映画評「この子の七つのお祝いに」

☆☆☆(6点/10点満点中)
1982年日本映画 監督・増村保造
ネタバレあり

ミステリー作家・斎藤澪が1981年度初回の横溝正史ミステリ&ホラー大賞を受賞した同名ミステリーを、ミステリーには縁のなさそうな増村保造が映画化。確かに横溝賞にふさわしいおどろおどろしいお話である。
 1980年代に多分地上波テレビで観て以来三十数年ぶりの鑑賞だが、ファースト・ショットはちゃんと憶えていた。

政治家秘書の元お手伝い畑中葉子が殺される。たまたまこの秘書を動向を探っていたルポライター杉浦直樹が益々興味をそそられ、元同僚の新聞記者・根津甚八に、手相を見る能力に長け、秘書以上に政治に影響力を持つ細君・辺見マリについて語る。前後の経緯から細君が犯人ではなかろうかと彼は推測する。その話をするのは根津がご贔屓にしている岩下志麻が経営するバーでである。
 ママとルポライターは昵懇の中になるが、彼が調査の為に出かけた会津から帰った後、何者かに殺される。代打として燃える根津が調べると、どうも手相に精通しているのはかの細君ではなく、彼女が昔やっていたクラブに勤めていた女性であることが判る。

というお話で、プロローグにおいて、終戦後の混乱期に孤児になった幼女が生前母親・岸田今日子から自分達を捨てた父親を探して殺すのだと頻りに言い含められた後自殺される、という事件が紹介される。
 真犯人がその女性であるのは考えるまでもないが、それが誰なのかというのがミステリーとしての第一の興味である。しかるに、映画を長く観ている日本人であれば、岩下志麻が出て来た瞬間に彼女が一連の事件に関わる最重要人物であると予想してしまう。そういう意味ではミスキャストなのかもしれない。

二人のジャーナリストが初めてその話をするのが当事者の店というのはどうもミステリーとしては出来すぎで余り感心しないが、「人間の証明」と同じく戦争がもたらした女性の悲劇を浮かび上がらせ、ちょっとした反戦小説・映画としての狙いがあることは見逃せない。

手相を使って父親を探すというアイデアが面白く、かつ、岸田今日子が幼女の実の母親ではなかったというどんでん返し的な工夫がその悲劇性を増幅していて悪くない。
 しかし、解り切っているとはいえ犯人当てのミステリーにおいて、幼女にあった頬の傷が終盤を別にして岩下志麻に一切ない(化粧で誤魔化していたのかもしれないが、全くそれらしくない)のは、卑怯。映画における工夫としては最初から幼女に傷などなかったことにすれば良かっただろう。

市川崑の金田一シリーズに比べると弱体だが、日本的なおどろおどろしいミステリーに僕は弱いのだ。

横溝正史は、明らかに、アガサ・クリスティー、ヴァン・ダイン、エラリー・クイーンの影響を受けている。

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