映画評「アーニャは、きっと来る」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2020年イギリス=ベルギー合作映画 監督ベン・クックスン
ネタバレあり

戦争ファンタジーとでも言いたくなる「戦火の馬」の原作を書いたマイケル・モーパーゴの児童文学の映画化。
 前回とは違って今回は第二次大戦中のユダヤ人絡みのお話で、最近ホロコースト絡みの作品が多いので “またか”という気持ちが生れないでもないが、なかなかに捨てがたい。梗概の後にその理由を簡単に述べる。

戦争末期の南仏。スペイン国境に近い麓の町にもナチスがやって来る。主な目的は、峠を使ってユダヤ人たちを逃がす行為を見張る為である。
 ユダヤ人を知らなかったローティーンの少年ジョー(ノア・シュナップ)は、山で家畜を飼っているおばあさんオルカダ(アンジェリカ・ヒューストン)が密かに匿っているユダヤ紳士ベンジャミン(フレデリック・シュミット)と彼が逃そうとしている子供たちの為に、懸命に食料を運ぶ仕事を引き受けると共に、鷲を一緒に見に行くなど交流の多いドイツ軍伍長(トーマス・クレッチマン)にも親しみを覚えている。
 ベンジャミンは、逃走中に別々になった娘アーニャと、おばあさんの家で再会することを楽しみにしている。負傷したジョーの父親が帰還した後、ベンジャミンは羊の移牧に子供たちを紛らわせる作戦を敢行して成功するが、小さな不幸により彼と彼から離れない幼女はナチスに捕えられ収容所に送られる模様。
 直後にナチスは敗走し、終戦後アーニャが父親が不在のおばあさんの家にやって来る。

本作はIMDbで5.9と誠に評判が悪いが、 その理由はこの一見ハッピー・エンド的な幕切れにおける齟齬感と曖昧さであろう。父親がいないのに何がハッピー・エンドか!、父親はどうなったのか?といった疑問や不満が出て来て何の不思議もない。
 しかし、僕は逆に読んだのである。アーニャが帰って来たのだから、(戦争末期ではあるし)あの二人も無事に違いないと。仮にそこが問題でないとすると、この映画の、極めて素直に作られているという取柄が大いに引き立つ。児童文学が原作とは言え、素直に作る・見せるというのは案外難しいものだ。

映画評も素直に。

この記事へのコメント

モカ
2021年09月09日 12:00
こんにちは。

この映画の評判が低いのは今となってはあまりにも新鮮味がないからではないでしょうか? 少なくとも私の場合はどのシーンを観ても既視感があって、過去のこの手の映画の継ぎはぎのように感じてしまいました。 
素直に良い映画だとは思いますけどね。男の子が可愛かったし。可愛すぎ?(笑)

それから皆英語で話してましたか?
バスク地方ってかなり言葉も特殊な所だし、フランスは領土にした所は強制的にフランス語に変えさせているとは言うものの… コミュニケーションブレイクダウンの方が面白かったりして… バスク独立運動ってフランスかスペイン、どっちからでしたっけ? …… はい、自分で調べます。
あと、犬はやっぱりボーダーコリーじゃなくて白く大きなピレネー犬にして欲しかったです。
子供の頃家に「ピレネー山の少年」という本があって表紙の山の絵が正に映画の景色だったのを思い出しました。懐かしくて検索したらヤフオクで子供向けの本が高値ですが一冊見つかりました。
どんなお話だったのか全く覚えていませんがピレネー山という名前だけはしっかりインプットされましたよ。
オカピー
2021年09月09日 21:57
モカさん、こんにちは。

>既視感があって、過去のこの手の映画の継ぎはぎのように感じてしまいました

僕も既視感はあるのですが、IMDbの投票の分析が読めるページによると、映画経験の多いはずの高年齢層(特に女性。45歳以上の女性は6.9)のほうが良い採点をしているという意外な結果でした。

>それから皆英語で話してましたか?

これは良くないのですが、原作が英語の児童文学ですしねえ。フランスの俳優も英語で喋っていましたね(昔のフランス映画の英語版と違って、多分ご本人の声でしょう)。
 複数の言語が交錯する戦争関連映画に限って単言語の映画が多いのですよ、困ったことに。僕はアメリカの戦争映画を観るたびに批判しているのですが。最悪なのは、英語のうまいドイツ軍人が英米軍人になりすますのですが、ドイツ語も偽装の英語も常に英語。上手いも下手もあったもんじゃない!
 本作の場合はプロパガンダではないと思われますが、最近多いユダヤ資本の息のかかったホロコーストものは欧州製も結構英語ですね。多分英語でないと見てもらえないという思惑(戦略)。
その中でも一番けしからんと思ったのは、アンネ・フランクのその後を描いた純正イタリア映画。出演者も英語圏以外の人々。それでいて英語ですよ。イタリア映画だから、ドイツ語やオランダ語ではなく、イタリア語を喋る分には仕方がないですが、英語。どう考えてもプロパガンダの為の英語。

原作や舞台とは違う言語で映画を作るのは、ムード醸成その他の点で作った側が損するだけなので、怒るには及ばないですが、こういう事情によるのは全く良くない(怒)

>「ピレネー山の少年」

全く存じません。多分何年か早く生れていたら知っていたかも。

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