映画評「兇弾」
☆☆☆(6点/10点満点中)
1949年イギリス映画 監督ベイジル・ディアデン
ネタバレあり
戦後世界の映画界はリアリズムに向って動き出し、イタリアにはネオ・レアリスモがあり、アメリカにはセミ・ドキュメンタリー(実際に起きた場所にロケする実話もの)と呼ばれる映画群が多数作られた。英国にもそうした流れがあり、即実的に作られる作品が目立った。1949年英国製の本作は、セミ・ドキュメンタリーと比べたくなる警察ものである。
ある一家の娘ペギー・エヴァンズが家出する。彼女は異常性格っぽいチンピラのダーク・ボガードと交際し、彼がパトリック・ドゥーナンを相棒に考えている強盗に協力する。やがて宝石店の実家が襲われて鍵が盗まれ、その店の強盗事件が発生する。警察はペギーの捜索をし、事件の捜査をする。
二つの事件を布石を積んで見せていくところがこの時代の映画らしく実にきちんとしていて、後半も同じように布石を置いていく。
二人は映画館で強盗を働こうとして失敗、やって来たベテラン警官ジャック・ウォーナーを撃つ。ウォーナーは後日亡くなり、公私ともども彼にお世話になっている若い警官ジミー・ハンリーが、ボガードを捕えるに一生懸命になり、同僚との連携よろしくドッグレース場で彼を追い詰める。
序盤はネオ・レアリスモに似て庶民への視線を感じさせていかにもリアルだが、宝石店実家での騒動はドタバタしすぎで、そのリアルさが徹底しない憾みが出て来る。
それでも一連の捜査描出は実に地道で、とりわけボガードが捨てた拳銃を拾った幼女を巡る描写などユーモアを交えて秀逸と言えるものがある。カー・チェースもこの時代のものとしては相当本格的だ。
しかるに、人情として、リアルのうちに迫力を出すのに長けているアメリカのセミ・ドキュメンタリーに比べると、いかにも地味すぎるという印象を禁じ得ない。華美なアクションや手に汗握るサスペンスを求めるムキには薦めしかねるといったところ。
1950年代の日本の刑事映画に通じるものがあるか?
1949年イギリス映画 監督ベイジル・ディアデン
ネタバレあり
戦後世界の映画界はリアリズムに向って動き出し、イタリアにはネオ・レアリスモがあり、アメリカにはセミ・ドキュメンタリー(実際に起きた場所にロケする実話もの)と呼ばれる映画群が多数作られた。英国にもそうした流れがあり、即実的に作られる作品が目立った。1949年英国製の本作は、セミ・ドキュメンタリーと比べたくなる警察ものである。
ある一家の娘ペギー・エヴァンズが家出する。彼女は異常性格っぽいチンピラのダーク・ボガードと交際し、彼がパトリック・ドゥーナンを相棒に考えている強盗に協力する。やがて宝石店の実家が襲われて鍵が盗まれ、その店の強盗事件が発生する。警察はペギーの捜索をし、事件の捜査をする。
二つの事件を布石を積んで見せていくところがこの時代の映画らしく実にきちんとしていて、後半も同じように布石を置いていく。
二人は映画館で強盗を働こうとして失敗、やって来たベテラン警官ジャック・ウォーナーを撃つ。ウォーナーは後日亡くなり、公私ともども彼にお世話になっている若い警官ジミー・ハンリーが、ボガードを捕えるに一生懸命になり、同僚との連携よろしくドッグレース場で彼を追い詰める。
序盤はネオ・レアリスモに似て庶民への視線を感じさせていかにもリアルだが、宝石店実家での騒動はドタバタしすぎで、そのリアルさが徹底しない憾みが出て来る。
それでも一連の捜査描出は実に地道で、とりわけボガードが捨てた拳銃を拾った幼女を巡る描写などユーモアを交えて秀逸と言えるものがある。カー・チェースもこの時代のものとしては相当本格的だ。
しかるに、人情として、リアルのうちに迫力を出すのに長けているアメリカのセミ・ドキュメンタリーに比べると、いかにも地味すぎるという印象を禁じ得ない。華美なアクションや手に汗握るサスペンスを求めるムキには薦めしかねるといったところ。
1950年代の日本の刑事映画に通じるものがあるか?
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