映画評「GUNDA/グンダ」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2020年ノルウェー=アメリカ=イギリス合作映画 監督ヴィクトル・コサコフスキー
ネタバレあり
モノクロのドキュメンタリー映画。確かにドキュメンタリーだろうと思いつつ、そう捉え難い印象もあるのである。
映画は、ある畜産家の母豚と子豚を、何の説明もBGMもなく、延々と撮り続ける。鶏と牛も短からぬ時間捉えられる。人間は一切出て来ない。
子豚はある程度大きくなった時数が減っている。母豚の下敷きになった子豚がいなくなった模様。片脚のない鶏も出て来る。生きることの厳しさを感じる。
やがて特殊なトラックがやって来て出入り口から子豚たちが誘拐されるように乗せられて去って行く。この間人間も子豚たちも捉えられない。
子豚がいなくなった後、母親は何が起きたのか全く理解できず、悲しみか怒りをぶつけるかのように、辺りをうろうろし、時にはトラックの去った方向を見る。
人間の子供の喪失とは違うのかもしれない。しかし、人間に置き換えれば悲しみに相当する何かをこの母豚は覚えたのであろう。これが所謂四つ足の持つ本能ではないか。
人が欲望の赴くまま乱暴狼藉を働いた時に獣のようだなどと言われるが、この表現は実に失礼だ。動物は生存を維持する為以外に他者を攻撃する欲望はないであろう。
これに対し人間は自分の損得の為に人を殺めたりする。昨日の「ゴッドファーザー<最終章>」を見ても、マフィアは生きる上に必要である以上の金儲けや権力奪取の為に人を平気で殺す。彼らの行動は決して”本能”に基づくものではない。後天的に得た欲が為したすぎないのではないか、と僕はやや哲学的に思ったりもする。
さて、映画の方だ。
本作の豚は擬人化もされていないし、演技もしていないだろう。しかし、最後の母豚の切なさを感じざるを得ない行動は、大きなドラマを感じる。これをもって、演技も擬人化もない動物主演の劇映画と見ることもできるのでないか、と最後の数分を見ているうちに思えて来た次第である。
モノクロの絵の力は強力であります。
2020年ノルウェー=アメリカ=イギリス合作映画 監督ヴィクトル・コサコフスキー
ネタバレあり
モノクロのドキュメンタリー映画。確かにドキュメンタリーだろうと思いつつ、そう捉え難い印象もあるのである。
映画は、ある畜産家の母豚と子豚を、何の説明もBGMもなく、延々と撮り続ける。鶏と牛も短からぬ時間捉えられる。人間は一切出て来ない。
子豚はある程度大きくなった時数が減っている。母豚の下敷きになった子豚がいなくなった模様。片脚のない鶏も出て来る。生きることの厳しさを感じる。
やがて特殊なトラックがやって来て出入り口から子豚たちが誘拐されるように乗せられて去って行く。この間人間も子豚たちも捉えられない。
子豚がいなくなった後、母親は何が起きたのか全く理解できず、悲しみか怒りをぶつけるかのように、辺りをうろうろし、時にはトラックの去った方向を見る。
人間の子供の喪失とは違うのかもしれない。しかし、人間に置き換えれば悲しみに相当する何かをこの母豚は覚えたのであろう。これが所謂四つ足の持つ本能ではないか。
人が欲望の赴くまま乱暴狼藉を働いた時に獣のようだなどと言われるが、この表現は実に失礼だ。動物は生存を維持する為以外に他者を攻撃する欲望はないであろう。
これに対し人間は自分の損得の為に人を殺めたりする。昨日の「ゴッドファーザー<最終章>」を見ても、マフィアは生きる上に必要である以上の金儲けや権力奪取の為に人を平気で殺す。彼らの行動は決して”本能”に基づくものではない。後天的に得た欲が為したすぎないのではないか、と僕はやや哲学的に思ったりもする。
さて、映画の方だ。
本作の豚は擬人化もされていないし、演技もしていないだろう。しかし、最後の母豚の切なさを感じざるを得ない行動は、大きなドラマを感じる。これをもって、演技も擬人化もない動物主演の劇映画と見ることもできるのでないか、と最後の数分を見ているうちに思えて来た次第である。
モノクロの絵の力は強力であります。
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