映画評「ドライブ・マイ・カー」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2021年日本映画 監督・濱口竜介
ネタバレあり
今年前半いよいよ本格的に村上春樹を読もうと考えた時、この映画の大本になった同名短編の入った短編集「女のいない男たち」を選ぶ算段をしていたが、アカデミー国際長編映画賞を受賞するなど本作の評判のせいか図書館でも大人気で読めず、初期の作品から読むことにしたのであった。
TV脚本家の妻・音(霧島れいか)がセックスの後にひらめいて語った物語を舞台演出家・俳優の夫君家福悠介(西島秀俊)が記憶し、翌朝それを聞いて脚本化するという行程を取っていた芸能夫婦。その彼女が、彼が早い帰りを逡巡したその晩にくも膜下出血で急死する。
2年後、妻の死をひきずりながら何とか仕事をこないしている彼は、広島の演劇祭に演出家として招聘される。彼のスタイルは独特で、母国語に拘らず俳優を選び出し、その母国語で演じさせるのである。
招聘した事務局は、常に車を運転して移動する演出家に、車の移動は専用の運転手にしてもらいたいと通告して来る。カーステレオで妻の吹き込んだ練習用テープに合わせて台詞を語る練習をするのを日常としてきた彼はそれを断るが、若い女性運転手のみさき(三浦透子)の運転技術と人の生活に入って来ない態度が気に入って、受け入れる。
公演演目のチェーホフ「ワーニャおじさん」の練習が佳境に入った頃、TVでも知られたワーニャ役の若手俳優高槻(岡田将生)が傷害致死のカドで逮捕される事件が起きる。事務局に公演中止か、日本語でワーニャ役ができる悠介本人の代打で公演するか迫られ、二日の猶予を貰う。
彼は、母親を地滑りで失ったみさきの故郷である北海道の片田舎を訪れてみることにし、彼女の運転で片道1日の移動を敢行する。親しい者を “殺した” という共通する意識を持つ二人は様々な内省をしつつ、それでも生きていかなければならないという心境に達する。
かくして自ら代打に立った「ワーニャ叔父さん」は成功裡に終わる。
この後、彼と彼女は、恐らく「ワーニャ叔父さん」で関係した韓国人夫婦と共に韓国に渡って生活を始めたようだが、屋上屋を架す幕切れのように感じた。その前の、韓国人妻の演じるソーニャの韓国手話による発言が頗る感動的だからである。
ワーニャ叔父さんとソーニャの心境が正に悠介とみさきの心境とオーヴァーラップし、感極まったところで、韓国の描写が入るのは、元来韓国を主な撮影地とする予定の名残りなのかもしれないが、蛇足と言いたくなる。
ただ良い点を探せば、ヒロインみさきの表情がこの地でぐっと柔らかくなっているのが認められること。
全体として、主人公の心情を綴った内容も、その心情を常時沈潜させたような陰鬱気味の画面も、大いに魅力的ながら、まだ内容を把握し切れていない気がするので、☆★を抑え気味にしておく。
本作を観ると、一般の常識と異なる視点かもしれないが、演劇は見せ方が映画より自由であるような気がする。逆にここまで実験的であれば現実に拘束されがちな映画でも成立すると思う。
ところが、最近二人の作家が行(おこな)った、映画で白人役を有色人種にやらせる(本作の演出家のように祖国の言葉でやらせれば良い)という、多様な民族の俳優を起用することだけを目的とした、中途半端な試みは内容を不明確にしてしまう。観客が演劇より現実そのものと思って見る可能性が高い映画においてその程度の見せ方では、内容に関して通常の知識しかない観客は試み或いは実験と思わず、首を傾げるか、あるいは何の疑問もなく観終えてしまう。怖いのは後者である。
映画の内容には合わないが、映画のどこかでビートルズの「ドライブ・マイ・カー」を聞きたかったねえ。
2021年日本映画 監督・濱口竜介
ネタバレあり
今年前半いよいよ本格的に村上春樹を読もうと考えた時、この映画の大本になった同名短編の入った短編集「女のいない男たち」を選ぶ算段をしていたが、アカデミー国際長編映画賞を受賞するなど本作の評判のせいか図書館でも大人気で読めず、初期の作品から読むことにしたのであった。
TV脚本家の妻・音(霧島れいか)がセックスの後にひらめいて語った物語を舞台演出家・俳優の夫君家福悠介(西島秀俊)が記憶し、翌朝それを聞いて脚本化するという行程を取っていた芸能夫婦。その彼女が、彼が早い帰りを逡巡したその晩にくも膜下出血で急死する。
2年後、妻の死をひきずりながら何とか仕事をこないしている彼は、広島の演劇祭に演出家として招聘される。彼のスタイルは独特で、母国語に拘らず俳優を選び出し、その母国語で演じさせるのである。
招聘した事務局は、常に車を運転して移動する演出家に、車の移動は専用の運転手にしてもらいたいと通告して来る。カーステレオで妻の吹き込んだ練習用テープに合わせて台詞を語る練習をするのを日常としてきた彼はそれを断るが、若い女性運転手のみさき(三浦透子)の運転技術と人の生活に入って来ない態度が気に入って、受け入れる。
公演演目のチェーホフ「ワーニャおじさん」の練習が佳境に入った頃、TVでも知られたワーニャ役の若手俳優高槻(岡田将生)が傷害致死のカドで逮捕される事件が起きる。事務局に公演中止か、日本語でワーニャ役ができる悠介本人の代打で公演するか迫られ、二日の猶予を貰う。
彼は、母親を地滑りで失ったみさきの故郷である北海道の片田舎を訪れてみることにし、彼女の運転で片道1日の移動を敢行する。親しい者を “殺した” という共通する意識を持つ二人は様々な内省をしつつ、それでも生きていかなければならないという心境に達する。
かくして自ら代打に立った「ワーニャ叔父さん」は成功裡に終わる。
この後、彼と彼女は、恐らく「ワーニャ叔父さん」で関係した韓国人夫婦と共に韓国に渡って生活を始めたようだが、屋上屋を架す幕切れのように感じた。その前の、韓国人妻の演じるソーニャの韓国手話による発言が頗る感動的だからである。
ワーニャ叔父さんとソーニャの心境が正に悠介とみさきの心境とオーヴァーラップし、感極まったところで、韓国の描写が入るのは、元来韓国を主な撮影地とする予定の名残りなのかもしれないが、蛇足と言いたくなる。
ただ良い点を探せば、ヒロインみさきの表情がこの地でぐっと柔らかくなっているのが認められること。
全体として、主人公の心情を綴った内容も、その心情を常時沈潜させたような陰鬱気味の画面も、大いに魅力的ながら、まだ内容を把握し切れていない気がするので、☆★を抑え気味にしておく。
本作を観ると、一般の常識と異なる視点かもしれないが、演劇は見せ方が映画より自由であるような気がする。逆にここまで実験的であれば現実に拘束されがちな映画でも成立すると思う。
ところが、最近二人の作家が行(おこな)った、映画で白人役を有色人種にやらせる(本作の演出家のように祖国の言葉でやらせれば良い)という、多様な民族の俳優を起用することだけを目的とした、中途半端な試みは内容を不明確にしてしまう。観客が演劇より現実そのものと思って見る可能性が高い映画においてその程度の見せ方では、内容に関して通常の知識しかない観客は試み或いは実験と思わず、首を傾げるか、あるいは何の疑問もなく観終えてしまう。怖いのは後者である。
映画の内容には合わないが、映画のどこかでビートルズの「ドライブ・マイ・カー」を聞きたかったねえ。
この記事へのコメント
これはほんとうにそう思いますね。
演劇だと、その舞台上の演劇世界を観る、というのが観客も前提として共有してくれているので、そこに独自の宇宙を作れるようなかんじがします。観る側がそれをそういうものとして受け入れてくれるし。
>その舞台上の演劇世界を観る
演劇は、第四の壁という約束事が、寧ろ自由を保証するという感じです。
でも、みさき(三浦透子)が出てくる場面が良かったです。淡々と自分の仕事をこなす。家福悠介(西島秀俊)を相手に完全に腹を割って話すところまでいかないにせよ、子供の頃の苦労話や母親の死について語る。
>ビートルズの「ドライブ・マイ・カー」
ポール・マッカートニー来日(2002年)のライヴ。1曲目がそれでした。これは2005年ロンドンのハイドパークですね。ジョージ・マイケルが飛び入り?
https://www.youtube.com/watch?v=gFg13rHCF44
>前回のではなく今の民主党はマシと思いますが。
衆議院選挙をやって欲しいです。
>日本はCDを作れてもなかなか良いロケットが作れない。
そこが日本の科学の限界ですね・・・。資源の問題?
>森友学園問題
大阪地裁。元理財局長に損害賠償を求めたけど棄却。赤木さんの奥様が気の毒でした。
>3時間は長かったです。
即興演出を用いた部分があると思われますが、即興演出はどうも長くなる傾向あるようです。
物語として面白いかどうか疑問の余地はありますが、映画として面白い作品でした。
>ジョージ・マイケルが飛び入り?
どうもそのようですね。
60代に入っていますが、ポールもまだ声が出ていますね。さすがに近年は音域が狭まっています。
ところで、「ゲット・バック・セッション」のブルーレイを買って、見終えましたよ。
葛藤があって重苦しいところもありますが、名曲が生れる瞬間、曲が完成形に近づく過程が見られて、感動しました。
>衆議院選挙をやって欲しいです。
今やると、与野党交代というほどではないにしても、大幅に議席を失うので、首相は衆議院を解散しませんよね。
先月の「朝まで生テレビ」で、田原総一朗が面白いことを言っていました。野党を勝てなくしたのは警察だ、と。
>そこが日本の科学の限界ですね・・・。資源の問題?
それもあるかもしれませんが、文科省のせいかもです。
日本の官僚は、目先の事しか考えていないので、科学に限らずあらゆる面で衰退するしかないようです。
インボイス制度というのが多分アニメをダメにします。そうでなくても給料が少ないアニメーターが皆中国に仕事場を見つけるでしょう。クールジャパン沈没。
>大阪地裁。元理財局長に損害賠償を求めたけど棄却。赤木さんの奥様が気の毒でした。
三権分立というけれど、日本の裁判所は官邸を怖がり過ぎていますね。検察まで政権に忖度しているのだから、お話にならない。
>演劇での最後の手話の場面は感動的でした。
これは素晴らしかったですね。
だからこそ、クラシックな映画観では、最後は蛇足気味と思われるわけです。
>ラストはみさきが殻から抜け出して新しい人生がはじまったということなのかなって。
全くその通りだと思います。
表情が柔らかかったですからね。
展開上十分あり得るものですし、蛇足と言っても、小さな瑕疵にすぎないと思いますが、一応問題として言及しました^^
一方でこの監督には、多言語空間、それもアジアの、というのに思い入れがありそうなので、みさきが韓国にいる所を見せたかったのかなあって。
>多言語空間、それもアジアの、というのに思い入れがありそうなので、みさきが韓国にいる所を見せたかったのかなあって。
その文脈では、全くその通りなんです^^