映画評「天空の城ラピュタ」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1986年日本映画 監督・宮崎駿
ネタバレあり

TVのニュース番組がジブリパークの開園の紹介した際に、苔むしたロボット兵の姿を見て、ブログ開設以来観ていないこのスタジオジブリ第一作が見たくなったのだった。

宮崎駿監督の長編第3作で、初見時は前2作に比べて、恐らく登場人物の賑やかしさのせいか、僕のロマンを求める心をくすぐり切らないところがあった。
 二回目は、20年程前に元同僚を遥か石川県に訪れた時に細君が語った言葉に触発され観たのだが、彼女が特に力を入れて語ったロボット兵の自然に対する優しさに涙した。無機物に涙したのは生れて初めてで、評価をも上げたという経緯がある。
 今回が3回目。

海賊親子が乗る自動車の形から想像するに、時代背景は19世紀末くらい。
 どこぞの(この類の作品の定石通りドイツを想起させる)政府機関の飛行船の中に囚われたシータ(声:横沢啓子)は、飛行船が彼女の持つ飛行石のペンダントを彼ら同様に狙う海賊のドーラ(声:初井言榮)一家に襲われた隙に外に飛び出すが、当然のように落下してしまう。
 しかし、飛行石のおかげで軟着陸し、孤児の少年パズー(声:田中真弓)に救出される。この少年は、亡き父親が空中に浮かぶ城ラピュタを見たことがあり、詐欺師呼ばわりされて死んだ父の無念を晴らすべくその城を探す宿願を持っていると語る。驚いたことに、シータは城主の末裔で、彼女のペンダントを構成するのと同じ飛行石により城は浮かんでいることが判って来る。
 かくして、二人は特務機関と海賊との争奪戦の対象となるが、激しい出入りを経て、最終的に二人の味方となるのは実は善人揃いのドーラ一家で、紆余曲折の末、関係者は全員ラピュタの城に辿り着く。
 ラピュタの血を引くのは特務機関の司令官ムスカ(声:寺田農)も同様だが、シータは、仲間の軍人たちをも皆殺しにしようとする人でなしのムスカには協力する気になれずに敵対、パズーも兵士やムスカを向うに回して大奮闘する。

宮崎駿の映画を観るたびに世界観という言葉が頭に浮かんでくる。世界観(世界に関する考え)は本来考える人間に使われるべきものだから、作品に世界観があるわけではない。作品に作者の世界観が反映されることがあり、その感想に“世界観”を使っても当てはまることがあるが、 ”スタジオジブリの世界観が楽しめるジブリパーク”などという言い方を僕は認めていない(”世界感”ならよろし)。
 宮崎駿の世界観は、人間は自然の一部に過ぎないという徹底した考えである。自然は厳しく人間に接することもあるし、人間を癒してくれることもある。これが僕が宮崎駿アニメに共通して感じるもので、本作では、ロボット兵の行為を根拠に、自然への畏怖と敬意という言葉がラピュタの城に着いて以降、僕の頭に渦巻き続けている。アメリカのアニメ界が宮崎アニメに倣って自然をテーマにした作品を作ることがあるが、付け焼刃で深い思想はとても感じられずがっかりさせられるのとは、対照的なのである。

一連の作品を眺めると、空あるいは飛ぶことへの憧れが宮崎監督の基本となってい、次に重要なのが生命の源たる水である。彼の世界観と深く関係するものと考えられる。勿論そんな哲学的なことを無視しても、空を飛ぶものを見るのは楽しく、パズーの冒険模様も血沸き肉躍るという印象を醸成するが、やはり前作「風の谷のナウシカ」のスケールと哲学性に一歩譲ろうか。

久石譲の主題曲が素晴らしく、聞くだけで涙が出で来る。

パズーは、きっと「えんとつ町のプぺル」の少年の着想源だね。しかし、本作もスウィフトの「ガリバー旅行記」の挿話が元ネタになっているように、パクリパクリと騒ぐのは程度が低い。僕は借用と言うことが多いが、作者のスタンスによっては学習(の結果)と言うこともある。オマージュ(表敬)かどうかはきちんと見れば解る。借用や学習がオマージュとは限らないが、それを根拠に批判するのは全く文化への理解を欠き、馬鹿げている。稀に批判に価する作品があるだけである。

この記事へのコメント

2022年10月20日 14:47
借用とか援用とか本歌取りとか、そのうえでの傑作というのは多いですよね。
ウッディ・アレンもそうだし、音楽だとプリンスもそういう印象のものが多いです。換骨奪胎になるんですかね、プリンスだと。

あんまりえらそうなことは言えないんですが、一般の人の意見がネットで多く目に入るようになると、一般人とはいえ洋画ファンだったらふつうはこんなこといわなかったのに、みたいなコメントが目につくようになって、現実を思い知らされる気分になったりします。
オカピー
2022年10月20日 18:38
nesskoさん、こんにちは。

>借用とか援用とか本歌取りとか、そのうえでの傑作というのは多いですよね。

nesskoさんがプリンスを出して来たので音楽関連で行きますと、ビートルズの「カム・トゥゲザー」がチャック・ベリーの「ユー・キャント・キャッチ・ミー」の盗作として沙汰されましたが、ジョン・レノンが好きだからやってしまったのでしょう。名声もお金もあった彼が好きでもない曲をわざわざ利用する必要などないわけですから。
 指摘を受けたジョンは、後年ソロ・アルバム「ロックンロール」でこのカバーを公式にやって、謝礼を示しました。

>一般の人の意見がネットで多く目に入るようになると

ネットは一般人が言いたいことを好き勝手に言えるような土壌になりましたね。見苦しい罵詈雑言が多い。
 僕などは、批評ですから、作品や監督に厳しいことを言うこともあるわけですが、そのファンから色々と言われることがありましたよ。厳しい意見ではあっても悪口ではないはずなんですがね。