映画評「ミス・マルクス」

☆☆★(5点/10点満点中)
2020年イタリア=ベルギー合作映画 監督スザンナ・ニッキャレッリ
ネタバレあり

政治の話をする時に、陰謀論的なもの若しくは共産主義を持ち出す人を僕は信用しない。共産主義を標榜する国はあっても共産主義は終わったのだ。この現在において共産主義を持ち出すこと自体が陰謀論的だ。
 安倍元首相暗殺以来世間が沙汰している統一教会の政治部門・国際勝共連合ももはや共産主義が敵にならないので、自由主義や個人主義を標的にしている、と新聞にもあった。文化的には保守的でありつつ人権を重んじる個人主義の僕などは正に敵だろう。

本作はカール・マルクスの四女エリノア・マルクス(ロモーナ・ガライ)の半生を描いた伝記映画だが、余り面白くない。

彼女は父親と同じく、労働問題解決や女性の権利向上に尽力する一方、既婚者と知りつつ内内縁関係を結んだ劇作家エドワード・エイヴリング(パトリック・ケネディー)の女癖と経済観念のなさに疲弊し、活動にも行き詰まりを感じたのか、自殺してしまう。

彼女とエイヴリングが深刻そうな顔をして夫婦関係を語っている、と思ったら、実は演劇人を目指したこともある彼女がイプセン「人形の家」を翻案した内容と判るところと、それを観た男性陣が“最後にヒロインが自殺する展開ならもっと受けるだろう”と言う台詞が、幕切れへの皮肉として繋がって来るところが面白いが、現在のフェミニズム活動を透かし見せるような内容は “またか” という感じで食傷気味ではある。

僕は、どんな高尚な内容であっても、出来栄えが伴わなければ評価しない(至極当たり前のこと)立場なので、この作品の(とりわけ序盤のうちの)解りにくい人物関係や消化不良を感じる展開ぶりには良い顔をすることはできない。

背景音楽にクラシックとパンク・ロックを使っているのが興味深く、パンクに合わせてヒロインが踊っている(ように象徴的に見せている)ショットなど実験的であるが、策に溺れた感が強い。

マルクスがマルクス主義でないというのは、近年の定説になりつつある。

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