映画評「相続人」(1973年)
☆☆☆(6点/10点満点中)
1973年フランス映画 監督フィリップ・ラブロ
ネタバレあり
この作品が公開された頃若い僕は愛読誌【スクリーン】を隈なく読んでいた。その為か観た気になっていたが、どうも初鑑賞のようだ。
フィリップ・ラブロの監督作品としては「刑事キャレラ 10+1の追撃」のほうが良い。昨年ちょっとしたリバイバル公開が為されたようで、そのせいかWOWOWにも出て来た。
鉄鋼業界の大物が細君と共に自家用飛行機で墜落死し、相続人たる御曹司ジャン=ポール・ベルモンドがアメリカから戻って来る。切れ者の彼は両親の死が暗殺であると疑い、秘書シャルル・デネや重役ジャン・ロシュフォールと一致協力、同時にコングロマリット的に会社がやっている週刊誌も大いに活用し、陰謀の正体を突き止めようとする。
早々にフランスに入る時に税関で主人公が麻薬絡みで逮捕されそうな目に遭うのも父親殺しの陰謀と同じ一味の企みで、その罠を実行したのが飛行機の中でよろしい仲になった高級売春婦モーリーン・カーウィン。
他方、プレイボーイの彼は雑誌の発行人たる美人カルラ・グラヴィナにも触手を伸ばす。
しかし、その間も様々なピンチがあり、関係者が次々と死んでいく。やがて狙われる理由が戦中のナチズム・ファシズムに端を発することを知った主人公は、どういう運命を迎えるのか。
というお話で、Allcinemaの“公開当時スピーディーな演出が話題になった”というのは嘘である。そんな評価は僕の記憶にないし、実際には当時のフランス流通り見通しの悪い展開である。
途中で突然挿入される戦時中の親子を映し出すフラッシュバックなど一人合点の典型で、僕は何とか理解できたが、解らない方も多いだろう。ミステリーでもあるから、やむを得ないところがあるにしても、その説明が一々後出しなので解りにくいのである。主人公が息子を祖父の家から脱出させて意味深長な言葉を残す最終幕も多分に一人合点的で感心できない。
アメリカ映画と違って、アクションの処理は悪い意味でリアル、要はパンチを欠き、こういうのが冗長な印象をもたらしかねない。これはラブロに限らず、特にリュック・ベッソンが出る前のフランス刑事・犯罪映画に共通する傾向である。
反面、バラの扱いはオシャレであるし、カメラはスタイリッシュで、なかなか印象深い。話題になったとしたら、幾分スタイリッシュな演出であろう。
スピーディーと言えば、コロナが流行り始めた時、政権の “スピード感をもって” という説明に対して、言語感覚に優れた野党議員(女性だったと思う)が、“スピード感では困る。実際にスピードがなければ”と言ったことがある。これを受けてスピードへの言い換えが始まったが、いつの間にかまたスピード感に戻ってしまった。現在本来の意味と関係なく流行している世界観は実際には世界感と表記すべきであろうし、逆に距離感ではなく距離間という表記も歴然と存在しているようである。とにかく“かん”をつけると高級感があると思って必要もないのに皆つけたがる。病的と言うべし。
1973年フランス映画 監督フィリップ・ラブロ
ネタバレあり
この作品が公開された頃若い僕は愛読誌【スクリーン】を隈なく読んでいた。その為か観た気になっていたが、どうも初鑑賞のようだ。
フィリップ・ラブロの監督作品としては「刑事キャレラ 10+1の追撃」のほうが良い。昨年ちょっとしたリバイバル公開が為されたようで、そのせいかWOWOWにも出て来た。
鉄鋼業界の大物が細君と共に自家用飛行機で墜落死し、相続人たる御曹司ジャン=ポール・ベルモンドがアメリカから戻って来る。切れ者の彼は両親の死が暗殺であると疑い、秘書シャルル・デネや重役ジャン・ロシュフォールと一致協力、同時にコングロマリット的に会社がやっている週刊誌も大いに活用し、陰謀の正体を突き止めようとする。
早々にフランスに入る時に税関で主人公が麻薬絡みで逮捕されそうな目に遭うのも父親殺しの陰謀と同じ一味の企みで、その罠を実行したのが飛行機の中でよろしい仲になった高級売春婦モーリーン・カーウィン。
他方、プレイボーイの彼は雑誌の発行人たる美人カルラ・グラヴィナにも触手を伸ばす。
しかし、その間も様々なピンチがあり、関係者が次々と死んでいく。やがて狙われる理由が戦中のナチズム・ファシズムに端を発することを知った主人公は、どういう運命を迎えるのか。
というお話で、Allcinemaの“公開当時スピーディーな演出が話題になった”というのは嘘である。そんな評価は僕の記憶にないし、実際には当時のフランス流通り見通しの悪い展開である。
途中で突然挿入される戦時中の親子を映し出すフラッシュバックなど一人合点の典型で、僕は何とか理解できたが、解らない方も多いだろう。ミステリーでもあるから、やむを得ないところがあるにしても、その説明が一々後出しなので解りにくいのである。主人公が息子を祖父の家から脱出させて意味深長な言葉を残す最終幕も多分に一人合点的で感心できない。
アメリカ映画と違って、アクションの処理は悪い意味でリアル、要はパンチを欠き、こういうのが冗長な印象をもたらしかねない。これはラブロに限らず、特にリュック・ベッソンが出る前のフランス刑事・犯罪映画に共通する傾向である。
反面、バラの扱いはオシャレであるし、カメラはスタイリッシュで、なかなか印象深い。話題になったとしたら、幾分スタイリッシュな演出であろう。
スピーディーと言えば、コロナが流行り始めた時、政権の “スピード感をもって” という説明に対して、言語感覚に優れた野党議員(女性だったと思う)が、“スピード感では困る。実際にスピードがなければ”と言ったことがある。これを受けてスピードへの言い換えが始まったが、いつの間にかまたスピード感に戻ってしまった。現在本来の意味と関係なく流行している世界観は実際には世界感と表記すべきであろうし、逆に距離感ではなく距離間という表記も歴然と存在しているようである。とにかく“かん”をつけると高級感があると思って必要もないのに皆つけたがる。病的と言うべし。
この記事へのコメント
語末に「感」とか、〇ン、という音が付くと、おさまりがいい、言いやすいからというのがありそうですね。
聞いている方はいいたいことを分かってくれるだろう、というのもありそう。
それはそれとして、フランス映画だと、アクションがアメリカ映画にくらべてまったりしてる印象はありますね。べつの意味でハリウッド映画よりリアリティがあって気持ち悪かったりもするんですが。
ジャン・ポール・ベルモンドはすばらしいアクションスターだったし、また、フランス的なおかしみを自然に出せるスターでした。知性が感じられるのがいいんですよね。
>語末に「感」とか、〇ン、という音が付くと、おさまりがいい、言いやすいからというのがありそうですね。
反応してくれて有難うございます。
音韻学的にも何かありそうですが、とにかく、スポーツ中継を見ても距離で良いところで距離感(実際には距離間)という言葉が頻繁に出て来て、言葉にうるさい僕などは馬鹿じゃなかろうか、と思いますよ。
>フランス映画だと、アクションがアメリカ映画にくらべてまったりしてる印象はありますね。べつの意味でハリウッド映画よりリアリティがあって気持ち悪かったりもするんですが。
それが実情でした。
リュック・ベッソンがアメリカナイズして、大分キビキビさせたわけですが、僕はそれを逆説的に、半ば褒め言葉で“リュック・ベッソンがフランス映画をつまらなくした”と言っていたんですけど、これは相当誤解されましたね(笑)。
>ジャン・ポール・ベルモンドはすばらしいアクションスターだったし、また、フランス的なおかしみを自然に出せるスターでした。
フランスではアラン・ドロンより人気があった(らしい)。
面白いのは、ベルモンドがルパン三世に影響を与えたらしいという事実。面白いのは、ベルモンドも吹き替えもルパン三世のアフレコも、亡き山田康雄がやっていたということ。偶然ではないのでしょうね。