映画評「大いなる罪びと」

☆☆☆(6点/10点満点中)
1949年アメリカ映画 監督ロバート・シオドマーク
ネタバレあり

フョードル・M・ドストエフスキーの中編小説「賭博者」は、1958年にフランスのクロード・オータン=ララが映画化、ロマンス絡みの部分で大きく変更されていたが、なかなか良く出来ていた。
 こちらは映画界での実績ではオータン=ララと同じくらいのアメリカのロバート・シオドマークが映画化しているが、改変度はずっと大きい。日本劇場未公開で、最近まで余り存在の知られていなかった作品である。アマゾン・プライムにて鑑賞。

ドストエフスキーを思わせる若い作家フェージャ(グレゴリー・ペック)が列車で乗り合わせた美女ポリーヌ(エヴァ・ガードナー)に誘われるように、カジノで有名なドイツの温泉場に降り立つ。
 ポリーヌは賭博狂の父親オストロフスキー将軍(ウォルター・ヒューストン)が胴元アルマン(メルヴィン・ダグラス)に大金の借金を抱えている。作家は愛するようになったポリーヌがその為に自由が利かないと知って、全く興味のなかったルーレットに賭け続け、借金額を超えたところで止める。しかし、その申し出を聞いたアルマンは嘘をついて証書は別のところに預けてあるので、別途取りに来るように告げる。
 その間フェージャ(フョードルの愛称なり)は軽い気持ちでルーレットをやり始めて結局大金を全て使い切ってしまう。これが精神的負担となって病に倒れた時に彼はキリストの声を聞いて一命を取り留め、ポリーヌもそこへ駆けつける。

改変その一は主人公がほぼドストエフスキー自身となっていること。実際この小説は彼が賭けで味わった苦い経験に基づいているので、それを取り込んだ改変と言うことができる。

主人公がポリーヌ(原作ではポリーナ)を思慕するのは原作通りだが、原作も映画も片思い的である。従って一番違うのはポリーヌとのロマンスの扱いであり、原作ではヒロインは療養の為にスイスに逃避し、フランス版では自殺、賭けでは大した挫折をしていない主人公は共に失恋によって失意に陥るのである。

本作は、主人公の賭けへの中毒症状を扱って一見厳しいものを見せるように思わせつつ、キリストの声を経て救われ、ポリーヌの愛も得る、という流れは非常にアメリカ的に甘い。甘すぎる。それまでの厳しさを全部フイにしてしまう。終盤を別にしてお話はなかなか面白く再編されているので、惜しい。

ハリウッドは「アンナ・カレーニナ」のハッピー・エンド版も作っている。ある時代までのハリウッド文芸映画にはそういう意味でデタラメな作品が多い。この手のデタラメは、1968年まで存続した自主規制条項ヘイズ・コードが一部もたらしたと想像される。

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