映画評「パーフェクト・ノーマル・ファミリー」

☆☆★(5点/10点満点中)
2020年デンマーク映画 監督マルー・ライマン
ネタバレあり

ドラマ映画が特殊(小津安二郎や成瀬巳喜男の映画は多く普遍から)から普遍性を見せるのを使命としていると考えるならば、本作は誠に素材としてうってつけと思うが、星が余り多くないのは、僕の眼にはそれがさほど上手く行っていないからである。

1999年のデンマーク。両親と姉と暮らす11歳のサッカー少女エマ(カヤ・トフト・ローホルト)は、ある日突然、父親トマス(ミケル・ボー・フォルスゴー)が母親ヘレ(ニール・ランホルト)と離婚すると言い出したのに吃驚。その理由が自分が性同一性障害で、ホルモン療法の後、タイで性別適合手術を受けるというので、吃驚を超えて衝撃を受ける。
 姉カロリーネ(リーモア・ランテ)はすんなり受け入れるが、思春期初期のエマは、アウネーテという女性名に変えた父親がサッカー・クラブに女装でやって来たり、観光旅行のマヨルカ島で“ママ”との呼称を訂正しないのを大いに嫌がる。
 三人でボウリングに出かけた時アウネーテことトマスは転職して自分だけロンドンへ引っ越すと言う。様子に関係なく父親が近くのいることが重要なカロリーネにはこれが受け入れがたく、姉に責められた結果エマは自分のせいであると思わされる。しかし、堪えることの大事さを理解したと、一年間のサッカーへの取り組みがクラブから評価されると、ひと皮剥ける。
 かくして、ロンドンで姉妹はアウネーテと楽しい時間を過ごすのだ。

邦題は形容詞パーフェクトなので、副詞パーフェクトリーになっている国際タイトルやそれに相当する原題とは全然違う意味に捉えられもするが、パーフェクトが “ノーマル・ファミリー” に係ると理解すれば、ほぼ同じ意味になる。言語って難しいですね。

1988年生まれの女性監督マルー・ライマンの経験を基に書かれた自伝的なお話だから、1999年という半端な年が背景となっている。世間的にトランスジェンダーへの理解がある程度進んだ2020年であれば多分描き方も多少変わるだろう。

少女の当惑・葛藤の末の成長という過程は型通りで、敢えて言えばここが普遍の部分であるし、彼女の心境の複雑性がよく現れたアウネーテ出発の場面はなかなか良い。 “行かないで” とは言ったものの、 そうは行かない現状に “もういい” と言って去る彼女の心底において、願望と自責の念とが激しくかつ複雑に渦巻いていたのだろう、などと考えさせられる。
 エマや家族を捉えたホームビデオが随時挿入されることで家族の姿を描いた家庭劇として見られるところに最大の普遍性がある。家族の形態は色々・・・と理解されていくまでのお話と考えれば良いと思うが、多少字足らずと思われる場面が多く、結果的に全体として舌足らずの印象を醸し出し、その普遍への昇華が必ずしも上手く行っていない。しかるに、良い映画と僕が思うのとは僅かの差である。

堪えると言えば、物価高。我が家は、家で大量に採れる栗を御飯代わりにして、食費を浮かした。涙ぐましい努力と言うべし(笑)。そういえば栗は縄文時代の主要な食糧源だった。我が家は縄文時代にタイムスリップしたのかもしれない。

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