映画評「さがす」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2022年日本映画 監督・片山慎三
ネタバレあり
「岬の兄妹」で長編デビューを果たした片山慎三監督の、商業映画デビュー作。ということは、「岬の兄妹」は【キネマ旬報】のベスト10にも入ったのにアマチュア映画だったということかいな? よく解らん。
社会あるいは人間の暗黒部分を描くことを目的に持っているのは「岬の兄妹」と同様で、今回はこの間もニュースで取り上げられていた座間市で自殺願望者が9人殺されて発見された事件に明らかにインスパイアされた内容。
中学生の楓(伊東蒼)に、父親原田智(佐藤二朗)が、連続殺人の犯人・山内照巳(清水尋也)を電車内で見たと告げるのが発端。翌朝彼は姿を消す。
少女は同級生の男子(石井正太朗)や担任教師を巻き込んで父親探しに東奔西走、フェリーのチケットを買ったことが伺われる果林島(かりんとう)というふざけた名前の島に追いかける。ここで父親らしき負傷者が発見されたところで時間が巻き戻され、倒叙的にその失踪の真相が明らかにされていく。
その最初の契機が、原田の妻(成嶋瞳子)が筋萎縮性側索硬化症を患って本人が死にたがっていること。これに目を付けるのが施設の職員山内である。彼は原田に声をかけ、安楽死を持ちかける。彼は救いを口実に人を殺したがっている殺人狂で、妻の彼女の安楽死の後、対象を探す複数SNSの管理者に原田を任命する。最初は断った原田も、ピンポン店再開の金欲しさに協力することにする。
以降、自殺未遂で半身不随になった女性(森田望智)を安楽死させる為に渡った島を舞台に、野心に芽生えた原田の計画が紹介されていく。
山内が人間不信で生まれついての犯罪者であると思われるのに対し、原田は開発された犯罪者である。終ってみればどちらも罪深い人間で、純粋に安楽死の目的を信じて実行していない。
片山監督は社会派的な方向に走らずに、人間の罪に接近するという方向を選んだ。これは良いと思うし、構成自体も工夫を凝らした上にがっちりとしている。人間存在にゾッとすることが出来ようというものだ(山内の言う、“人間が存在に価しない”には厭世的すぎるが、ある意味言い得ている)。
しかし、犯罪映画としての作劇にはそそっかしいところが結構ある。
一番気になるのは、主人公の妻の死についての扱いである。日本の法医学に照らせば、絞殺・縊死の可能性が指摘される可能性が高い。病院に通っていない死者は解剖に付され、通院・入院していれば担当医が死亡診断をする。本作のケースでは、難病ではあるが、その直前が瀕死でなかった以上医師はその死を怪しむ筈。ここに全く触れずにいきなり遺灰を持つショットが出てくるのが疑問なのである。
また、詳細は伏せるが、果林島での警察の捜査は素人でも解りそうな初歩的なミスをしている。
言わなくても良いが気になった、細かな構成上の問題。楓が同級生を誘う為に裸の胸を見せる場面がある。これはユーモアであってギャグではないので文句を言うほど野暮ではないものの、誘った同級生がこの後島に同行したは良いが殆ど何もしないことを考えると、その前段がアクセント未満の無駄な場面になってしまったのである。
僕がタクシー代りをしていた隣人は通院したことがない為、運ばれた病院で解剖に付されたとその甥から聞いた。甥は僕の幼馴染だ。
2022年日本映画 監督・片山慎三
ネタバレあり
「岬の兄妹」で長編デビューを果たした片山慎三監督の、商業映画デビュー作。ということは、「岬の兄妹」は【キネマ旬報】のベスト10にも入ったのにアマチュア映画だったということかいな? よく解らん。
社会あるいは人間の暗黒部分を描くことを目的に持っているのは「岬の兄妹」と同様で、今回はこの間もニュースで取り上げられていた座間市で自殺願望者が9人殺されて発見された事件に明らかにインスパイアされた内容。
中学生の楓(伊東蒼)に、父親原田智(佐藤二朗)が、連続殺人の犯人・山内照巳(清水尋也)を電車内で見たと告げるのが発端。翌朝彼は姿を消す。
少女は同級生の男子(石井正太朗)や担任教師を巻き込んで父親探しに東奔西走、フェリーのチケットを買ったことが伺われる果林島(かりんとう)というふざけた名前の島に追いかける。ここで父親らしき負傷者が発見されたところで時間が巻き戻され、倒叙的にその失踪の真相が明らかにされていく。
その最初の契機が、原田の妻(成嶋瞳子)が筋萎縮性側索硬化症を患って本人が死にたがっていること。これに目を付けるのが施設の職員山内である。彼は原田に声をかけ、安楽死を持ちかける。彼は救いを口実に人を殺したがっている殺人狂で、妻の彼女の安楽死の後、対象を探す複数SNSの管理者に原田を任命する。最初は断った原田も、ピンポン店再開の金欲しさに協力することにする。
以降、自殺未遂で半身不随になった女性(森田望智)を安楽死させる為に渡った島を舞台に、野心に芽生えた原田の計画が紹介されていく。
山内が人間不信で生まれついての犯罪者であると思われるのに対し、原田は開発された犯罪者である。終ってみればどちらも罪深い人間で、純粋に安楽死の目的を信じて実行していない。
片山監督は社会派的な方向に走らずに、人間の罪に接近するという方向を選んだ。これは良いと思うし、構成自体も工夫を凝らした上にがっちりとしている。人間存在にゾッとすることが出来ようというものだ(山内の言う、“人間が存在に価しない”には厭世的すぎるが、ある意味言い得ている)。
しかし、犯罪映画としての作劇にはそそっかしいところが結構ある。
一番気になるのは、主人公の妻の死についての扱いである。日本の法医学に照らせば、絞殺・縊死の可能性が指摘される可能性が高い。病院に通っていない死者は解剖に付され、通院・入院していれば担当医が死亡診断をする。本作のケースでは、難病ではあるが、その直前が瀕死でなかった以上医師はその死を怪しむ筈。ここに全く触れずにいきなり遺灰を持つショットが出てくるのが疑問なのである。
また、詳細は伏せるが、果林島での警察の捜査は素人でも解りそうな初歩的なミスをしている。
言わなくても良いが気になった、細かな構成上の問題。楓が同級生を誘う為に裸の胸を見せる場面がある。これはユーモアであってギャグではないので文句を言うほど野暮ではないものの、誘った同級生がこの後島に同行したは良いが殆ど何もしないことを考えると、その前段がアクセント未満の無駄な場面になってしまったのである。
僕がタクシー代りをしていた隣人は通院したことがない為、運ばれた病院で解剖に付されたとその甥から聞いた。甥は僕の幼馴染だ。
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