映画評「私はヴァレンティナ」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2020年ブラジル映画 監督カッシオ・ペレイラ・ドス・サントス
ネタバレあり
「わたしはロランス」というトランスジェンダーをテーマにした映画を何年か前に観た。邦題の付け方から言って同種の内容と想像した通り、トランスジェンダーの少年男子というか少女の苦闘を描くブラジル製青春ドラマである。
前の高校が居辛くなった通称ヴァレンティナ(ティエッサ・ウィンバック)が、小都市の学校へ転校する。女性校長は法律を順守するが進歩的な人で、両親の承諾書があれば通称名での通学を認める立場だが、離婚した父親の居所がなかなか掴めない。友人となった妊婦高校生がITに詳しくその行方を突き止めることができる。
というのが前半のお話。
眼目は後半で、祭の夜に彼女が襲われ犯人の兄も加わっての性暴力の問題と、ひた隠しに隠していた彼女の正体が学校中に知るところなって生徒の親たちが彼女の排斥要望書を出すといった因循な性意識の問題がクローズアップされる。
そのため、一旦は、仲の良い母親(グタ・ストレッサー)と離れて別の女性と暮らす父親の家から別の学校へ通おうと考えるが、結局相手の女性が同居に積極的でないことを知り、承諾書を正式に提出、この学校に通うことを決める。学校では排斥派の大人たちもいるが、彼女の同級生は全員彼女の味方をする。
ブラジルのトランスジェンダーが抱える問題を主題にそれなりにきちんと作られているが、啓蒙映画の域を大きく出ていないと思われる。映画はやはり映画ならではの感覚や豊潤な情緒を感じさせなければならない。
ヴァレンティナを演じるティエッサ・ウィンバックもアマチュアとして良い演技をしていると思う一方で、当事者であるから意味がある、といった一部の評価には全く賛同できない。
それは演技の否定である。当事者でない者が演じるから、演技の意味があり、ドラマの意味がある。トランスジェンダーであることをもって仕事から遠ざけられるとしたら大問題だが、シスジェンダーがトランスジェンダーの役を演じるのは怪しからんと言うのは、それこそ多様性の否定ではあるまいか。
演技論から言えば、トランスジェンダーがトランスジェンダーを上手く演じても一定以上の感動は覚えにくい。その意味で「Girl/ガール」におけるシスジェンダーの男性ダンサーであるヴィクトール・ポルスターの少女演技は圧巻だった。それこそ本当の多様性を反映した映画製作であろう。
過剰な人権主義者は芸術を否定しがちである。まるで、100年前の社会主義リアリズムを見るようだ。ところで、ブラジルのトランスジェンダーの平均寿命が35歳と極端に短いのは、恐らく殺人と自殺が多いからだろう。
2020年ブラジル映画 監督カッシオ・ペレイラ・ドス・サントス
ネタバレあり
「わたしはロランス」というトランスジェンダーをテーマにした映画を何年か前に観た。邦題の付け方から言って同種の内容と想像した通り、トランスジェンダーの少年男子というか少女の苦闘を描くブラジル製青春ドラマである。
前の高校が居辛くなった通称ヴァレンティナ(ティエッサ・ウィンバック)が、小都市の学校へ転校する。女性校長は法律を順守するが進歩的な人で、両親の承諾書があれば通称名での通学を認める立場だが、離婚した父親の居所がなかなか掴めない。友人となった妊婦高校生がITに詳しくその行方を突き止めることができる。
というのが前半のお話。
眼目は後半で、祭の夜に彼女が襲われ犯人の兄も加わっての性暴力の問題と、ひた隠しに隠していた彼女の正体が学校中に知るところなって生徒の親たちが彼女の排斥要望書を出すといった因循な性意識の問題がクローズアップされる。
そのため、一旦は、仲の良い母親(グタ・ストレッサー)と離れて別の女性と暮らす父親の家から別の学校へ通おうと考えるが、結局相手の女性が同居に積極的でないことを知り、承諾書を正式に提出、この学校に通うことを決める。学校では排斥派の大人たちもいるが、彼女の同級生は全員彼女の味方をする。
ブラジルのトランスジェンダーが抱える問題を主題にそれなりにきちんと作られているが、啓蒙映画の域を大きく出ていないと思われる。映画はやはり映画ならではの感覚や豊潤な情緒を感じさせなければならない。
ヴァレンティナを演じるティエッサ・ウィンバックもアマチュアとして良い演技をしていると思う一方で、当事者であるから意味がある、といった一部の評価には全く賛同できない。
それは演技の否定である。当事者でない者が演じるから、演技の意味があり、ドラマの意味がある。トランスジェンダーであることをもって仕事から遠ざけられるとしたら大問題だが、シスジェンダーがトランスジェンダーの役を演じるのは怪しからんと言うのは、それこそ多様性の否定ではあるまいか。
演技論から言えば、トランスジェンダーがトランスジェンダーを上手く演じても一定以上の感動は覚えにくい。その意味で「Girl/ガール」におけるシスジェンダーの男性ダンサーであるヴィクトール・ポルスターの少女演技は圧巻だった。それこそ本当の多様性を反映した映画製作であろう。
過剰な人権主義者は芸術を否定しがちである。まるで、100年前の社会主義リアリズムを見るようだ。ところで、ブラジルのトランスジェンダーの平均寿命が35歳と極端に短いのは、恐らく殺人と自殺が多いからだろう。
この記事へのコメント
役者については、トランスはトランスにとか、最近一部で妙なこだわりを見せるのは「?」ですね。ゲイの役者がヘテロの役を演じてる例はいくらでもあるわけですし。日本は、芸能面では女形や男役(美空ひばりは森の石松とかふつうに演じてました)がめずらしくないので、なにを問題にしてるのかぴんとこないというのもあります。
>南米はだいたいカトリックでマッチョ志向が強いのか、同性愛などには不寛容だそう
カトリックや、原理主義の宗派に帰依する人々はそういう傾向がありますね。
>役者については、トランスはトランスにとか、最近一部で妙なこだわりを見せるのは「?」ですね。
今日の新聞にヒントとなることが書いてあって、アイヌ人を取り上げる映画を作った監督が当初“アイヌ人にはアイヌ人を”と主張したところ、SNSで大きな反論があり、自分の中でその考えを修正したそうですが、彼がそういう意見をしたのは、当事者でない人には当事者への偏見があり、誤解が生まれかねないという思いであったらしい。
それはそれで意味があったとは思いますが、実際には寧ろ逆で、当事者でない人がきちんと演ずるには当事者の理解が欠かせないと思われるわけで、映画を作る人の考えとしては残念でした。
まして人権に理解のあると思い込んでいる第三者が、こうした意見を放つのは、論外ですね。
これはほんとうにそうで、映画や演劇になにがしか啓蒙や教育効果があるとすればそこでしょうね。
小説や脚本書いてる人は、他者の身になって書いたりしてるだろうし。
私なんかは、あんまりそういうことにこだわらず、楽しめるものを作ってもらえればいいになりますが。
>小説や脚本書いてる人は、他者の身になって書いたりしてるだろうし。
その筈ですよね。
>私なんかは、あんまりそういうことにこだわらず、楽しめるものを作ってもらえればいいになりますが。
これも全くその通りでして、映画論的映画ブログとして、色々と生意気なことを申しておりますが、僕もそれが一番と思います。