映画評「生きちゃった」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2020年日本映画 監督・石井裕也
ネタバレあり

資本が香港(映画祭)から出ているので、厳密には日本映画ではないが、日本映画ということにしておきます。監督は石井裕也だが、いつものとぼけた石井調は少なく、トーンとしてはほぼ一貫してシリアスである。

婚約者までいたのに高校時代から(?)の知り合いでもある現在の妻・大島優子と結ばれた仲野太賀が、娘が5歳くらいになった時に、浮気を発見された彼女に逆に離婚を切り出される。
 彼女は子供を連れて浮気相手と暮らし始めるが、その相手が太賀君の兄に殴殺される。

仕事もせず家にいる兄が相手に対して何の発言もしない為この映画の中で一番解らない場面となっている。後段に極めて影響を残す場面なのでもう少し合点が行くように作って貰いたかったところ。

死んだ男が残した借金を返す為に彼女はもっと手っ取り早く金になるデリヘル嬢となり、世間を騒がせていた同一犯かどうか知らないが、変質者に殺される。
 太賀君は、娘を殺された元姑(原日出子)によって葬儀にも参加できないが、小学校に上がった娘に本当のことを言いたくてその家に高校時代からの親友・若葉竜也と向かう。

世評に反して、何が言いたいか解りやすい映画である。
 寡黙で自分の本音を言えなかった為に細君に嫌われ、その結果彼女を失い、娘にも会えなくなる不器用な男の悲劇。しかし、実際には、どちらかと言えば細君に非があるのではないかと思う。夫の内心に溜め込む不器用さを理解できなかった為に、調子の良い男に心を移したのが彼女自身の悲劇、娘の悲劇、前夫への悲劇となった。これが逆であっても伴侶の内心はある程度理解しないといけない。

つまり、主題は最近の映画で割合よく扱われるディスコミュニケーションで、序盤からそれが主題と言わんばかりの場面が出て来る。親友同士で一緒に倣っていた中国語や英語では言いたいことが言えるのに、日本語では難しい。という発言がここで為されるわけだが、この発想がなかなか興味深い。
 言葉が通じるからと言ってコミュニケーションが上手く行くとは限らない。最後は娘に言いたいことが言えるかどうかというところでジ・エンド。相手に何かを伝えることの難しさを最後まで通して描き、意思疎通の大切さを説いている。

シリアスなトーンのうちに一番喜劇的なのは、彼の両親が屋外で大麻をふかしている長男に “大麻は吸うな” と大声で連呼する場面(近所に知られてしまうではないか)。大声を出すのは石井調の一つである。幕切れの逡巡ぶりも必死であるだけにコミカルとも言える。

“半年後” のテロップの反復がくどいという意見を読んだ。しかし、同じ半年後ではなく、半年後の半年後、さらにその半年後なので何の問題もないだろう。押韻みたいなものでござる。
 また、親友二人が手を繋いで殺人現場のラブホテルへ向かうのは同性愛とは関係ない。大人の男はまずやらない行為だが、 “いざ行かん” という意気込みの表現で、これも石井監督ならではの見せ方と言うべきだろう。

ディスコミュニケーションというのは、実は和製英語。外国人には使わないほうが良いかもね。

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