映画評「ゴッドファーザー<最終章>:マイケル・コルレオーネの最期」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2020年(1990年)アメリカ映画 監督フランシス・フォード・コッポラ
ネタバレあり

そそっかしくもシリーズ第4作と思って観たら、第3作の再編集版でした。
 本編自体は初鑑賞だが、オリジナルは30年前映画館で鑑賞。前回余り集中できない印象があったが、今回観直したところ、なかなか面白いではないか。

時代背景は、第一作のおよそ30年後1979年。既に老境に入ったマイケル・コルレオーネ(アル・パチーノ)は後悔の日々を送り、裏稼業ではなく表稼業の仕事に専念し、バチカンが関係する資金団体に手を伸ばす。
 後継者と考えていた息子アンソニー(フランク・ダンブロシア)が声楽家を目指してシチリアを本拠地にした為、兄の私生児ヴィンセント(アンディ・ガルシア)を可愛がるようになる。彼はマイケルの娘メアリー(ソフィア・コッポラ)と恋仲になるが、マイケルは後継者に選ぶ代わりに娘を諦めるように説得する。
 やがて息子の公演が行われるシチリアを再訪し、前妻ケイ(ダイアン・キートン)と楽しむが、公演中の暗殺に頓挫した殺し屋の魔の手が屋外に出たマイケルを襲うが、実際に倒れたのはこのような悲劇から守る為にヴィンセントから遠ざけた愛するメアリーなのである。
 かくして絶望の日々の末にマイケルは逝去する。

基本はオリジナルに変わりないが、オリジナルでは扱われていたと記憶するマイケルの死そのものは出て来ない。尤も生ける屍になってはいるので、この題名は的外れではない。

マイケルが裏稼業から手を引いた為に出入りは少ないものの、前半のヘリコプターを使った新興ボス(ジョー・モンテ―ニャ)の襲撃は凄まじい。これでマイケル寄りのボスたちがこぞって死んでしまうが、知らぬ顔をして出席した重鎮ボス(イーライ・ウォーラック)にヴィンセントが接近して一連の事件の真相を聞き出すシークエンスにおけるマイケルの指示と、それを画面でフラッシュ・フォワードの形で見せる扱いが面白い。
 個人的にはここが映画的ハイライトと言える一方、物語のクライマックスはマイケルが手配したボスたちの暗殺と、彼らが手配したマイケル暗殺とが交錯する劇場の場面である。「ゴッドファーザー」第一作に似た構成で全体としては重厚になったと同時に、カットバックの為にマイケル暗殺そのものは散漫になって迫力を殺いでいる。

ただ、最近はしっかりしたドラマ映画が少ないので、相対的には十二分に上出来な作品と言って良いと思う。
 とりわけ、メアリーの死は、通奏低音と言って良いであろうマイケルの贖罪の願いを神はついぞ叶えなかったのだ、と思え、じーんとさせられる。

おかげで二作目を飛ばしてしまったではないか。

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