古典ときどき現代文学:読書録2022年下半期

新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。

本年も記事の第一弾は読書録。すっかりお馴染みになったと思われます。例によってリストの前に少し前口上を。

50年前の百科事典をベースにした大古典は大分読みつくし、徐々に新しめの作品が増えています。新しめのものは映画化されたものが選びやすく、前回は相当多くなりました。今期は減ったものの、ぼつぼつ特に後半に出て来ますのでお楽しみに。ミステリーをもう少し増やそうかという思いもありますが、まだ幾分残っている大古典に長いものが多い為に思ったようには読めておりません。

大古典について。日本の大長編では「栄花物語」をやっと読む。後残る大長編は「太平記」くらいになり、これは23年上半期に読むことが決定済み。漢籍と言いますか中国文学の長いものでは「今古奇観」を読破。所謂漢籍は「顔氏家訓」しか読めなかったので、来期はもう少し、読者の皆様に飽きられない若しくは呆れられない程度に、当たりましょう。
 今期に読み終えられなかった大長編に「甲子夜話」「嬉遊笑覧」「プルターク英雄伝」があります。随筆「甲子夜話」は江戸時代後期ながら読みにくい候文でしか読めないので、全278巻のうち1巻を読んで終了(笑)。僕の余命次第で正編100巻は読みたいのですが。江戸時代の百科事典的な「嬉遊笑覧」は5分冊のうちの一冊目を読み、期ごとに一冊読めば2024年下半期、「プルターク英雄伝」は8分冊(岩波書店版)のうち2分冊を読み、毎期2冊読めば24年上半期に読み終えることができる計算です。

現代文学では、10分冊のアラゴン「レ・コミュニスト」、4分冊ながら一冊がなかなか長いダレル「アレクサンドリア四重奏」を読破。もう思い残すことはありません(嘘です・・・笑)。

オカピー爺しか読まないようなものを事前に紹介しましたが、敢えて言及しなかったその他の作品は文学の範囲を超えて種々雑多、大衆的なもの、専門家以外は読まないであろうものなど色々あります。

では、ご笑覧ください。励みになるコメントもお願い致します。


***** 記 *****


吉行 理恵
「小さな貴婦人」
★★★第85回(1981年上半期)芥川賞受賞作。中堅女性作家が愛情を注いだ末に死なれた愛猫の代りに、曰くのある猫のぬいぐるみを駆って来る。そのぬいぐるみの元の持主である老女性詩人も絡めて、その心境を綴る。心境小説というのは心境映画ほどピンと来にくいが、力の抜けた感じが良い。


ポール・ギャリコ
「小さな奇蹟」
★★★★傑作「スノーグース」と一緒に収められた佳作。アッシジの少年がロバの為に遂にはバチカンを動かすという奇蹟。大きな奇跡と思いますがね。諦めないということの意義を綴った小品と言えようか。

「ルドミーラ」
★★★動物と人間をめぐって起こる奇蹟第三話。やはり動物が絡む。一度だけ搾乳台に乗り、乳牛の女王となる小さな牝牛。現実主義者が出したその理由に対する神父の答えが素晴らしい。


ダシール・ハメット
「マルタの鷹」
★★★ジョン・ヒューストンの映画版が大きく原作から変更されていないことが解ると同時に、小説を読むと、思いの外、本格ミステリー的なムードを感じるのである。レイモンド・チャンドラーのマーロウものとはその辺が全然違う。


作者不詳
「栄花物語」
★★平安時代に書かれた、現在で言えばノンフィクション小説に当たる。藤原道長の栄華を描くのが正編、その息子頼通らを描くのが続編だが、正編の終盤で道長関連の法祭事を丹念に説明し道長を徹底して崇めているのに対し、続編の頼通らに対する態度はひどく醒めている。作者が二人以上いる可能性がある。ノンフィクションと言っても藤原家(特に道長)に都合良いように改竄されているところが多いらしい。


フィリップ・クローデル
「リンさんの小さな子」
★★★★★前期の最後に読んだポール・ギャリコの「スノーグース」に似て、頗る詩的な文章に脱帽。これも常連モカさんのお薦めだが、モカさんのお薦め短編は珠玉と言いたくなるものが多い。毎回有難うございます。恐らくはインドシナ戦争でフランスに渡った難民のおじいさんのお話で、彼はいつも孫娘を連れている。この幼女の扱いが実に面白い。


顔 之推
「顔氏家訓」
★★中国南北朝時代後期に書かれた家訓。家訓が後世に残るのだから凄い。人間としての生き方など普遍的なものは大いに納得させられるものがあるが、当時の漢字の使い方や音韻学的な指摘は、現在の日本に生きる我々一般人には全く無意味。これが思った以上の分量を占めるので、★は伸びず。


檀 一雄
「リツ子・その愛」
★★★生まれたばかりの長男・太郎と腸結核で深刻な状態になりかけていた最初の妻リツ子を置いて、戦時中檀は陸軍報道班員として中国に渡る。故国にいる妻子を思いつつ中国を眺める。あるいは中国を眺めつつ妻子を思う。そんな私小説である。リツ子は太郎を生んだだけで死んだので、有名な檀ふみは二番目の妻の娘。

「リツ子・その死」
★★★★帰国した時リツ子はかなり重篤で腸結核であることが確定し、彼女の実家近くの海浜地区に一家で移る。病気ゆえに周囲に気を遣い、周囲にも嫌な人もいるが、善良な人も多い。まだ幼い太郎を抱え、リツ子を懸命に看病しつつ、妻なき後の考えて彼女の幼馴染の娘に言い寄る。檀一雄にはそうしたリアリストの面もある。それでもリツ子の最後の日々を綴るところは相当迫力があり、読んでいて絶句する瞬間もある。


ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
「イタリア紀行」
★★★ゲーテはタモリだった!と思わせるくらい鉱物に詳しい。鉱物だけでなく博物学者的に幅広い知識があるが、イタリアに行っても同業者の詩人より美術家への言及が多い。また、謝肉祭の描出が詳しく興味をそそる。単純な紀行文ではなく、1787年~88年にかけて書かれた手紙やノートをベースに、四半世紀後に回想的に叙述した部分を加えたものなので、自伝の趣きもある。美術に関する部分に挿絵等があるともっとピンと来る、と思いましたな。


三木 清
「哲学ノート」
★★★勿論「人生論ノート」ほど解りやすくないが、時代が全体主義となっていることを現実として認めているように見えつつ、その社会の指導者たる資質のある人は実はいない、と読める「天才論」「指導者論」の連続が相当興味深い。終戦直前に逃走犯(思想犯)支援を理由に逮捕され、終戦直後に獄死した。実に不運と言うしかない。


ウィルキー・コリンズ
「白衣の女」
★★★ “びゃくえのおんな”と読むらしい。ヴィクトリア朝の小説は長いのだが、謎の女性をめぐるミステリーも文庫本三分冊でなかなか長い。瓜二つの女性を巡る波乱万丈のミステリー+ロマンスで、余り気の短い読者でなければ楽しめると思う。解説を読んでいるうちに、日本では混同されているミステリーと推理小説が別の概念であることに気づく。


辻 邦生
「廻廊にて」
★★★★日本人が書いた西洋文学の趣きの遠藤周作「白い人」に近い。語り手を日本人にする事で辛うじて日本の作家が書く大義名分を成立させているが、日記・書簡を翻訳する役目を負ってお話に関わる語り手以外登場人物はヒロインのロシア女性画家など全員外国人である。起伏のある人生を送った彼女の内面に迫るように見えて余り迫らない。為によく解らない部分が多いけれど、清冽に洗練された文章が快い。

「安土往還記」
★★★架空のジェノヴァ出身の船員を通して織田信長を描くところが興味深い。「廻廊にて」とは東西逆の関係である。信長という固有名詞を一切出さないところに作者の英雄的人物像の普遍化という狙いが感じられる。現在の信長像よりはさすがに古典的だが、残虐一色という描き方もしていない。


ロレンス・ダレル
「アレクサンドリア四重奏I:ジュスティーヌ」
★★★四部作全体で1930年代後半から終戦後までをカバーするが、時系列は単純ではなく、随時過去も入る。エジプトのアレクサンドリアを舞台に、ダレル本人を投影した筈の作家志望の英国人教師ダーリーが自らの恋愛を回想する形で進む群像劇。 “ぼく” はキャバレーの踊子メリッサと恋に落ちるが、そこに割り込んでくるのがアラブ人実業家のユダヤ人妻ジュスティーヌで、その二人の間で揺れる為語りは必然的に低回的になる。翻訳のせいで最初は村上春樹を想起した。アレクサンドリアを主人公にした都市小説と読めないこともないが、やはり背景に留まるであろう。

「アレクサンドリア四重奏Ⅱ:バルタザール」
★★バルタザールはダーリーやジュスティーヌとも昵懇の医者で、同性愛者。本作に出てくる人物には同性愛か両性愛者が多い。本編は、バルタザールが校正したものをベースにダーリーこと ”ぼく” が再構築するという形で進む。主題は相変わらず入り組んだ恋愛心理の推移であるが、叙景など多く余り集中が続かない。

「アレクサンドリア四重奏Ⅲ:マウントオリーヴ」
★★前編から存在感が希薄になっていた “ぼく” は、書き手が三人称になる本編に至って、全く消え去る。マウントオリーヴはエジプトの駐在大使で、その恋愛も綴られるも、ダーリーもちょっとした諜報員もどきに駆られるなど、スパイ小説かと思いたくなる部分もある。四編の中では一番読みやすいかもしれないが、一番面白いとは言い切れない。

「アレクサンドリア四重奏Ⅳ:クレア」
★★★時系列的には一番最後で、終戦後。 “ぼく” による著述という一人称形式が復活する。前の二つより抒情性が高く、第一巻と同じくらいには楽しめる。全巻を読み終えての感想は、難解ではないが、難物であるということ。どう咀嚼して自分の中で再構築して良いのか皆目見当がつかない。これをきちんと読める人は相当賢い。


エラリー・クイーン
「Zの悲劇」(再)
★★ドルリー・レーンのシリーズは全て文庫本で持っていたが紛失したので、先年から図書館から借りて読み直している。その第3弾。「X 」の衆人環視+密室での殺人、「Y」の奇妙な連続殺人に比べると、殺され方が地味すぎる。同じ犯人当てでも、冤罪を救うための犯人捜しというのは本格推理では珍しいが、本格推理として面白味が少ないと感じたのは高校時代と全く同じ。

「レーン最後の事件」(再)
★★★愛書家をめぐる謎めいた事件の連続で殺人のない本格推理かと思いきや、中盤をすぎて漸く出てくる。幕切れは「アクロイド殺人事件」を想起させつつ、なるほどとも思わせる。高校時代と違って面白く読んだ。

「エジプト十字架の秘密」
★★★★創元推理文庫では“謎”で、その他は”秘密”。中学時代に存在を知ってから半世紀が読まずに過ごした。読者の思い込みを利用した犯人当てもの。ヴァン・ダインが骨董への造詣で勝負なら、クイーンは地理で勝負か。


加藤 幸子
「夢の壁」
★★★★第88回(昭和57年下半期)芥川賞受賞作。終戦直前から終戦直後の北京近辺。敗戦処理的に中国に残っていた一家の娘と、その家の車引きをしている中国人男性の息子の交流を描く。幕切れは映画「少年時代」に通ずるものがある。しかし、ここに出てくる中国人男性の心の広いことよ。その息子は日本人といることで差別されるのを嫌がるところもあるが、彼もまた心優しい。それを受け止めるヒロインも素敵。芥川賞受賞作の中でも相当好きな部類。


唐 十郎
「佐川君からの手紙」
★★★同じく第88回芥川賞受賞作。佐川君というのは当時欧州女性の人肉を食べたとして世間を騒がせた男性で、僕らの世代では憶えている人も多いだろう。書き手は唐本人と考えていいが、勿論実話ではなく、幻想小説と僕は理解した。佐川を題材に映画を作るために彼に会いにフランスに赴いた主人公が佐川と会ったというモデル女性と会話をするのだが、どうも会話をした彼女は(実在はするのだが)死体の真似事をした祖母への想いに導かれた幻影らしい。(追記)年末になって佐川氏がなくなりましたね。


メアリー・マッカーシー
「アメリカの鳥」
★★★★ベトナム戦争が本格化する直前くらいの時代。序盤のうちアメリカの鳥について多く話が出てくるので鳥に絡む挿話集になるのかと思いきや、自由主義の主人公の若者がフランスに留学して様々の経験をするというのが本論。考えすぎだろうが、主人公の少年を渡り鳥・迷い鳥になぞらえているように感じた。お話全体はそう面白いと言いにくい一方で、ディテイルが非常に興味深い。


モーリス・メルロ=ポンティ
「眼と精神」
★★眼は心の窓だと総括できそうなのだが、実存主義の即自・対自の概念をよく理解していないと、相当難しいと思う。短いけれど、難儀しました。


笠原 淳
「杢二の世界」
★★第90回(昭和58年下半期)芥川賞受賞作。主人公が、仕事中に高所から落ちて死んだ弟について、自分がその死を考えたことがあるから死んだのかと考える。生前その弟は墜落したセスナについて “落ちろと思った” と言う。その類似はともかく、作品のテーマは弟の “無気力ぶり” を描くことにあったらしいが、余りピンと来ない。そう言えば、この頃若者の無気力無責任が世間で沙汰されていた気がする。


高樹 のぶ子
「光抱く友よ」
★★★同じく第90回芥川賞受賞作。優等生の女子高生が、評判の悪い同級生少女と交流を始めて、自ら育んできた価値観に揺らぎを感じ出す。しかし、そこに傾倒することもできない。青春の痛みを描いて瑞々しい小説と思う。


木崎 さと子
「青桐」
★★★第92回(昭和59年下半期)芥川賞受賞作。自然死を望む末期癌の老婦人の死と、実の両親を早くに失って彼女に引き取られた姪の叔母に対する複雑な思いの末における再生とが、交錯する。静謐な描写の中に浮かび上がるヒロインの心情がなかなか胸を打つ。


抱甕老人(撰)
「今古奇観」
★★★★明朝時代に編纂された物語集。全40話。古代・中世の説話集と違い、明確な主題を持った短編小説集となってい、儒教的な道徳観を反映して因果応報的な物語が多数を占める。運命論も色濃い。悪い官憲も多く出てくる中で、真っ当な倫理観を持った司法官が登場して大岡裁きのような優れた判断を示すちょっとしたミステリー趣味のある作品が結構あり、かなり楽しめる部類。


ミハイル・A・ブルガーコフ
「巨匠とマルガリータ」
★★★★★ソ連版「ファウスト」のようなお話で、大昔からずっと生きている悪魔が出てくる。彼はキリストの最期も見て来た。片やキリスト(ヨシュア)を殺したくなかったローマのユダヤ属州総督ピラトに関する小説を書いている作家がこれに絡み、その小説が何の説明もなく突然入って来る。彼はファウストのように魂は売らず、悪魔によって恋人になった女性と共に静かにあの世へ旅立っていく。星新一とカフカを合わせたような感じで誠に面白いが、何を言いたいかはまるで解らない。まるで解らないけれど面白い。


オノレ・ド・バルザック
「ふくろう党」
★★★バルザックのデビュー作は長編歴史小説。共和派のヒロインをめぐる共和派、王党派ふくろう党の男性たちの恋のさや当てを絡めてロマン溢れるが、1800年前後のフランスの歴史に精通していないと、楽しみ切れない。

「Z・マルカス」
★★歴史小説と言うか政治小説の短編。有力議員だったのに零落して夭逝するマルカスを通して、バルザックの政治的立場が浮かび上がる。これもフランス史に精通しないと解りにくい。


建礼門院 右京太夫
「建礼門院右京太夫集」
★★★うかつにも、壇ノ浦の戦いを生き延びた建礼門院の私家集と50年間思って来た。実際には建礼門院に仕えていたことのある右京太夫の私家集。詞書がかなり長く、歌集と日記文学の間のような印象が強い。勿論本人の歌が多く占めるが、恋人からの歌も多い。壇ノ浦の戦いで死んだ最愛の人・平資盛を失った後の歌の数々は悲痛。


山際 淳司
「スローカーブを、もう一球」
★★★★スポーツ・ドキュメントを8編収めたノンフィクション。松岡正剛氏も取り上げていたので、読んでみた。この書名になった第7編は僕の後輩の話なので、最初に読んだ。ここに出てくる教師は恩師で、野球の素人なのに3年目に我が母校を甲子園に連れて行ってしまったのだ。“野球を全く知らないのに、監督に指名された。本屋へ行ってルールブックを買って来た”と仰っていたのをよく憶えている。主人公は変化球投手の川端君だが、彼もまた野球に熱中しているタイプではなく、文字通りスローカーブのように野球に対峙していたのだ。僕は友人に甲子園へ応援に行こうと誘われたが、TVで観た方が解りやすくていい、と断った。今、大いに後悔している。他に、今でも語り継がれる夏の甲子園の簑島対星稜の試合、江夏の21球という野球ネタが中心に収められている。


プルタルコス
「プルターク英雄伝:シーシアス(テセウス)/ロミューラス(ロムルス)」(再)
★★★★英語版からの重訳なので、本来の発音に近い表記を括弧内に併記。鶴見祐輔氏の訳は相当古い代わりに格調が高くて良いが、現在なら重訳であっても、アゼンスはアテナイ(アテネ)、クリートはクレタ、プレートーはプラトン、アリストートルはアリストテレスなどとしたであろうに、と思われるところが残念だ。別名「対比列伝」と言われるように、対比される人物ごとにコメントする所存。テセウスはポリスのアテネにおける共和制の嚆矢、ロムルスはローマ王国建国の祖。共に半分神話的な人物だが、ロムルスのほうが実在感が高い。

「プルターク英雄伝:ライカーガス(リュクルゴス)/ヌーマ・ポムピリアス(ヌマ・ポンピリウス)」
★★★リュクルゴスはスパルタの王を自ら辞してスパルタの安定を期した立法を作り、その後の500年の安定をもたらした。スパルタは暴政的であるという通説をプルタルコスは否定する。女性も強くあれという考えで女性を外に出した為フェミニストが喜びそう。ヌマは他民族からローマ王に選ばれた名君で、その統治時代は全く平和だったという。

「プルターク英雄伝:ソーロン(ソロン)/ポブリコーラー(プブリコラ)」
★★ソロンはアテナイの立法の祖であり、教科書で憶えた人も多いと思う。プブリコラは共和制ローマの父。実在はしたと思うが、まだ伝説的な感じがする。

「プルターク英雄伝:セミストクリーズ(テミストクレス)」
★対比される人物なし。ギリシャの偉人。アテナイの軍人でアケメネス朝ペルシャとの戦い等に功績を残しながら、陶片追放によりアテネを追われ、スパルタとの共謀を疑われて遂に因縁のあるペルシャへの逃げ、その王からアテナイへの攻撃を命じられて服毒自殺した。地理関係がよく解らないので、軍人政治家の挿話は文字面を追うだけになりやすい。

「プルターク英雄伝:カミーラス(カミッルス)」
★★★対比される人物なし。共和制ローマの軍人政治家。ゴール(ケルト)人との戦いなどに際して5回の独裁官に選ばれた。同じ戦争でもギリシャ程いり込んでいないのが良いです。

「プルターク英雄伝:ペリクリーズ(ペリクレス)/フェービアス(ファビウス・マクシムス)」
★★★ペリクレスは世界史で習ったアテナイの軍人政治家。ギリシャ内での大戦争ペロポネソス戦争で実績を残す。積極的に相手に攻め込まずに疲弊させる作戦で有名で、世界最初の経済制裁を成したとも言われる。対してローマのファビウス・マクシムスはポエニ戦争でカルタゴのハンニバルと戦ったことで有名。戦記は退屈することが多い中で、彼の戦いについては作戦が具体的で面白い。

「プルターク英雄伝:アルシバイアディーズ(アルキビアデス)/コーリオレーナス(マルキウス・コリオラヌス)」
★★アテナイの軍人アルキビアデスはアテナイから出たり入ったりと忙しいが、最終的にトラキスで暗殺される。性格が傲慢であったとプルタルコスは言う。シェークスピアも取り上げたローマの軍人コリオラヌスは母親に頭が上がらず、その言に従って敵と組んでいた時に戦闘を回避する。死に方も呆気ないと言うか。個人的に面白いと思ったのは、ローマ人が奇跡と信ずるものについて科学的に説明してしまうプルタルコスの態度。


和辻 哲郎
「古寺巡礼」
★★★★亀井勝一郎の「大和古寺風物誌」と好一対を成す。「大和古寺」がエッセイ的であるのに対し、こちらは学術的で、イメージがインドや中国を超えてギリシャまで飛ぶ。思うに、作者が当時の日本美術が直接的な影響を受けていない筈がないインドや中国より、ギリシャの面影を見出すのは、やはり大陸的かそうでないかという民族性にあるのだろう。


井上 靖
「おろしや国酔夢譚」
★★★中高時代、自伝的小説と並んで井上靖の中国を舞台にした歴史小説が好きだった。こちらは近世ロシア。これは漁に出たまま漂流して、アリューシャン列島からシベリアそしてペテルブルグを経て、有名なラックスマンの乗った船で帰国する大黒屋光太夫の波乱の物語である。井伏鱒二の「漂民宇三郎」を読んでも解るように、鎖国時代にあっては勝手に出国すれば死刑に価するし、漂流して戻って来ても自由に行動できなかった。彼らは望んで帰った国に苦しめられたのである。1992年の映画版を観ているので、緒形拳の顔を思い浮かべながら読んだ。


ジョゼフィン・テイ
「時の娘」
★★★シェークスピアも扱ったリチャード三世が甥二人を殺したかという謎を、事故で入院して動けないベテラン刑事が、解明しようとする。要は歴史に詳しかったテイ女史がリチャード三世悪人説を、安楽椅子探偵ミステリーの形で覆そうとした作品。僕は英国史をそれなりに知っているし、シェークスピアの「ヘンリー六世」「リチャード三世」も読んでいるので面白く読めたが、英国史に興味のない日本人には退屈だろう。


アラン=フルニエ
「グラン・モーヌ」
★★「モーヌの大将」という邦題で知っていた。映画「さすらいの青春」として有名で、50年間読みたかった小説である。しかし、実際には映画の方がピンと来る。訳がいくつもあるので、別の訳で読めばその印象は変わるだろうか?


松浦 静山
「甲子夜話」
★★★ “かっしやわ”と読む。正編100巻、続編100巻、続続編78巻という膨大な随筆集。作者は江戸末期肥前国(現長崎県)平戸藩藩主。図書館を使えば全部読めるが、僕の限られた人生で江戸時代の文語でこれを全部読むのは時間的に許されないので、何と一巻だけ読んで当座は終了。後年余程暇があれば正編だけでも読み終えられれば良いと思う。読んだうち面白かったのは、武田勝頼が徳川家康(作者は神祖と称す)を床下から暗殺しようと忍者を派遣したが、床下が低すぎて不可能だったというお話。家康が普請の時にそう工夫したらしい。


喜多村 筠庭
「嬉遊笑覧」
★★★江戸時代末期の百科事典的読み物。今回は5分冊の一冊(原著巻之一上から巻之二上)だけ読み、残り四冊は半年か一年に一冊読むことにした。今回カバーするのは、建築関係、ファッション(髪型、衣服)である。江戸時代の風物を理解するにはもってこいの書物。絵がついていれば文句のないところだ。


ルイ・アラゴン
「レ・コミュニスト:序曲 - 第一部第一巻」
★★★全10分冊。第二次大戦の前夜から大戦末期までを描く(予定が未完に終わった)大長編小説の第一部第一巻(1分冊)。1939年2月から9月まで。題名から解るように共産主義活動家のお話がメインであるが、それ以外の人々も言論も取り入れたり、バルザックやスタンダールを意識しているのではないかと伺えるところがあって、社会主義文学にありがちな散文的な傾向に陥らず、なかなか興味深い。

「レ・コミュニスト:第一部第二巻」
★★2分冊。1939年9月-11月。開戦前夜からナチスの侵攻による開戦直後の、主にコミュニストの動揺を描く。彼らは寧ろ開戦前の独ソ不可侵条約に驚く。社会主義国家で同志である筈のソ連がドイツと手を組んだのはフランス人民である彼らにとっては裏切りでもあったからだ。コミュニスト側の動静が多くなってやや退屈度が増えるも、それでも社会主義文学にありがちなストイックさはなく、種々雑多の人が出て来るのに好感が持てる。

「レ・コミュニスト:第一部第三巻」
★★2分冊。1939年11月-40年3月。ソ連が侵攻したフィンランドにドイツが加担した時期。連合国軍側のフランスにとっては “奇妙な戦争” という時期が続き、その間に政府は共産主義者の排除を進める。主な舞台は兵舎になるが、兵舎と自宅とを自由に往来できる将校弁護士が、純政治的側面と民間的活動を繋ぐ役目として登場する。

「レ・コミュニスト:第一部第四巻」
★★2分冊。1940年3月-5月。 ”奇妙な戦争” 末期。大半を占める軍隊の部分は地理的状況が解りにくく余り面白くないが、政治的策略が語られる部分と右翼のふりをした左翼活動家の活動(告白)だけは興味深い。

「レ・コミュニスト:第一部第五巻」
★3分冊。1940年5月。 "奇妙な戦争" という状態が続いていたフランスに、5月になっていよいよベルギーを経て攻撃の手が迫って来る。第二巻から軍隊の描写が大半を占めていたが、ほぼ全て微に入り細を穿つ社会主義リアリズム的な戦場ドキュメントとなるので、迫力はあるが、地名を知らない我々日本人はピンと来にくい。


三浦 しをん
「舟を編む」
★★★★小学校に上がる前から国語辞典にしがみついていた僕のような人物が出てくるので、映画版は既に見ているが、原作も読んでみた。映画のコミカルなムードはこの原作からそのまま移植された印象。従って文章は軽いものの、相当面白い。映画版を見た後読むと、主人公とその同期・西岡は、松田龍平とオダギリジョーを当て書きしたような印象すら感じる。僕は本作のモデルになった岩波書店に(可能であれば)入社すれば良かった。


ダフネ・デュ・モーリア
「いま見てはいけない」
★★★★★創元推理文庫の中編集のタイトルでもあるが、個別に感想をば。映画「赤い影」の原作。原作では子供のコートは赤と指定されていないが、映画では細君の赤い服を映像言語的に強調する為に赤になっていた。映像の強みを発揮した形だが、幕切れでうまくしてやられたなあという印象は小説の方が強い。

「真夜中になる前に」
★★★静かに絵でも描こうとクレタにやって来た教師が、変人夫婦とかかわったことから、落ち込む運命の罠。英国の諺 Curiosity killed the cat を地で行くスリラーと言うべし。これも幕切れの小説だが、抽象的にすぎるか?

「ボーダーライン」
★★★★危機を脱したと思った病気の父親が娘の顔を見て急死。その娘が父親の部下だった元軍人を訪れた結果の衝撃。「真夜中になる前に」より幕切れが鮮やか。

「十字架の道」
★★エルサレムを訪れたツアー客を描く非スリラーの群像劇。これは映像で観た方が面白そうだ。大人たちが各々の弱みを見せた後、騒動の後何となく落ち着いていく。そんなことを知らない、イエスの知識のつまった9歳の大人びた子供が "復活を見られたかもしれない" と最後に一言。大人たちは落ち込みから復活していたので、そこはかとない可笑し味が醸成される。

「第六の力」
★★★「いま見てはいけない」「十字架の道」を読んで来ると、どうもデュ・モーリアは魂の存在を信じているようだ。それをSFと言うかファンタジーの形で表現したような作品。彼女の作品の価値の決め手となることの多い幕切れが余りピンと来ない。


世阿弥
「花鏡」
★★★能楽論。芸術論は、映画を観る時批評する時に役立つことがあるので、たまに読む。読みは “かきょう”。 長男・観世元雅に与えた演技・演出の指南書である。日本史の教科書にも出て来る有名な「風姿花伝」は十余年前に読んだので今回は省略。本著では、慣用句になった “初心忘るべからず” の項目がハイライトだろうか。ベテランになり、それまでの方法を一新するのもまた初心という意見が面白い。

「至花道」
★★能楽論。こちらは演技論に限られるので、一般大衆には余り関係なさそうだが、会社などで仕事を憶える際に役立ちそうなことも書いてある。

「三道」
★★★能楽論。長男が亡くなった為、次男・観世元能に当てた能の作り方の書である。種(主人公を選ぶ)・作(曲を構成する)・書(作詞作曲)の道程を能をいかに作って行くか。映画と関連付けるのを前提に語れば、本作が一番面白い。

「拾玉得花」
★★能伝書。女婿・金春禅竹(こんばるぜんちく)に与えられたもので、総合的な「風姿花伝」を再構築をしたものと理解できる。

「養老」
★★能興行は世阿弥の頃から五本立てとほぼ決まった。その一番目たる脇能である。脇能の主人公は神で、本作の時代背景は雄略天皇だから相当古い。能と宗教との繋がりは強い。

「忠度」
★★★二番目の修羅能。「千載和歌集」に詠み人知らずとされたことに未練を残したまま一ノ谷の戦いで死んだ平忠度(たいらのただのり)がテーマ。能は全て霊の類が絡むファンタジーと言って良いわけだが、その未練がよく感じられる。能は読むものではなく、観るものとは思う。

「井筒」
★★★三番目の鬘能。実演を見たことのある「羽衣」もここに入る。在原業平と紀有恒の娘の恋がテーマで、在原寺を訪れた僧が娘と語り合う夢を見る幻想譚。

「百万」
★★★四番目の雑能。夫に死なれ子供と生き別れた女が狂人となって踊りまくるが、子供と再会して再生する。門前町が舞台で、能と仏教との関係はとりわけ深い。

「山姥」
★★★五番目の切能。切能には異形のものが出て来る。読みは“やまうば”。前シテは“百ま山姥”と呼ばれる遊女(踊り子)で、恐らく上の「百万」と関係がある。その彼女が後シテの本物の山姥と出会って、壮絶な話を聞く。凄味がある。


観阿弥
「卒塔婆小町」
★★★作者(翻案者)は世阿弥の父親。四番目物。所謂 “小町もの” の中でも一番有名な作品で、老いさらばえた小野小町に深草の少将が取り憑くという壮絶なお話。これもまた凄味がある。

「通小町」
★★四番目物。これも小町と深草の少将の物語だが、おどろおどろしくなる前に僧が受戒を授けて静める、大人しめの内容。


服部 土芳
「三冊子」
★★★俳論書。 ”さんぞうし” 。松尾芭蕉の弟子が書いたもので、俳句に限らず俳諧全般について歴史から語られ、やがて芭蕉の金科玉条が披露される。俳句の元は連歌の発句にあると考えられるが、連歌について相当分量が割かれている。現代人には連歌は余りお馴染みでないので、そこの部分は退屈するが、芭蕉の改作の前後を示した部分は楽しめる。俳諧の「論語」という感じ。


アイザック・ウォルトン
「釣魚大全」
★★開高健が意識して「私の釣魚大全」なる本を書いているが、17世紀英国で書かれた渓流釣りガイド。僕は全く釣りをしないので、あくまで読み物として読んだ。17世紀の著述らしく対話形式で進み、時々宗教をベースにした説教臭い要素を出て来るのは時代らしい。月ごとに蚊鉤(疑似餌ならぬ疑似鉤)を変える辺りは“そういうものか”と興味深い。


イサベル・アジェンデ
「精霊たちの家」
★★★★映画「愛と精霊の家」の原作で、ペルーに生れチリに暮らした作者の自伝的要素を含む内容。幻想的な要素を大量に投入した前半は「百年の孤独」に通じる野趣横溢ぶりで非常に魅力的だが、 透視力・予知力・念力の持主たる“私”の祖母クラーラの死後、チリの政変を描く後半は理に落ちてお楽しみは半減。しかし、悪名高いチリの独裁政権下の横暴を描いて迫力もあるのである。


森 鷗外
「伊沢蘭軒」
★今クイズで人気の伊沢拓司君の先祖のお話です(嘘)。伊沢蘭軒は江戸時代の藩医。史伝というジャンルの小説だが、資料や関係者(子孫等)との対話をまとめて編年的に処理したルポのようなものなので、これを小説と言うのは僕には抵抗がある。それはともかく、長い。余りに長いせいか、もう少しで終わりというところでKindleが壊れた。残りはパソコンのkindleにて読む。

この記事へのコメント

モカ
2023年01月01日 22:23
明けましておめでとうございます。

クローデルの「リンさんの小さな子」
高評価していただきこちらこそありがとうございます。
それにデュ・モーリア普及委員会としては今現在日本での出版数の少ない彼女の作品を読み進めてくださって心強い限りです。

ご恩返しにオカピー先生の影響で古典を読むようになりました、と言えたらいいのですが…それは無理なので取り敢えずは一番乗りでコメント欄に馳せ参じた次第です。

「巨匠とマルガリータ」 
 ローリングストーンズのべガーズバンケットに収録された「悪魔を憐れむ歌」はこの本に触発されたという事でストーンズファンの間では有名ですね。
マリアンヌフェイスフルがミックジャガーにお薦めしたらしいです。
このへんの関係はポールマッカートニーとジェーンアッシャーにも通じるものがありますね。ロック小僧の視野を広げる?
 歌詞の内容からすると邦題の「憐れむ」じゃなくて「共感する」の方に近いニュアンスだとずっと思っていますが…どうでしょう,先生!

 和辻哲郎 「古寺巡礼」
これは実家から持ってきた数少ない父の本がありまして(中国の古典とかがやたらありましたが西遊記以外は処分しました。) 少し読んだ記憶はあるのですが再読しないとなんとも言えませんが、ギリシャの影響は建築物に対しては影響があったと思います。
多分新薬師寺の本堂だったでしょうか、屋根の曲線とその下の建物の完璧なバランスはギリシャ由来だと思います。インドの仏像なんかもギリシャ彫刻の影響下にあったんじゃなかったかな? 大昔の一般教養の美術史レベルなので定かではありませんが…
 昔の人はこういうのを真面目に読んで大和路を歩いていたんですね。私なんぞは三浦じゅんの「見仏記」に触発されて一時期よく寺巡りをしていましたが。
 
ロレンスダレルの「ジュスティーヌ」は結構いい値段がつけられたのでAmazonで売っ払いました。^_^

 辻邦生 「回廊にて」カイの字が出ません…
カタカナ文が読みにくいけど読み返したいです。フーシェの回顧録も放ったらかしだしどうしましょう! ここ何カ月か本を読んでいないのですよ。

ということで、こんな婆さんですが本年も宜しくお付き合いくださいませ。
オカピー
2023年01月02日 10:04
モカさん

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

>クローデルの「リンさんの小さな子」

僕の知らない作品にも、本当に素晴らしいものがありますね。本当に読めて良かった。

>デュ・モーリア普及委員会

彼女を知るには短編から入るのが良いかもですね。
「レイチェル」も読もうと思いましたが、結構借りられていることが多い。知られざる人気作品かもしいれない。

>一番乗りでコメント欄に馳せ参じた次第

前期からどうもコメントが寂しいのですよ。余り人が読まないものが多いですけどねえ。大衆的なものも結構あるのに、どういうこと?(笑)

>歌詞の内容からすると邦題の「憐れむ」じゃなくて「共感する」の方に近いニュアンスだとずっと思っています

勿論そうです。
しかし、「巨匠とマルガリータ」と読んだ時、この曲に思いが至らなかったのは不覚。

>ギリシャの影響は建築物に対しては影響があったと思います。

タイムスリップしない限り実際には解りませんが、外見からはそう思えるところが幾つかありますよね。

>インドの仏像なんかもギリシャ彫刻の影響下にあったんじゃなかったかな?

これが所謂ガンダーラ美術。間違いないところでしょう。これが中国本流の影響を受けずに日本に入って来たものもあるでしょうね。

>三浦じゅんの「見仏記」に触発されて一時期よく寺巡りをしていましたが。

京都は地元ですし、奈良も遠くないですから、素敵ですねえ。
わが群馬は古墳はやたらにありますので、古墳巡りでもしましょうかな(笑)

>ダレルの「ジュスティーヌ」は結構いい値段がつけられたのでAmazonで売っ払いました

勿体ない(笑)

>辻邦生 「回廊にて」カイの字が出ません…

ウィンドウズに入っているIMEなら出ると思いますけどねえ。

>フーシェの回顧録

辻先生はそんなものも書いているんですねえ。とにかく、外国に材を求める珍しい作家。

>ここ何カ月か本を読んでいないのですよ。

あらら。音楽三昧ですか?
モカ
2023年01月02日 20:02
こんにちは。

「古寺巡礼」は岩波文庫で読まれましたか? Amazonで検索すると近年ちくま書房も出していてこちらはどうやら和辻自身が若書きだったと認める初版?を採用しているようです。
うちにあるのは昭和32年の岩波の本ですが、これが旧仮名遣いなんですよ。
しかし、和辻哲郎って名前からして高尚な感じがします。

辻邦生さんも端正な容貌と相まって高尚度が高いですね。
水村美苗さんとの本をめぐる往復書簡「手紙、栞を添えて」もお薦めです。

加藤幸子という字面に見覚えがあると思ったら「尾崎翠の感覚世界」を書いた人でした。尾崎翠が好きなので買った本ですが作者の加藤幸子さんがどのような方なのか当時は全然わかりませんでした。
こんなところで出会えるとは! 芥川賞作家でしたか。

オカピー
2023年01月03日 17:24
モカさん、こんにちは。

>「古寺巡礼」は岩波文庫で読まれましたか?

そうです。但し、背の高いワイド版というもの。

>これが旧仮名遣いなんですよ。

岩波文庫は版下を変えないので、いつまで経っても旧字体や歴史的仮名遣い。僕は古いのばかり読んでいるので、旧字体でも歴史的仮名遣いも問題ありませんが、さすがに中高時代は相当苦労しました。

>辻邦生さんも端正な容貌と相まって高尚度が高いですね。

内容も文体も好みです。

>往復書簡「手紙、栞を添えて」もお薦めです。

( ..)φメモメモ
早速調べたら、図書館にありました!


>「尾崎翠の感覚世界」

尾崎翠という作家を僕は存じ上げませんでした。
僕にとってニッチな作家を教えて貰って、大変助かります。
いつか読んでみます。

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