映画評「護られなかった者たちへ」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2021年日本映画 監督・瀬々敬久
ネタバレあり

梗概を述べた後に触れるが、作者たち(原作者=中山七里、監督)の言いたいことが良く解る映画である。

仙台。置き去りされた中年男性二人が連続して餓死死体として発見される。いずれも福祉関係の職員である。
 ここで刑事・阿部寛と東京出身の相棒・林遣都は、怨恨の線で捜査を開始、かつて被害者が面倒を見て断った生活保護申請者のリストを洗うと、自ら申請した生活保護を撤回して餓死した老婦人・倍賞美津子の存在が浮かび上がる。彼女を追ううちに福祉事務所に放火して出所したばかりの若い労務者・佐藤健に行き着く。
 かくして映画は、随時、9年前の3・11(東日本大震災)の被災者である老婦人と若者と少女カンちゃん(石井心咲)の三人が疑似家族として暫く一緒に過ごしていた事実を紹介していく。

申請の現場を見たいという刑事二人に協力するのが生活保護課の担当者・丸山幹子(清原果耶)である。7月に観た「そして、バトンは渡された」に似て、丸山幹子がカンちゃんであるという種明かしがある。場面によりニックネームと本名を分ける手法は、これからミステリーや謎のあるドラマで流行るかもしれませんな。
 偶発的に刑事に協力することになるのが事件の関係者というのは些か出来すぎで、瀬々監督の映画にはこの手の強引さが多いものの、これは原作由来なのかも知れず、強くは批判できない。
 ぐっと細かい点で、刑事が容疑者の佐藤健を近づく前に大声で呼ぶのは間抜けすぎる。刑事映画としてリアリティを大いに欠く。

勿論それは瑣末なことで、作劇的に問題とすべきは、三つある時系列を頻繁に往来しすぎるくどさだ。特に半分くらいまでは、3・11と事件の関係が全く解らないので、まだっるこさを感じやすい。
 ここにおいてミスリードの為の布石をばらまき、終盤になって“おっ、そういうことだったのか”と思わせる見せ方をどう思うかで本作の評価も変わって来るだろう。巧いと感じさせなくもないが、佐藤健がカンちゃんこと丸山幹子に言う“死んでいい命なんてない”は終盤だけでなく、その布石の場面できちんと見せないと卑怯な印象に繋がりかねず、手放しでは褒められない。

さて、作者の言いたかったことは何か。
 一つは、生活保護における親族への照会を強化した厚生労働省即ち国の政策に対する批判である。これが70%くらいである。批判の対象は決して現場の職員ではない。
 20%は生活保護を受ける人間に対する一般国民の意識である。この間池上彰の番組で、“日本が経済で浮上できない原因は、日本人の国民性にある可能性がある”と指摘していた。例えば、成功者は嫉妬されるので成功の秘訣を教えない。為に成功者が増えて行かない、というロジックがある。この伝で、日本人は他人を気にする為、生活保護を受ける人間を敵視する人が少なくない。しかし、不正で受給する人とその権利がある人とは区別しなければならない。
 残りの10%は、他人の目を気にして申請を行わない貧困者当事者に向けられる。先の問題とも関連して躊躇する人もいるし、プライドの為に申請しない人も多い模様。この部分は幕切れの、津波で息子を事実上失った阿部刑事の台詞“声に出してくれて有難う”によっても裏打ちされる。扶養照会を嫌がることは70%の問題に含まれることにしておく。

生活保護に関わるこれらの問題を俎上に載せ、娯楽的に処理したのは、より多くの人が関心を持つことに繋がるという意味において、買いたい。うるさ型を満足させるには弱いが、一般の鑑賞者の心には響くものがあるかもしれない。

阿部刑事の行方不明の息子とカンちゃんは同じ色のジャケットを羽織ってい、これが感応し合うショットを多めに配置している。この辺りの映画言語の扱いが非常に良く、満足度が高い。

生活保護に対する職員の意識は、自治体によって相当違うようだ。不正を前提に活動したことが伺われる小田原の事件はひどかった。

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