映画評「進め竜騎兵」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
1936年アメリカ映画 監督マイケル・カーティス
ネタバレあり
トニー・リチャードスンの「遥かなる戦場」(1968年)と同じ素材、即ちクリミア戦争におけるバラクラヴァの戦いの映画化だが、ぐっとメロドラマ的に作られている。
変な感慨を呼ぶのは、この映画で示されるロシアに対する(英国の)言論は、現在と全く変わらないことである。海洋に活路を見出そうとしているロシア、暴虐的なロシア、国境で争いが始まると戦火が広がるという意見、等々、170年経っても殆ど変わっていない。当時はともかく、現在において、覇権という意識は疾うに捨てた英国に対し、ソ連を経てもその覇権主義を変えなかったプーチン大統領のロシアの時代錯誤には驚くのみである。
1850年代の、英国領になる直前のインドが最初の舞台である。
英国軍は、山岳地帯の太守C・ヘンリー・ゴードンとの懐柔策を試みる。大尉エロール・フリンが虎に襲われる危機を救ったことで信頼を勝ち取る。しかし、野心満々の太守は、結局、裏切って砦を急襲、最終的には残っていた女・子供まで皆殺しにする。
これに怒りを禁じ得ないフリン少佐(この間に昇進)は、クリミア戦争に駆り出された後、ロシアと関係の深い太守がこちらの戦いにも絡んでいることを知ると、情報部の特権を生かして上官の将軍ヘンリー・スティーヴンスンの手紙を偽装、600余名の大隊をもって無謀なバラクラヴァの戦いに挑む。
半数近くが死傷するという大悲劇に終わったこの戦いは、英国の桂冠詩人として名高いアルフレッド・テニスンが叙事詩にしていて、本作はそれを着想源にしている。史実的にはインドの事件はクリミヤ戦争が終わった後で、本作のような劇的な因果関係はない。
本作をぐっとドラマティックにするのは、将軍の娘オリヴィア・デ・ハヴィランドを挟むフリンと弟パトリック・ノウルズとの三角関係で、彼女の心が自分にないと知ったフリンが弟に戦いに参加させないように配慮するというメロドラマ的な展開。犠牲精神にじーんとするのは西洋人も同じということがよく解ります。
しかし、本作の一番の見どころは、終盤かなり長い尺で描かれる戦闘模様のスペクタクル。
とりわけ凄いのは大量の馬を使って、それを次々と倒すのである。どういう風に撮ったか知りたいものだが、200頭以上の馬が安楽死を含めて死んだと言う(AllcinemaのI氏のコメント参照)。動物愛護の観点でもはや実写では再現できないもの凄い見せ場なのだ。
人間のほうでは、馬に乗りながら英国旗を死んだ旗手から取り上げるというアクションに血沸き肉躍る。
配役陣では、先日の「風雲児アドヴァース」に続いて、まだまだお嬢様役が多かった時代のオリヴィア・デ・ハヴィランドが可憐。
日本において、英米人の人名-sonの表記が安定しない。僕は【スクリーン】誌に倣って現地発音に近いスンを取っているが、ビートルズを聴き始めた頃のジョージ・ハリソンがいつの間にかハリスンになった。テニスンもかつてはテニソンだった。チャールズ・ブロンソンは相変わらずブロンソン(僕は全てブロンスンだけど)だ。
1936年アメリカ映画 監督マイケル・カーティス
ネタバレあり
トニー・リチャードスンの「遥かなる戦場」(1968年)と同じ素材、即ちクリミア戦争におけるバラクラヴァの戦いの映画化だが、ぐっとメロドラマ的に作られている。
変な感慨を呼ぶのは、この映画で示されるロシアに対する(英国の)言論は、現在と全く変わらないことである。海洋に活路を見出そうとしているロシア、暴虐的なロシア、国境で争いが始まると戦火が広がるという意見、等々、170年経っても殆ど変わっていない。当時はともかく、現在において、覇権という意識は疾うに捨てた英国に対し、ソ連を経てもその覇権主義を変えなかったプーチン大統領のロシアの時代錯誤には驚くのみである。
1850年代の、英国領になる直前のインドが最初の舞台である。
英国軍は、山岳地帯の太守C・ヘンリー・ゴードンとの懐柔策を試みる。大尉エロール・フリンが虎に襲われる危機を救ったことで信頼を勝ち取る。しかし、野心満々の太守は、結局、裏切って砦を急襲、最終的には残っていた女・子供まで皆殺しにする。
これに怒りを禁じ得ないフリン少佐(この間に昇進)は、クリミア戦争に駆り出された後、ロシアと関係の深い太守がこちらの戦いにも絡んでいることを知ると、情報部の特権を生かして上官の将軍ヘンリー・スティーヴンスンの手紙を偽装、600余名の大隊をもって無謀なバラクラヴァの戦いに挑む。
半数近くが死傷するという大悲劇に終わったこの戦いは、英国の桂冠詩人として名高いアルフレッド・テニスンが叙事詩にしていて、本作はそれを着想源にしている。史実的にはインドの事件はクリミヤ戦争が終わった後で、本作のような劇的な因果関係はない。
本作をぐっとドラマティックにするのは、将軍の娘オリヴィア・デ・ハヴィランドを挟むフリンと弟パトリック・ノウルズとの三角関係で、彼女の心が自分にないと知ったフリンが弟に戦いに参加させないように配慮するというメロドラマ的な展開。犠牲精神にじーんとするのは西洋人も同じということがよく解ります。
しかし、本作の一番の見どころは、終盤かなり長い尺で描かれる戦闘模様のスペクタクル。
とりわけ凄いのは大量の馬を使って、それを次々と倒すのである。どういう風に撮ったか知りたいものだが、200頭以上の馬が安楽死を含めて死んだと言う(AllcinemaのI氏のコメント参照)。動物愛護の観点でもはや実写では再現できないもの凄い見せ場なのだ。
人間のほうでは、馬に乗りながら英国旗を死んだ旗手から取り上げるというアクションに血沸き肉躍る。
配役陣では、先日の「風雲児アドヴァース」に続いて、まだまだお嬢様役が多かった時代のオリヴィア・デ・ハヴィランドが可憐。
日本において、英米人の人名-sonの表記が安定しない。僕は【スクリーン】誌に倣って現地発音に近いスンを取っているが、ビートルズを聴き始めた頃のジョージ・ハリソンがいつの間にかハリスンになった。テニスンもかつてはテニソンだった。チャールズ・ブロンソンは相変わらずブロンソン(僕は全てブロンスンだけど)だ。
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