映画評「アンドロクレスと獅子」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1952年アメリカ映画 監督チェスター・アースキン
ネタバレあり

僕も有名なところは結構読んでいるジョージ・バーナード・ショーの戯曲の映画化で、彼らしく皮肉いっぱいの内容。

映画サイトのストーリー紹介が歴史的に致命的な間違いをしている。キリスト教徒迫害のお話なのに、設定が紀元2世紀になっているのである。キリスト生誕前を紀元前BC(Before Christ)としている(後年4年ずれていることが判ったが)事実に照らせば、何と基礎的なミスでありましょうか。世界史をきちんと勉強していれば考えるまでもなく解る。
 実際には紀元161年という設定で、当時の皇帝はアントニヌス・ピウス。映画でもそうなっている。

闘技場での見世物にする為にキリスト教徒がローマの官憲に捕えられることになる。その中に仕立屋アンドロクレス(アラン・ヤング)がいるが、彼は達観した優しい性格で、逃亡中に襲撃されそうになったライオンの足の大きな棘が刺さっているのを発見して抜いてやり、親しくなってトミーと名付ける。
 彼と一緒に闘技場に送られるのは女性たちも同じで、剣闘士と闘う代わりにライオンの餌食になる運命である。その中にラヴィニア(ジーン・シモンズ)という美女がい、これに護衛の隊長(ヴィクター・マチュア)が参ってしまい、宗旨替えして自分と結婚するように説得するが、すっかり帰依している彼女は言うことをきかない。
 他に腕力が強いフェロヴィウス(ロバート・ニュートン)という信者がいて、自身の暴力的な性向を怖れつつ、相手に妙な恐怖を与えて詭弁を以って回心させるという妙技を持っている。
 ローマに到着し、これらの人々が遂に堕落した観客の待つ闘技場へ順次送り込まれていくが、フェロヴィウスは剣闘士を全員倒してしまい、皇帝のお気に入りになり、キリスト教徒は魔術師と噂されるアンドロクレスを除いて解放される。アンドロクレスは剣闘の代りにライオンの餌食に決まる。が、出て来たのは彼と友達であるトミー。かくしてライオンを隣に控えて誰も手が出せないアンドロクレスは仲良く町を去って行く。

恐妻家のアンドロクレスと細君(エルザ・マンチェスター)をめぐる序盤の騒動から喜劇タッチで、皮肉っぽい台詞でドタバタ喜劇味を抑制的にした中盤を挟んだ後、最後のライオンとのダンスで再び爆笑となる。

台詞はショーらしく諧謔的で実に優れているが、その風刺や皮肉は、権力に対する以上に、宗教の戒律や信仰に向けられる。乱暴に言ってしまえば、宗教の差なんてないに等しい、という風に理解したくなる。
 信心深くない多くの日本人は西洋人以上にこの宗教観に納得できるわけで、IMDbでの評価が今一つ上がらない理由は西洋人の信心と関連があるかもしれない。

ジーン・シモンズが誠に美しいが、隊長との恋模様はつまらない(台詞の応酬にやや楽しめる部分あり)。

プライム・ビデオへの投稿数を見ても観た人が少ないことが伺えるものの、観る価値は十分ある。

旧統一協会を教会と書く人が多いが、本当は協会。日本を悪魔の国と決めつける団体に寄り添う自民党という存在は何なのだ? 関連団体と関係のあった人の多くが“統一協会の関連団体とは知らなかった”と弁明しているが、そんなはずがあるわけない。

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