映画評「ウェディング・ハイ」
☆☆★(5点/10点満点中)
2022年日本映画 監督・大九明子
ネタバレあり
結婚披露宴を構成・指揮管理するウェディング・プランナーが大々的に取り上げられた映画はその名も「ウェディング・プランナー」(2001年)だと思う。それ以降これが重要な役目を果たす映画が増えたが主役級はなく、久しぶりに主役と言っても良い映画が現れた。あくまで言って良いレベルに留まるのは、前半殆ど活躍しないからである。
お笑い芸人バカリズムによる脚本は着想がなかなか良いと同時に、欠点も多い気がする。監督は「勝手にふるえてろ」以来注目している大九明子。今回の首尾はどうであろうか?
本当は披露宴をしたくない新郎・中村倫也と、大学時代にサークルの先輩と破局したため大学時代の友人は呼べない新婦・関水渚の披露宴を指揮するのが、自らの披露宴での成功体験からこの職業に就いた篠宮涼子である。
全体の三分の一に当たる45分は、主に披露宴に至るまでの新郎新婦の“あるある”集の如き体裁。選択地獄という表現は言い得て妙だろうか?
続いて、しかるべく披露宴の場面となって行くわけだが、ここで場面転換してサークルの先輩・岩田剛典が現れ、「卒業」の幕切れを地で行こうと、サークル仲間二人と温泉地から慌てて帰京し、乗り込む算段をする。
恐らく彼が披露宴を混乱させて、それを涼子ちゃんが解決していくという展開になるかと思いきや、かなり予想を外される。この点においてバカリズムの作戦は成功である。
が、序盤から登場人物のモノローグを多用し、過去を見せるという趣向は、主役三人以上に広げるとくどい感じがする一方、新郎・新婦の上司たる二人のトークなど端折り過ぎて可笑し味が堪能できない憾みがある。かくして、この披露宴そのものを見せる“披露宴あるある”集には退屈感を禁じ得ない。
時間が圧してきたので予定全てを大幅に短縮する為に4つの余興を一つにまとめて見せるところは、実際にも見せ場になっていたが、それ自体の展開は予想通りで意外性はなし。しかるに、その余興のイリュージョンで新婦の父親が消えた為に、時間短縮作戦の成功の後時間引き延ばし(つまり時間稼ぎ)作戦にうって変わるという辺りのコメディー・センスは秀逸と言うべし。
映画として俄然面白くなるのは、香典泥棒・向井理を岩田君が下痢に苦しまされながら追いかけるという最後の一幕で、ここで忘れた頃に出て来る思わぬ助っ人の使い方が気が利いている。個人的にはここが一番面白いと思いつつ、面白がり切れないのは、同じ場面を別のアングルから見せる「羅生門」(1950年)を踏襲した「パルプ・フィクション」(1994年)の手法を多用しぎる為。こういうのはポイントを絞ってやらないとくどくなって効果半減である。
画面に文字が現れる処理といったポップ感覚は大九監督らしいが、「勝手にふるえてろ」ほどには才気煥発という印象を覚えない。
諸事情あり、「パルプ・フィクション」はまだ取り上げてない。単に長めという理由だけではありませぬ・・・
2022年日本映画 監督・大九明子
ネタバレあり
結婚披露宴を構成・指揮管理するウェディング・プランナーが大々的に取り上げられた映画はその名も「ウェディング・プランナー」(2001年)だと思う。それ以降これが重要な役目を果たす映画が増えたが主役級はなく、久しぶりに主役と言っても良い映画が現れた。あくまで言って良いレベルに留まるのは、前半殆ど活躍しないからである。
お笑い芸人バカリズムによる脚本は着想がなかなか良いと同時に、欠点も多い気がする。監督は「勝手にふるえてろ」以来注目している大九明子。今回の首尾はどうであろうか?
本当は披露宴をしたくない新郎・中村倫也と、大学時代にサークルの先輩と破局したため大学時代の友人は呼べない新婦・関水渚の披露宴を指揮するのが、自らの披露宴での成功体験からこの職業に就いた篠宮涼子である。
全体の三分の一に当たる45分は、主に披露宴に至るまでの新郎新婦の“あるある”集の如き体裁。選択地獄という表現は言い得て妙だろうか?
続いて、しかるべく披露宴の場面となって行くわけだが、ここで場面転換してサークルの先輩・岩田剛典が現れ、「卒業」の幕切れを地で行こうと、サークル仲間二人と温泉地から慌てて帰京し、乗り込む算段をする。
恐らく彼が披露宴を混乱させて、それを涼子ちゃんが解決していくという展開になるかと思いきや、かなり予想を外される。この点においてバカリズムの作戦は成功である。
が、序盤から登場人物のモノローグを多用し、過去を見せるという趣向は、主役三人以上に広げるとくどい感じがする一方、新郎・新婦の上司たる二人のトークなど端折り過ぎて可笑し味が堪能できない憾みがある。かくして、この披露宴そのものを見せる“披露宴あるある”集には退屈感を禁じ得ない。
時間が圧してきたので予定全てを大幅に短縮する為に4つの余興を一つにまとめて見せるところは、実際にも見せ場になっていたが、それ自体の展開は予想通りで意外性はなし。しかるに、その余興のイリュージョンで新婦の父親が消えた為に、時間短縮作戦の成功の後時間引き延ばし(つまり時間稼ぎ)作戦にうって変わるという辺りのコメディー・センスは秀逸と言うべし。
映画として俄然面白くなるのは、香典泥棒・向井理を岩田君が下痢に苦しまされながら追いかけるという最後の一幕で、ここで忘れた頃に出て来る思わぬ助っ人の使い方が気が利いている。個人的にはここが一番面白いと思いつつ、面白がり切れないのは、同じ場面を別のアングルから見せる「羅生門」(1950年)を踏襲した「パルプ・フィクション」(1994年)の手法を多用しぎる為。こういうのはポイントを絞ってやらないとくどくなって効果半減である。
画面に文字が現れる処理といったポップ感覚は大九監督らしいが、「勝手にふるえてろ」ほどには才気煥発という印象を覚えない。
諸事情あり、「パルプ・フィクション」はまだ取り上げてない。単に長めという理由だけではありませぬ・・・
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