映画評「ちょっと思い出しただけ」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2022年日本映画 監督・松居大悟
ネタバレあり
松居大悟監督は「アズミ・ハルコは行方不明」も「くれなずめ」もいま一つだったが、これは相当よろしい。
序盤は、ダンサー兼振付師の池松壮亮と女性タクシー運転手・伊藤沙莉のそれぞれの様子が並行描写され、全くどういう方向に向かっていくのか解らないが、この二人の交際が判ってから、内容もやりたいことも明快に解って来る。
即ち、彼の誕生日ごとに一年ずつ遡るという、長めの「メメント」方式で、二人のなれそめから、恋愛関係が熟しやがて崩壊していくまでを描いているのだ。従って、いつものスタイルの梗概は書かない。
ジム・ジャームッシュの佳作「ナイト・オン・ザ・プラネット」と、かの作を愛するというクリープハイプの尾崎世界観が作った同名曲をベースに松居監督が脚本を書いたという。
コミックやケータイ小説の原作の日本勢恋愛映画はターゲットが若いミーハーであることが多く甘くて問題にする作品は殆どないが、オリジナル脚本の場合、純文学の映画化ほどは重くなく、感じ入ってしみじみと観ることができるケースが少なくない。
本作などはその典型で、亡くなった細君(当初は健在だった)を毎日待っている中年紳士・永瀬正敏に関する描写などの反復が心地よいリズムを生み、国村隼の経営する飲食店における洒落た会話に代表される会話の交換が現実味を醸成する。
コロナが始まって3年も経つのに同時代を描いているにも拘らずコロナ禍下(かか)であることを微塵も感じさせない邦画が多い中、本作は最初にそれをしっかり提示した結果、二人の恋愛の期間ではそうでなかったことが強烈に印象付けられ、とりわけ彼らが恋愛を謳歌していた頃の楽しさを十二分に表現して効果を発揮している。その見事さは高く評価しなければならない。【キネマ旬報】2022年度ベスト選出で上位に入って来るのではあるまいか?
主演両人は好演だが、最近TVCMにも出るようになった伊藤沙莉は適度にぞんざいな感じが特に秀逸と言うべし。永瀬正敏は「パターソン」というジャームッシュの作品に出ていたことを加味しての出演かもしれない。
コロナ禍下なんて言葉を使っているのは僕だけ? “だけ”と言えば、“感謝しかない”という言い方に非常に違和感を覚える。理由は簡単で、ないという否定の単語で終わるのが良くないのだ。ある調査ではこの言い方に違和感を覚える人が過半数なのに、TVインタビューを聞くとスポーツ選手を中心に、この言い方しか耳にしない。言葉の使い方でも日本人は他人と同じになろうとするから、あっという間に大半の人が使うようになる。
2022年日本映画 監督・松居大悟
ネタバレあり
松居大悟監督は「アズミ・ハルコは行方不明」も「くれなずめ」もいま一つだったが、これは相当よろしい。
序盤は、ダンサー兼振付師の池松壮亮と女性タクシー運転手・伊藤沙莉のそれぞれの様子が並行描写され、全くどういう方向に向かっていくのか解らないが、この二人の交際が判ってから、内容もやりたいことも明快に解って来る。
即ち、彼の誕生日ごとに一年ずつ遡るという、長めの「メメント」方式で、二人のなれそめから、恋愛関係が熟しやがて崩壊していくまでを描いているのだ。従って、いつものスタイルの梗概は書かない。
ジム・ジャームッシュの佳作「ナイト・オン・ザ・プラネット」と、かの作を愛するというクリープハイプの尾崎世界観が作った同名曲をベースに松居監督が脚本を書いたという。
コミックやケータイ小説の原作の日本勢恋愛映画はターゲットが若いミーハーであることが多く甘くて問題にする作品は殆どないが、オリジナル脚本の場合、純文学の映画化ほどは重くなく、感じ入ってしみじみと観ることができるケースが少なくない。
本作などはその典型で、亡くなった細君(当初は健在だった)を毎日待っている中年紳士・永瀬正敏に関する描写などの反復が心地よいリズムを生み、国村隼の経営する飲食店における洒落た会話に代表される会話の交換が現実味を醸成する。
コロナが始まって3年も経つのに同時代を描いているにも拘らずコロナ禍下(かか)であることを微塵も感じさせない邦画が多い中、本作は最初にそれをしっかり提示した結果、二人の恋愛の期間ではそうでなかったことが強烈に印象付けられ、とりわけ彼らが恋愛を謳歌していた頃の楽しさを十二分に表現して効果を発揮している。その見事さは高く評価しなければならない。【キネマ旬報】2022年度ベスト選出で上位に入って来るのではあるまいか?
主演両人は好演だが、最近TVCMにも出るようになった伊藤沙莉は適度にぞんざいな感じが特に秀逸と言うべし。永瀬正敏は「パターソン」というジャームッシュの作品に出ていたことを加味しての出演かもしれない。
コロナ禍下なんて言葉を使っているのは僕だけ? “だけ”と言えば、“感謝しかない”という言い方に非常に違和感を覚える。理由は簡単で、ないという否定の単語で終わるのが良くないのだ。ある調査ではこの言い方に違和感を覚える人が過半数なのに、TVインタビューを聞くとスポーツ選手を中心に、この言い方しか耳にしない。言葉の使い方でも日本人は他人と同じになろうとするから、あっという間に大半の人が使うようになる。
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