映画評「ダ・ヴィンチは誰に微笑む」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2021年フランス映画 監督アントワーヌ・ヴィトキーヌ
ネタバレあり
テレビ東京の「開運!何でも鑑定団」を見ていると、なかなか優れた美術品(美術品としては本物)でも有名作者の作品でない場合、その作家の作品に比べて付けられる価額が3桁4桁低いのに驚き、芸術とは何だろうと暫し考えることがある。本作の論争を見ていると、それと同じ命題が浮かび上がって来る。
2005年ニューヨークの美術商が一枚のルネサンス期のものと思われる絵画を1175ドルで買う。「サルヴァトール・ムンディ(世界の救世主)」と呼ばれる絵である。これが修復家、美術商、学芸員、鑑定家、美術研究家、ジャーナリストによる、レオナルド・ダ・ヴィンチの作かあるいはその工房の作かと論争も収まらない中、スイスの美術商がロシアのオリガルヒ(新興財閥、西側の感覚ではマフィアに近い?)に売った辺りからどんどん高額化し、クリスティーズのオークションで遂に総額4億5000万ドルの価額で落とされる。
本作はフランスのTV討論番組の一エピソードらしい。本編の場合、討論と言っても、世界中の関係者にインタビューなどするだけで、直接に喧々囂々とやり合うわけではない。
謎その1は、ダ・ヴィンチご本人の作か、その工房の作か。ダ・ヴィンチが絡んでいることには早々行き着き、それについては疑問の余地がないらしい。ダ・ヴィンチの真作と信じたからオリガルヒも1億ドルもの金額を払ったのであろうから、本当の美術愛好家であれば自らここをもっと追及するだろうが、富豪たちはそれ自体には全く興味がないらしい。誰でも良いからその価値を裏打ちしてくれればそれで良いのである。
それが、誰が4億5000万ドルも出したのかという謎その2と絡んで、ややこしくなっていく。
ある程度予想されたように、購入者はサウジアラビアのプリンスと判明する。恐らくその利権絡みで、ルーブル美術館は鑑定したのにしらばくれ、注目されたダ・ヴィンチ展でも結局「サルヴァトール・ムンディ」を出して来ない(ウィキペディアは、本作が工房作と明らかにしていると書いているが、そうは解釈できない。プリンスの圧力でルーブルは一旦真作としたが、怪しいので展示をしなかったのではないかと推測したくはなる)。
こうなると一種の巨悪の様相を呈し、所有や金額を巡って人が死んでも不思議ではないケースも出て来そうだ。
「サルヴァトール・ムンディ」が「モナ・リザ」男性版と言われるのにかこつけて付けられた邦題がなかなか秀逸。
美術品の場合極端になりがちだが、ものの価値はすべからく代替性と強く関連している。出来の悪い方の甥が、売り子の自分たちに比べ営業マンの給料が高いのは理不尽と言っていたので、経営者にとって営業は売り子に比べ代替が効かないからだ、とイチローと打率2割5分の選手の年俸の差を引き合いに出して説明した。出来が悪いのに理屈っぽい甥も納得したらしい。
2021年フランス映画 監督アントワーヌ・ヴィトキーヌ
ネタバレあり
テレビ東京の「開運!何でも鑑定団」を見ていると、なかなか優れた美術品(美術品としては本物)でも有名作者の作品でない場合、その作家の作品に比べて付けられる価額が3桁4桁低いのに驚き、芸術とは何だろうと暫し考えることがある。本作の論争を見ていると、それと同じ命題が浮かび上がって来る。
2005年ニューヨークの美術商が一枚のルネサンス期のものと思われる絵画を1175ドルで買う。「サルヴァトール・ムンディ(世界の救世主)」と呼ばれる絵である。これが修復家、美術商、学芸員、鑑定家、美術研究家、ジャーナリストによる、レオナルド・ダ・ヴィンチの作かあるいはその工房の作かと論争も収まらない中、スイスの美術商がロシアのオリガルヒ(新興財閥、西側の感覚ではマフィアに近い?)に売った辺りからどんどん高額化し、クリスティーズのオークションで遂に総額4億5000万ドルの価額で落とされる。
本作はフランスのTV討論番組の一エピソードらしい。本編の場合、討論と言っても、世界中の関係者にインタビューなどするだけで、直接に喧々囂々とやり合うわけではない。
謎その1は、ダ・ヴィンチご本人の作か、その工房の作か。ダ・ヴィンチが絡んでいることには早々行き着き、それについては疑問の余地がないらしい。ダ・ヴィンチの真作と信じたからオリガルヒも1億ドルもの金額を払ったのであろうから、本当の美術愛好家であれば自らここをもっと追及するだろうが、富豪たちはそれ自体には全く興味がないらしい。誰でも良いからその価値を裏打ちしてくれればそれで良いのである。
それが、誰が4億5000万ドルも出したのかという謎その2と絡んで、ややこしくなっていく。
ある程度予想されたように、購入者はサウジアラビアのプリンスと判明する。恐らくその利権絡みで、ルーブル美術館は鑑定したのにしらばくれ、注目されたダ・ヴィンチ展でも結局「サルヴァトール・ムンディ」を出して来ない(ウィキペディアは、本作が工房作と明らかにしていると書いているが、そうは解釈できない。プリンスの圧力でルーブルは一旦真作としたが、怪しいので展示をしなかったのではないかと推測したくはなる)。
こうなると一種の巨悪の様相を呈し、所有や金額を巡って人が死んでも不思議ではないケースも出て来そうだ。
「サルヴァトール・ムンディ」が「モナ・リザ」男性版と言われるのにかこつけて付けられた邦題がなかなか秀逸。
美術品の場合極端になりがちだが、ものの価値はすべからく代替性と強く関連している。出来の悪い方の甥が、売り子の自分たちに比べ営業マンの給料が高いのは理不尽と言っていたので、経営者にとって営業は売り子に比べ代替が効かないからだ、とイチローと打率2割5分の選手の年俸の差を引き合いに出して説明した。出来が悪いのに理屈っぽい甥も納得したらしい。
この記事へのコメント