映画評「そして、バトンは渡された」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2021年日本映画 監督・前田哲
ネタバレあり
瀬尾まいこの本屋大賞受賞作の映画化。本屋大賞のトップ10に入れば、他のメディア展開が多くなり、内容次第では映画化もされる。実際1位の作品は相当の確率で映画化されている。
高校生の優子(永野芽郁)は、母親が数年前に出て行った後も、その再婚相手の森宮壮介(田中圭)と仲良く暮らしているが、必ず“森宮さん”と敬称で呼んでいる。料理上手の彼に倣って料理学校への進学を決心しているが、実はピアノ演奏も好きで、同級生のピアノ秀才・早瀬(岡田健史)に憧れている。彼は母親が型にはめようとするのを嫌ってロッシーニのように料理も学ぼうとし、優子と意気投合する。
片や、みぃたんという泣き虫の中学年小学生(稲垣来泉)は、物心つく前に亡くなった母親に代わって、父親(大森南朋)が迎えた新しい母親・梨花(石原ひとみ)になつく。が、父親は会社を辞めてコーヒー作りの為にブラジルに行くと言い出す。結局みぃたんは新しい母と日本に残る道を選ぶ。
ところが、この母は彼女が周囲に影響されてピアノが弾きたいと言い出すと、ピアノを持つ老富豪の泉ヶ原(市村正親)と再婚、ある時突然消える。そして戻って来ると、東大出の男と再婚を決めたと言う。
上映時間の丁度半分が経ったここで、映画はこの二組に関して種明かしをする。つまり、みぃたんが優子であるという事実。従って、梨花が最後に結婚すると決めた東大出の男が森宮壮介である。
ピアノが好きであるとか、母親がいないといった共通点があるので、容易に想像が付くのであるが、こういう映画を楽しむには余りに勘を働かせないことが肝心(と、その直前まで二人を別人と考えていた僕は強がりを言う)。
それは極論にしても、勘の良くないことが結果オーライの作品であると言うのは過ちではないだろう。
それにしても梨花という女は風来坊でなっちょらん、と怒る方の為に、映画は実は愛情たっぷりである彼女の真の姿を示していく。
この二段構えの種明かし部分後半の扱いについて大部分は伏線を上手く使っていると思うと同時に、伏線を利かせすぎて嫌味に感じられるところがある。原作は知らないが、映画版は匠気が出過ぎているということである。
現実の厳しさを教えるのも映画ならば、夢を見させてくれるのも映画である。後者の多くは大衆映画と呼ばれるわけで、現実が厳しいからこそ、現実とは対照的な出来た人間ばかりが出てくる映画を僕は必ずしも否定しない。この手の作品は現実的であるかどうかより、登場人物が生き生きしているか否かが大事と言うべし。ジャンルはドラマでも、事実上のファンタジーと理解すればよろし。
本作も、通俗的と言えば通俗的ながら、ファンタジーとしてなかなか考えられたストーリーであると思う。ただ、褒め切れないのは、最後のお涙頂戴部分が余りにも紋切型だからである。
映画鑑賞はフレキシブルであることが肝要。そうすれば好きな映画がどんどん増える。
2021年日本映画 監督・前田哲
ネタバレあり
瀬尾まいこの本屋大賞受賞作の映画化。本屋大賞のトップ10に入れば、他のメディア展開が多くなり、内容次第では映画化もされる。実際1位の作品は相当の確率で映画化されている。
高校生の優子(永野芽郁)は、母親が数年前に出て行った後も、その再婚相手の森宮壮介(田中圭)と仲良く暮らしているが、必ず“森宮さん”と敬称で呼んでいる。料理上手の彼に倣って料理学校への進学を決心しているが、実はピアノ演奏も好きで、同級生のピアノ秀才・早瀬(岡田健史)に憧れている。彼は母親が型にはめようとするのを嫌ってロッシーニのように料理も学ぼうとし、優子と意気投合する。
片や、みぃたんという泣き虫の中学年小学生(稲垣来泉)は、物心つく前に亡くなった母親に代わって、父親(大森南朋)が迎えた新しい母親・梨花(石原ひとみ)になつく。が、父親は会社を辞めてコーヒー作りの為にブラジルに行くと言い出す。結局みぃたんは新しい母と日本に残る道を選ぶ。
ところが、この母は彼女が周囲に影響されてピアノが弾きたいと言い出すと、ピアノを持つ老富豪の泉ヶ原(市村正親)と再婚、ある時突然消える。そして戻って来ると、東大出の男と再婚を決めたと言う。
上映時間の丁度半分が経ったここで、映画はこの二組に関して種明かしをする。つまり、みぃたんが優子であるという事実。従って、梨花が最後に結婚すると決めた東大出の男が森宮壮介である。
ピアノが好きであるとか、母親がいないといった共通点があるので、容易に想像が付くのであるが、こういう映画を楽しむには余りに勘を働かせないことが肝心(と、その直前まで二人を別人と考えていた僕は強がりを言う)。
それは極論にしても、勘の良くないことが結果オーライの作品であると言うのは過ちではないだろう。
それにしても梨花という女は風来坊でなっちょらん、と怒る方の為に、映画は実は愛情たっぷりである彼女の真の姿を示していく。
この二段構えの種明かし部分後半の扱いについて大部分は伏線を上手く使っていると思うと同時に、伏線を利かせすぎて嫌味に感じられるところがある。原作は知らないが、映画版は匠気が出過ぎているということである。
現実の厳しさを教えるのも映画ならば、夢を見させてくれるのも映画である。後者の多くは大衆映画と呼ばれるわけで、現実が厳しいからこそ、現実とは対照的な出来た人間ばかりが出てくる映画を僕は必ずしも否定しない。この手の作品は現実的であるかどうかより、登場人物が生き生きしているか否かが大事と言うべし。ジャンルはドラマでも、事実上のファンタジーと理解すればよろし。
本作も、通俗的と言えば通俗的ながら、ファンタジーとしてなかなか考えられたストーリーであると思う。ただ、褒め切れないのは、最後のお涙頂戴部分が余りにも紋切型だからである。
映画鑑賞はフレキシブルであることが肝要。そうすれば好きな映画がどんどん増える。
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