映画評「フレンチ・カンカン」
☆☆☆☆★(9点/10点満点中)
1955年フランス映画 監督ジャン・ルノワール
ネタバレあり
ジャン・ルノワールの作品はなかなか理解しにくいのだが、これは直球的に素敵である。理解しにくいというのは難解という意味ではなく、良さが解りにくいということ。
本作は1980年頃東京のフィルムセンターで初めて観た。恐らくそれ以来の再鑑賞と思うが、今回も素晴らしかった。
1888年のパリ。クラブ経営者のジャン・ギャバンが、下町ダンサーのフランソワーズ・アルヌールの踊りに惹かれると、それを愛人のマリア・フェリックスに嫉妬される。
経営に行き詰まっているギャバンは、マリアの別のパトロンと手を組んで、フランソワーズらのカンカンをフィーチャーした新しい演芸場ムーラン・ルージュを作ることにするが、彼女には嫉妬深いパン屋の恋人がい、あるいはアラブの王子(というのに名前がアレクサンドルという珍妙)が恋心を寄せる一方、ギャバンを巡ってマリアの嫉妬はまだやまず、すったもんだしてなかなか開場に至らない。
いざ完成したと思ったら、王子の自殺未遂があったり、悪戦苦闘する。
先日の「ウィンナー・ワルツ」(1934年)に似て、恋愛をめぐるゴタゴタを交えて展開する、実話のような実話でないような、ムーラン・ルージュ誕生秘話である。
そのややこしい男女関係の面白さもさることながら、僕はロング・ショットにおける印象派絵画のような構図と色彩(撮影監督ミシェル・ケルベ、クロード・ルノワール)と、クラブ内のロートレックの絵を彷彿としないではいられない踊り子たちの様子をずっと堪能していた。
それだけでも☆☆☆☆の価値があるが、それを無かったことにしてしまうくらい素晴らしいのが、クライマックスの演目披露におけるスペクタクルである。アメリカの大ミュージカルを見てもこれほどの感動を与えるレビューは滅多に観られない。
AllcinemaにおけるKE氏と同じく、このクライマックスには涙が出て来る。素晴らしすぎて涙が出て来るのは泣き虫の僕でもなかなかないのだ。
ジョン・ヒューストンの「赤い風車」も再鑑賞する予定には入れております。
1955年フランス映画 監督ジャン・ルノワール
ネタバレあり
ジャン・ルノワールの作品はなかなか理解しにくいのだが、これは直球的に素敵である。理解しにくいというのは難解という意味ではなく、良さが解りにくいということ。
本作は1980年頃東京のフィルムセンターで初めて観た。恐らくそれ以来の再鑑賞と思うが、今回も素晴らしかった。
1888年のパリ。クラブ経営者のジャン・ギャバンが、下町ダンサーのフランソワーズ・アルヌールの踊りに惹かれると、それを愛人のマリア・フェリックスに嫉妬される。
経営に行き詰まっているギャバンは、マリアの別のパトロンと手を組んで、フランソワーズらのカンカンをフィーチャーした新しい演芸場ムーラン・ルージュを作ることにするが、彼女には嫉妬深いパン屋の恋人がい、あるいはアラブの王子(というのに名前がアレクサンドルという珍妙)が恋心を寄せる一方、ギャバンを巡ってマリアの嫉妬はまだやまず、すったもんだしてなかなか開場に至らない。
いざ完成したと思ったら、王子の自殺未遂があったり、悪戦苦闘する。
先日の「ウィンナー・ワルツ」(1934年)に似て、恋愛をめぐるゴタゴタを交えて展開する、実話のような実話でないような、ムーラン・ルージュ誕生秘話である。
そのややこしい男女関係の面白さもさることながら、僕はロング・ショットにおける印象派絵画のような構図と色彩(撮影監督ミシェル・ケルベ、クロード・ルノワール)と、クラブ内のロートレックの絵を彷彿としないではいられない踊り子たちの様子をずっと堪能していた。
それだけでも☆☆☆☆の価値があるが、それを無かったことにしてしまうくらい素晴らしいのが、クライマックスの演目披露におけるスペクタクルである。アメリカの大ミュージカルを見てもこれほどの感動を与えるレビューは滅多に観られない。
AllcinemaにおけるKE氏と同じく、このクライマックスには涙が出て来る。素晴らしすぎて涙が出て来るのは泣き虫の僕でもなかなかないのだ。
ジョン・ヒューストンの「赤い風車」も再鑑賞する予定には入れております。
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