映画評「イギリスから来た男」
☆☆★(5点/10点満点中)
1999年アメリカ映画 監督スティーヴン・ソダーバーグ
ネタバレあり
スティーヴン・ソダーバーグは「オーシャンズ11」(2001年)以降大分通俗的な作品を作る傾向が強くなった印象があるが、本作などはプログラム・ピクチャー的なお話をスタイリッシュに作った印象。それが良くない面として現れたところが多いことは否めない。
何度も服役した経験のある英国老人テレンス・スタンプが、娘メリッサ・ジョージがアメリカで酒気帯び運転で交通事故死したという手紙を受け取り、彼女が住んでいたロスアンゼルスにやって来る。
その事実を不審に思い、手紙を出したメキシコ系男性ルイス・ガスマンと会うと、彼女は音楽業界の大物ピーター・フォンダと愛人生活を送っていたことが判る。娘の演技を指導していたレスリー・アン・ウォーレンによれば人殺しをするタイプではないということだが、いずれにせよ彼が元凶と信じ、彼の開くパーティーにガスマンと出かけ、自分が彼を殺す様子を様々に想像するが、実際に殺したのは口を挟んできた護衛の大男である。現場を後にした二人は用心棒バリー・ニューマンに追跡され、激しいカーチェースとなりながらも、事なきを得る。
ニューマンが依頼したチンピラ二人にスタンプが襲われた時にDEA(昨日に続いてまたまた登場)の刑事が現れて、フォンダと麻薬ディーラーと取引について語る。
このDEAとの会話場面の存在は相当奇妙で首を傾げさせる。
スタンプは別荘に移動するフォンダのグループを追う。これをややこしくすると言うか、結果的にスタンプに協力する形になるのが、お金を奪おうと現れたチンピラ二人である。この銃撃戦で残ったフォンダを老人が追い詰める。彼は真相を語った内容の為に相手を殺すことができず、ロサンゼルスを後にする。
シンプルな構図の話だが、スタイリッシュな見せ方に混乱することが多い。
例えば、老人と演技指導者の一つの会話が三つの場所に分けて語られる。勿論同じ話を三つの場所でしたわけではなく、映画的に気取った表現に過ぎないが、シンプルな話だけに良くない気がする。尤も、これをストレートに作ったら文字通り安っぽい復讐劇(これも二日続けて!)に終わってしまう。
殺す場面を本人を眼前に想像(フラッシュ・フォワード)するのは最近よく見かけるようになったが、3回も繰り返すのは念が入っている。これもまた同時代的には相当スタイリッシュ。
こうした処理があったが為に、フォンダと現在の恋人の会話が、老人の娘と過ごした時のフラッシュ・バックなのではないかと、個人的に少々混乱した。
スタイリッシュさより見通しの良い作り方を好む僕には、余り買えない作品ながら、ただそのスタイリッシュさが空回りしているだけでもない。テレンス・スタンプという60年代に人気を誇った男優が30年後うまい具合に魅力的に年を取っているのを、オマージュを捧げつつ撮っているという印象を残すことに貢献していると思われ、否定ばかりもできないのである。
劇中に出てくる若い頃の彼は、1968年の「夜空に星があるように」からのフッテージ。
僕が映画ファンになった頃は、アラン・ドロン、スティーヴ・マックィーン、ポール・ニューマン、クリント・イーストウッド、ロバート・レッドフォードが毎月映画雑誌のグラビアを飾っていたが、そうした大物の影でテレンス・スタンプの隠れファンが多いことは巻末の読者の声から伺えた。
1999年アメリカ映画 監督スティーヴン・ソダーバーグ
ネタバレあり
スティーヴン・ソダーバーグは「オーシャンズ11」(2001年)以降大分通俗的な作品を作る傾向が強くなった印象があるが、本作などはプログラム・ピクチャー的なお話をスタイリッシュに作った印象。それが良くない面として現れたところが多いことは否めない。
何度も服役した経験のある英国老人テレンス・スタンプが、娘メリッサ・ジョージがアメリカで酒気帯び運転で交通事故死したという手紙を受け取り、彼女が住んでいたロスアンゼルスにやって来る。
その事実を不審に思い、手紙を出したメキシコ系男性ルイス・ガスマンと会うと、彼女は音楽業界の大物ピーター・フォンダと愛人生活を送っていたことが判る。娘の演技を指導していたレスリー・アン・ウォーレンによれば人殺しをするタイプではないということだが、いずれにせよ彼が元凶と信じ、彼の開くパーティーにガスマンと出かけ、自分が彼を殺す様子を様々に想像するが、実際に殺したのは口を挟んできた護衛の大男である。現場を後にした二人は用心棒バリー・ニューマンに追跡され、激しいカーチェースとなりながらも、事なきを得る。
ニューマンが依頼したチンピラ二人にスタンプが襲われた時にDEA(昨日に続いてまたまた登場)の刑事が現れて、フォンダと麻薬ディーラーと取引について語る。
このDEAとの会話場面の存在は相当奇妙で首を傾げさせる。
スタンプは別荘に移動するフォンダのグループを追う。これをややこしくすると言うか、結果的にスタンプに協力する形になるのが、お金を奪おうと現れたチンピラ二人である。この銃撃戦で残ったフォンダを老人が追い詰める。彼は真相を語った内容の為に相手を殺すことができず、ロサンゼルスを後にする。
シンプルな構図の話だが、スタイリッシュな見せ方に混乱することが多い。
例えば、老人と演技指導者の一つの会話が三つの場所に分けて語られる。勿論同じ話を三つの場所でしたわけではなく、映画的に気取った表現に過ぎないが、シンプルな話だけに良くない気がする。尤も、これをストレートに作ったら文字通り安っぽい復讐劇(これも二日続けて!)に終わってしまう。
殺す場面を本人を眼前に想像(フラッシュ・フォワード)するのは最近よく見かけるようになったが、3回も繰り返すのは念が入っている。これもまた同時代的には相当スタイリッシュ。
こうした処理があったが為に、フォンダと現在の恋人の会話が、老人の娘と過ごした時のフラッシュ・バックなのではないかと、個人的に少々混乱した。
スタイリッシュさより見通しの良い作り方を好む僕には、余り買えない作品ながら、ただそのスタイリッシュさが空回りしているだけでもない。テレンス・スタンプという60年代に人気を誇った男優が30年後うまい具合に魅力的に年を取っているのを、オマージュを捧げつつ撮っているという印象を残すことに貢献していると思われ、否定ばかりもできないのである。
劇中に出てくる若い頃の彼は、1968年の「夜空に星があるように」からのフッテージ。
僕が映画ファンになった頃は、アラン・ドロン、スティーヴ・マックィーン、ポール・ニューマン、クリント・イーストウッド、ロバート・レッドフォードが毎月映画雑誌のグラビアを飾っていたが、そうした大物の影でテレンス・スタンプの隠れファンが多いことは巻末の読者の声から伺えた。
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