映画評「クライ・マッチョ」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2021年アメリカ映画 監督クリント・イーストウッド
ネタバレあり
クリント・イーストウッド最新の監督・主演作はアメリカでひどく評判が悪い。IMDbの投票平均は5.7に過ぎない。10点満点の中間値(5.5)は辛うじて超えているが、僕が観た映画の平均値が6.8くらいであることを考えると相当悪い。偏差値であれば40くらいだろう。
しかし、僕は、彼が主演せずに監督だけした幾つかの評判の良い作品群より好感を持ったくらい。確かに「グラン・トリノ」や「運び屋」など彼が主演も監督もした旧作に共通する要素が多く、新味という点では問題があるにしても、僕はこのロード・ムービーの力の抜けた佇まいに大いなる快さを覚えるのだ。
元ロデオ・スターのイーストウッド老が、かつて子供を失って零落した状況から救ってくれた牧畜関係者ドワイト・ヨーカムに、メキシコにいる元妻フェルナンダ・ウレホラから13歳の息子エドゥアルド・ミネットを連れ帰るように依頼される。
気が乗らないものの恩人の為にメキシコへ入った老人は、フェルナンダにたらしこまれるのを避け、家に居つかず闘鶏に打ち込んでいる少年を発見して連れ帰ろうとするが、元妻側が連絡した警察が検問をし、一味が追跡して来るので、ストレートに国境まで行くことができず、ある町の礼拝堂で寝泊まりするうち、娘夫婦を失い孫娘3人と暮らしながら定食屋の経営する女将ナタリア・トラヴェンに世話を受け、町の住民たちとも親しくなっていく。
しかし、その周辺にまた一味が姿を現したことから、二人は定食屋の家族への未練を振り切って、また米国国境へと向かう旅に出る。そして、なおもしつこく追って来る一味をやっつけるのは少年の愛鶏マッチョである。
かくして危機をしのいだイーストウッド老は少年を国境で、部分的にはけしからぬ思惑で少年を待っていた父親に引渡し、すっかり惚れ込んでしまった女将のいる定食屋に帰って行く。
老人と少年の心の交流を描いた作品である。マッチョという概念の良い面ばかりを追う少年と、そのマイナス面を嫌と言うほど知っている老人とが、祖父と孫のような関係を築いていく過程を淡々と綴る映画である。
勿論、少年がマッチョのマイナス面に皮膚感覚的に気付くにはまだ何十年もの月日を経る必要がある。これは言葉で理解させることは出来ないのである。
そのマイナスをよく知っている老人は、自分に愛情を寄せる女将の許へ躊躇することなく帰って行く。実に清々しいではないか。
企画自体はかなり古いらしいが、寧ろそれより後に企画された旧作群をなぞられたような内容になっているのが面白い。
マッチョ、疑似家族、保守的な立場でのマイノリティや異民族へのアプローチ等々、いつか見たような情景が、90歳代になって以前よりぐっと枯れた味わいで再現され、格別イーストウッド監督のファンとは言い難い僕もじーんとさせられた。
本作の評価に限らず、イーストウッドはアメリカより日本での評価が圧倒的。ベストテンで第1位を8回も進呈している【キネマ旬報】批評家陣は神聖視しすぎているが、日本人の肌に合うというのは僕も理解できる。
2021年アメリカ映画 監督クリント・イーストウッド
ネタバレあり
クリント・イーストウッド最新の監督・主演作はアメリカでひどく評判が悪い。IMDbの投票平均は5.7に過ぎない。10点満点の中間値(5.5)は辛うじて超えているが、僕が観た映画の平均値が6.8くらいであることを考えると相当悪い。偏差値であれば40くらいだろう。
しかし、僕は、彼が主演せずに監督だけした幾つかの評判の良い作品群より好感を持ったくらい。確かに「グラン・トリノ」や「運び屋」など彼が主演も監督もした旧作に共通する要素が多く、新味という点では問題があるにしても、僕はこのロード・ムービーの力の抜けた佇まいに大いなる快さを覚えるのだ。
元ロデオ・スターのイーストウッド老が、かつて子供を失って零落した状況から救ってくれた牧畜関係者ドワイト・ヨーカムに、メキシコにいる元妻フェルナンダ・ウレホラから13歳の息子エドゥアルド・ミネットを連れ帰るように依頼される。
気が乗らないものの恩人の為にメキシコへ入った老人は、フェルナンダにたらしこまれるのを避け、家に居つかず闘鶏に打ち込んでいる少年を発見して連れ帰ろうとするが、元妻側が連絡した警察が検問をし、一味が追跡して来るので、ストレートに国境まで行くことができず、ある町の礼拝堂で寝泊まりするうち、娘夫婦を失い孫娘3人と暮らしながら定食屋の経営する女将ナタリア・トラヴェンに世話を受け、町の住民たちとも親しくなっていく。
しかし、その周辺にまた一味が姿を現したことから、二人は定食屋の家族への未練を振り切って、また米国国境へと向かう旅に出る。そして、なおもしつこく追って来る一味をやっつけるのは少年の愛鶏マッチョである。
かくして危機をしのいだイーストウッド老は少年を国境で、部分的にはけしからぬ思惑で少年を待っていた父親に引渡し、すっかり惚れ込んでしまった女将のいる定食屋に帰って行く。
老人と少年の心の交流を描いた作品である。マッチョという概念の良い面ばかりを追う少年と、そのマイナス面を嫌と言うほど知っている老人とが、祖父と孫のような関係を築いていく過程を淡々と綴る映画である。
勿論、少年がマッチョのマイナス面に皮膚感覚的に気付くにはまだ何十年もの月日を経る必要がある。これは言葉で理解させることは出来ないのである。
そのマイナスをよく知っている老人は、自分に愛情を寄せる女将の許へ躊躇することなく帰って行く。実に清々しいではないか。
企画自体はかなり古いらしいが、寧ろそれより後に企画された旧作群をなぞられたような内容になっているのが面白い。
マッチョ、疑似家族、保守的な立場でのマイノリティや異民族へのアプローチ等々、いつか見たような情景が、90歳代になって以前よりぐっと枯れた味わいで再現され、格別イーストウッド監督のファンとは言い難い僕もじーんとさせられた。
本作の評価に限らず、イーストウッドはアメリカより日本での評価が圧倒的。ベストテンで第1位を8回も進呈している【キネマ旬報】批評家陣は神聖視しすぎているが、日本人の肌に合うというのは僕も理解できる。
この記事へのコメント
>イーストウッドはアメリカより日本での評価が圧倒的
これもちょっとふしぎですね。アメリカ人の評価軸はよく分からない。イーストウッドとかウッディ・アレンとか、世界的に見ても最高峰でしょうに。しかもお二人とも、アメリカ映画の粋を体現してるのにね。
>アメリカ人の評価軸はよく分からない。
日本で受ける理由はある程度想像がつくのですが、アメリカ人に受けない理由は僕も解らないですね。