映画評「ファーザー」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2020年アメリカ映画 監督フロリアン・ゼレール
ネタバレあり
認知症を描いた作品はここ四半世紀の間にかなり作られたが、本作のようなアングルで作られたのは恐らく初めてであろう。技術的にも面白いことに、認知症を患う人の客観的主観映像(主観的客観映像と言っても良い)をベースにしているのだ。
インテリを自任する老人アンソニー・ホプキンズが、自分の面倒を見て来た娘オリヴィア・コールマンが、大分前(10年前?)に離婚した後初めてその気になった男に付いてパリに行くと聞いて大混乱する。
次に現れた時の娘は別人オリヴィア・ウィリアムズで、離婚したはずの夫までいる。この時の夫はマーク・ゲイティスであるが、多くはルーファス・シーウェルとして登場する。また、新しい介護婦は妙齢のイモジェン・プーツだが、最後に出て来た時はオリヴィア・ウィリアムズである。
これが見たままを書いたストーリーであるが、このうちの一部は認知症が進み行くホプキンズの主観である。本人が映っているのから客観映像に見える為にややこしくなり、観客も最後の20分くらいまでは混乱するが、終わって見ればよく区別できる。
つまり、同一俳優が二役として演じる家族(が出る場面)は彼の混乱した主観である。そして、そのことから、二役を演ずるオリヴィア・ウィリアムズとマーク・ゲイティスは老人ホームの職員でもあるから、本当の娘はオリヴィア・コールマンであるということが解り、かつ、映画の現在は彼が老人ホームにいる最後の部分ということも解る。
本物の娘がパリに行く方向で繋がっている一連のお話は観客の為に巻き戻された過去の物語で、老人ホームの場面に至って初めて現在に追いつく。ルーファス・シーウェルが本当の婿であるが、老人の頭では時間軸も全く整理されないから、いないはずの彼が現れる。
夫婦の語ったことは実際にあったものであろう。イモジェン・プーツは亡くなった次女で、こちらは施設職員とは逆に、彼の頭の中で自身の家族が他人として登場していると理解するのが妥当。
脚色・監督もやっているフロリアン・ゼレールの戯曲のレベルでの完成度もさることながら映画の特徴(映像の主観・客観)を良く生かすように調整された脚色が秀逸、なるほど認知症の患者から見た世界はこんな感じなのだろうと非常に感心させられた。
そして、ホプキンズの演技はアカデミー主演男優賞に価する充実ぶり。
パリに向かう前の娘が施設から出た後の彼女の心情を沈潜させた、トラックバックなどするカメラワークを筆頭に、画面も充実しているものの、やはり病気ものには惚れ込み切れない。
僕の一族に認知症になった人はいない。僕は、いつも頭を使っているお前は認知症にならないだろうとよく言われたが、純然たる病気の認知症はそれとは関係あるまい。そうならないように祈るしかない。
2020年アメリカ映画 監督フロリアン・ゼレール
ネタバレあり
認知症を描いた作品はここ四半世紀の間にかなり作られたが、本作のようなアングルで作られたのは恐らく初めてであろう。技術的にも面白いことに、認知症を患う人の客観的主観映像(主観的客観映像と言っても良い)をベースにしているのだ。
インテリを自任する老人アンソニー・ホプキンズが、自分の面倒を見て来た娘オリヴィア・コールマンが、大分前(10年前?)に離婚した後初めてその気になった男に付いてパリに行くと聞いて大混乱する。
次に現れた時の娘は別人オリヴィア・ウィリアムズで、離婚したはずの夫までいる。この時の夫はマーク・ゲイティスであるが、多くはルーファス・シーウェルとして登場する。また、新しい介護婦は妙齢のイモジェン・プーツだが、最後に出て来た時はオリヴィア・ウィリアムズである。
これが見たままを書いたストーリーであるが、このうちの一部は認知症が進み行くホプキンズの主観である。本人が映っているのから客観映像に見える為にややこしくなり、観客も最後の20分くらいまでは混乱するが、終わって見ればよく区別できる。
つまり、同一俳優が二役として演じる家族(が出る場面)は彼の混乱した主観である。そして、そのことから、二役を演ずるオリヴィア・ウィリアムズとマーク・ゲイティスは老人ホームの職員でもあるから、本当の娘はオリヴィア・コールマンであるということが解り、かつ、映画の現在は彼が老人ホームにいる最後の部分ということも解る。
本物の娘がパリに行く方向で繋がっている一連のお話は観客の為に巻き戻された過去の物語で、老人ホームの場面に至って初めて現在に追いつく。ルーファス・シーウェルが本当の婿であるが、老人の頭では時間軸も全く整理されないから、いないはずの彼が現れる。
夫婦の語ったことは実際にあったものであろう。イモジェン・プーツは亡くなった次女で、こちらは施設職員とは逆に、彼の頭の中で自身の家族が他人として登場していると理解するのが妥当。
脚色・監督もやっているフロリアン・ゼレールの戯曲のレベルでの完成度もさることながら映画の特徴(映像の主観・客観)を良く生かすように調整された脚色が秀逸、なるほど認知症の患者から見た世界はこんな感じなのだろうと非常に感心させられた。
そして、ホプキンズの演技はアカデミー主演男優賞に価する充実ぶり。
パリに向かう前の娘が施設から出た後の彼女の心情を沈潜させた、トラックバックなどするカメラワークを筆頭に、画面も充実しているものの、やはり病気ものには惚れ込み切れない。
僕の一族に認知症になった人はいない。僕は、いつも頭を使っているお前は認知症にならないだろうとよく言われたが、純然たる病気の認知症はそれとは関係あるまい。そうならないように祈るしかない。
この記事へのコメント
こういう映画を認知症患者予備軍(私ですが)が観ると脳内が大混線しました。
ここでのアンソニーホプキンスといい「ネブラスカ」のブルースダーンといい、素のままなのか演技なのか分からない所がありますね。
こちらはほぼ室内劇だったのでまだ安心でしたがブルースダーンは道で倒れるんじゃないかとハラハラしましたよ。
>脳内が大混線
最後まで観ると整理される作り方ですが、確かに妙な気分になってきますよね。
>素のままなのか演技なのか分からない所がありますね。
そうそう。食えない親父(笑)・・・ちと表現が違うか。
>「ネブラスカ」
>ブルースダーンは道で倒れるんじゃないかとハラハラしましたよ。
確かに。しかし、あの映画、好きでした。
「ネブラスカ」良かったですね。最後に吐露されるお父さんの思いに涙が出ました。
先日のMr.ノーバディさんが息子の1人で出演していたらしいですが、当然全く記憶にありませんが…
>最後に吐露されるお父さんの思いに涙が出ました。
全く。
ニューシネマ以降のアメリカ映画では、家族を描いた一番素晴らしい作品ではないかと、当時ボクは思いましたデス。他にもあるでしょうが。