映画評「結婚の夜」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
1935年アメリカ映画 監督キング・ヴィダー
ネタバレあり
プライム・ビデオの会員無料枠にはゲイリー・クーパーの主演作品が結構ある。二作続けて200分を超える作品を見たので、短いのをということで選んだところ、IMDbに行ったら観ておりました。
いつ観たか全く記憶がないが、衛星放送による映画放映が劇的に充実していた1990年代だろうか。前回は☆☆★という厳しい評価をしたが、今回の印象はなかなか良い。
一作目は売れたがその後は鳴かず飛ばすの小説家クーパー氏が、そんな貧乏暮らしにも堪えている妻ヘレン・ヴィンスンと共に、故郷のコネチカットの田舎に戻り、晴耕雨読的に書いてみようとする。お金に困っている折に、隣の(と言っても結構距離がある)ポーランド系農家の訪問を受け、土地を売ってくれないかともちかけられる。言い値で契約で成立するが、細君は田舎暮らしに飽きて都会へ帰ってしまう。
その土地を結納金とされる農家の娘アンナ・ステンは作家に対して気の強いところも見せるが、次第に、婚約者ラルフ・ベラミーにない作家の洗練に傾いていく。彼も娘の明朗な風情に靡く。しかるに、雪が降って彼女が彼の家に閉じ込められる羽目になっても、二人は紳士淑女の立場を守るのだ。
結局、親に強制された結婚は行われるが、初夜の段になり、嫉妬に狂ったベラミーが披露宴の場にも現れて愛情を露骨に示した作家の家に殴り込みに入り、それを心配して駆けつけたアンナは二人に挟まって階段から落下、そのまま帰らぬ人となる。
内容はメロドラマ的ではあるが、文芸ムードが濃厚であり、かつ人物の扱いや展開は当時のハリウッド映画としては案外厳しく、作り方におけるメロドラマには当たらない。
寧ろポーランド・コミュニティの保守性をベースに、父権主義的な男尊女卑に抗するフェミニズム的な姿勢が相当に明確である。
クーパーの作家は最初は現実主義的な人物のように見えたが、田舎娘の清々しさに創作精神が刺激されて作家的になって来る。作家の性格に一貫性がないような気はするものの、それまでの場面のタッチとは全然違う、まるでジェラール・フィリップの文芸作品を見るような、切ない幕切れの抒情性が今回は大いに気に入った。以下の如し。
傍らにいる細君に話をしつつ彼は窓越しに、丘を下って来る今は亡きアンナの姿を幻視し、彼女の挨拶に「モロッコ」(1930年)の主人公のように手を振って応える。振り返ると細君は姿を消している。
関係者全員が不幸な気分を味わうこの幕切れの文芸的な香りは全く捨てがたい。ロマンスや人情ものに秀作の多いキング・ヴィダーが腕前を発揮したと言って良いのではないか。
ロシア出身でドイツで評判を取って、ハリウッドがグレタ・ガルボのようなスターにすべく招聘したアンナ・ステンはその思い通りには行かなかったようだ。戦前の主演作は文芸作品が多く、僕は案外好きな女優だ。
戦前のハリウッド・メジャー映画を観ると、びっくりするくらいフェミニズムに立脚した作品が多い。女性の権利は当時よりぐっと拡張したが、70~80年後の現在も同様の作品が作られるところを見ると、まだまだ道半ばということなのだろう。
1935年アメリカ映画 監督キング・ヴィダー
ネタバレあり
プライム・ビデオの会員無料枠にはゲイリー・クーパーの主演作品が結構ある。二作続けて200分を超える作品を見たので、短いのをということで選んだところ、IMDbに行ったら観ておりました。
いつ観たか全く記憶がないが、衛星放送による映画放映が劇的に充実していた1990年代だろうか。前回は☆☆★という厳しい評価をしたが、今回の印象はなかなか良い。
一作目は売れたがその後は鳴かず飛ばすの小説家クーパー氏が、そんな貧乏暮らしにも堪えている妻ヘレン・ヴィンスンと共に、故郷のコネチカットの田舎に戻り、晴耕雨読的に書いてみようとする。お金に困っている折に、隣の(と言っても結構距離がある)ポーランド系農家の訪問を受け、土地を売ってくれないかともちかけられる。言い値で契約で成立するが、細君は田舎暮らしに飽きて都会へ帰ってしまう。
その土地を結納金とされる農家の娘アンナ・ステンは作家に対して気の強いところも見せるが、次第に、婚約者ラルフ・ベラミーにない作家の洗練に傾いていく。彼も娘の明朗な風情に靡く。しかるに、雪が降って彼女が彼の家に閉じ込められる羽目になっても、二人は紳士淑女の立場を守るのだ。
結局、親に強制された結婚は行われるが、初夜の段になり、嫉妬に狂ったベラミーが披露宴の場にも現れて愛情を露骨に示した作家の家に殴り込みに入り、それを心配して駆けつけたアンナは二人に挟まって階段から落下、そのまま帰らぬ人となる。
内容はメロドラマ的ではあるが、文芸ムードが濃厚であり、かつ人物の扱いや展開は当時のハリウッド映画としては案外厳しく、作り方におけるメロドラマには当たらない。
寧ろポーランド・コミュニティの保守性をベースに、父権主義的な男尊女卑に抗するフェミニズム的な姿勢が相当に明確である。
クーパーの作家は最初は現実主義的な人物のように見えたが、田舎娘の清々しさに創作精神が刺激されて作家的になって来る。作家の性格に一貫性がないような気はするものの、それまでの場面のタッチとは全然違う、まるでジェラール・フィリップの文芸作品を見るような、切ない幕切れの抒情性が今回は大いに気に入った。以下の如し。
傍らにいる細君に話をしつつ彼は窓越しに、丘を下って来る今は亡きアンナの姿を幻視し、彼女の挨拶に「モロッコ」(1930年)の主人公のように手を振って応える。振り返ると細君は姿を消している。
関係者全員が不幸な気分を味わうこの幕切れの文芸的な香りは全く捨てがたい。ロマンスや人情ものに秀作の多いキング・ヴィダーが腕前を発揮したと言って良いのではないか。
ロシア出身でドイツで評判を取って、ハリウッドがグレタ・ガルボのようなスターにすべく招聘したアンナ・ステンはその思い通りには行かなかったようだ。戦前の主演作は文芸作品が多く、僕は案外好きな女優だ。
戦前のハリウッド・メジャー映画を観ると、びっくりするくらいフェミニズムに立脚した作品が多い。女性の権利は当時よりぐっと拡張したが、70~80年後の現在も同様の作品が作られるところを見ると、まだまだ道半ばということなのだろう。
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