映画評「空白」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2021年日本映画 監督・吉田恵輔
ネタバレあり

望み」ほど実験台的ではないが、「望み」より実験台的インパクトが強い。テーマは善意・悪意、通奏低音は不寛容であろうか(あるいはその逆か)? そして、そこにどの人も決して完全ではないという人間への洞察が浮かび上がる。

女子高生・伊東蒼がスーパーで万引きの疑いをかけられて逃走の末に、最初は乗用車に撥ねられ、続いてトラックに轢かれて亡くなる。妻・田畑智子と離婚し、その少女を一人育てて来た漁師の父親・古田新太は、色々な疑惑に駆られ学校にモンスターペアレント的に押しかけて虐めがなかったか学校側に詰め寄り、直接的原因を作ったスーパーの青年店長・松坂桃李をストーカー的に追いかける。彼が何度謝っても許そうとしない。
 そこに輪をかけるのが、例によってTVの興味本位の報道である。松坂店長は謝罪したところをカットされ悪役扱いされ、学校では生徒の思いつきで言ったような痴漢疑惑まで古田氏に伝えられる。これで益々偏執狂的になった彼に追い込まれた松坂は遂に店を畳むことにする。
 しかるに、この辺りから古田氏の心境も変わっていく。その契機は、一つが別れた妻の "あなたは娘の何を知っているの?” という一言であり、一つが自殺した事故車の運転手の母親・片岡礼子の謝罪の中に現れた娘を思う親心である。
 やがて、工事現場の旗振りをしていた松坂は古田氏の落ち着いた現状を見(るがその気持ちを察し切れず謝るしかない)、また昔の常連客からそこはかとなく励まされる。
 古田氏は娘を知ろうと絵を描いたり(娘は美術部所属)、彼女が愛読していた漫画を読んだりする。そして、教師から届けられた絵に思わぬ発見をし、すっかり平和な気持ちを取り戻す。

店長を積極的に励まし、彼こそ被害者であるとビラを配って訴えるベテラン店員寺島しのぶの存在が重要である。
 町のボランティア活動にも積極的な彼女の善意は、しかし、店長には重すぎるのである。迷惑と思うわけには行かないが、逃げ場を失って却って苦しめるのである。その意味で、彼にとって周囲をうろついて暴言を吐く古田氏と大して変わらない。この映画を理解する上で非常に大事な点と思われる。
 彼女が古田氏と大して変わらないことを示す描写は、彼女を補佐するボランティアの女性に対する激しい叱咤によく現れている。その発生する引き金が違うだけで、不寛容である点で二人に何の違いがあるのかと、恐らく映画は暗示しているのである。
 普段は謙譲的な松坂が些細なことに怒りを爆発させる場面があり、不寛容の問題を照らし出すが、寺島しのぶに比べると大きな意味はない。

Allcinemaに交通事故当事者(実話?)への配慮が足りないとして本作を断罪する人がいるが、正に寺島しのぶの犯した間違いをそのまま繰り返していると言うべし。その善意が当事者にとって善意に取られるとは限らないし、同時に実験装置としての映画に対して余りに不寛容である。実験台たる劇映画をジャーナリズムと同じスタンスで批判することはできない、と僕は思う。それを言い始めたら、実話ではなくとも、事故、事件、病気、障碍、等々について何も表現できなくなる。

気分を変えましょう。
 映画的にハッとさせられたのが、松坂桃李の自殺(未遂)と乗用車運転手の自殺を一つの電話で結び付けた鮮やかさである。吉田恵輔監督、やりますな。
 しかし、作劇上のかかる工夫が色々あって見応えがある一方、そこに作り過ぎの感を覚え、少し減点したくなる気持ちも禁じ得ない。

ニーチェが「善悪の彼岸」で、 こう言っている。 “思い上がった善意というものは、悪意のようにみえるものだ”と。 この映画の寺島しのぶの女性のそれを “思い上がった善意” とは言わないが、近い気がする。

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