の上官に当たる女性と恋愛関係にもなるが、それにも埋没できず、アイデンティティー模索に苦闘する。
池田 満寿夫
「エーゲ海に捧ぐ」
★★★同じく第77回芥川賞受賞作。本業が文学者ではない人の作品で映画化もされたので話題になったが、気取ったポルノに過ぎす退屈だった映画よりはずっと面白い。滞米中の男性芸術家が日本にいる細君の話を電話で聞きながら、目の前にいる裸の愛人と写真家の戯れを眺めている、彼の心中が只管綴られる。映像では抽象的にしかならないことが言葉では具体的に説明されるから多少なりとも面白く感じられるのだろう。
アラン
「幸福論」
★★★★哲学書であるが、哲学的随想という感じで非常に読みやすい。哲学は具体的であれば解りやすくて良いと僕は言ってきたが、これが正にそれ。運命論に否定的で、幸福は意志により求めた者に訪れる、と説く。貰った楽しみより、求めた苦しみの方が幸福だ、という見解も面白い。
宮本 輝
「蛍川」
★★★★第78回(1977年下半期)芥川賞受賞作。ここ数期前衛的・先鋭的な小説が目立っていた反動か、実にクラシックな作品が受賞した。つまり、人間の些かどろどろとした生態を背景に人々の生死を抒情的に描く。幾つか出て来る死を通して、生を、つまるところ性を描くのである。水上勉や三浦哲郎に通ずる抒情性が僕好み。
高木 修三
「榧の木祭り」
★★★同じく第78回芥川賞受賞作。 “かやのきまつり” と読む。年貢という言葉が出て来るので江戸時代のお話と考えられると同時に、人身御供を含む、原始的とも言える土俗ぶりに却って時代を超えた印象を覚えさせるものがある。
アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ
「オートバイ」
★★★アラン・ドロンが出演した「あの胸にもう一度」の原作。彼の小説は映画にすると大体ポルノになってしまうが、小説となると大分品が良い。若い結婚したばかりのヒロインが、年上の愛人から贈られたオートバイに乗ってドイツのその愛人宅へ向かう。その途中彼女の心中に去来するお話即ち回想が主だった内容であるが、彼女は二回旅に出たように感じられるがどうも曖昧。
作者不明
「うつほ物語」
★★★「源氏物語」より数十年古い宮廷文学だが、作者は男性と特定されているらしい。波斯(ペルシャ)由来の琴をめぐるファンタジーから始まり、あて宮を巡る争奪戦で東宮(後の天皇)に負けた主人公・藤原仲忠(琴を受け取った清原俊蔭の孫)が皇女との間に設けた娘いぬ宮が、皇室の人々をも感動させる琴の名手になって終わる。これだけだとよく解らないだろうが、凡そ四つの部分から構成される壮大な物語。「竹取物語」と「源氏物語」の中間的の位置にあることがよく解る長編小説である。そう、「竹取物語」と違い、登場人物の心理が綴られる "小説" になっていると思う。宮廷文学は本当に読みにくい。現代語訳を先に読んでから原文に当たるという段取りでいつも読んでいるものの、主語・目的語の省略に苦しめられる。これより古くても漢文の「古事記」「日本書紀」や説話の類はもっと理解しやすい。
フランツ・カフカ
「城」(再)
★高校時代に最後まで読んだものの、測量士の主人公Kが期待していることが何も起こらないという物語のうちに、(村という)全体に巻き込まれる個人の不条理を主題にしているのだろうとは思いつつ、殆ど意味のなさそうなことを延々を読ませられるので退屈した・・・ということを今度読み直して思い出した。今回は Kindle で前回よりもぐっとゆっくりと読んだが、このお話を楽しむ境地に僕はまだ達していない。
「審判」(再)
★★面白さは「城」と似たり寄ったりながら、長さが3分の2程度なので苦労が少ない分だけ★を増やす。映画版を観ていたせいで序盤は面白く読めるが、突然逮捕された主人公K(カフカ?)が無罪を獲得しようと懸命にあがく様が延々と続くうちに次第に飽きて来る。「城」に先立つ本作もまた(裁判所もしくは裁判という)全体に翻弄される個人の不条理な悲劇と言うべし。
ジェームズ・P・ホーガン
「星を継ぐもの」
★★★人類史におけるクロマニヨン人誕生のミッシング・リンクをSF的に解釈した作品で、5万年前に逆輸入されたという解釈が二段構えで説明されて興味深い。純粋にハードSF的部分はしんどいが、楽しめると思う。
泉 鏡花
「高野聖」(再)
★★★★中国伝奇小説的な幻想小説で、ある僧侶が山奥で人間を変化(へんげ)させる力のある女性に取り込まれそうになるが、その聖人性によって変化を免れて世間に帰還するという物語。1900年の発表ながら既に口語なので、割合読みやすく、かつ、面白い。
「歌行燈」(再)
★★勘当された能楽師と芸者になった娘との因縁を綴る。1943年の成瀬巳喜男監督の映画版は気に入っているが、原作は話自体が非常に掴みにくい。
バルドゥイン・グロラー
「奇妙な跡」
★★★★オーストリア発の短編ミステリー。江戸川乱歩選出「世界推理短編傑作集2」より。雨の前後における土の様子から犯人を突き止めるお話で、犯人の意外性に実にクラシックな面白味がある。僕は乱歩の初期短編「黒手組」の着想源の一つだった可能性もあるとにらんでいる。
G・K・チェスタトン
「奇妙な足音」(再)
★★★同じく「傑作集2」より。忘れていたが、読むうちに「ブラウン神父の童心」収録の一作と気づいた。パーティー最中に銀食器を盗むという大胆な犯行を神父が解明する。人の先入観と偏見が絡んだところが面白味。
モーリス・ルブラン
「赤い絹の肩かけ」(再)
★★★★同上。すっかり忘れていたが、小学生の時に読んだアルセーヌ・ルパンの短編集「ルパンの告白」収録作。ルパンがガニマール警部に犯罪の事実とその解明のヒントを与えると共に、それを利用してまんまとお宝を戴いてしまう。探偵と犯罪者を同時にやるという妙味が実に楽しい。何となくこんなお話があったような記憶がうっすらとある。
F・W・クロフツ
「急行列車内の謎」
★★★同上。急行列車の走行中に起きた密室殺人。画面が頭に浮かぶことが大事そうなので、鉄ちゃんでないと解りにくいかもしれない。
オースティン・フリーマン
「オスカー・ブロズキー事件」
★★★★同上。短編としては長めで、短い中編といった感じ。自殺に見せかけた鉄道轢死事件をソーンダイク博士が解明する倒叙もの。探偵に相当する博士の緻密な捜査(調査と言うべきか)が相当興味深い。乱歩初期の短編「一枚の切符」のインスピレーションになった可能性が高い。
ヴィクター・L・ホワイトチャーチ
「ギルバート・マレル卿の絵」
★★同上。探偵ソープ・ヘイズルもの。名画の入れ替えという映画でもよくある犯罪がモチーフだが、眼目はそれを実行する為に行われた走行中の貨車を一両抜き取るというアイデア。これも鉄ちゃんでないと些か解りにくいのが難点でござる。解説者によると、これも乱歩おじさん、流用したらしい(作品名不明)。
アーネスト・ブラマー
「ブルックベンド荘の悲劇」
★★★同上。人為的な感電を落雷に見せようという犯人の科学的アイデアが第1次大戦前の作品として斬新だったと思う。しかも、犯罪を未然に防ぐという珍しい本格ミステリー。が、女性の心理が絡む幕切れがどうもピンと来ない。盲人探偵マックス・カラドスが活躍する、一種の安楽椅子探偵もの。
メルヴィル・D・ポースト
「ズームドルフ事件」
★★★同上。19世紀初め、開拓時代米国山奥の密室殺人というのが珍しい。短編ならではの犯人の意外性も秀逸。探偵役はアブナー伯父。
川端 康成
「古都」
★★★生き別れて共に他人によって育てられた姉妹の関係を描く。しかるに、人間を描くうちに京都の自然や祭などの風俗を浮かび上がらせる小説とも読める。作者自身が述べているように病気の為に混乱があるようで、出会った双子のヒロインのほうが姉妹説を否定した直後に二人が姉妹として話し合っているのは奇妙な感じがする。川端らしい美しい小説だが、映画版のほうが好きだ。中村登監督のバージョンも市川崑監督のバージョンも良かった。後者は山口百恵主演の文芸ものでは断トツの出来栄えと思う。
「千羽鶴」
★★★★茶室の亭主だった人物(故人)の息子菊治がその愛人だった女性・太田夫人と肉体関係に及ぶ。もう一人の情婦だったお茶の師匠ちか子は、上流階級の娘ゆき子と結婚させようとするが、太田夫人の自殺により彼はその娘文子を強く意識し始める。というどろどろとした人間関係のお話だが、自然描写のうまい川端の手に懸かると、これが非常に格調高いお話に昇華する。茶器をめぐるエピソードの効果もあるだろう。内容は大映、仕上がりは東宝といった趣。実際に大映が二回映画化している。僕は映画版の存在を知らず、頭の中で配役を考えたが、最初の映画化におけるちか子の杉村春子がズバリ賞だった。
「波千鳥」
★★★
「千羽鶴」続編。失踪して自殺も懸念された文子から手紙を受け取った菊治は、その勧めによりゆき子と結婚するが、過去の女性関係の罪悪感からゆき子に手を出すことができない。未完なので評価しにくいところがあるが、前作ほど鮮烈ではないかもしれない。菊治は “きくじ”か“きくはる” なのか解らない。文字変換から判断するに “きくじ” のようだが。
本年も記事の第一弾は読書録です。相変わらずオカピーの爺は変なものばかり読んでいると呆れられるでしょうが、例によってリストの前に少し前口上をば。
前言に反するようでありますが、実は相対的に新しい作品や百科事典派ではない方にお馴染みの作品も増えているのではあります。例えば、今期は芥川賞第69回から第78回までの作品群を読んで、印象としてはぐっと若返りました。
映画となった作品も結構あります。映画になった作品を読んでいくという手もありますね。ミステリーはもう少し増やしても良いでしょうか。
一期(半年)に3つくらいは、かねてより読みたかった最重要大作をこなすようにしておりまして、今期は「南総里見八犬伝」の後半(原文のみ・・・これはしんどい)、宮廷文学(小説)の「うつほ物語」(「源氏物語」の半分くらいの長さだが、これも時間がかかった)。漢籍「戦国策」も三分冊。水俣病ルポルタージュもしくは私小説「苦海浄土」三部作はそこまで長くはないにしても、読み応えがありましたねえ。
日本の大古典(江戸時代以前のもの)や漢籍はまだ結構残っていますが、余り多く読むと敬遠されてしまいそうなので、ぼちぼちと。
睡眠導入剤的に寝る前にkindleで無償のばかりを読んでいるうちに再鑑賞のものも増えました。
その中にはカフカなんてのも。海外文学は原作者の著作権は切れていても訳者の著作権が切れていないものが多い為、無償では意外と読めない。TPPの関係で(アメリカが参加しなかったくせにアメリカの基準通り)著者の死後70年著作権が保護されることになり、今後20年近くパブリック・ドメインの作家は現れません。作者を保護するのは勿論必要ですが、その恩恵をひ孫辺りにまで残す必要はないような気がしますがねえ。またこれによって死蔵作品が増えると言われ、文化保護という意味ではマイナスというご意見も。
愚痴はさておき、皆さんの読まれた作品はありますでしょうか。
以下、ご笑覧ください。
***** 記 *****
三遊亭 円朝
「塩原多助一代記」
★★★★江戸中期に実在した炭商人・塩原太助(円朝は日本的遠慮か、多助に変更)の実話を基にした人情噺でござる。不運に不運を重ねた後に商人に拾われ、その節制ぶりが奏功して大聖人に上りつめたわけで、その端緒に付くまでの苦労話。ピンチに遭う度に誰かが偶然助けてくれるという繰り返しは現代の感覚では相当不自然だが、それはともかく面白さは抜群。彼の養父の後妻になった女性がその前に娘を拉致されて、悲劇の末に助けられた人物なのに、養父が死ぬや悪党に変身するという展開が相当新鮮だ。上野国(現群馬県)のお話で、出て来る方言が僕らの父親以上の世代が使っていた言葉そのまま、非常に感じが出ていた。円朝は群馬弁をよく研究したと思う。
アイザック・アシモフ
「黒後家蜘蛛の会1」
★★★SF界の巨匠による短編ミステリー集で、男性しか所属できない“黒後家蜘蛛の会”で話される謎を、給仕ヘンリーが解明する12編を収める。安楽椅子探偵ものに分類される内容。最初の一編「会心の笑い」はヘンリーその人が当事者で他の十一編とは趣が違うが、会員たちがあれやこれやと悩んでいる謎を、シンプルな視点からヘンリーが解明するという構成は同じ。殺人などは殆どなく知的なお楽しみといった趣向が目立つが、構成が同じなので連続して読むと飽きるかもしれない。訳者(池央耿)の韻文の訳がなかなか秀逸。
三木 卓
「鶸」
★★第69回(1973年上半期)芥川賞受賞作。固有名詞が一切出ず、満州国と解釈する人もいるが、戦争の中を逞しく生きる少年兄弟の姿には、どこか欧州の香りも漂う。僕が少年たちが戦時下で頑張る欧州映画を多く見ているせいもあるかもしれない。余りピンと来なかった。
森 敦
「月山」
★★第70回(1973年下半期)芥川賞受賞作その一。中学時代に老作家の受賞として話題になったことを憶えている。舞台は現代なのだろうが、密造酒製造の発覚を警戒する古俗の残る山地の村で冬を過ごす主人公が遭遇する猥雑な暮らし。映画で言えば、今村昌平のような世界であるが、方言が100%は理解できないので面白味は必ずしも解らず。
野呂 邦暢
「草のつるぎ」
★★第70回(1973年下半期)芥川賞受賞作その二。作者の実体験を基に書かれた自衛隊隊員の成長期を綴って爽やか。自衛隊メンバーとして水害に遭った故郷に向う場面などその筆頭だろう。昭和32年入隊と本人が年譜で語っているから戦後十年余り、自衛隊に太平洋戦争や日中戦争を戦った上官もいるのが感慨深い。
阪田 寛夫
「土の器」
★★★★第72回(1974年下半期)芥川賞受賞作その一。亡くなった母親を最期を思い出しながら綴るお話で、詳細な心情描写にじーんと来る。芥川賞受賞作としては大衆的、直球で解りやすい。
日野 啓三
「あの夕陽」
★★★第72回(1974年下半期)芥川賞受賞作その二。韓国人(在日ではない)の愛人をもって妻との離婚を考える主人公の心情が語られる、四畳半フォークのような小市民的小説。今回読んだ一連の芥川賞受賞作の中でも最も日本的純文学の香りが強い。
林 京子
「祭りの場」
★★★第73回(1975年上半期)芥川賞受賞作。芥川賞受賞作の作品は実体験に基づくものが多い。これは長崎で被爆して文字通り奇跡的に生き延びた作者が体験記。描写に凄味がある反面、何かを体験する度に自他に対する皮肉めいた一言が付くのが可笑しい。
中上 健次
「岬」
★★★第74回(1975年下半期)芥川賞受賞作その一。映画ファンなら読まなければならない作家だが、今回が初めて。彼には土着作家(こんな言葉ないだろうが、土着作家で検索したら最初に中上健次が出て来た。面白い)というイメージが強く、本作でも和歌山の母親・父親がそれぞれに違う訳あり兄弟多数の絡みが綴られる。選者たちも人間関係に苦労したようだが、僕は読み進むうちにすんなり理解できた気がする。
岡松 和夫
「志賀島」
★★第74回(1975年下半期)芥川賞受賞作その二。金印発見で有名な福岡県志賀島の対岸を舞台に進行する戦争末期から終戦初期の頃の、シングルマザーに育てられる二人の国民学校6年の同級生二人の数年を綴る。一人は志賀島での海洋訓練中に事故に遭い結局はお寺で行者となり、一人は中学校に進学する。戦後の混乱期一人は母を自殺で失い、一人は殺人で失う。少年行者はお寺に匿われていた戦犯(九州大学での生体実験絡み)が逮捕されるという事件も垣間見る。国民が戦争に翻弄される様を淡々と描いて味わいがある。
E・M・フォースター
「ハワーズ・エンド」
★★★★映画よりヒロインたちの一々の心理が解りやすいが、ヒロイン(姉)が富豪と何故結婚したかという命題は意外と難しく、妹が解ったということだけが解るだけ。少なくとも僕は解らなかったのだ。しかし、フォースターがこういう話を考えたのは、物質主義と精神主義という、フォースター自身における矛盾を解決する為だった。と、弊ブログ愛読者モカさんが検討結果を教えてくれた。
ニコライ・N・ノーソフ
「ヴィーチャと学校友だち」
★★★子供の学校生活は社会主義国でも大して変わらんわいと微笑ましくなるところが多いが、先生の意見の中に “国” が絡んでくるところは厭らしい。日本でも安倍元首相のシンパでその後裏切られた某氏が経営した学校がそんな感じだったように喧伝されているが。
児玉 花外
「社会主義詩集」
★★★★文語だが難しい単語は殆どなく解りやすい。大塩平八郎の乱なども出て来るのがユニークだが、作者にとって僅か70年弱前の出来事に過ぎなかった。僕らが前回の東京五輪を思い出す若しくは想像するくらいの感覚なのだ。
讃岐典侍(=藤原 長子)
「讃岐典侍日記(さぬきのすけにっき)」
★★★前半では重病になった堀川天皇への看護を、後半では押し付けられた幼少の鳥羽天皇を見守りながらも堀川天皇への追慕が綴られる。しかし、やがて鳥羽天皇への愛情が芽生える。日記文学だが、心理小説風に読める。中世の女流文学において日本は世界に冠たるものがあると再認識させられる。
ジャン=ジャック・ルソー
「人間不平等起源論」
★★★人間が言葉を発明した後所有が始まり、外見を含めて様々な持てる者が生れた。これが差別の起源とルソーは考える。彼はここでも “自然に帰れ” という思想を基礎に持っている。
滝沢 馬琴
「南総里見八犬伝:第七巻(第116回~第135回)」
★現代語訳が尽きて、いよいよ原文にて読む第一弾。事の発端となった戦いで亡くなった主君を弔う大法会(だいほうえ)が行われ、これを機に初めて八犬士が集合する。続いて、八犬士に同じ金碗の苗字(姓ではない)を授ける為許可を取るべく、新兵衛らが京都の管領の許に向う。その海路で海賊に会うのが後半のスペクタクル。列伝に比べるとやはりスペクタクル性が落ちる“その後”という感じ。
「南総里見八犬伝:第八巻(第136回~第153回)」
★★前半は、管領に抑留されていた犬江新兵衛が、解放を条件に、絵から抜け出た虎を退治する。後半は、里見に反旗を翻した扇谷定正らと戦うための八犬士の準備模様。前回よりは面白いかな?
「南総里見八犬伝:第九巻(第154回~第176回)」
★八犬士が分離しながらも全員活躍するように配置されているのは良い。反面、超能力的なファンタジー要素は、犬江の持つ薬が生き延びる価値のある死者だけに効くという場面以外に全くなく、軍記ものを読んでいるのと全く同じなのは興醒める。現代人にはちと向かない。
「南総里見八犬伝:第十巻(第177回~回外剰篳)」
★いよいよ最終。原爆投下後の日本を読むような戦後の事務処理が綴られ、面白味に乏しい。本編が終わって回外剰篳において、ほぼ失明した馬琴が娘に言葉について教える回想部分が一番興味深い。
小野 十三郎
「大阪」
★★★仕事をする大阪の地域を読んだ詩集。カール・サンドバーグの「シカゴ詩集」を彷彿とする。調べたら完全版が読める。
高橋 新吉
「ダダイスト新吉の詩」
★★★1923年発表。ダダイズムの詩はなかなか面白い。わが県が生んだ山村暮鳥の「聖三稜玻璃」(1915年)に似ている。暮鳥はダダイストとは言われないが、作者が影響を受けた可能性はある。
ミラン・クンデラ
「存在の耐えられない軽さ」
★★★知人同士の関係にある二組の男女のお話だが、主題の展開の為に時系列が崩されるというのが文学的工夫として注目される。1990年代から2000年代に映画界で流行したドラマのミステリー化の為の時系列操作ではない。もう一度映画を観た方が小説・映画双方にとって面白そうだ。
ポール・クローデル
「繻子の靴」
★★フランス大使として日本にいた頃書かれたと思われる大作戯曲。16世紀後半、スペインの新大陸発見後の力関係をめぐる物語。前半はお話がよく理解できないが、後半(分冊2冊目)になると面白くなってくる。大仏という日本画家が出て来るは日本への表敬だろうか。
中山 義秀
「テニヤンの末日」
★★★★テニヤン島での戦闘を生きのびた軍医が、医学を並んで学んだ戦友と自分が経験した戦時中のことを回想する。読み応えのある短編。
武田 泰淳
「森と湖のまつり」
★★★時代背景は正確に掴めないが、発表された1958(昭和33)年より少し前くらいなのだろう。アイヌの人権(そもそも文化としてのアイヌ人が本当にいるかどうかを含む)をめぐる論争が今と殆ど変わらず、70年近くの間に人々は何をしてきたのか。人権主義者は “アイヌはもはや(日本に)いない” と主張する人々を差別主義者などと批判するが、実はそんな単純なものではないと思う。民族としてのアイヌ人はロシアにもいるので、アイヌ人はいないというのは間違い。日本人VSアイヌという単純な構図ではなく、アイデンティティの問題も絡めて、アイヌ人同士の対立もあり、少々まだるっこいが、面白い。
ニコライ・カラムジン
「哀れなリーザ」
★★★★18世紀末に発表された、ドイツ・ロマン主義にも似た抒情的な小説。少し後のプーシキンがお好きな方には楽しめる可能性が高い逸品。
トルクァート・タッソー
「エルサレム解放」
★★十字軍のエルサレム解放を素材にした叙事詩。大大大長編なので、一部を梗概と解説で処理した編集版でござる。完全版の和訳はないと思う。作者はイタリア人だから当然、十字軍側を正義として扱うが、騎士たちに絡んでくる美女たちが皆イスラム教徒(物理的に当然と言えば当然)で、その絡め方はなかなか面白い。
夏目 漱石
「吾輩は猫である」(再)
★★★★★ドイツのホフマン「牡猫ムルの人生観」をベースに英国風のシニカルさで味付けし、日本流の戯作気分濃厚に仕立てた作品。漱石の小説デビュー作。僕にとって、リズミカルの文章が圧巻で、内容は二の次だ。
「坊ちゃん」(再)
★★★★愛媛の中学(現在の高校にほぼ相当)に赴任した数学教師の主人公が上司・同僚・生徒を相手に暴れ回る。生徒に対する対抗意識は、相手に非があるにしても、現在ならアウトですな。僕がマドンナという言葉を憶えたのは本作の映像版によるが、たったあれしか出て来ないとは!
「草枕」(再)
★★★★★読むのは三回目? 中味の記憶が意外と鮮明なのである。内容は小説の形態を取った芸術論で、ストーリーは余り重要ではない。初期漱石で僕が一番関心のある文体については、明治末の和漢混交文と言っても良いのではないか。つまり、漢文調の難しい熟語が多く出て来るが、その結果が漱石の中でも最高と言いたくなるリズム感溢れる名文。こんな文章を二週間で書いたという漱石の語彙力は物凄い。
吉本 隆明
「共同幻想論」
★★★★作者は “国家は人々による幻想である” と直接的には余り言っていないのだが、僕はすっかりこの考えが気に入った。政権を担う僅かの政治家と、それに絡む僅かな官僚と、政治を動かす力のある一部経済人が実は国家なのである、という僕の考えと、どこかで繋がるところがあると思う。国家は幻想であると考えれば、国家主義を象徴する反日(非国民)や自虐史観という言葉自体が本来意味のないものと思えてくる。
マルグリット・デュラス
「愛人 ラマン」
★★★映画版が物凄い話題になりましたね。1930年前後、インドシナで過ごしていた少女時代をモチーフにした自伝小説。基本的に回想ばかりであるが、フラッシュバック的記載であるから、お話は必ずしも時系列通りに語られるわけではない。
「太平洋の防波堤」
★★「愛人 ラマン」の変奏曲とも言える長編デビュー作で、「ラマン」より2,3年後のお話。こちらは自伝的ではあってもフィクション部分が多いだろう。意図したものか、それとも時系列の関係か「ラマン」に登場する長兄は影も形も出て来ない。ぐっと構築的な小説らしい小説で、こちらを読んでから「ラマン」を読んだ方が解りやすかっただろう。時代が重なるハードボイルド小説のような感じ。
葛 洪(伝)
「西京(せいけい)雑記」
★後漢までの歴史的逸話を取り上げた記録集の趣きだが、余りに抄録なので評価しかねる。完全版でなくてももう少しまともな翻訳はないのか。
ヴィクトル・ユゴー
「死刑囚最後の日」
★★★ユゴーの死刑廃止の願いは、140年後に実現する。主題も明確な、ヒューマニストによる読みやすい中編。
江戸川 乱歩
「悪魔の紋章」
★★明智小五郎もの。小林少年が少し出てくるが大人向け。全体の三分の二以上において別の探偵が事件を捌く設定だから、勘の良い人は犯人が解ってしまう。決してつまらなくはないが、死体を展示するといった怪奇ムードの在り方が旧作と大して変わらず、新味不足の感は否めない。
「影男」
★★★明智小五郎もの。アルセーヌ・ルパン的に変装が自由自在で策士として能力も圧倒的な影男が善悪両方の活躍する。そんな彼に殺人請負会社が絡んで、作戦を依頼する。さらにこれに影男もびっくりするパノラマを見せる男が絡み、途中で影男と殺人請負会社の虚々実々の殺し合いを演ずる場面もある。「悪魔の紋章」同様、明智は最後にちょいと出て来て一網打尽にする、という都合の良さ。乱歩が「パノラマ島奇譚」など旧作を色々と再利用した作品に過ぎないが、三つの要素を組み合わせたのはなかなか面白い。
「黒手組」
★★★明智小五郎が手紙の暗号を解く初期短編。個人的にはエドガー・アラン・ポーを意識したこのような初期の乱歩が好きであります。
「一枚の切符」
★★「二銭銅貨」と並ぶ初期短編の傑作と言われる作品だが、轢死事件そのものも解決もピンと来なかった。もっときちんと読まないといかんのだろう。
テオフィル・ゴーチエ
「モーパン嬢 序文」
★★★歪んだ道徳を重んじる無粋な保守層や評論家に対して、唯美的な立場から徹底して批判する、芸術論。「モーパン嬢」とは別個の作品として考え、別扱いにしました。
「モーパン嬢」
★★19世紀初めまで主流を占めていた書簡体小説の体裁を基本としながら、その中に戯曲風の台詞の応酬を入れたり、作者の地の文を入れたり、工夫が見られる。自分の審美眼に適う女性を求めている若者が、女性のような男性に惚れ込んでしまう。と言っても同性愛ではなく、彼が途中で見抜いたように相手は男装の麗人。ヘルムアフロディテもしくはアンドロギュノス的観念を基調にしたお話だが、主人公が持つのは変態性欲ではなく耽美主義なのだ。しかし、手紙の部分がくどくどと長くて、どうも退屈してしまう。
野坂 昭如
「心中弁天島」
★★★★新潮文庫の短編集の題名ではなく、そこに収められた同名短編。格助詞を多く省く地の文が、格助詞を抜くことの多い関西の少年少女の台詞と頗る合っていて、それがどこか心中ものを多く書いた近松門左衛門の文体のように調子よく響く。格助詞を抜いた文章は五七調に通ずる印象があるのだ。内容は、四畳半フォーク的な、出会ったばかりの下層階級少年少女の切ない逃避的な行動を綴ったもので、最後に死ぬとは限らないのだが、小説の結末に感じる二人の小さな幸福感が実に感動的。名短編と言うべし。
「銀座のタイコ」
★★上記短編集より。実力者や有名人に媚を売ってひとかどの人物となったと勘違いした人物が上流を気取ってパーティーを開いてみるが・・・というお話で、幕切れは切ないと言っていいのか。
「殺さないで」
★「心中弁天島」の男主人公と似た境遇のチンピラ少年がヤクザに絡んで起こる悲劇。ブラック・ユーモアはあるが、恐らくその後のどんでん返しがない最後は救われない。落ちがあればもっと好印象を持てたと思うが。ベンツに乗った男に文句を言ってはいけない。赤信号で動かなくてもクラクションを鳴らしてはいけない。
「くらい片隅」
★★★終戦の何年か後に野坂を思わせる主人公が、バーで黒人と英語のできない学生が飲んでいる場面に出くわす。この二人の問題は別途あるのだが、主人公はこの風景に戦後日本人のアメリカ・コンプレックスを感じるのだ。
「万婦如夜叉」
★★★流行作家が二人の悪妻に悩まされるお話。このお話の背景には、戦後日本男性の白人女性コンプレックスがあるようで、つまり、よく言われるように戦後強くなった日本女性を表現している。僕は、権利の有無を別にして、戦前の日本(特に都会の)女性も強かったと思っているが。
石牟礼 道子
「苦海浄土 第一部:苦海浄土」
★★★★★水俣病を扱ったルポルタージュと捉えるムキもあるようだが、1960年代に書かれたこの第一部は壮大な私小説と思う。自ら近代の呪術師と宣言しているように、作者のフィルターを通って翻案された患者やその家族の言葉の至上の美しさ! 標準語ではこの幽玄は無理であった。
「苦海浄土 第二部:神々の村」
★★★★★近代文明に否定的な立場が濃厚になるとともに、呪術師としての文は益々冴えわたる。
「苦海浄土 第三部:天の魚」
★★★加害者であるチッソを断罪した裁判をめぐる前後の経緯を描くこの第三部は、極めて散文的な実務文の引用が多くルポルタージュといった印象が強い。地の文に作者らしい古代的で豊潤な表現があるが、分量少なく文学としては多少味気ない。しかし、勝訴した後の患者家族の苦闘を僕は知らなかった。
エーリヒ・ケストナー
「飛ぶ教室」
★★★小学校の学級図書にあったような記憶があるが、読まなかった。英国やドイツに伝統的にあるスクールもので、学校間のバンカラな喧嘩とその間に出現する教訓的出来事が綴られる。
「点子ちゃんとアントン」
★★★★映画によって存在を知った。実業家の奇妙な娘と貧乏人の息子の奇妙で教訓的な友情物語。点子ちゃんは愉快だなあ。
芥川 龍之介
「仙人」
★★中国もの。鼠の芸を見せる大道芸人が、貧しい老人と馬鹿にした老人、実は仙人にぎゃふんと言わされる。老人は紙きれを大金に変えるのだ。人生の苦労を楽しみにする境地を説くお話。初期の芥川らしい寓話でござる。
「戯作三昧」(再)
★★★★★大長編「南総里見八犬伝」を延々と書くうちスランプに入った馬琴。その半日くらいの心理の変遷を綴る長めの短編。序盤の銭湯でのファンとアンチの馬琴論からして面白く、馬琴が戯作三昧の境地に達観する幕切れが爽快。芥川の時代ものの中の最高傑作ではあるまいか。
「南京の基督」
★★★★南京の少女娼婦が梅毒にかかり、客に梅毒を移せば治るという同輩の忠言をキリスト教信仰により無視するが、キリストに似た男に宗教心を揺り動かされて同衾する。その後彼女は奇跡的に治る。彼女は、それをキリストのおかげと考えるが、彼女から梅毒を移されたその男はやがて発狂したという事実を知らない。宗教心に対してなかなかシニカルな視点が効いた好短編。
「芋粥」(再)
★★★今年の前半本作の原型となる物語を「宇治拾遺物語」に読んだ。経緯は殆どそのままだが、近代的自我への分解が現代文学なのである。
二葉亭 四迷
「浮雲」(再)
★★★★日本で初めての言文一致(口語)体の小説として有名。1887年発表だから、言文一致体が定着するより15年近くも前に、ロシア文学を意識して、自意識が高いだけで優柔不断の主人公の内面を丹念に綴ったことに感嘆させられるが、作者が完成させる自信を失って未完に終わったせいか、それが本格的に定着するには尾崎紅葉「多情多恨」や泉鏡花「高野聖」が登場する1900年以降まで待つ必要があった。しかし、本作や漱石の初期作品を文語体と言っている若者の情ないことよ! これが文語体であれば、それ以前の本当の文語体は到底読めますまい。やれやれ。
イヴァン・ツルゲーネフ
「はつ恋」(再)
★★★★十代前半から高校を卒業するまで僕は青少年のはかない恋模様を主題にした小説を愛読した。非常に有名なこの「初恋」も内容的にはその類であるが、「若きウェルテルの悩み」「即興詩人」「春の嵐」「みずうみ」に比べると満足度は低かったと記憶している。文学的価値は高いが、現実的な痛みが明確に描かれすぎて散文的と感じたからではないか、と再読して思う。
チャールズ・ディケンズ
「エドウィン・ドルードの謎」
★★★親のない若者エドウィンが後見人の決めた婚約者との結婚を合意の末に破棄して研究の為海外へ旅立つ直前に姿を消す。彼の所有品が発見されて恐らくは殺されたものと推定される。ディケンズ初の本格的なミステリーと言われているが、本格探偵小説的なものを期待すると当てが外れると思う。完結する前にディケンズが亡くなった為に、犯人はぼぼ特定されているが、色々な謎が残った。つまり、作品における謎が一番のミステリーとなっているのだ。当時の風俗等がごく丁寧に綴られているので、そこで退屈しなければ面白い作品と思いますデス。
小松 成美
「アストリット・Kの存在 -ビートルズが愛した女-」
★★★★「バック・ビート」という映画にアストリット・キルヒャー(キルヒヘア)というドイツ美人が出て来た。日本女性による彼女の伝記である。人気者になる前のビートルズの写真を撮っていた為に、彼女は写真家たることを止める羽目になる。勿論ビートルズの伝記的部分も大量に出てきて興味深いと同時に、彼女の人生の思いもよらぬ挫折に切ない気持ちを禁じ得ない。泣き虫オカピーは、見事に泣かされました。
レフ・トルストイ
「芸術とは何か」
★★★面白く読めるが、トルストイの芸術に対する考え方は賛同できない。作者が経験した感動を鑑賞者に伝えて同化させることが芸術の目的である、という総論は部分的に納得する。しかし、特に映画好きの立場からすると、想像力に頼ったものも芸術であると思う。それより各論に疑問が多く、特に模造はダメというのは気に入らない。確かにまがい物はダメであるが、他人の作品から盗んで再構築するのが芸術文化であるとする僕の芸術観とは全く合わない。美を善と切り離したのは殊勲としても、何だかんだ言って、彼は芸術を宗教から切り離せないのだ。
栄西
「興禅護国論」
★★鎌倉時代初期に日本で臨済宗を興した栄西の著作。昔読んだ「喫茶養生記」に比べ、こちらは文字通り仏教書なので、僧侶もしくは研究者以外の一般人にそう面白いわけがない。一般的に禅宗二宗と他の宗派は大きく分けられるので、天台宗などの古来宗派にも禅の要素があるという部分をとりわけ興味深く感じた。
野村 胡堂
「銭形平次捕物控 第四話:呪いの銀簪」
★★★妙齢美人の連続殺人。今回読んだ四つの作品の中では推理の論理が明確と思う。
「銭形平次捕物控 第五話:幽霊にされた女」
★★死んだと思われた高利貸しの小町娘の事件は実は誘拐。犯行動機は復讐なのだが、序盤の平次の強気やその後の解決がどうもピンと来ない。
「銭形平次捕物控 第六話:復讐鬼の姿」
★★今度の平次の上司に当たる与力の息子が誘拐される。ネタバレすると、犯人は身内だったというお話。これも復讐譚。与力本人がピンチに陥るのはサスペンスとして面白い(彼は本当に縄で吊るされるsuspendedのだが)。
「銭形平次捕物控 第七話:お珊文身調べ」
★★★文身とはいれずみのこと。刺青に同じ。短編とは言え、高木彬光「刺青殺人事件」に先行する刺青女をめぐるミステリーで、少し変わり種。こちらには捜査陣に犯人がいる。
オノレ・ド・バルザック
「幻滅」
★★★★膨大な叢書 “人間喜劇” の中で恐らく一番の大作である。バルザックの文章は非常に濃密なので長たらしく感じるが、僕はその濃密さが好きだ。田舎では田舎流の、都会には都会流の生き馬の目を抜くような生存競争の中で挫折する詩人。彼は最後に悪党に見込まれて悪の道に入って行くらしい。その後の物語は別の作品「浮かれ女盛衰記」で描かれているとのこと。
フィリップ・ロス
「グッバイ、コロンバス」
★★★50年余り前「さよならコロンバス」の邦題で新人アリー・マッグロー主演の映画版が公開された。佳作だった。1950年代後半若いユダヤ人男女が恋に落ち、避妊具ペッサリーをめぐる騒動で別れてしまう。今では全く使われなくなったペッサリーが世代間と男女間のギャップを表現する小道具になっていた。
劉 向
「戦国策」
★★★中国戦国時代後期、主に食客(しょくかく)や説客(ぜいかく)が繰り出す策略を集めたもので、国ごとに編集されている。秦が力を付けてからの時代が中心なので、合従(がっしょう=秦に対抗する連合)策と、連衡(れんこう=個別に秦と宥和する)策をめぐる挿話が多い。3か国以上が絡むお話はややこしいので、食客や家臣が主君の基本的な考えを改めさせるエピソードのほうが楽しめる。“蛇足”“虎の威を借る狐””隗より始めよ”といった有名な諺の出典元。
村上 龍
「限りなく透明に近いブルー」(再)
★★第75回(1976年上半期)芥川賞受賞作。村上一押しのドアーズに始まり、ジミ・ヘンドリックス、ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリンの名前が出て来る。村上が好きだった筈のビートルズが出て来ないのは謎だが、その代わりオシビサという僕がずっと興味を持っていたアフリカ出身のバンドが出て来る。このグループがデビューしたのが1971年で、ドアーズの新譜(恐らく「LAウーマン」)の話がでているので、1971年が背景だろう。高校時代に読んだが、麻薬とセックスの描写が多く退屈した。それが一段落する後半はそれなりに面白い。オシビサはこの小説を読んだ後二枚のLPをダウンロードしてCDにした。
三田 誠広
「僕って何」
★★★第77回(1977年上半期)芥川賞受賞作。1960年代末に作者が体験した学生運動の一側面を描くが、主人公はどの組織にも真に埋没できない。グループで彼の上官に当たる女性と恋愛関係にもなるが、それにも埋没できず、アイデンティティー模索に苦闘する。
池田 満寿夫
「エーゲ海に捧ぐ」
★★★同じく第77回芥川賞受賞作。本業が文学者ではない人の作品で映画化もされたので話題になったが、気取ったポルノに過ぎす退屈だった映画よりはずっと面白い。滞米中の男性芸術家が日本にいる細君の話を電話で聞きながら、目の前にいる裸の愛人と写真家の戯れを眺めている、彼の心中が只管綴られる。映像では抽象的にしかならないことが言葉では具体的に説明されるから多少なりとも面白く感じられるのだろう。
アラン
「幸福論」
★★★★哲学書であるが、哲学的随想という感じで非常に読みやすい。哲学は具体的であれば解りやすくて良いと僕は言ってきたが、これが正にそれ。運命論に否定的で、幸福は意志により求めた者に訪れる、と説く。貰った楽しみより、求めた苦しみの方が幸福だ、という見解も面白い。
宮本 輝
「蛍川」
★★★★第78回(1977年下半期)芥川賞受賞作。ここ数期前衛的・先鋭的な小説が目立っていた反動か、実にクラシックな作品が受賞した。つまり、人間の些かどろどろとした生態を背景に人々の生死を抒情的に描く。幾つか出て来る死を通して、生を、つまるところ性を描くのである。水上勉や三浦哲郎に通ずる抒情性が僕好み。
高木 修三
「榧の木祭り」
★★★同じく第78回芥川賞受賞作。 “かやのきまつり” と読む。年貢という言葉が出て来るので江戸時代のお話と考えられると同時に、人身御供を含む、原始的とも言える土俗ぶりに却って時代を超えた印象を覚えさせるものがある。
アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ
「オートバイ」
★★★アラン・ドロンが出演した「あの胸にもう一度」の原作。彼の小説は映画にすると大体ポルノになってしまうが、小説となると大分品が良い。若い結婚したばかりのヒロインが、年上の愛人から贈られたオートバイに乗ってドイツのその愛人宅へ向かう。その途中彼女の心中に去来するお話即ち回想が主だった内容であるが、彼女は二回旅に出たように感じられるがどうも曖昧。
作者不明
「うつほ物語」
★★★「源氏物語」より数十年古い宮廷文学だが、作者は男性と特定されているらしい。波斯(ペルシャ)由来の琴をめぐるファンタジーから始まり、あて宮を巡る争奪戦で東宮(後の天皇)に負けた主人公・藤原仲忠(琴を受け取った清原俊蔭の孫)が皇女との間に設けた娘いぬ宮が、皇室の人々をも感動させる琴の名手になって終わる。これだけだとよく解らないだろうが、凡そ四つの部分から構成される壮大な物語。「竹取物語」と「源氏物語」の中間的の位置にあることがよく解る長編小説である。そう、「竹取物語」と違い、登場人物の心理が綴られる "小説" になっていると思う。宮廷文学は本当に読みにくい。現代語訳を先に読んでから原文に当たるという段取りでいつも読んでいるものの、主語・目的語の省略に苦しめられる。これより古くても漢文の「古事記」「日本書紀」や説話の類はもっと理解しやすい。
フランツ・カフカ
「城」(再)
★高校時代に最後まで読んだものの、測量士の主人公Kが期待していることが何も起こらないという物語のうちに、(村という)全体に巻き込まれる個人の不条理を主題にしているのだろうとは思いつつ、殆ど意味のなさそうなことを延々を読ませられるので退屈した・・・ということを今度読み直して思い出した。今回は Kindle で前回よりもぐっとゆっくりと読んだが、このお話を楽しむ境地に僕はまだ達していない。
「審判」(再)
★★面白さは「城」と似たり寄ったりながら、長さが3分の2程度なので苦労が少ない分だけ★を増やす。映画版を観ていたせいで序盤は面白く読めるが、突然逮捕された主人公K(カフカ?)が無罪を獲得しようと懸命にあがく様が延々と続くうちに次第に飽きて来る。「城」に先立つ本作もまた(裁判所もしくは裁判という)全体に翻弄される個人の不条理な悲劇と言うべし。
ジェームズ・P・ホーガン
「星を継ぐもの」
★★★人類史におけるクロマニヨン人誕生のミッシング・リンクをSF的に解釈した作品で、5万年前に逆輸入されたという解釈が二段構えで説明されて興味深い。純粋にハードSF的部分はしんどいが、楽しめると思う。
泉 鏡花
「高野聖」(再)
★★★★中国伝奇小説的な幻想小説で、ある僧侶が山奥で人間を変化(へんげ)させる力のある女性に取り込まれそうになるが、その聖人性によって変化を免れて世間に帰還するという物語。1900年の発表ながら既に口語なので、割合読みやすく、かつ、面白い。
「歌行燈」(再)
★★勘当された能楽師と芸者になった娘との因縁を綴る。1943年の成瀬巳喜男監督の映画版は気に入っているが、原作は話自体が非常に掴みにくい。
バルドゥイン・グロラー
「奇妙な跡」
★★★★オーストリア発の短編ミステリー。江戸川乱歩選出「世界推理短編傑作集2」より。雨の前後における土の様子から犯人を突き止めるお話で、犯人の意外性に実にクラシックな面白味がある。僕は乱歩の初期短編「黒手組」の着想源の一つだった可能性もあるとにらんでいる。
G・K・チェスタトン
「奇妙な足音」(再)
★★★同じく「傑作集2」より。忘れていたが、読むうちに「ブラウン神父の童心」収録の一作と気づいた。パーティー最中に銀食器を盗むという大胆な犯行を神父が解明する。人の先入観と偏見が絡んだところが面白味。
モーリス・ルブラン
「赤い絹の肩かけ」(再)
★★★★同上。すっかり忘れていたが、小学生の時に読んだアルセーヌ・ルパンの短編集「ルパンの告白」収録作。ルパンがガニマール警部に犯罪の事実とその解明のヒントを与えると共に、それを利用してまんまとお宝を戴いてしまう。探偵と犯罪者を同時にやるという妙味が実に楽しい。何となくこんなお話があったような記憶がうっすらとある。
F・W・クロフツ
「急行列車内の謎」
★★★同上。急行列車の走行中に起きた密室殺人。画面が頭に浮かぶことが大事そうなので、鉄ちゃんでないと解りにくいかもしれない。
オースティン・フリーマン
「オスカー・ブロズキー事件」
★★★★同上。短編としては長めで、短い中編といった感じ。自殺に見せかけた鉄道轢死事件をソーンダイク博士が解明する倒叙もの。探偵に相当する博士の緻密な捜査(調査と言うべきか)が相当興味深い。乱歩初期の短編「一枚の切符」のインスピレーションになった可能性が高い。
ヴィクター・L・ホワイトチャーチ
「ギルバート・マレル卿の絵」
★★同上。探偵ソープ・ヘイズルもの。名画の入れ替えという映画でもよくある犯罪がモチーフだが、眼目はそれを実行する為に行われた走行中の貨車を一両抜き取るというアイデア。これも鉄ちゃんでないと些か解りにくいのが難点でござる。解説者によると、これも乱歩おじさん、流用したらしい(作品名不明)。
アーネスト・ブラマー
「ブルックベンド荘の悲劇」
★★★同上。人為的な感電を落雷に見せようという犯人の科学的アイデアが第1次大戦前の作品として斬新だったと思う。しかも、犯罪を未然に防ぐという珍しい本格ミステリー。が、女性の心理が絡む幕切れがどうもピンと来ない。盲人探偵マックス・カラドスが活躍する、一種の安楽椅子探偵もの。
メルヴィル・D・ポースト
「ズームドルフ事件」
★★★同上。19世紀初め、開拓時代米国山奥の密室殺人というのが珍しい。短編ならではの犯人の意外性も秀逸。探偵役はアブナー伯父。
川端 康成
「古都」
★★★生き別れて共に他人によって育てられた姉妹の関係を描く。しかるに、人間を描くうちに京都の自然や祭などの風俗を浮かび上がらせる小説とも読める。作者自身が述べているように病気の為に混乱があるようで、出会った双子のヒロインのほうが姉妹説を否定した直後に二人が姉妹として話し合っているのは奇妙な感じがする。川端らしい美しい小説だが、映画版のほうが好きだ。中村登監督のバージョンも市川崑監督のバージョンも良かった。後者は山口百恵主演の文芸ものでは断トツの出来栄えと思う。
「千羽鶴」
★★★★茶室の亭主だった人物(故人)の息子菊治がその愛人だった女性・太田夫人と肉体関係に及ぶ。もう一人の情婦だったお茶の師匠ちか子は、上流階級の娘ゆき子と結婚させようとするが、太田夫人の自殺により彼はその娘文子を強く意識し始める。というどろどろとした人間関係のお話だが、自然描写のうまい川端の手に懸かると、これが非常に格調高いお話に昇華する。茶器をめぐるエピソードの効果もあるだろう。内容は大映、仕上がりは東宝といった趣。実際に大映が二回映画化している。僕は映画版の存在を知らず、頭の中で配役を考えたが、最初の映画化におけるちか子の杉村春子がズバリ賞だった。
「波千鳥」
★★★
「千羽鶴」続編。失踪して自殺も懸念された文子から手紙を受け取った菊治は、その勧めによりゆき子と結婚するが、過去の女性関係の罪悪感からゆき子に手を出すことができない。未完なので評価しにくいところがあるが、前作ほど鮮烈ではないかもしれない。菊治は “きくじ”か“きくはる” なのか解らない。文字変換から判断するに “きくじ” のようだが。
この記事へのコメント
江戸川乱歩ですが、乱歩の平易ですっきりした文体は、村上春樹の文体に通じるものがありそう。村上春樹は『騎士団長殺し』でちょっと乱歩に対するオマージュめいたものを織り込んでいました。村上春樹、文体は翻訳調と言われていて、そうなんでしょうけど、江戸川乱歩や星新一など、児童にも読みやすいきれいな文書を書く作家の影響というか、そういう系譜はあるんじゃないかと思ったりします。
乱歩「一枚の切符」は朗読動画で聞きましたが
内容はほとんど忘れてしまって・・・(ーー);
チェスタトン「ブラウン神父」はプライムで
BBC制作版シリーズものを楽しんでおります。
で、カフカですよ〜「城」ですよ〜
映画版は観ましたが、本のほうは
性懲りも無く3回挑戦して、すべからく中途退場。
ところがしばらくすると再読したくなるのです。
噂によるとKは城へ辿り着けないらしいですよね。
肩書きが文学紹介者という頭木(かしらぎ)弘樹氏を
博士はご存知でしょうか。彼の「絶望読書」
「絶望名人カフカ」は大変興味深かったです。
本年もよろしくおねがいします。
HPの掲示板に書いておきましたが、ホームページのアップロードが出来ないのですよ。モデムを新しくしたのが災いしているらしい。
数日後に画像問題をブログでやろうと思いますので、よろしくお願いします。
>江戸川乱歩ですが、乱歩の平易ですっきりした文体は、村上春樹の文体に通じるものがありそう。
おおっ、そうですか。
今日新年の挨拶に来た甥っ子が、村上春樹が好きだと匂わしていました。nesskoさんと話が合いそうです^^
>村上春樹、文体は翻訳調と言われていて
「海辺のカフカ」しか読んでいないのでまだそこまで皮膚感覚的に解っていませんが、何となくそんな感じがしますね。
今年は来期は二作くらい読みたくなりましたよ^^v
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
nesskoさんにも連絡したように、ホームページの更新が出来ないのです。
で、画像問題をブログでやってみようかと思っています。
数日後を予定しております。
>カフカですよ〜「城」ですよ〜
>本のほうは性懲りも無く3回挑戦して、すべからく中途退場。
あれを最後まで読破できる人は、かなり辛抱強いと思います。
言いたいことはそこはかとなく解るような気がしますが、面白いかと言われると、僕は否定的にならざるを得ないですね。
>「絶望名人カフカ」は大変興味深かったです。
こちらのほうがカフカより面白そうですね^^
この壮大なリストの中で私の既読は
EM フォースター 「ハワーズエンド」
その後「眺めのいい部屋」も読みました。
結局フォースターは私には合わないみたいです。
デュラス 「ラマン」 泉鏡花 「高野聖」 野坂昭如 「心中弁天島」
マンディアルグ 「オートバイ」 小松成美 「アストリットKの存在」
漱石、芥川は何を読んだのかも忘れてしまいました。
吉本隆明は前にも書いたかもしれませんが、学生時分に手出しして撃沈しました。
他に読んだことのある作家は、阪田寛夫、中上健次、乱歩、ケストナー、チェスタトン、クロフツ、村上龍、三田誠広、宮本輝、バルザック、フィリップロスあたりです。
長年読みたいと思いつつ手をつけられないのが石牟礼道子。
「アストリットK」で描かれている若き日のビートルズの面々が触ると怪我をしそうなほどにフレッシュで初々しいですね。ハンブルグでは悪い遊びも色々覚えたらしいですが…
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。
>結局フォースターは私には合わないみたいです。
僕は、20世紀アメリカの作家たちに比べると、乾き過ぎず随分読みやすい感じがして、割合好きです。映画になった「インドへの道」も読み応えありました。
好みはそれぞれですので、仕方がないですね。
>野坂昭如 「心中弁天島」
>小松成美 「アストリットKの存在」
勿論モカさんのお薦めにより読んだ二作。
モカさんのお薦めに外れなし。どちらも良かった。
>他に読んだことのある作家は、阪田寛夫・・・
結構いますね^^
これも読む作品が若返った結果だと思います。良かった良かった。
>「アストリットK」で描かれている若き日のビートルズの面々が触ると怪我をしそうなほどにフレッシュで初々しいですね。
取引先(在ハンブルグ)の社長が彼らよりちょっと年上、彼が連れてきたアンプ・メーカー社長(設計者)が彼らより年下でしたが、ハンブルグ時代のビートルズを聞いていたようです。
アンプ・メーカーの社長が「ジョン・レノンのギターは良いよ」と言っていたので、僕が「ジョンのギターを褒めるのを初めて聞きました。サンキュー」と言って握手したのを思い出しました。
>ハンブルグでは悪い遊びも色々覚えたらしいですが…
ポールの子供を産んだという女性が1980年代くらいにいたような気がしますが、結局どうなったんでしょう?
お勧めした本を気に入ってもらって光栄です。おまけに「星を継ぐもの」まで読破されましたね! 凄いなぁ (^.^)
親父ギャグウイルスだけじゃなくて読書パワーも送って下さい!
今年こそ「苦海浄土」を読破したいです。
「あの胸にもう一度」 数年前に再見しましたが
(私世代はこれはリアルタイムで、話題になっていたのでワイワイ観に行って目が点になったという話もチラホラ…オマセなモカちゃんはそうでもなかったです。モカちゃんの目が点映画は『昼顔』でした)
Mフェイスフルがオートバイに乗っている場面で遠景の時の体格がゴッツイ(笑)
女性ライダーが見つけられなかったんでしょうかね〜
フォースターは合わないと言うよりは階級意識的なところがピンとこないので面白さがよく分からないのです。
一時流行った?ミスタービーンのどこが面白いのかさっぱり分からず、笑いのセンスの違いだと切り捨てていましたが、新井潤美の本で、上からも下からもスノッブだと笑われるロウワーミドルの典型がミスタービーンだとあって、「関西系日本人には分からんはずや」と納得しました。
ワーキングクラスはまた別の価値観の世界があるようで、ミドルクラス内部が複雑でフォースターはその辺をしっかり押さえないと理解しづらい気がします。
フォースターは「眺めのいい部屋」のその後を発表しているんですよ。後書きで紹介されていました。子供が何人とか、ジュリアンサンズが第二次世界大戦には行ったとか… 確かタイトルが「いい部屋からの眺め」?
フォースターって面白い人だったんですかね。
>お勧めした本を気に入ってもらって光栄です。
紹介作はどれも面白いので、安心して読めます^^
また折にふれて、ご紹介お願いします。
>おまけに「星を継ぐもの」まで読破されましたね! 凄いなぁ (^.^)
浅野さんが、あるポイントを超えれば楽しめる筈と、仰っていた通り、現生人類誕生の秘密を探る話になってきて面白かったですよ。
ところが、その浅野さんが10月からミッシングでして...
>「あの胸にもう一度」 数年前に再見しましたが
>Mフェイスフルがオートバイに乗っている場面で遠景の時の体格がゴッツイ(笑)
そうでした。
あの時代の色々な映画で女性のアクションを見ていますが、尽く男性ですね。女性スタントがいても、主に男性側の事情で、使われなかったのだと思います。それが変わるの70年代半ばです。この辺りを語るドキュメンタリー映画を昨年秋ごろ観ました。
>ミドルクラス内部が複雑でフォースターはその辺をしっかり押さえないと理解しづらい気がします。
そういう点はありますね。
僕はいい加減だからすっと読んでしまいましたが。
>確かタイトルが「いい部屋からの眺め」?
>フォースターって面白い人だったんですかね。
ふざけているとしか思えない^^;
日本の探偵小説をメジャーな位置に押し上げた、江戸川乱歩先生の「悪魔の紋章」で、探偵を務めるのは明智小五郎に並ぶと言われる宗像博士という探偵。
後半になって、ようやく明智小五郎も出てきますが、話のほとんどが宗像博士の行動と共に進められていきますね。
また、この作品における別の特徴を挙げるとするならば、そのグロテスクさですね。
この作品の前に読んだものが、“二十面相シリーズ”であったので、そちらと比べれば当然大人向けとなっており、怪奇的な描写が多くなっていますね。
特に“衛生展覧会”という舞台などは、現代では見ることのできないような舞台設定であり、当時の姿を垣間見ることのできる貴重な描写と言えますね。
そして、犯罪者が行う復讐劇は、残虐性に満ちたものであり、時代による怪奇性が、さらにそれらをあおるものとなっていると思います。
この作品は、これぞ乱歩作品というべき、代表作の一つといっても過言ではないと思います。
この作品は、トリックという面においても見るべきところが、数多くありますね。
特になかなかのものと思えたのは、衆人監視の部屋の中から娘を拉致するトリック。
外から見張っていたにもかかわらず、いつのまにか部屋にいる娘が消えてしまうというものなのですが、これはなかなか面白かったですね。
ただし、全体的に見てみると、この作品のトリックは、全てある一点のみに寄りかかったトリックであると言えますね。
敢えて、それが大味なものとなっていて、良い雰囲気を醸し出しているとも言えるし、逆に言えば、それだけに頼りすぎているという見方もできますね。
しかし、これでもかといわんばかりに、主となるトリックを露呈せんとするかのような小刻みなトリックの連発には、かえって小気味良ささえ感じられます。
それに、乱歩作品を始めて読むという人であればともかく、何冊か読んでいる人であれば、この本にてどのような犯罪がなされているかを解くのは容易なことでしょう。
なんといっても、乱歩作品はその雰囲気を楽しむことができればよいのですから。
>江戸川乱歩
似た設定を繰り返すことが少なくないので、読む順番によって、個々の評価は変わるかもしれませんね。