映画評「アートのお値段」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2018年アメリカ映画 監督ナサニエル・カーン
ネタバレあり

WOWOWによるアート・ドキュメンタリー集の第4弾。

これまでの3作も絵画の価値とは何ぞやという命題を扱っていたわけだが、本作は現代美術に特化して扱っている。現代美術の場合は、大古典と違って投機的な側面はやや薄いように見えつつ、市場が大きくなったことでアーティストが増えたという現実がある。
 あるギャラリスト(画商の一種)が言うには、美術品とお金は結合双生児みたいなものなのだとか。かくして少なからぬ作品がどこかに隠され他人の目に触れないことになる。僕が「ロスト・レオナルド」で触れ、本作でも語る人がいるように、多くの方が観る機会を提供する美術館などに買われるのが作品・鑑賞者両者にとって理想であろう。

現代美術は、アーティストの自己表現という側面が極めて強いと思われる。その為芸術と言えるのかと首を傾げたくなる、造形美術(本作では下着を吊るした作品や、ユダヤ人コレクターが買った動物の剥製のようなものも出て来る)も少なくない。

抽象画が目立つ現代絵画の分野で、本作の出演者中その代表たる存在はラリー・プーンズで、半世紀前に持ち上げられた後作風の変化により忘れられていたが、近年再び注目されるようになったらしい。どこでどういう運命が待っているか解らないのが現代美術の世界である。

ポップな造形ではジェフ・クーンズ。彼の作品はかなり高いらしいが、美術品の古典(の精巧な複製)にゲイジング・ボールなる光沢性の高い半球を取り付けた作品はユニーク。絵は雇用した絵描きたちに描いてもらうのだが、鑑賞者(と絵画)が映り込むこの半球があることで鑑賞者と絵画とを一体化するという試みらしい。

因みに、プーンズとクーンズとで暫く混乱したと、言っておきましょう。「レンブラントは誰の手に」がそうであったように、人物ごとに整理せず交互に語られると解りにくくなるという弊害があるが、外見ではなく名前で混乱するとは!

ナイジェリア出身の女性アーティスト、ンジデカ・アクーニーリ・クロスビーの作品は、絵画の中に無数の写真か絵がコラージュされているような感じで、絵画なのかどうかよく解らない。ローリング・ストーンズのLP「メインストリートのならず者」のジャケットを思い出した。

こうした方々の制作意図とは無関係に、本作は美術品と価額の関係性への関心を忘れない。最後に史上最高額で落札された「サルバトール・ムンディ」がまたまた出て来るが、作品の序盤のうちに語られる意見に、 “高額になれば護られる” というものがある。これは一理あると思うが、個人の家に埋もれる場合は護られると言えるのかどうか? あるいは、現代美術には再利用を念頭に置いているものもある。こうなるとこの意見だけでは収拾できない。

一般論として、作品に表徴される文化は護られるべきものであると思う。僕が一番憤ったのは、偶像崇拝を認めないタリバンが石窟大仏を破壊したことである。他の文化を理解しない宗教・宗派など宗教の価値がない。日本でも明治時代の初め、廃仏毀釈により多数の仏像が破壊された。しかし、当時の有力政治家はちゃんと文化保護を理解し、これが国宝や重要文化財という概念を生むきっかけになったのだ。

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