映画評「ニューヨーク 親切なロシア料理店」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2019年デンマーク=カナダ=スウェーデン=フランス=ドイツ合作映画 監督ロネ・シェルフィグ
ネタバレあり

デンマークの監督は概して人間を冷徹にシニカルに描き出すが、ロネ・シェルフィグという女性監督は正反対である。

専業主婦ゾーイ・カザンがDV夫の暴力から逃れる為二人の子供(兄ジャック・フルトン、弟フィンレイ・ヴァイタクヒソン)を連れて家出、車でニューヨークにやって来る。
 そのニューヨークに傾いた由緒あるロシヤ料理店があり、出所したばかりのタハール・ラヒムが何故か経営に携わることになる。彼は弁護士ジェイ・バルシェルと共に、店の常連で緊急対応の看護婦アンドレア・ライズボローが主催する孤独な人々が集まる更生会に参加する。
 ゾーイは警官の夫が情報網を使って追いかけて来るのを怖れて転々とするうち車をレッカー移動で失い、料理店のパーティーに忍び込んで食料を掠めたりした後、寝場所を求めてまた料理店に忍び込んでくる。ラヒムは文句も言わず彼らに食事を持って来る。弟息子が低体温症で重体となり、アンドレアの病院がケア、彼女はゾーイの事情を知ると予想通り現れたDV夫から三人を守る。また、兄息子は父親の暴力映像を証拠に裁判沙汰を考え、バルシェルが代理人となる。

後は推して知るべしの展開であるが、邦題よりは “見知らぬ人たちの親切” という原題(僕は敢えて “親切な見知らぬ人々” と和訳したい)のほうが内容を的確に表している。即ち、料理店というよりラヒム個人がゾーイたちに食事と寝場所を与え、アンドレアがDV夫から遠ざけ、弁護士バルシェルが裁判に協力する。その他にも無料で風呂を使わせてくれた場所もあった。こういう人情を見るのは、精神衛生上非常にヨロシイ。

しかし、映画としては、前半の人物紹介の部分が些か要領を得ない感じで、しかも場面転換が慌ただしくどうも字足らずの印象を残すという弱点がある。
 それが終わり、ロシヤ(僕はロシヤ語を勉強した為ロシアではなくロシヤと言わなければならない。何とならば、綴りが Россия であって、最後がаではないので)料理店を場所的中心、アンドレアを人間関係の中心としてお話を進める為の準備が整ってからは、スムーズな展開になってぐっと楽しめる。

また、どこに勤めても役立たずとすぐ首になって最後に料理店に救われる青年ケイレブ・ランドリー・ジョーンズの存在のせいで、ゾーイをめぐる人情劇と一般的群像劇との間で作品の性格がはっきりしない結果になっているが、どんな人間にも居場所があるという意味合いがあるのかもしれない。

昨日に続いて邦題の話。日本人は幸福とか親切といった題名がお好き。本作の場合は原題にも親切が出て来るが。

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