映画評「街の風景」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
1931年アメリカ映画 監督キング・ヴィダー
ネタバレあり
戦前の映画を僕は相当観ているが、これは未鑑賞。今回鑑賞したプライム・ビデオにはまだまだ未鑑賞の古い映画がある。必ずしも価値の高いものとは限らないものの、少しずつ観ていこう。
真夏の暑い夕方。ニューヨーク下町のアパートの玄関前で、住人たちが出入りして色々と騒がしく、話している。意地の悪そうな中年女性エマ・ジョーンズ(かなり老け顔だが演じた当時40歳くらい)が、四人家族の主婦エステル・テイラーが牛乳屋ラッセル・ホプトンと仲良くしていると批判的に噂している。彼女は夫君デーヴィッド・ランドーに優しさを見せられることもなく寂しさをかこち、牛乳屋との逢瀬で鬱憤を晴らしているのだ。
その娘シルヴィア・シドニーは上司からちょっかいを出されそうになるが、好きなのは階下のユダヤ人青年ウィリアム・コリヤー・ジュニア。エマ以下ユダヤ人を嫌う住人が少なくない。
ある時ランドーが出張すると称して家を空ける。エステルは時間的余裕があると思ってホプトンを中に入れる。恐らく噂を聞いたランドーが彼女に罠をかけたのだろう、程なく戻って来て拳銃をぶっ放す。青年は即死、エステルも病院で息絶える。
シルヴィアは同地を出ていくという念願を実行に移し、町を出ていく。
舞台は終始アパートの玄関前で、舞台劇の映画化と容易に知れる作り方が為されている。場所を殆ど動かさないことを逆手に取って、キング・ヴィダーは相当映画的な映画にした。
何が素晴らしいかと言えば、人や車の出入りの見せ方である。観劇では全体を見ることになるが、もっと微視的になる映画の効果を生かしている。例えば、車が左から右に通り過ぎると、右から左へやって来る人がフレームインする。あるいは、右から左に車が通り過ぎると、今度はドアが開いてアパートから人が出てくる。この呼吸が実によく、僕はゴキゲンになってしまった。
お話の動きは少ないが、人々の性格を点出し、後半の動的な展開に備えて布石を敷く前半こそ、こうした出入りの面白味を織り交ぜて推移する為に、楽しめると言わなければならない。後半も出入りの面白味は続くが、劇的な展開の前に影が薄くなる。後半の方が面白いと思う人は、お話しか追っていないのである。
いずれにせよ、文字通り市井の人々を描いた佳作と言うべし。
尾崎豊に同名の歌がありました。
1931年アメリカ映画 監督キング・ヴィダー
ネタバレあり
戦前の映画を僕は相当観ているが、これは未鑑賞。今回鑑賞したプライム・ビデオにはまだまだ未鑑賞の古い映画がある。必ずしも価値の高いものとは限らないものの、少しずつ観ていこう。
真夏の暑い夕方。ニューヨーク下町のアパートの玄関前で、住人たちが出入りして色々と騒がしく、話している。意地の悪そうな中年女性エマ・ジョーンズ(かなり老け顔だが演じた当時40歳くらい)が、四人家族の主婦エステル・テイラーが牛乳屋ラッセル・ホプトンと仲良くしていると批判的に噂している。彼女は夫君デーヴィッド・ランドーに優しさを見せられることもなく寂しさをかこち、牛乳屋との逢瀬で鬱憤を晴らしているのだ。
その娘シルヴィア・シドニーは上司からちょっかいを出されそうになるが、好きなのは階下のユダヤ人青年ウィリアム・コリヤー・ジュニア。エマ以下ユダヤ人を嫌う住人が少なくない。
ある時ランドーが出張すると称して家を空ける。エステルは時間的余裕があると思ってホプトンを中に入れる。恐らく噂を聞いたランドーが彼女に罠をかけたのだろう、程なく戻って来て拳銃をぶっ放す。青年は即死、エステルも病院で息絶える。
シルヴィアは同地を出ていくという念願を実行に移し、町を出ていく。
舞台は終始アパートの玄関前で、舞台劇の映画化と容易に知れる作り方が為されている。場所を殆ど動かさないことを逆手に取って、キング・ヴィダーは相当映画的な映画にした。
何が素晴らしいかと言えば、人や車の出入りの見せ方である。観劇では全体を見ることになるが、もっと微視的になる映画の効果を生かしている。例えば、車が左から右に通り過ぎると、右から左へやって来る人がフレームインする。あるいは、右から左に車が通り過ぎると、今度はドアが開いてアパートから人が出てくる。この呼吸が実によく、僕はゴキゲンになってしまった。
お話の動きは少ないが、人々の性格を点出し、後半の動的な展開に備えて布石を敷く前半こそ、こうした出入りの面白味を織り交ぜて推移する為に、楽しめると言わなければならない。後半も出入りの面白味は続くが、劇的な展開の前に影が薄くなる。後半の方が面白いと思う人は、お話しか追っていないのである。
いずれにせよ、文字通り市井の人々を描いた佳作と言うべし。
尾崎豊に同名の歌がありました。
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