映画評「ブレイブ-群青戦記-」

☆★(3点/10点満点中)
2021年日本映画 監督・本広克行
ネタバレあり

1979年に「戦国自衛隊」が出た時はそれまでにない内容につき面白ったものの、今世紀に入ってから戦国時代へタイム・スリップというのが増えた。旧作を観ていない人は良いが、僕のように色々と見て来るとどうも有難くない。

本作は「戦国自衛隊1549」(2005年)と同工異曲みたいなもので、先に消えた人物が戦国時代の重要な人物になっているというのも同じ。前述作で“歴史の復元力”というテキトーな言葉でタイム・パラドックスへ防波堤を張っていたのを揶揄するかのように、その“なんちゃって戦国時代人”が“歴史の修正力”という言葉を使って現代人を見下している。

多少の新機軸は学校(校舎その他)全体が地場の乱れで戦国時代に飛んでしまうこと。
 飛んだのは1560年の桶狭間の戦いの直前で、織田信長(松山ケンイチ)側の人質になった生徒たちを救う為に、今川義元側の松平元康=後の徳川家康(三浦春馬)の指示に従って先遣隊として活動する羽目になる。

ここで面白いのは、運動部を中心にその得意の技を披露する辺りで、落雷が予想される時間の4時間前までに人質を奪還する必要があるというタイム・リミットを加えたのも一応のアイデアである。落雷については「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(1985年)の応用となっている。

本作に限らないことだが、大昔へのタイムスリップものにおける一番の疑問は言語の問題である。当時の武将たちは日常的には戦記などに書かれたような言葉ではなく現代の我々でもある程度解る言葉で ―― 但し、かなりの方言で ―― 話していた筈だが、とは言え、450年の間には単語の意味も相当変わっているわけで、すんなり会話が成り立つとも思われない。例えば、生徒たちが使う “凄い” は戦前まで “ぞっとするくらい恐ろしい” の意味が中心だったわけである。

あるいは、一年前に消えた生徒(渡邉圭介)が織田の家臣・簗田政綱になっているのも首を傾げる。言葉も碌に通じず、同等に刀が使えるとは思えない未来人、信長にとっては外国人みたいなものに、一年程度の期間で兵卒を率いらせるとはとても想像できない。信長は奇人だから、傍に置いて面白がることは考えられるが。

僕は科学的な精度については余り疑問を呈さないことにしているものの、言葉は生活に直結して非常に身近で極めて重要なので、これらが疑問になって甚だ興醒めして観続けた。本作の☆★が少ない最大の理由である。

梁田が後の家康を殺して歴史が変わるなどしたため元の世界に戻れない筈なのに戻れてしまう。それを可能にするとしたら登場人物の一人が家康になって歴史を維持して歴史の修正力を働かせることだが、そうなるともはや循環論法で、何がなにやら解らないことになる。やはりタイムスリップものは余程うまく作らないともはやおいしく戴くことはできない。

生徒たちが感情的になり過ぎ、生きるか死ぬかの瀬戸際で余りに余裕をこいているところが多いのも良からず。青少年向き(原作は笠原真樹のコミック)はこの辺が非常に甘い。

なりすましが二人も出て来る。当時は現在のように写真などないから日常的に会っていない人を騙せることはあろう。しかし、家族や側近を騙せることはないって。それ以前に言葉の問題もあるじゃろ。興醒めのオンパレード。

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