古典ときどき現代文学:読書録2022年上半期

 毎日暑い日が続いていますが、皆様、いかがお過ごしでしょうか。
 ウェブリブログ(ウェブログ)での読書録はこれが最後。いやいや、慌てないでください。来年1月をもってウェブログが閉鎖される為、後期中頃までにウェブログが提携したシーサー(seesaa)ブログに引越しを考えているわけでして、次回以降体裁を変えずに同ブログで継続する所存です。

 今回も例によって小説以外にも文学中心に色々と読みましたが、小説は映画になったものを多く選択しました。これも例の百科事典索引リストを大分踏破したからできるようになった次第。今後もこの傾向は続くでしょう。人気の村上春樹文士の作品も読みましたよ。
 小説と言えば、ミステリーもいつもよりは多く読みましたかな。本格的なSFはないですが、最初のトマス・ピンチョンは少々SFっぽい。昔、僕が若い頃、図書館はミステリーやSFに冷たかったのですが、現在はまるで逆で近年発表されたミステリー系やSFなら大概読めるってもんです。隔世の感あり。
 リスト残存の大半を占める日本の大古典(江戸時代以前に発表されたもの)や漢籍がなかなか進まない。というのも長いものが多い。日本の大古典の場合は現代語訳と並行して原文も読み、漢籍は書き下し分と通釈も読むという二段構えなので、どうしても時間がかかるわけです。今回大物は、日本の大古典は「狭衣物語」くらい、漢籍は「古文真宝」くらい。怪奇説話集「捜神記」は中国の大古典ですが漢籍扱いされることが余りなく、現代語訳のみで終了。

 花より団子、論より証拠、実際にリストをご笑覧いただくほうが良いでしょう。どうぞ。 

***** 記 *****


トマス・ピンチョン
「V.」
★★ピンチョン研究家で本書の共訳者でもある佐藤良明氏は高校の大先輩で、大学でもちょいとお世話になりかかった(笑)という因縁もあり、七,八年前に東京新聞でピンチョンを紹介していたのを拝読、読みたいと思い続け、この度やっと読める運びになった。が、これが想像以上の難物。1956年を一つの軸とする時系列と、19世紀末から第二次大戦にかかる半世紀近くを一つの軸とする時系列が、ステンシルという人物(親子)を介することで進行する。彼(ら?)が追っているのはVと呼ばれる、神出鬼没で色々な事件にかかわっていく謎の女。CIAエージェントを思い起こさせないでもないが、政府絡みというわけではない。次第にサイボーグ化していくなど、SFっぽい仕立てでもあるが、どうも面白味が解りにくい。佐藤先輩が仰るように、面白いと思えればしめたものだという気がする。これよりもっと長い「重力の虹」に関心があったが、読むとしても暫く先になりそう。


並木 千柳、三好 松洛
「源平布引瀧」
★★★ “げんぺいぬのびきのたき” と読む。現代語訳に頼らないで読む浄瑠璃シリーズ第一弾。浄瑠璃台本独特の○の位置など読みにくさはあるものの、余り難しくはない。平安末期平清盛の手勢(史実上は甥)に殺された源義賢の遺児駒王丸が源義仲として挙兵するに至るまでを綴るお話で、それに一役買う多田行綱の女房小万が片手を奪われても義賢から預けられた白旗を守ろうとするところが凄まじい。完成度は高くないと言われるが、通俗的な興味をそそるに十分。

「夏祭浪花鑑」
★★★作者は上記二名に加えて竹田小出雲。実際にあった殺人事件に材を求め人情絡みで展開する世話物。人名をフルネームで憶えておかないと、突然呼び方が変わったりして混乱する。混乱した当人が言うのだから間違いございません。


近松 半二
「鎌倉三代記」
★★色々原本があって最終的にまとめたのが近松半二らと言われている。二代将軍・源頼家の一派と、彼が気に入らず三代目を擁立したい執権北条時政一派の争い。通俗的に面白いのは、頼家派の佐々木高綱の影武者の存在で、影武者と確定したその男こそ高綱その人であるというアイデア。これに「ロミオとジュリエット」よろしく時政の娘時姫の敵方三浦之助義村との恋模様が絡んで、なかなか興味深く展開していく。実は大坂の陣を扱った内容で、時政は徳川家康、頼家は豊臣秀頼、時姫は千姫、高綱は真田幸村とみなすことが可能。よってこの前段階の作品は上演禁止の憂き目に遭った。手が込んでいるこちらにほうが着想は面白いものの読みにくいので、「源平」と★一つの差を付けた。

「新版歌祭文」
★★★浄瑠璃・歌舞伎の世話物には実際に起きた事件を取り上げる際物が多い。本作は所謂お染・久松の心中が主題で、丁稚の久松を勘当された武士にすることで、家宝喪失による混乱という時代物の要素を取り込んでいる。18世紀の歌舞伎や浄瑠璃に多いハイブリッドな作劇である。世話物は俗語が解りにくい点で、時代物より読むのに難儀することが多い。


ルース・ベネディクト
「菊と刀」
★★★★★新聞に“日本人は親切と聞いたけれど、困った人を見ても助ける人がいない”という外国人の問いがあった。自分なりに答えを持っていたが、終戦直後に書かれたこの書を読むと、恩と義理との関係性に答えが見えて来る。そこに加えて現在ならではの理由もあると思う。日本人がオリンピック(などの本番)に弱いのは、家庭の教育の仕方に原因があったらしい。徐々に過去形になりつつあるが、今でも外国人に比べて強いとは言えない。イラク戦争後アメリカ人は日本での成功体験を生かしてイラクの戦後処理をしようとしたが、失敗した。イラクの人々は日本人と精神性が違うのだ。ブッシュ政権がこの本をきちんと読んで理解していれば政策は変わっていただろう。75年の間に変わったことも多いと思われるが、根っこの部分で相当残っている気がする。実に面白い。


文耕堂、三好 松洛、浅田 可啓、竹田 小出雲、千軒軒
「ひらがな盛衰記」
★★歌舞伎台本で読んだことがあるが、やはり浄瑠璃の文章を読むのが理想。内容は源義朝をめぐる悲劇と後日談。本作に限らないが、江戸時代の風俗で平安末期の話を綴られても、僕のような左脳人間にはひっかかるところが多い。本作では遊郭の扱い。どうも世話物的になって、平安時代ならではの幽玄な印象が希薄になって白々しく感じた。


太宰 治
「パンドラの匣」(再)
★★★太宰は一人称の小説が多いが、この有名な中編も手紙形式の一人称。些か変わった療養施設でのお話で、マア坊という若い介護者と竹さんというもう少し年上の介護者をめぐる若者の思いが綴られる、爽快な青春小説と言うべし。初期から中期の太宰は存外明るい小説が多い気がする。

「乞食学生」
★★文士稼業への自虐めいた私小説で、玉川上水で知り合った学生と話しているうちにどうも作者は眠ってしまうようである。どこからが夢なのかは判然としないが、多分章が変わったところからでありましょう。

「春の盗賊」(再)
★★これも同系列の私小説で、彼の作品によくあるように、変てこな随筆と読めないこともない。

「女生徒」(再)
★★★★太宰は若い女性の心情をよく綴る。多くは自身の実際の心情を仮託していると読めるわけだが。本作は、好きだった父を亡くした後の女生徒の心情を書き連ねるうちに、父と比較して批判対称だった母親への愛に目覚める、といったお話。大概の人が面白く読めると思う。


ヘンリー・ジェイムズ
「ワシントン・スクエア」
★★★★映画「女相続人」の原作。映画版ほど娘の結婚を妨害する父親を批判できない感じが暫し続くが、終盤になるとやはり、彼は自分の正しさに拘った結果娘の幸福を殺したのだと思えて来る。父親の目は確かであったが、その底に母親とは違う娘への失望が沈潜している。ジェイムズとしては長くなく、さっと読めるが、その割に読後感は重苦しい。


野上 弥生子
「迷路」(第一部~第二部)
★★★日本の純文学の中でも長大な部類に属する大河小説の最初の部分は2・26事件が起きた1936年に書き始められている。戦後、2・26事件に絡む部分など当時伏字により読めなかった箇所を復活させ、また表現出来なかった文章を書き加え「迷路」第一部・第二部として再発表された。登場人物は華族か上流階級の人々で、主人公菅野省三は後者にあって共産主義を選んだ後に転向したという設定。彼にかかわる最重要人物は大半この部分に登場する。

「迷路」(第三部~第六部)
★★★★1949~56年に発表。書き始めから20年かけての完結ということになる。国家に対して全幅の信頼を置いていない人物が尽く死んでいくという大胆な展開で、それは主人公省三も例外ではない。しかし、作者の書き方ではどうも彼は死んでいないように読める。果して作者は死んでいないと後書きで述べている。死んでいった人は言わば個人主義者なのであり、既に過去となった戦後暫くを、日本に生還する省三のような(広い意味での)個人主義者が背負っていく様子を見ているのだ。野上がもっと若ければ、この部分も書いたであろう。


梅崎 春生
「ボロ屋の春秋」
★★★他作の純文学的なシリアスな作風とは違って、ユーモラスに展開する。事実、芥川賞ではなく直木賞を受賞しているが、その底流にあるのは人生への重い思惟である。星新一からSF/ファンタジー要素を取り除いて長めにするとこんな感じになるかなあ、という読後印象。その正否は解らない。あくまで個人の感想です(笑)


ジョン・リード
「世界を揺るがした十日間」
★★★ウォーレン・ビーティが監督・主演した「レッド」の原作たるノンフィクション。著者はアメリカの社会主義者ジャーナリストで、事実誤認も多少あるようであるが、ロシアで起きた十月(西洋歴では十一月)革命の推移を綴って、迫力がある。当時の日本体制側の人々は社会主義者によってこういう事変が起こるのではないかと危惧して治安維持法を施行したのであろうが、この本を読むと、日本では同じようなことはまず起きない、ということが逆説的に理解できるような気がする。ルース・ベネディクトも「菊と刀」で同趣旨のことを言っていたと記憶する。


ロマン・ロラン
「ベートーヴェンの生涯」
★★岩波書店から出されたこの題名を持つ書籍は、ロランによる同名の評伝に加えてベートーヴェンから或いはへの手紙などを交えて構成されているが、僕は敢えてロランの評伝の部分についてのみ取り上げる。音楽家を主人公にした大長編「ジャン・クリストフ」で折に触れて膨大な音楽論を繰り広げていることを考えると、本著は些か短すぎて拍子抜けする。客観的である一方、偉大な作曲家への熱い思いは伝わって来にくい。


柴田 鳩翁
「鳩翁道話」
★★★江戸時代の天保年間に書かれた心学の著作。併せて読んだ「続鳩翁道話」「続々鳩翁道話」を含め一つの著作としてコメント。人としてどう生きるのが幸福かということを儒教・神道・仏教の考えを合体させ、利己主義を戒める寓話を多く引用して説く。現在の自己啓発本に近いと思う。最大の特徴は当時の口語で書かれているところ(実際には鳩翁の講義を弟子が書き取ったもの)で、現在の口語とさほど差異がなく読みやすいこと。


干 宝
「捜神記」
★★★★1700年前東晋時代に書かれた怪異小説集。全20巻、464話。文字通りの小説(小咄)で、ドキュメントの趣き。後年の「剪灯新話」や「聊斎志異」で本格的に再構築されるお話の原案も多い。神仙たちの物凄い能力、悪事の前兆となる怪異譚、幽霊譚など、少しずつ読むと非常に楽しめると思う。この類は一気呵成に読むと飽きるので、要注意でござる。


グレアム・グリーン
「おとなしいアメリカ人」
★★★南ベトナムが成立する前のフランスとヴェトミンとのインドシナ戦争を取材する英国人ジャーナリストが、自分の現地妻である女性を巡って三角関係になり、やがて不慮の死を遂げる若い米国人青年について回想する。その間にグリーンのこの戦争に関する思いが間接的に表白され、当時の東南アジア情勢ひいては世界情勢を俯瞰する印象さえある。長くはないけれど力作と言うべし。フランス人刑事が時々主人公の前に現れて時間が現在に戻るわけで、ちょっとしたミステリー趣味もある。アメリカが原作発表の直後に「静かなアメリカ人」として映画化したが、作者のアメリカ批判(グリーンはこの当時アメリカに入国できなかったらしい)を恨んで、英国人ジャーナリストを悪者と決めつけ、本作とは全く逆の終わり方をさせている。狭量と言うしかない。

「情事の終り」
★★★★殆どの代表作においてグリーンをカトリシズムと切り離すことはできない。本作は不倫小説の趣きだが、無神論者だったヒロインが愛欲の日々を経て神や教会に頼るようになり、最後には彼女自身が我知らず二人の病人を治してしまう。これは奇蹟か偶然か? 彼女と不倫関係にあった小説家 “私” はこのことを整理できず、神への帰依は遠のくばかり。そんなお話である。二度映画化されているが、僕は新しい方の「ことの終り」を観ている(が、詳細は憶えていない)。


カーター・ディクスン(ジョン・ディクスン・カー)
「赤後家の殺人」
★★★カーター・ディクスン名義。ヘンリー・メルヴェル卿の活躍を描くシリーズの一つで有名な作品でござる。英国貴族所有の古い家の一室で起る密室殺人。その部屋に一人でいた者は必ず死ぬという100年以上前から続く事件に自ら挑戦した者がその通り死ぬ。非常に作り込まれているのが災いしてどうも中だるみする印象。僕が読んだディクスン・カーの他の長編の方が僕には楽しめた。

「火刑法廷」
★★★★ディクスン・カー名義。被害者の死体が棺から消えるなどするオカルトめいた謎の連続を、一種の安楽椅子探偵である元服役囚の作家ゴーダン・クロスが、3/4ほど過ぎたところで現れて解決する。ように思わせておいて・・・という本格ミステリー。本格ミステリーだが、最後でその解決がどうも本当ではなかった(らしい)という、再びオカルト的な幕切れが待っている変わり種。40年前に読んだら夢中になったと思うが、今はそこまでは行かない。


中島 敦
「光と風と夢」
★★中国歴史小説で有名な作者。「ジキル博士とハイド氏」「宝島」を書いたロバート・ルイス・スティーヴンスンの、結核療養の為に晩年に移り住んだタヒチ島における生活を綴る。我知らずドイツ人の権力を背景に同地の酋長(王様)の実権争いに巻き込まれたりもするのだが、そうひどい目に遭うわけでもない。短めの長編小説(西洋の感覚で言えば完全な中編小説)なので一気呵成に読んだほうが楽しめるだろう。というのも、地の文と、スティーブンスンの書いた(ことになっている)日記により構成されているから。僕は Kindle で寝る前に少しずつ読んだ為かピンと来ない感じが強いのだ。


アーサー・コナン・ドイル
「シャーロック・ホームズの帰還」
★★★ホームズ公式短編集第3弾。新潮文庫版は13話(西洋にしては珍しい数字)のうち第2話、第9話、第11話を省略し、新潮独自の短編集「~の叡智」に収めている。三つ読んだうち二つが新潮版なので、残りもそのまま読みましょう。前回「最後の事件」で死んだ筈のホームズが突然現れるのが勿論第1話「空家の冒険」。他に特筆したいほど面白く感じたものはないが、公式版第8話「六つのナポレオン」が良いのではないかと思う。


イヴォ・アンドリッチ
「サラエボの女」
★★★★アンドリッチはユーゴスラヴィアのノーベル賞作家。本作は20世紀ユーゴ版バルザックという感じのお話で、15歳にして父親の遺言に従って甚だしい吝嗇の実業家になった女性が主人公。彼女は結局40代にして亡くなってしまい、小説はそこから巻き戻され、15歳の時から彼女の人生を綴る。第一次大戦の厳しさを乗り越えて中年に差し掛かった頃彼女は若くして死んだ叔父に瓜二つの自称青年実業家の為に大金を投資するのだが、結局事実上の山師と判明する。終わって見ればこの事件は彼女にとって悲劇であったが、お金の為に病気も無視して夭逝した彼女の人生を俯瞰すれば、幼少時代を別にして彼女が唯一真の幸福を味わったのがこの時代なのではないかと僕には思われるのだ。


小林 秀雄
「考えるヒント」
★★★★この題名は文春文庫から出ている書名でもあるが、エッセイ集の題名である。この書にはもう一つのエッセイ集「四季」も収めている。高校時代に買って、50年近くも放置して来た。小林の格式ばった評論でなくごく平明だが、それでも決してその深奥を理解するのは容易でない。


フリードリッヒ・ニーチェ
「善悪の彼岸」
★★★★タイトルからもある程度想像されるように、反道徳(反カトリック)というより超道徳を趣旨とした感じで、プラトン以降の先人哲学者をも批判する立場のエッセイ的哲学。所謂形而上哲学に比べてぐっと具体的であり相当読みやすいが、残念ながらそうした哲学書を読んでいないと、意味するところを掴めない箇所も多いだろう。


村上 春樹
「風の歌を聴け」
★★★ひと昔前、精神状態が最悪の中で「海辺のカフカ」を読んだが、まともな状態で村上春樹を読むのは初めて。現在純文学第一人者の長編第一作。 “僕” を語り手とする一人称小説であるが、鼠という人物を扱うシークエンスが、もう一つのお話を構成している感じがする。思うに、ある時から突然本を読みだし、小説も書き始めたらしい鼠が、その小説の中で書いているのが、 “僕” の物語であるような気もする不思議な感覚(小生だけか?)があり、合わせ鏡ようで面白い。しかし、 “僕” に言わせると、鼠の小説では人が死なないのに、この小説では “僕” の3番目の恋人が自殺している。やはり小生の一人合点みたいですな。それはともかく、文体がアメリカ文学的にドライであり、台詞がレイモンド・チャンドラーに影響を受けたような、通常の人がまず語らないような語り口であるところが、昔のフランス、ロシヤ、ドイツ文学を好む僕の趣味からは少し外れると言っておきましょう。「善悪の彼岸」を読んだ直後で、何となくニーチェを思いつつ読んでいたら、最後にニーチェの言葉が出て来た。

「1973年のピンボール」
★★★★長編第二作。 “僕” も鼠も、 前作の主たる舞台であったジェイク ジェイズ・バーも出てくるが、本作の二人は物理的に絡むことはない。時代背景を1973年にしつつ、1969年が通奏低音的に、今回読んだ三作の間で共鳴する。69年になくなったピンボール台を73年に捜し出す辺りは、ハードボイルドな文体にあってちょいとセンチメンタル? 極めてユニークな性格造型の双子の姉妹が実に楽しい。ビートルズのLP「ラバーソウル」が最後にまた出てくるのが僕には嬉しく、数年後の大ヒット作「ノルウェイの森」でも扱っているところを見ると、村上文士(笑)もきっと好きなのであろう。

「ノルウェイの森」
★★★上記二作の変奏曲。同じ要素を換骨奪胎して扱っている。例えば、時代は相変わらず1969年。或いは、本作のヒロインの一人直子は「1973年のピンボール」で詳細に描かれないまま死んだ主人公の恋人と同じ名前であり、「風の歌を聴け」の森で自殺した三番目の恋人をも想起させる。多分その二作で敢えて描かなかったことに今度は注力したのだ。二番目のヒロイン緑には「1973年のピンボール」の双子のエクセントリシティがある。しかし、文体は大分日本文学的になり、台詞も通常の若者が話すようなものに大分近くなり、僕には読みやすい。性愛に関する描写が多いところは好かないが、これは「風の歌を聴け」で鼠の書く小説のアンチテーゼである。四つの自殺が扱われるも案外読後感は軽く、大分前に当ブログの常連さんが言った “ライトノベル” という印象は当たっているのかもしれない。年少者に刺激的すぎる内容はともかく、中学生でも読めそうな感じがする辺り、大ベストセラーになったのも理解できる。


アーノルド・トインビー
「歴史の研究:序論」
★★★高校の英語リーダーでごく一部を読んだのを憶えている。膨大な著作で、原著12巻、翻訳25巻に及ぶ。文庫本に換算すれば2万ページを超えると思われる。一気に全部は読めないので、今回は序論のみを読む。世界帝国は世界宗教を媒介して成るという考えが、当たり前のようだが、説得力をもって語られる。例えば、ヘレニズムを一種の宗教として考えた時のローマ帝国。こうして整理していくと、これまでに21の社会があるということになるらしい。残念ながら、うまくまとめられない。


佐木 隆三
「復讐するは我にあり」
★★★★今村昌平監督の名作の原作。カポーティ「冷血」ばりのノンフィクション小説で、犯人が知能犯だから本格ミステリーの倒叙ものの感覚で読め、相当面白い。犯人の名前は変えられているが、文庫版では最初の犯罪現場の地名が実名に変更されたということ。松本清張ばりの序盤に痺れる。


アン・タイラー
「アクシデンタル・ツーリスト」
★★★「偶然の旅行者」原作。幸か不幸かお話は全く忘れていた。題名は主にビジネスマン向きに書かれている旅行ガイドブック・シリーズの題名で、主人公はその著者。息子を殺されてから心情の齟齬をきたした妻と別居して、女性の犬猫訓練士と親しくなるが、また元の鞘に戻ったと思いきや、自分で人生を決めたことがあるのか自問自答し、また訓練士の許に戻る。途中までこの兄妹が交際する相手をまるでアクシデンタル・ツーリストの立場で扱うお話のように思わせつつ最後にどんでん返し。少し退屈したり非常に面白く時に可笑しかったりするが、全体的に読みやすい部類の小説。ピュリツァー賞の候補になったらしいが、大衆小説的な純文学という感じ。主人公が僕に似て言葉にうるさい左脳人間であることに親しみを覚えた。


ジェーン・オースティン
「分別と多感」
★★★映画の原作が続きます。その映画とはアン・リー監督の秀作「いつか晴れた日に」。分別は理知的な姉エリナ、多感は妹マリアンを表徴する。登場人物の微視的な描写が例によって秀逸。彼女の作品では「エマ」が通俗的な意味で一番面白いが、映画化された中では「いつか晴れた日に」が最上です。


谷崎 潤一郎
「痴人の愛」(再)
★★★谷崎の小説にしては文字表記がごく一般的で読みやすいが、内容は通俗的にすぎる気もする。谷崎文学によく出てくるマゾ的人物が主人公で、年の離れた幼な妻ナオミに翻弄される日々が綴られる。現在ナオミ役に起用するなら二階堂ふみであろうか?

「少将滋幹の母」(再)
★★★★★谷崎の好んだテーマ “母を恋うる物語” 。「平中物語」「今昔物語」などに取材、谷崎自身の考えを随所に織り込みながら、若く美しい妻を衆人環視のうちに奪われた老貴族藤原国経の息子・滋幹(しげもと)が、絶望した父が仏教の不浄観にも逃避しきれずに死んだ数十年後、今は老尼となっている母親に出会う、というお話を構成している。不浄観を出すことで谷崎の耽美主義は却って極北に達したと思う。


毛 沢東
「矛盾論」
★矛盾は弁証法の止揚を想定する。弁証法的思想が絶対であるらしい。あれやこれや色々と説くが、実際にはその五分の一くらいの分量で説明できる感じ。この100年以上前に死んだヘーゲルも草葉の陰で吃驚しているだろう。

「文芸講話」
★★「矛盾論」よりずっと面白い。芸術論的に正論と思われる部分もあるが、社会主義的リアリズムを目指す芸術は即物的にならざるを得ず、そんな潤いに欠けたものに革命家でもない者が興味が持てる筈もない。毛が絶賛する魯迅が良いのはテーマがごく普遍的であるからだ。


コーネル・ウールリッチ
「黒い天使」
★★★冤罪の恋人/夫を救う為に恋人/夫人が懸命に探偵役を務めるという点において、ウィリアム・アイリッシュ名義の傑作「幻の女」に似ている。殺された女が残した住所録からMに始まる苗字の男を歴訪し、様々なピンチに陥る。サスペンスフルで面白いが、現在の僕はもっと社会派的なものを好む。


源 頼国 女(みなもとのよりくにのむすめ)
「狭衣物語」
★★「源氏物語」に近い内容。主人公は自分は多情でないと言いつつ、女性を見るとすぐに手を出し、その癖女性たちの間で優柔不断な態度に終始するのが、現代人の視点ではかなり不快に感じられる。困ったら出家という発想も時代とは言え、却って安易な感じがする。通い婚は長期間では多夫多妻であり、短期間では一夫一婦制に近いと思うが、こういう上流中の上流では短期間でも一夫多妻的に理解したくなる。主人公が最後に天皇にまでなってしまうのは「源氏物語」以上につき大いに吃驚。しかし、幕切れのフェードアウト感は非常に感じが良い。


新田 次郎
「富士山頂」
★★★石原裕次郎が主演した、富士山レーダー建設をめぐる実録映画の原作。小説では主人公は、石原の技師ではなく、建築そのものがテーマの第二部で脇役に回るにしても、芦田伸介演じた気象庁役人(実は新田次郎その人)である。新田は中学か高校の教科書で知って以来、いつかは読みたいと思っていた。


ポール・ニザン
「アデン、アラビア」
★★★1920年代、ニザン20歳が金持ち息子の家庭教師を務める為フランスからアデンに向い、暫くしてアデンからまたフランスに帰る途上を背景につらつらと綴る、反資本主義・反ブルジョワ・反インテリ(彼自身を含む)の宣言書。そうそう簡単に理解できる内容ではないにしても、紀行文的なところがないでもないので、高校生くらいが読んでも面白いかも? 帝国主義も終焉に近づいたからこそ最も酷烈になっていた時代だけに資本主義への怒りが凄まじいが、彼が戦争を生き抜いてスターリン政治の現実を知ったらきっと幻滅しただろう。


湊 かなえ
「告白」
★★★★映画版を既に観ているが、一応読んでおきたかった人気小説。未だに単行本・文庫本を借りるには人気があり過ぎるので、大活字本三分冊で読む。良いところに目を付けた自分にファイン・プレー賞を贈りたい。一人の天才を気取るマザコン少年が計画した殺人に端を発する悲劇の連鎖を、全て関係者のモノローグ(日記等)で綴るというアイデアが秀逸で、小どんでん返しを積み重ねた挙句の幕切れも良い。後味は良くないが、映画評に書いたように、“こういう作品が書かれる背景にある社会的要因こそ怖い”(要旨)のである。後世に残るミステリーと思う。


島崎 藤村
「嵐」
★★★子供四人を男手一人で育てた藤村の私小説。それを嵐と称しながらも、子供を成長させることが自らの人生勉強にもつながっているように読める。日本文学は子供や自らの少年時代を描いたものに良いものが多いような気がする。

「ある女の生涯」
★★藤村の姉をモデルにした小説らしい。放浪癖のある夫に苦労し、息子に死なれ、知的障害の娘にも苦労し、やがて精神病院に送られて死ぬ。余り出て来ない一番下の弟が藤村ということになる。ちょっと辛いね。

「千曲川のスケッチ」(再)
★★★中学生時代に文庫本を買って読んだ写生文だが、当時中学生の僕には予想ほどには楽しめなかった。思うに、井上靖の自伝小説のようなものを期待していたのではないかな。小説ではないから Kindle で少しずつ読むのにふさわしく、群馬県人の僕としては、群馬県人が長野県人の農作に呆れる(感心する)ところが興味深かった。


ハンナ・アーレント
「エルサレムのアイヒマン」
★★★★最初からアイヒマンはクリシェ(常套句)しか使えない人間とし、それが最後に“悪の陳腐さ”という結論として出てくる。 意外にもアーレントの伝記映画によって有名になった “悪の陳腐さ” は本文の最後に出て来るだけなのだ。哲学者らしく冷徹に彼の人生とホロコースト拡大化の経緯を記録した報告に終始するのだが、ユダヤ人の特殊階層から成るユダヤ評議会なるものがホロコーストの拡大に(結果的に)加担したとしているところが、単なるナチス批判の書と一線を画す所以。


ハーパー・リー
「アラバマ物語」
★★★★★映画でお馴染み。基本は井上靖の自伝小説のような趣で、映画版に比べると、裁判は、民主主義を大事にしたいと思っているらしい作者が言いたいことの一要素に留まっているという感じ。映画を再鑑賞した時、僕は主人公一家の不思議な隣人プーをトトロのような存在と感じたものだ。


松本 清張
「黒革の手帖」
★★★幾度となくTVドラマ化された経済小説的サスペンス。ドラマは一切観ていないものの想像した通りのお話だが、終盤は結構驚いた。清張は「砂の器」などでも偶然に頼るところがあり、本作にも上手く行きすぎると思っていた個所があるものの、上手く行きすぎる理由があったのだ。しかし、最後はやりすぎで逆効果。ヒロインの悪女が仕返しを食らうというのは道徳的にありだが、し返す方も似たような魑魅魍魎だから、余り良い後味とも言えない。


アルベール・カミュ
「異邦人」(再)
★★★★★ルキノ・ヴィスコンティの映画を中学生の時に観て興味を惹かれ、高校生になるや、なけなしの小遣いで文庫本を買った。120円なり。現在は消費税込みで605円(正味550円)だから5倍近くに跳ね上がった。他の物価に比べると、文庫本の値段の上昇率はもの凄い。本には無数の赤線が引いてある。カフカと同じく不条理文学と言われることが多いが、カフカは人物を動かす運命が不条理で結果的に小説そのものが不条理な展開を見せるのであり、本作の主人公が起こした殺人の理由における不条理性とは全く違う。寧ろ本作は小説としては結構オーソドックス。


江戸川 乱歩
「堀越捜査一課長殿」
★★戦後のミステリー短編。乱歩のお好きな一人二役もので、ご本人も上手く行っていないと認めている。

「暗黒星」
★★★成人向け明智小五郎もの長編小説。ある富豪の屋敷で家族が次々と殺される。乱歩の連続殺人は怪奇小説的で、どうしてもミステリーとして読める感じにはならない。

「怪奇四十面相」
★★★少年向け明智小五郎もの。少年向けでは活躍するのは少年探偵団殆どは小林少年である。脱獄部分にアルセーヌ・ルパン、謎の暗号にエドガー・アラン・ポーの影響を多分に感じる。面白い部類。

「仮面の恐怖王」
★★同じく少年向け。ここまで明智が活躍しないところを考えれば、小林少年ものと言っても良いかもしれないですな。予告した通りに恐怖王つまり怪人二十面相が盗みを実行するのはアルセーヌ・ルパンものの影響ながら、今となると「ルパン三世」的とも言えるかも(順番は逆だが)。


黄 堅(編)
「古文真宝 前集」
★★★★13世紀(宋末もしくは元初)に編纂された詩文集。前集は各種の詩に特化し、李白・杜甫・柳宗元・白居易などの有名な韻文が多数読める。日本の漢文教科書への韻文の採択は、江戸時代に人気のあった本集をベースにしているのではないか。

「古文真宝 後集」
★★★★もの凄く精選された印象で、「文選」でも読める諸葛亮『出師表』もあるでよ。李白の『春夜桃李の園に宴するの序』は松尾芭蕉に影響を与え、「奥の細道」の文章によく反映されているのが一読して解る。


マルキ・ド・サド
「悪徳の栄え 続」
★続と言うか、後編である。前編は数年前に読んだ。前回と同じく、作者が精神異常として投獄されるのも無理はないと思わされる。日本の猥褻物頒布の観点から性的な描写は大きくカットされている為、残ったものは残忍な殺し方ばかりである。僕は性的な描写より倫理的にこちらのほうが問題と思う。翻訳した澁澤龍彦も、日本の官憲の感性は面白いと皮肉っていた。


ロベルト・ムージル
「寄宿生テルレスの混乱」
★★★★ムージルの経験が元になった寄宿学校もの。少年同士の虐めと恋愛的感情が扱われる。但し、主人公はそこから一定の距離を置いて常に何かを考えている。未完の大作「特性のない男」のムージルの作品としては大部分は平易で読みやすいが、時々哲学的で難しくなる。


山口 瞳
「江分利満氏の優雅な生活」
★★★“えわけとしみつ” ではない。“えぶりまん” でござる。つまり、どこにもいる人が主人公であるが、山口瞳の分身とは容易に理解できる。僕が幼少期を送った昭和半ば(30年代)の感じが実によく掴めるが、余り詳細に風刺的になると古びるのも速い。映画版も観ました。

「居酒屋兆治」
★★★★こちらも映画版を観たが、詳細は忘れたなあ。映画関係者が映画化したくなる気持ちがよく解る人情噺。連作短編集仕立てながら、一本筋が通っているので、比較的映画化はしやすかったかもしれない。映画版を観ているせいか、主人公には高倉健が頭に浮かぶ。


アルベルト・モラヴィア
「軽蔑」
★★★★ジャン=リュック・ゴダールが映画化するような素材とも思えないが、映画化した。脚本を頼まれた劇作家が主人公なので興味を持ったのかもしれませんな。その劇作家が不仲になって映画製作者に逃げられた妻との関係を延々と綴る。現在としては実に古典的な構成の小説と思う。


クロード・レヴィ=ストロース
「野生の思考」
★★★人類学の古典。序論と結論の哲学的部分は難しい。難しいのは、言語学・音声学関連の専門用語が何の説明もなしに突然現れることを主な理由とする。それを完全に理解した上で読めば形而上学ほどは難しくない。他方、具体的に語られる部分は通常に読める。特に、印象深いのは、呪術と宗教の差は、自然の擬人化と人間の擬自然化との配分の差に過ぎないという部分。言い換えれば、文明と所謂野蛮状態との差は我々“文明人”が思うほど大きくないということだ。


アルフレート・デーブリーン
「ベルリン・アレクサンダー広場」
★★ナチスが台頭したばかりの頃、出所したばかりの若者が下り坂を下るように再び破滅の道を突き進むというお話。つまらなくはないが、地の文と台詞との区別がないなど、全体的に読みにくい。しかもかなり長いので、根性がないと読み終えられないと思う。都市小説とも言われ、全く関係のない市井の人々が描写されるところは「ベルリン・天使の詩」を想起させる。


堀田 善衛
「海鳴りの底から」
★★★島原の乱をテーマにした歴史小説で、宗教一揆より実は百姓一揆の側面が強かったのではないかと読める。森鴎外以降、日本の歴史小説は神の視点を排除して作者が顔を出すことが多いが、本作はプロムナードという前書きでも後書きでもない作品に関する私的な思いを綴った部分と本文とがサンドイッチ状に構成されているところが面白い。作者も認めるように鴎外への抵抗でもあるようだ。


高橋 三千綱
「九月の空」
★★第79回(1978年上期)芥川賞受賞作。剣道に勤しむ高校生の思春期後期らしい女性への想いなどを交えた活動を綴る青春小説。こういうのは自分がその年代に近い時に読むほうが良い気がする。


高橋 揆一郎
「信予」
★★★同じく第79回(1978年上期)芥川賞受賞作。同じ回に二人の高橋が受賞したのがとても面白い。上記作品のネガポジ反転のようなお話で、アラフィフの元教師の未亡人が、かつて関心を持っていた自分の生徒と再会し青春回顧とばかりに関係を結ぶが、それは空しいものでしかない。ピンと来ない感じもするが、ヒロインが亡夫に咎められる気がするとぼけた幕切れが気に入った。


ポール・ギャリコ
「スノーグース」
★★★★★第二次大戦前から最中にかけてのお話。せむしの画家である主人公と少女が負傷した一羽のスノーグース(白雁)により精神的に強く結びつく。抒情詩のように美しく、かつ、悲しい短編小説。常連モカさんの仰るように、なるほど「シベールの日曜日」に通ずる。極めて婉曲的な反戦小説でもあるだろう。

「猫語の教科書」
★★★★猫が猫の為に書いた処世術という体裁だが、勿論、作者による何とも微に入り細を穿った素晴らしい人間行動観察記なのだ。下は、僕が子供の時に可愛がっていた愛猫ルミ(別名ポップ・ニャンコーン)。チョー美形でした。
rumi.jpg

重兼 芳子
「やまあいの煙」
★★★第81回(1979年上期)芥川賞受賞作。火葬場で働く主人公は自分の仕事に誇りを持っているが、嫌われる職業であることを意識して好きになった大女を一旦遠ざける。彼の手で息子を焼かれた中年女は、自閉症の息子との近親相姦を語る。主人公は彼女を引き取り、そこへ大女もやって来て王様気分。というちょっとグロテスクなお話だが後味は良く、77回芥川賞受賞作の「僕って何」の返歌のような感じ。


青野 聰
「愚者の夜」
★★同じく第81回(1979年上期)芥川賞受賞作。海外からオランダ人の妻と共に帰国した青年が、抗しきれずに芽生えて来る祖国への愛着に阻害されて、妻を愛することが出来なくなり離婚を考える。が、不倫を働いた妻に嫉妬して殴り殴り返されたことで日本で家族として生きる気概が生れる。外国人や性愛描写などがいかにも70年代以降の芥川賞受賞作らしい。


森 禮子
「モッキングバードのいる町」
★★★第82回(1979年下期)芥川賞受賞作。戦争花嫁を扱った作品として有吉佐和子の「非色」の面白さに及ばないが、日本人のアイデンティティというテーマを強く打ち出しているところが極めて現代的と言うべきだろう。


尾辻 克彦
「父が消えた」
★★第84回(1980年下期)芥川賞受賞作。亡くなった父親の為に霊園を訪れる中年男性を主人公にしたロード小説のような趣き。過去を挿入しながら進む展開で、作品としてはピンと来ないものの。うまく再構築すれば良い映画になりそう。


ジェームズ・ヒルトン
「学校の殺人」
★★★本格ミステリーとして強力な内容とは言い難いが、やはり「チップス先生さようなら」を書いたヒルトンらしい、専業ミステリー作家とは違う、どこかおっとりした感じが楽しい。主人公の素人探偵が活躍すると思わせておいて本当の探偵(公立探偵=刑事)が解決するというところがひねりだろうか。まあ、ワトソンが主人公になっただけとも言えるが。

この記事へのコメント

モカ
2022年07月01日 14:38
こんにちは。

もうギャリコを読まれましたか! 
1970年頃にBBCでテレビ映画化されたものがYouTubeに上がっています。字幕なしで画像も悪いし5分割されていますがリチャードハリスがピッタリの役どころで良かったです。

他に読んだ事があるのは 梅崎「ボロ屋…」 Gグリーン「おとなしい…」
ディクスンカー 「火刑法廷」(ジョウゴが出てくるやつですよね?)
村上春樹、オースティン「分別と多感」 谷崎、「アラバマ物語」
アンタイラー「偶然の旅行者」

「異邦人」これは一般教養のフランス語の課題だったので読みました。
原書と120円(笑)の新潮文庫を突き合わせで3回位読んでほぼ暗記してしまいました。若いって稀に凄いパワーが出るもんですね。今となっては1行目の「オウジュウルデュイ ママン エ モルト」しか思い出しませが。
「今日ママンが死んだ。いや昨日かもしれない」でしたか?

「野生の思考」これは誰か人類学の先生について読まないと難しいですね。学生時代に挑戦しましたが…

今アンタイラーの新作「この道の先に、いつもの赤毛」を読み出した所です。
そういえば最近「語りなおしシェイクスピア」というシリーズが出ていますがご存じですか? 世界のベストセラー作家がシェイクスピアの名作を語り直すというシリーズでアンタイラーが「じゃじゃ馬ならし」を担当しています。何で「じゃじゃ馬ならし」を選んだかと言うのが「シェイクスピアで一番嫌いな作品だから」ですって!
面白い。
オカピー
2022年07月01日 21:43
モカさん、こんにちは。

>もうギャリコを読まれましたか!

本文にも書いたように、現在は大分フリーになりまして、割合早く取り組めます。ましてギャリコは短いですからね^^v

>1970年頃にBBCでテレビ映画化されたものがYouTubeに上がっています。

ありました。
少女役が、売り出し中のジェニー・アガター!

>「火刑法廷」(ジョウゴが出てくるやつですよね?)

そうですね。早くも忘れかけていますが(笑)

>「異邦人」これは一般教養のフランス語の課題だったので読みました。
>原書と120円(笑)の新潮文庫を突き合わせで3回位読んでほぼ暗記

それは凄い。
そう言えば、僕も第二言語の英語で、スタインベックの中編「真珠」で似たようなことを。英語なのでそこまで一生懸命はやりませんでしたが。
講師も和訳の存在を知っていて、誤訳の部分を指摘していましたなあ。

>「野生の思考」これは誰か人類学の先生について読まないと難しいですね。

モカさんが人類学とか民族学とかお好きそうな印象があるので、モカさんの名前が頭を過ぎりながら読んでいましたよ(笑)

>アンタイラーの新作「この道の先に、いつもの赤毛」を読み出した所です

世には無数の本があるわけですから、ブッカー賞も選択の基準となりますね。ゴンクール賞とか。

>語りなおしシェイクスピア」というシリーズが出ていますがご存じですか?

いや、ご存知ではありません(笑)
舞台や背景を変えての翻案ですね。いまだに音楽界で一番wikiへのアクセスが多いというビートルズも凄いと思うけど、シェイクスピアも凄いな。
2022年07月03日 16:14
「ボロ屋の春秋」
これ、私は筑摩書房の文庫で読みましたが中野翠の後書きが的を得ていて面白かったです。リンクがリンクしないので(泣)タイトルと中野翠で検索してみて下さい。
 「寸止めの極意」!
梅崎のこの手の話で映画になったのがあったとか?
この「ボロ屋…」も映画にしたら面白かったでしょうね。
配役は森繁久彌、渥美清あたりでどうでしょう? 豪華すぎますか?

村上春樹 「風の歌を聴け」
 鼠が小説を… ? 
いやぁすっかり忘れています。細かい事ですが「ジェイクバー」ではなくて「ジェイズバー」です。
「J‘s Bar 」この名前のバーが当地だけでも2、3軒はあるかもです。
行ったことはないので由来の程は分かりませんが。

三部作の最後の「羊をめぐる冒険」(鼠の運命がえらいことになります!)に、いるかホテルというのが出てきますが、当地左京区に夜は「いるかバー」昼間は「いるか喫茶」というのがありまして、ここは正真正銘村上春樹が大好きな店主のお店です。

初期春樹本には暗号のようにロックやポップスはたまた古いジャズタイトルまでがいっぱい出てきますね。解説本やCDまで出ているとか…いやはや…じゃなくて、やれやれ…私なども「1973…」にビックスバイダーベックやミルドレッドベイリーの名前が出てきたらうれしかったですよ。音楽の好みが時流に反して古い方へ行ってしまって孤独でしたからこういうのは嬉しかったです。

文体はチャンドラーに止まらず、ヘミングウェイ、ボネガット、アーヴィング、フィッツジェラルド etc
「1973年のピンボール」と言うタイトルは大江の「万永元年のフットボール」へのオマージュ? or 当てつけ? との推測もありました。

とにかくこの人はやたらとあっちこっちからネタを引っ張ってきますね。
こういうのも分かる人だけに分かってもらえたら良いというか、共通認識のある友達への目配せとも取れますね。(本人がどこかでそう言ってた記憶があります)

余談ですがバイダーベックの映画「ジャズミーブルース」にも演奏場面が出てくる(56分過ぎ、早速観ました!) “somebody stole my gal” が、当時の流行歌で色んなバンドが演奏しています。これのPee Wee Hunt バージョンはある年齢までの関西人はほぼ皆んな知っているお馴染みの曲なのです。モカちゃんも幼少の頃から最低週に一回は聴いていました。「はい、なぜでしょうね〜」答えはPee Wee Huntとタイトルで検索してみて下さい。
モカ
2022年07月03日 16:16

すいません。名無しでした。
オカピー
2022年07月03日 22:24
モカさん、早速有難うございました。

>「ボロ屋の春秋」
>中野翠

わが校のキーワードが翠巒(すいらん)です。進学校のくせに毎年熱を入れ過ぎるくらいやっている文化祭の名称が“翠巒祭”です。
だから、翠という感じには親しみがあります。
全く関係ない話でした(笑)

>梅崎のこの手の話で映画になったのがあったとか?

幾つかあるようですよ。

>この「ボロ屋…」も映画にしたら面白かったでしょうね。
>配役は森繁久彌、渥美清あたりでどうでしょう? 豪華すぎますか?

実は佐田啓二主演で映画されたようです。あらま。

幻想映画館では、画家という感じは薄いですが、画家に渥美清、後からやって来る嫌味のある男に森繫久彌でしょうね。

>村上春樹 「風の歌を聴け」
>鼠が小説を… ? いやぁすっかり忘れています。

最初は読むことさえしなかった鼠が突然マニアになって、本まで書き出すんですよ。

>細かい事ですが「ジェイクバー」ではなくて「ジェイズバー」です。

あらら。僕は多分ジェイクバーと勝手に読んでいたようです(笑)

>大江の「万永元年のフットボール」へのオマージュ? or 当てつけ? との推測もありました。

そうらしいですね。
正しくは「万延元年のフットボール」です^^

> “somebody stole my gal”
>Pee Wee Hunt バージョンはある年齢までの関西人はほぼ皆んな知っているお馴染みの曲なのです。

吉本新喜劇! 関東人の僕でも知っていますがな^^

昔、NHK-BSが深夜の衛星映画劇場のテーマ曲がデーヴィッド・ボウイの70年代(テクノ時代)後半の曲でした(題名は思い出せまんが)
NHK-FMが午後6時から放送した洋楽番組の主題曲がMJQの何かの曲だったような気がします。1980年12月8日この番組でジョン・レノンの暗殺を知りました。やっと復帰したと思ったのに。
モカ
2022年07月04日 11:11
⭐︎ジェイクバー⭐︎
 ブルースブラザーズのジョンべルーシの役名がジェイクブルースでしたね。
 「ジェイクバー」いいかも ^_^
 昔はどんな音楽が好きかと聞かれたら「ブルースブラザース」で鳴ってるようなのが好き、と答えておくのが手っ取り早かったのですが、今でも通じますかね? 
 (セロニアスモンクやらエディットピアフやらドアーズやらバッハやらと言い出したら収集つきませんものね。ただニーナシモン派なのでブルースブラザーズといえばアレサと思われるのは不本意ですが心配しなくても誰もそこまで推測しませんけど。)
 最近べルーシのドキュメンタリー映画が公開されたらしいですね。

万延元年でした。何だか字面が物足りないとは思ったのですが…

ボロ屋の春秋 脳内映画化の件
 渥美清、昔TVで宗方志功を演ってましたが似合ってましたよ。奥さん役が十朱幸代でした。
オカピー
2022年07月04日 20:42
モカさん、こんにちは。

>ブルースブラザーズのジョンべルーシの役名がジェイクブルースでしたね。
>「ジェイクバー」いいかも ^_^

ペコリです。

>「ブルース・ブラザーズ」
>今でも通じますかね? 

現在60歳以上の方なら、でしょうか^^
日本はそれほどでもないですが、フランスなど若い人はラップしか聴かないそうです。ロックすら既に過去の音楽。いやはや。

>最近べルーシのドキュメンタリー映画が公開されたらしいですね。

噂には聞いております。

>渥美清、昔TVで宗方志功を演ってましたが似合ってましたよ。奥さん役が十朱幸代でした。

1971年!
素晴らしい役者ですから、寅さんのイメージで言ってはいけないですね。
mirage
2024年01月08日 22:52
こんばんは、オカピーさん。

オカピーさんの読書録を読んでいたら、グレアム・グリーンの「おとなしいアメリカ人」がありましたので、コメントしたいと思います。

「おとなしいアメリカ人」であるパイルはなぜ殺されたのか。
そして、フォンの気持ちは。
その2つの流れが、インドシナ戦争下のサイゴンの街を舞台に描かれていきますね。

どのような理由があろうとも、それがたとえ正義であろうとも、人を殺す免罪符とはならないはず。
それは今までの戦争を見ていても分かることです。
それでもアメリカは今も昔も、正義をかかげて他国を攻撃し続けています。

こういう作品をグレアム・グリーンが書いたのが、まだベトナム戦争すら始まっていない頃だったというのが驚きですね。
この作品以降、ベトナム戦争、冷戦終結、イラン・イラク戦争やアフガン侵攻など色々な出来事がありましたが、アメリカは常にアメリカ。

この作品が書かれた時代に、リアルタイムで読むよりも、今読んだ方が色々と伝わってくるものがあるかもしれません。

そして今尚、大統領自らが、正義をふりかざすことが国民に容認されているアメリカですが、様々なことを計算しているであろう大統領よりも、実はパイルのような理想に燃えた男の方が、タチが悪いのかもしれないと感じてしまいました。

もちろん、アメリカにも戦争反対という人間は多くいるでしょうし、実際に戦闘に参加する時は、自分の役割だと割り切らないとやっていられないという人も多いでしょう。
しかし、そういった人々とは対照的に、ヨーク・ハーディングの本に傾倒しているパイルは、自らの意思で正義を行っていると信じて行動しています。

とは言え、それは恐らく、彼の純粋な意思によるものではないのです。
恐らくファウラーが言うように、「パイルに金とヨーク・ハーディングの東亜問題の著書とを渡して、『やれ。デモクラシーのために、アジアを手に入れろ』と言った」人間がいたのでしょう。

あまりにさりげなく巧妙に行われたため、パイルは自分の意思をいつの間にか刷りかえられているのに気付いていないのでしょうね。
上の人間は、そんなパイルを、ほんの少し調整するだけでいいのです。

それだけで、パイルのような若者は、上が望むように自ら動き、上は自らの手を汚さずに済むのですから、上にとってこれほど楽なことはありません。そんなパイルの純粋さ、無邪気さが、とても哀しいです。

そして冒頭、パイルを待っているファウラーが「パイルはひどくムキな男で-------よく悩まされたものだ」と回想しています。
パイルが死んでいると知らされる前に、なぜこのような書き方なのかと思っていたのですが、やはりファウラーには予感があったんですね。
オカピー
2024年01月09日 20:06
mrageさん、こんにちは。

>グレアム・グリーンの「おとなしいアメリカ人」
>アメリカは常にアメリカ。

インドシナ戦争では当事国ではなく、当事国のフランスを支援する形で与しましたアメリカ。

そして、21世紀委になってアメリカは世界の警察を止めると宣言しましたが、民主党政権であれば大きな事件があれば今後も口を挟まないではいられないでしょう。
 しかし、共和党政権特にトランプ政権が再び誕生すれば、トランプの意図とは反対に、アメリカは最終的にもっとダメな国になるでしょう。トランプは<情は人の為まらず>という事を知りませんから。今彼を支持している人たちも、EUを抜けたいイギリスのように“へたこいた”と思うでしょう。
 世界は益々混乱するでしょうね。
mirage
2024年01月09日 22:46
こんばんは、オカピーさん。

谷崎潤一郎の「痴人の愛」の紹介をされていましたので、感想を述べてみたいと思います。

"耽美主義の作家・谷崎潤一郎の観念や美意識が生み出した魔性の女ナオミ"

作家の三島由紀夫は、彼の著書「作家論」の中で、谷崎潤一郎の耽美主義的傾向の一連の作品、「痴人の愛」のマゾヒズム、「卍」のレスビアニズム、「秘密」のトランスフェティシズム、「金色の死」のナルシシズムなどについて、「氏の小説作品は、何よりもまず、美味しいのである。支那料理のように、凝りに凝った調理の上に、手間と時間を惜しまずに作ったソースがかかっており、ふだんは食卓に上がらない珍奇な材料が賞味され、栄養も豊富で、人を陶酔と恍惚の果てのニルヴァナへ誘い込み、生の喜びと生の憂鬱、活力と頽廃とを同時に提供し、しかも大根のところで、大生活人としての常識の根柢をおびやかさない。氏がどんなことを書いても、人に鼻をつまませる成行にはならなかった。」と書いています。

私はこの三島の谷崎論の中で語られている、"陶酔と恍惚"と、"生の喜びと生の憂鬱"と、"活力と頽廃"という言葉が、谷崎の一連の耽美主義的傾向の作品のキーワードになるのではないかと思っています。

「私はこれから、あまり世間に類例がないだろうと思われる私たち夫婦の間柄について、できるだけ正直に、ざっくばらんに、ありのままの事実を書いてみようと思います。それは私自身にとって忘れがたい貴い記録であると同時に、おそらくは読者諸君にとっても、きっと何かの参考資料となるにちがいない。殊に、この頃のように、日本もだんだん国際的に顏が広くなって来て、内地人と外国人とが盛んに交際する。いろんな主義やら思想やらが入ってくる。男は勿論女もどしどしハイカラになる、というような時勢になってくると、今まではあまり類例のなかった私たちの如き夫婦関係も、追い追い諸方に生じるだろうと思われますから。-----」

主人公の"私"が、このように語り出すところから、この小説「痴人の愛」は始まります。

この長編小説の全体が、主人公である"私"が語る話という形態をとっていますね。
主人公の名前は河合譲治、月給百五十円をもらっている電気会社の技師で、当時28歳の青年です。
質素で堅実で真面目な、田舎育ちの純朴な青年です。

今まで異性との交際など、全く経験がなく、趣味といえば"活動写真"を観るくらいの、そんな堅物の男の前に、浅草のカフェーの女給見習いだった、数え年15のナオミが現われるという事になります。
この主人公が、自分の懺悔話を語っている現在から、8年前の事です。

顔立ちがアメリカの映画女優のメリー・ピクフォードに似ていて、日本人離れのしたところが、気にいったと言うのです。
彼はこのナオミを引き取って、西洋人の前に出しても、肉体的な魅力において、ひけをとらないような、自分の好みの女性に仕立てあげる事に熱中していきます。

増村保造監督の映画「痴人の愛」でも、主人公の譲治とナオミとの関係を、象徴的に表す場面として表現された事でも有名な、自分が馬になり、ナオミを背中に乗せて、部屋の中をはい回るような狂態もしでかすようになります。

譲治のあらゆる計画を凝らした刺激によって、ナオミは自分の中にある"娼婦性"に目覚め、みるみる、その肉体というものが、妖しい魅力を発散するようになり、彼女自身もまた、マントの下に一糸もまとわないというような、奔放で大胆な行動に出るようになります。

譲治はナオミの肉体の魔性の魅力に酔いしれ、彼女の淫靡な支配に甘んじてしまう事に、無上の喜びを感じるようになっていくのです。
この二人の関係を描写する谷崎の筆は、甘美的でもあり、優美でもあり、とにかく谷崎の美意識、美学が見事な文体を駆使して表現されていて、その官能美の世界に魅了されてしまいます。

やがて、彼らは夫婦になりますが、ナオミはその"娼婦性"の赴くままに、次々と他の男と関係が出来て、譲治を悩ますようになってきます。
そして、彼はナオミと別れようと努めるのですが、その魅力の呪縛から逃れようがなく、屈辱的とも言える同棲を続け、親からもらった遺産を、ナオミの好みの生活に注ぎ込み、その"娼婦的な生活"の保護者としての役割に、むしろ"生き甲斐"というものを、自分の心の中に見い出すようになっていきます。

この自虐的で自嘲的な、譲治のナオミに対する、精神の在り様、関係性を、谷崎は心憎いほどの精緻な人間凝視の眼で、華麗で絢爛たる筆致で描き尽くして、見事というしかありません。

「これを読んで、馬鹿々々しいと思う人は笑って下さい。教訓になると思う人は、いい見せしめにして下さい。私自身は、ナオミに惚れているのですから、どう思われても仕方がありません。ナオミは今年二十三で、私は三十六になります。」

こういう主人公"私"の告白で、この小説は終わっています。

女がひとたび、自分の持つ魔性の性的魅力を自覚するにつれて、男に対して支配する力を発揮し、男はそれに屈辱的に甘んじるしかなく、場合によっては、男を"破滅"まで追い込んでいきかねません。

考えてみれば、このような男女の、ある意味、倒錯した関係は、谷崎が処女作の「刺青」以来、好んで描いてきたテーマでもあり、その後の名作「春琴抄」の春琴と佐助にも相通じるものがあるような気がします。

人間というものは、いくら高尚ぶったところで、性の荒々しい暴力の前では、引きずり回される存在だという"観念"は、谷崎潤一郎という作家にとっては、彼の"作家的な美意識、美学の核"をなすもので、彼の作品の大部分は、この"観念"から生み出されたものだと思います。

なぜならば、この事は主人公の譲治を、わざわざ、生真面目な堅物にしている事からも明らかだと思います。
世之介のような、生まれながらの好色な男とは全く違います。
そして、女の魔性の妖しいまでの性的魅力に溺れ、その屈辱的な犠牲になりながら、むしろそれを男の何物にも代えがたい"幸福"と考えているところに、この谷崎という作家の本質があるのだと思います。

つまり、"ナオミ"という妖しいまでの魔性の性的魅力を持つ女を創り出したのは、あくまでも、作家・谷崎潤一郎の"観念"の産物なのです。

そして、人間というものは、性の荒々しい暴力に、無惨に引きずり回されている存在にすぎないという"観念"を、もっと徹底的に追求し、展開し、実験的な作品として完成したのが、「卍」という作品だと思います。

三島由紀夫が言うところの、女性のレスビアニズムを、当事者のひとりである、大阪生まれの女性が告白するという形態の小説ですが、この小説には谷崎潤一郎の人間存在についての"観念"が、異常ともいえる状況の中で、更にもっと深化して、徹底的に描かれているのです。
オカピー
2024年01月10日 19:04
mirageさん、こんにちは。

>顔立ちがアメリカの映画女優のメリー・ピクフォードに似ていて

昔の小説には、欧米の映画俳優が色々と出てきますね。
フランスではダニエル・ダリューの登場頻度が高いです。

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