映画評「シン・ウルトラマン」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2022年日本映画 監督・樋口真嗣
ネタバレあり
僕はビートルズには数年遅れたが、初期ウルトラ・シリーズにはドンピシャの世代である。
しかし、同級生よりぐっと早く、「アルセーヌ・ルパン」シリーズにより読書に、「太陽がいっぱい」のTV放映により映画鑑賞にビートルズにより音楽(ロック)鑑賞に目覚めた為、「ウルトラマン」「ウルトラセブン」(ここまで見たのは確か)の記憶は極めて薄い。
従って、TV版のリブートと言われる本作を見ても特段の感慨はなく、却って冷静に作品を直視できたと思われる。結論から言えば、子供向けではない内容がなかなか楽しめた。
「シン・ゴジラ」同様、庵野秀明の脚本・総監修、樋口真嗣の監督という指導体制で作られてい、「シン」シリーズ第2弾という見方をして間違いではないだろう。
怪獣ならぬ禍威獣が跋扈するようになった日本で、防災庁禍威獣特設対策室(禍特対)の面々が電気を食べる怪獣を前におろおろしている時に、宇宙から謎の飛翔体が落下する。
人間態の宇宙人らしきその者はいとも簡単に怪獣をやっつけ、人類の味方と見なされ、ウルトラマンと呼ばれるようになる。禍特対に加わった新メンバー浅見弘子(長澤まさみ)は相棒となった神永新二(斎藤工)のトンチキぶりに呆れるが、勘の良い観客が早々に察知するように、彼がトンチキなのは地球人にまだ精通していないウルトラマンが憑依していたからである。
禍特対班長(西島秀俊)以下のメンバーも程なくこの事実を知るが、その前後に、ウルトラマンと日本人をバッティングさせて最終的に人類滅亡を考えているザラブ星人、紳士的ではあるが上位存在(つまり事実上の神)として人類の支配を考えているメフィラス(勘の良い方なら悪魔の一人メフィストフェレスをベースにした名前であると理解する筈)星人も現れる。前者はウルトラマンに退けられ、能力ではウルトラマンを上回る後者は人類を愛するウルトラマンの考えを尊重して知的に自ら闘いを止めて地球から去って行く。
しかし、地球の危機は思わぬところから現れる。ウルトラマン同様 “光の星” の使いであるゾーフィが、他星人による地球人の生物兵器化を回避すべく、最終兵器ゼットンを備えたのである。ウルトラマンは帰還命令に逆らって無敵のゼットンに向って返り討ちに遭う。
各名称(怪獣⇒禍威獣、科特隊⇒禍特対)を始め多岐に渡ってパロディー感覚が横溢し、笑えるところが多い(怪獣ならぬ禍威獣が日本だけ現れるという台詞も実に可笑しい)。禍威獣が出て来る場面の画面がそこはかとなく16ミリのような画調・色調なのも意識したものであろう。現在のVFXであれば意図的に画質を落とすことができる。
「シン・ゴジラ」に似て風刺性が強く、辛辣な人類観がある。国家を運営する者に対して辛辣でありつつ人間全体の可能性を否定しない人間観と言うべし。
こうした部分的に哲学的とも言える考察は面倒臭くない程度に大人の鑑賞に堪え、個人的に面白く観られた所以である。批判すると炎上すると思って鑑賞を避けている庵野秀明の「ヱヴァンゲリヲン」はきっとこんな感じなのだろう。
長澤まさみの浅見弘子は部分的に「コンフィデンスマンJP]シリーズのダー子と被る人間造型であるが、「キング・コング」のヒロイン同様に偽ウルトラマンの手に収まったり、巨大化されたり、相当いびられている。この辺りも楽しめる一因と思う。
半世紀前アメリカのSF映画「妖怪巨大女」が別の邦題でTV放映されたことがある。日曜日の昼間だったが、ちょうど模試があった為に観られず、悔しい思いをした。家庭用ビデオもない時代だったからね。
2022年日本映画 監督・樋口真嗣
ネタバレあり
僕はビートルズには数年遅れたが、初期ウルトラ・シリーズにはドンピシャの世代である。
しかし、同級生よりぐっと早く、「アルセーヌ・ルパン」シリーズにより読書に、「太陽がいっぱい」のTV放映により映画鑑賞にビートルズにより音楽(ロック)鑑賞に目覚めた為、「ウルトラマン」「ウルトラセブン」(ここまで見たのは確か)の記憶は極めて薄い。
従って、TV版のリブートと言われる本作を見ても特段の感慨はなく、却って冷静に作品を直視できたと思われる。結論から言えば、子供向けではない内容がなかなか楽しめた。
「シン・ゴジラ」同様、庵野秀明の脚本・総監修、樋口真嗣の監督という指導体制で作られてい、「シン」シリーズ第2弾という見方をして間違いではないだろう。
怪獣ならぬ禍威獣が跋扈するようになった日本で、防災庁禍威獣特設対策室(禍特対)の面々が電気を食べる怪獣を前におろおろしている時に、宇宙から謎の飛翔体が落下する。
人間態の宇宙人らしきその者はいとも簡単に怪獣をやっつけ、人類の味方と見なされ、ウルトラマンと呼ばれるようになる。禍特対に加わった新メンバー浅見弘子(長澤まさみ)は相棒となった神永新二(斎藤工)のトンチキぶりに呆れるが、勘の良い観客が早々に察知するように、彼がトンチキなのは地球人にまだ精通していないウルトラマンが憑依していたからである。
禍特対班長(西島秀俊)以下のメンバーも程なくこの事実を知るが、その前後に、ウルトラマンと日本人をバッティングさせて最終的に人類滅亡を考えているザラブ星人、紳士的ではあるが上位存在(つまり事実上の神)として人類の支配を考えているメフィラス(勘の良い方なら悪魔の一人メフィストフェレスをベースにした名前であると理解する筈)星人も現れる。前者はウルトラマンに退けられ、能力ではウルトラマンを上回る後者は人類を愛するウルトラマンの考えを尊重して知的に自ら闘いを止めて地球から去って行く。
しかし、地球の危機は思わぬところから現れる。ウルトラマン同様 “光の星” の使いであるゾーフィが、他星人による地球人の生物兵器化を回避すべく、最終兵器ゼットンを備えたのである。ウルトラマンは帰還命令に逆らって無敵のゼットンに向って返り討ちに遭う。
各名称(怪獣⇒禍威獣、科特隊⇒禍特対)を始め多岐に渡ってパロディー感覚が横溢し、笑えるところが多い(怪獣ならぬ禍威獣が日本だけ現れるという台詞も実に可笑しい)。禍威獣が出て来る場面の画面がそこはかとなく16ミリのような画調・色調なのも意識したものであろう。現在のVFXであれば意図的に画質を落とすことができる。
「シン・ゴジラ」に似て風刺性が強く、辛辣な人類観がある。国家を運営する者に対して辛辣でありつつ人間全体の可能性を否定しない人間観と言うべし。
こうした部分的に哲学的とも言える考察は面倒臭くない程度に大人の鑑賞に堪え、個人的に面白く観られた所以である。批判すると炎上すると思って鑑賞を避けている庵野秀明の「ヱヴァンゲリヲン」はきっとこんな感じなのだろう。
長澤まさみの浅見弘子は部分的に「コンフィデンスマンJP]シリーズのダー子と被る人間造型であるが、「キング・コング」のヒロイン同様に偽ウルトラマンの手に収まったり、巨大化されたり、相当いびられている。この辺りも楽しめる一因と思う。
半世紀前アメリカのSF映画「妖怪巨大女」が別の邦題でTV放映されたことがある。日曜日の昼間だったが、ちょうど模試があった為に観られず、悔しい思いをした。家庭用ビデオもない時代だったからね。
この記事へのコメント
<この辺りも楽しめる一因と思う
すっ、鋭い!!!(笑)
長澤まさみは、はじけているので、いびりがいがある感じですね(笑)