古典ときどき現代文学:読書録2023年上半期
蒸し暑い日が続いていますね。皆様、いかがお過ごしでしょうか。
そんな時には、誰も読まないようなものばかり読んできたオカピーの読書録で寒さを味わってくださいませ。
いえいえ、最近は皆様で読んでいるような本も大分手にしていますよ。昨年も同じようなことを書いた記憶がありますが、百科事典の索引(個別の記載がないものも含むので、リスト化したら8000作もあった。8割くらいは多分読めないもの)から作った古今東西の読書すべき作品のリストを殆ど制覇したので、余裕ができたわけです。
僕らしい作品と言えば、「太平記」「とはずがたり」という日本の大古典。この手は現代語訳を参考に原文で読むので踏破に大分時間がかかりましたが、もう残りは僅か。長編は「浜松中納言物語」「とりかへばや物語」くらいです。
書き下し文と通釈で読むことにしている漢籍は「貞観政要」のみ。もう少し読みたかった。しかし、実際にはそう多く残っていないのも事実。漢籍以外の中国古典もあります(今回は「官場現形記」のみ)がね。
中国圏以外の作品としては、何と「コーラン」! 期をまたがって少しずつ読み続けている「プルターク英雄伝」、プラトンやカント。
百科事典に代わるリスト候補としては、芥川賞(これは芥川賞全集を使って順番に読んでいる最中)、直木賞や本屋大賞、ブッカー賞やゴンクール賞といった文学賞受賞作が適当でしょうか。賞受賞のいかんに関係なく、映画化されたものも選びやすく、今回もこの手を使って多く読みました。その結果、今回は日本のミステリーも相対的には多いと言える数に。
それでは、ご笑覧あれ。
作者不詳
「太平記:第1巻~第11巻」
★★★後醍醐天皇即位から、元弘の変(1331~33年)による鎌倉幕府滅亡まで。感想的なところなど完全漢文調の部分は名文と言いたいところが多い(代わりに難しい)が、戦闘部分は平易な単なる漢文調。執権北条氏は確かに平家に繋がる一族ながら、源家を支えもしていたのだから、源平の戦いの視点で綴られるのはやや違和感あり。現代の作家なら政権末期の悪政を基調に置くだろう。
「太平記:第12巻~第21巻」
★★建武の中興が短期間で崩壊し、後醍醐天皇(南朝)崩御まで。楠木正成、新田義貞といった後醍醐側の名将の死が壮絶。事実上の南北朝が始まってい、北朝を立てた尊氏が朝敵と言われてもね。戦闘の推移は似たような表現が多く退屈なので、言葉の表現に注目してみた。細君を表すのに本来は女官を示す "女房" を使うところがあり、 "行かむ" の代りに "行かう(行こう)" という現代的な言葉遣いがあり、所有格に ”が” ではなく ”の” を使ったところがある。室町時代の狂言は90%近く現代語と共通する言葉遣いであるが、それをかかる文章語による作品に僅かとはいえ確認できたのが収穫だ。
「太平記:第22巻~第40巻」
★南北朝(旧朝廷と幕府側)の対立が膠着状態になり、1369年まだ少年だった義満が三代将軍に選ばれて、南北朝終焉(1392年)への曙光が生れたところで終わり。半世紀の間戦闘に明け暮れる時代なのに「太平記」とは実に皮肉なタイトル。第1巻からそうだが、戦闘部分は余り面白くない代わりに、道徳論の為に時々脱線して語られる中国の故事やファンタジーが楽しめる。
エラリー・クイーン
「災厄の町」
★★40年前に観た邦画「配達されない三通の手紙」の原作と知って急遽読んでみた。原作を読んでから再鑑賞もした。手紙というギミックの扱いと人物関係のミスリードがうまいが、初期の華麗さや刺激度を考えると地味な感じはする。
壺井 栄
「母のない子と子のない母と」
★★★敗戦後配偶者や家族を失った者たちの生活と心情を普遍的に綴った児童小説。母(妻)を失った子(夫)と、子(夫)を失った母(妻)が小さな幸せを見つけるハッピー・エンドなのは児童文学らしくて清々しい。志賀直哉の「母の死と新しい母」と混同して読んだ気がしていたが、初めてでした。
ウィリアム・バローズ
「裸のランチ」
★30年程前にデーヴィッド・クローネンバーグが作った映画版もさることながら、原作の方も、実体験に基づきながら麻薬的な幻想によってゆがめられた何とも不可思議な世界で、お話はあって無きが如し。ビート世代の文体は冷たすぎて今一つ馴染めない。世代が違うトーマス・ピンチョンはこの作品の影響を受けたのではないかと思う。
金子 みすゞ
「美しい町」
★★★★★近年になって再発掘された天才・金子みすゞ。生前は出版されなかった童謡集その一。生物も非生物にも魂があるように綴り、非生物にもそのように接して来た僕の心を激しく打つ。
「空のかあさま」
★★★★★童謡集その2。微視と巨視とを、あるいは空間を自由自在に往来するところに彼女の天才性がある。例えば、鐘を通じて自分のいる場所から、自分には全く見えない海の鳥の話になったりする。
「さみしい王女」
★★★★★童謡集その3。3・11直後からACジャパンが流した「こだまでしょうか」「私と小鳥と鈴」を収める。彼女の悲しい短い生涯を思うと、涙なしに読むことの出来ぬ詩群だ。
ミヒャエル・エンデ
「モモ」
★★★★無駄なことを排除する合理主義が蔓延して人間関係がぎすぎすし味気なくなっている社会への風刺を打ち出すと共に、その為に時間と人間の関係を考える哲学的要素もちりばめられ、大いに考えさせられる。児童文学と侮るなかれ。本当のファンタジーは、現実に立脚していることを知らしめる傑作で、宮崎駿の一連のアニメに通ずる。
イマヌエル・カント
「啓蒙とは何か」
★★★短い論文。カントは学者の理性の利用を公的と言い、政治家・宗教家のそれを私的と言う。前者が啓蒙には重要らしい。そして、自ら考えることがきちんとした共和制を生むのである。
「世界市民という視点からみた普遍史の理念」
★★★★なかなか興味深い。人間は非社交的な社交性を持つ故に、粗暴を捨てて理性に基づき平和を求めるという。これが解りやすく具体化されたのが国際連盟や連合である。カントが言うには、これは人類ではなく自然が行う。神ではなく自然と言うところに新鮮さを感じる。これは僕の【自然=神】の考えに近く、神が自然を作ったというキリスト教本来の考えとは異なるように思われるのだ。
「永遠平和のために」
★★★★永遠平和である為の色々条件を挙げている中で印象深いのが、共和制であることという部分。これは民主制を意味しない。カントに言わせれば、(全員参加型の)民主制は一種の独裁政治=全体主義になるので、統治者が少ない君主制の共和国がベターと言っている。平和を考える時、鎖国をする日本や清を一例として挙げるのも面白い。
ジョン・ディクスン・カー
「髑髏城」
★★★怪奇趣味の強いカーらしいミステリー。髑髏を模した館の持主たるマジシャン(現在のイリュージョニストに近い印象)の十数年前の謎めいた死亡事件/事故と、生前譲渡を約束された現在の持主である俳優が火につつまれて死んだ事件との関連をめぐるミステリー。この頃の本格推理は警察と名私立探偵とが形だけ競い合うという体裁が多いが、本作は公立と私立の探偵が本格的に謎解き合戦をするというところがミソ。老獪な私立探偵バンコランが相手の推理をうまく活用して解決するが、公立の男爵探偵は素人にも解る重大なミスを犯している。
米谷 ふみ子
「過越しの祭」
★★★第94回(1985年下半期)芥川賞受賞作。1960年代以降女性作家が活躍が目立つようになるに伴い、海外(全てアメリカ)に定住もしくは長期滞在する日本婦人を扱う小説が幾つか芥川賞を受賞した。本作は多分3作目で、芥川賞とは関係ない有吉佐和子「非色」という注目作もある。本作は自由を求めてアメリカへ渡ったのに、夫がユダヤ人(但し、無信心)であった為にユダヤ教に束縛されてしまう苦悩を描いている。多分今回の芥川賞受賞作品は多く一人称叙述だが、本作の場合語り手の関西弁が苦悩ぶりをマイルドにする効果がある、と思う。
村田 喜代子
「鍋の中」
★★★★第97回(1987年上半期)芥川賞受賞作。三期ぶりの受賞作は、黒澤明監督「八月の狂詩曲」の原作だが、映画が反核的な内容に収斂していくのに対し、こちらは老女の(実は曖昧な)記憶に翻弄されて家族に対する孫たちの思いがちょっと揺らぐ、一種の青春小説である。黒澤明は設定のごく一部(四人の孫が祖母に預けられること、舞台も長崎ではない)だけを借用して勝手にお話を作り上げたのだ。この小説は正統派の日本文学らしさがあって好み。
池澤 夏樹
「スティル・ライフ」
★★★第98回(1987年下半期)芥川賞受賞作。ドライな文体も、株の売買で使い込んだ金を帰そうとする逃走犯と、バイト先で知り合った為に協力する羽目になった “ぼく” の交流を描く内容も、村上春樹に従兄弟と言いたくなるくらいには似ている。兄弟とまでは行かない。些か苦手なタイプだが、雪は降るのではなく我々が上昇しているのだと主人公が悟る部分のイメージが非常に詩的。映画を見るようだ。
三浦 清宏
「長男の出家」
★★★★同じく第98回芥川賞受賞作。アメリカから帰国したインテリ夫婦の息子が小学生3年の時に僧侶になると言い出し、中学生になって実現するお話を、精神修養の為に禅宗の寺に定期的に出かける父親たる “ぼく” の視点から描く。終始シリアスなのにどこかユーモラスなのは、あばれ盛りの中学生と僧侶というギャップがあり、登場人物たちの会話が意図せぬまま齟齬するするからであろう。父親が禅宗の寺に通うのはアメリカから帰国してアイデンティティに揺らぎが生じたのが遠因であるようだが、帰国子女が増え始めた(と意識されるようになった)昭和末期らしい内容とも言えようか。
新井 満
「尋ね人の時間」
★★★第99回(1988年上半期)芥川賞受賞作。新井満は「ワインカラーのときめき」の歌手としてよく知っていた(EP購入)ので、当時芥川賞受賞という報道にちと驚いた。会社員歌手として小椋佳の後輩のような存在でしたね。銓衡(選考)委員は誰も述べていないが、主人公の離婚や不能を扱った本作は、現代人の孤独に加えて、青春へのレクイエムがテーマと思う。欧米映画では多いが日本文学では少ない、このテーマ性が気に入った。
南木 佳士
「ダイヤモンドダスト」
★★★第100回(1988年下半期))芥川賞受賞作。医者を目指すも家族の病気の為に地元の看護士に留まることになった主人公が、患者であるベトナム戦争の兵士であったアメリカの宣教師と、脳卒中で同室になった彼と豊かな交流を果たした後水車を作ることに没頭した父親の死を、相次いで経験する。水車の瓦解と人の死が交錯する様が詩的に美しいイメージを構築する。
李 良枝
「由煕」
★★★★同じく第100回芥川賞受賞作。“ユヒ” と読む。ヒロインたる “私” が日本語で語るのですっかり日本が舞台と思っていると、彼女は韓国に住む純然たる韓国人なので、それが判った時に多少違和感を覚える。しかし、在日韓国人女子学生たる由煕が、アイデンティティを探り当てようと留学生として赴いた祖国韓国に跳ね返され、却ってアイデンティティを見失ってしまう様の切なさにグッと来て、今回の芥川賞受賞作作品の中では一番ピンと来た。作者の半自伝的な作品と伺えるが、作者の分身は勿論 “私” ではなく “由煕” である。 語り手を第三者にして6年程前の自身を相対化したのだ。
ギャビン・ライアル
「深夜プラス1」
★★★企業合併等でもめて暗殺される可能性のあるオーストリアの実業家を、話し合いを実現する為にリヒテンシュタインにまで送り届ける役を仰せつかったビジネス・エージェントとガードマン(殺し屋)らの活躍を綴る企業サスペンス。スパイものに近い冒険小説の類で、文体や内容はハードボイルド小説に類する。従って、クールな台詞もちらほら出て来る。敵と味方が全員かつてフランスのレジスタンスの仲間たちというのが極めて映画的だが、何故か映画化になっていない。高い評判と僕の印象との落差を考えると、冒険小説は読むより映画版を観る方が楽しめる、という個人の趣味性に行き着く。
マイケル・オンダーチェ
「イギリス人の患者」
★★★★映画「イングリッシュ・ペイシェント」の原作。映画は、英国人とみなされていた正体不明の患者が看護婦に語るロマンスを軸に構成されているが、原作は一人の妙齢女性(カナダ人の看護婦)と彼女をめぐる三人の男性たちの群像劇の趣きで、寧ろヒロインを狂言回しにするような形でそれらがほぼ公平に分配されている。ロマンスの部分の比重は予想以上に低い。火傷を負って正体不明の英国人実はベルギー人の考古学者、ヒロインの父親の友人たるイタリア人スパイ(本業は盗賊)、爆弾処理を専門とするインド人工兵の物語。米国の日本への原爆投下を知ったインド青年が瞋恚にかられて突然反白人となるところがやや唐突すぎるが、それぞれに物語を持つ四人が綾なす人間模様は頗る美しい。
筒井 康隆
「家族八景」
★★★★恥ずかしいことに(?)筒井は短編ミステリー一編しか読んでこず、これがやっと二作目。TVドラマにもなった連作長編である。人の心が読めるテレパスの少女(若い未婚女性のこと、僕は少女と言う)七瀬が、その能力を隠す為に家政婦として働き、九家族(二家族に接する一挿話あり)を転々とし、様々な家族模様を知る。というSF小説で、色々なタイプの家庭の様子を点出して大変興味深いが、若い母親が赤ん坊を殺して自殺したり、熟年紳士が発狂したりするのはやりすぎのような気もする。しかるに、SFであるからこれくらいであって良いのかもしれない。
「乱調文学大辞典」
★★★★★ビアスの「悪魔の辞典」を恐らく意識しているが、あれほど品は良くない。しかし、語義が一々傑作なのである。文学史の知識があったほうが楽しめるのは言うまでもない。
「あなたも流行作家になれる」
★★★★文壇の実態を諧謔的に扱っている。余りに羽目を外した感が無きにしもあらずだが、諧謔に留まらず正鵠を射ているのではないかと思われるところも結構ある。知らんけど(最近流行語化したので、諧謔として使ってみた)。
小川 洋子
「博士の愛した数式」
★★★★博士(時に僕はこう言われます)の愛した同名映画の原作。本作が映画化された前後から、認知症を含め、記憶をテーマにした映画が俄然増えたような気がする。交通事故による脳の損傷の為に(事故以後の)記憶が80分しか持たなくなった数学者と、彼の生活の面倒を見ることになった通いの家政婦親子との交流を描いて映画同様じーんとさせる。数学が意外と生活に密接した学問であるという印象も変わらないが、博士が野球を見たこともないのに大のご贔屓としていた江夏に関する叙述が多いのに驚いた。そして江夏の背番号は28、完全数であると気付かされて感動。
呉 兢
「貞観政要」
★★★★王朝運営の最強のシステムは、優れた主君と腹蔵なく諫言する家臣という組み合わせである、ということが実によく解る。唐の太宗は世界史上でも稀に見る名君だが、その彼でも時には人倫的或いは国家運営上の過ちを起こすことがあり、それを常に修正したのが名臣・魏徴である。中国歴代王朝の優れたところは、家臣が君主の言動の記録を取り、それに君主の干渉が入らないようなシステムが構築されていたということ。だから、この本に書かれていることに忖度はないのである。
マーガレット・アトウッド
「侍女の物語」
★★★★環境汚染等複合的な問題が絡み合って妊娠しない女性が増えたアメリカで突然発生した独裁国家を舞台にしたディストピア小説。この国家の考えはかつてのピューリタン(清教徒)のようだ。妊娠できる女性は上流男子の持ち物(それを象徴するのが of + first name で呼ばれる仕組み)=侍女として大事にされ、同時に最下層とも見なせないことはない。現実の男尊女卑社会を透かして見せたような感じもするが、さすがに現在は勿論、書かれた時代でもここまで女性が蔑まれることはない。しかし、15年程前の我が国にも、 “女性は子供を産む機械” と言って批判された大臣がいましたっけ。この手の発言は、真意に関係なく、必ず炎上する。
アーチボルド・J・クローニン
「城砦」
★★★★1938年に作られた映画版が素晴らしかった。この小説も実に良い。前半医者としての使命に燃えていた主人公が、一度経済的豊かさの魔物に取り付かれて初心を忘れてしまうが、再びそれを取り戻す。医者の書いた医学ものだけに非常に説得力の高いものになっているが、主人公が目覚めた直後に愛妻を殺す(作者が死なすの意味なり)のは良くない。死んだことにより目覚めるほうが流れとしてベターであるし、それも映画のように友人の一人にしたほうが後味が良い。
レオポルド・フォン・ザッハー・マゾッホ
「毛皮を着たヴィーナス」
★★マゾヒズムの語源となった作家の代表作。なかなか読めなかったが遂に図書館が新訳版を買ってくれた。作者は恐らく照れて、自身を投影した主人公が女性から虐められる快感から脱却するというお話にしてしまったのが弱い。マゾヒズムは自分に向けられたサディズムである為マゾヒストがSに豹変する可能性は高いという僕の持論を裏打ちするようなところもあるが。
有吉 佐和子
「複合汚染」
★★★★実に変わった作品である。主人公は有吉佐和子本人。私小説ではなく、一番近いのはノンフィクション小説なのだが、この小説に出て来る有吉は実物とは少々違う。青島幸雄、市川房枝、石原慎太郎等が実名で出て来るが、彼女が市川房枝の選挙応援団として手伝っている時に知らされた複合汚染の問題について話し合う御隠居は落語のそれのように話を進める為の創作であるのは確か。半世紀前に彼女が心配した環境問題の幾つかはぐっと改善された。排気ガスに関する改善は、偶然にも本作に少し出て来る石原の貢献が無視できない。逆に当時認識されていなかった別の環境問題、例えば温暖化の問題について、彼女ならどう言うだろうか? 本作の問題提示の基底には日本の伝統への愛が横たわっているのだが、温暖化はナショナリズムを超えているのだから。
黒岩 重吾
「背徳のメス」
★★★★★子供の頃文庫本の最後に記載されている既刊本に黒岩重吾の名が幾つもあった(多作なのだ)が、読むのは今回が初めて。芥川賞受賞作品は遠くない将来ある程度読めてしまうので、そう簡単には行かない直木賞に目を付けたという次第。部下の看護婦らとの女性関係の為に周囲から軽蔑されることの多い産婦人科医の植(うえ)は、反面、医者としての倫理には忠実で、ミスで妊婦を死なしめた上司の科長と衝突する。やがて植自身もガスで殺されそうになる。科長との対決は敗北に終わるが、それに関して殺人未遂事件の犯人を追い詰めることには成功する。ミステリー要素は多いが、本格推理ではなく、人間描写に面白味がある。結末の持って行き方に唐突の感じがあるものの、実に面白く読める。
「休日の断崖」
★★★作者の出世作で、こちらは本格的な推理小説である。松本清張に似た香りがする。主人公の建築関係新聞社の社長である主人公が、親しくしているさる企業の取締役が東京で向うのを大阪駅で見送った翌日、出発方向とは反対にある断崖で謎の墜落死をしたことを教えられる。未亡人は夫の自殺を仄めかすが、主人公は疑いを禁じ得ず、犯人を突き止めることを亡き友人に誓う。犯人当てとアリバイ崩し(時間に関するトリック)を軸として充実。これも直木賞の候補になったらしい。
喜多村 筠庭
「嬉遊笑覧」(巻二下~巻之四)
★昨年下半期から読み始めた江戸時代の “百科事典”。 今回は服飾、道具、書画、詩歌、武事、雑技について。現代語訳がないので難儀するが、語源に関する説明で勉強になることが多い。漢文の引用は大半は読み飛ばす。
ムフンマド = モハメット(原著)
「コーラン」
★★世界最大宗教の経典。最初の数章を読めば事足りる。残りは延々と同じ事の繰り返し。好意的に捉えれば、どの章を読んでも、モハメットの主張は理解できることになる。只管強い言葉で書かれた教条群で、「聖書」ほど文学的価値はないと思われるが、最後の章の数々は短いが故に却って詩的に読めたりもする。
ウィリアム・シェイクスピア
「ヘンリー八世」
★★★晩年の、そして最後の史劇。スチュワート朝ジェームズ1世の娘エリザベスの結婚を祝すため、悪名高いヘンリー八世が教会を巻き込んで、長年の妻カタリーナ・デ・アラゴン(キャサリン)と離婚して結婚したアン・ブーリンの立后と、子供の誕生を祝す部分を眼目に書かれた。為に、陰謀なども出て来るが全体的には穏当なイメージが強い。この結婚騒動故に英国に国教が生れたというのは世界史で習いましたよね、皆さん。また、アン・ブーリンは3年後斬首された。1960年代それを題材に「1000日のアン」という戯曲が書かれ、映画化もされた。
石垣 りん
「石垣りん詩集」
★★★★中学の時に第二詩集「表札など」の『しじみ』を読んで、作者の名前を憶えた。いつか他のも読んでやろうと考えるうちに50年経ってしまった。単行詩集というものは図書館に行っても余り読めるものではなく、大概「〇〇詩集」のような形で抄を読むことになる。その中で第一詩集「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」はほぼ全て紹介されているのではないか。初期の頃は強い口調の反戦的な詩を書いていた彼女は、次第に自分について書くようになった。しかし、視線を自分に内向することは同時に社会や国家に向けることになる。それをよく示す詩群である。働けない家族の為に自分が身を粉にして働いている現実を歌った幾つかの詩には胸が押しつぶされそうになる。
李 宝嘉
「官場現形記」
★★義和団事件直後の文字通り清朝末期の官僚たちの腐敗をこれでもかこれでもかと綴った白話小説で、作者死亡の為未完(前半のみ完)。その結果、ちょっとしたメタフィクションが発生した。最後の登場人物(この小説に特定の主人公はいず、数話ごとに主人公が引き継がれていく。「ウィンチェスター銃73」のライフル銃同様、汚職が狂言回しを演ずる)が死ぬ前に記録を残すが、半分を残して焼失してしまう。残ったのがこの前半部分と言うのである。後継者が書いているので完全なメタではないが、面白い幕切れになっている。種々の汚職があるとは言え、延々汚職の詳細が書かれるだけで次第に飽きて来る。60巻のうち10巻も読めば十分という感じ。作者の死後数年で清朝は滅びる。ここまで官僚が腐っていれば当然という気がする。
皆川 博子
「ジャムの真昼」
★★★★3年前に読んだ短編集「蝶」が日本の戦前・戦後にほぼ絞って書かれていたのに対し、こちらの短編集はドイツの戦争に集約されよう。写真や絵画から着想した由で、導入部の「森の娘」と最後を締める「少女戴冠」だけ日本人が主人公。「ジャムの真昼」「おまえの部屋」がとりわけナチス絡みのお話となっている。戦争を絡めて記憶も問題になることが多く、その典型が精神錯乱した女性を主人公にした「光る輪」。難物が多いが、作者自身がモデルとなったらしい、突然私小説から幻想の世界へ鮮やかにワープする「少女戴冠」を読むと俄然全体のピントが合う。要は、多かれ少なかれ様々な障碍者に対する排除(に対する諸感情)をテーマに若しくは背景に書かれた作品群なのだ。
乃南 アサ
「凍える牙」
★★★★日本で二度ドラマ化され、韓国で映画化された刑事ミステリー。韓国版は面白かったが、例によってお笑いがきつめなところがマイナスだった。原作でも笑みが洩れるところはある。しかし、笑えるのは、中年刑事と機動隊からやってきた女性警官の関係の、逆凸凹コンビがそこはかとなく醸し出すユーモアによってであった。作者は微塵も笑わそうとしたわけではない。この差は大きい。狼犬が絡む連続殺人事件をめぐる捜査もので、これはドラマではなく本格的に映画で見たい。腹の出た中年刑事は20年くらい前のビートたけし、女性警官は候補は多くいて、ドラマ版の天海祐希/木村佳乃でも良いが、もう少しクール・ビューティの中谷美紀でどうだろうか(いずれもアラサーの時)?
グレアム・スウィフト
「マザリング・サンデー」
★★★★★英国映画「帰らない日曜日」の原作となった中編小悦。映画が実に要領良く作られていたことが解る。寧ろ短すぎるくらいなので、原作では殆ど描かれていない夫との描写を適切な量で加えて、この一人称的三人称小説をうまく消化したと思う。彼女は喪失感を乗り越えて作家として大成、自身の過去を相対化できる境地に達したのだろうという感慨を覚えさせる。大昔のある一日だけをフィーチャーして、その日こそ彼女を後に作家たらしめた運命の日であったと思わせ、あるいは、行間にその間の苦悩をにじませるところが秀逸。珠玉の作品でありましょう。
ジュリアン・バーンズ
「フロベールの鸚鵡」
★★★有吉佐和子の「複合汚染」に似て、エッセイ的な小説である。こちらの書き手はちゃんとした別名があるが、まあバーンズその人と考えて良く、一種のノンフィクション小説と言える。徹底したフロベールの研究書の類だが、フロベールと浮名を流した女性が書いたような見せかけたフィクションがあるなど、十分小説である。
「終わりの感覚」
★★★★続けて読んだわけではない。選んだ作品が一月前に読んだ作品の作者だったということ。映画「ベロニカとの記憶」の原作。そのことをすっかり忘れて読んでいたところ、殆ど終結のところでこの映画を思い出した。お話は何故か昔交際した女子大生ヴェロニカの母親から遺産が残されて吃驚した主人公がその謎を解くために記憶を辿り、悪戦苦闘するうちに衝撃の事実を知らされる。通奏低音は記憶と意識のずれ。どんでん返しで驚かしてやろうとして書かれたものではないものの、幕切れが鮮やかだ。
後深草院 二条
「とはずがたり」
★★鎌倉時代後期に書かれた宮廷文学。作者は引退後の後深草院の愛人でもあった女房で、色々出入りがあり、出家した後半は鎌倉時代に多く係れた紀行文に変わる。個人的には後半の方が面白い。愛欲の果てに出家した瀬戸内寂聴が自分の半生とこの作品をオーヴァーラップさせていた記憶がある。出家が一種のファッションであった当時と単純比較することはできないと思うが。
ヘンリー・ジェイムズ
「黄金の盃」
★★★20年くらい前に観た映画「金色の嘘」の原作。舞台は英国で、アメリカ出身の娘マギーがイタリアの公爵アメリーゴと結婚し、その孤独を埋めさせるようにマギーを含めた周囲がその父親アダム・ヴァーヴァーに娘の知人であるシャーロットと娶せるように仕込む。ところが、シャーロットは以前恋愛関係にあった公爵と焼け木杭には火が付いてしまう。マギーと父親の絆が深い為その間隙をついて二人の仲は益々昵懇になるが、現実に目覚めたマギーが誰も、特に父親が傷つかないように修復を図る。と梗概を書けば、普通の不倫小説だが、ジェイムズはその第一人者たる得意の一人称的三人称という文体によって、その複雑怪奇で繊細過ぎる心理を顕微鏡のように綴っていくのである。
堀田 善衛
「定家明月記私抄」
★★★★続編についても一緒に語る。藤原定家の日記「明月記」は読みようがないので、堀田が苦労して読み取って書き綴った本著作が非常に参考になる。僕は唱歌「かまくら」が好きで、鎌倉時代に非常にロマンティシズムを覚えているのだが、これを読むと甚だ幻滅する。定家は平清盛が台頭する前から日記を書き始め、間欠しながらも、後鳥羽上皇が隠岐で死ぬ辺りまで50年以上に渡ってこの日記を書いた。平安末期から鎌倉時代初頭が激しい争いに明け暮れたことを僕も一応知っているが、それ以外に人心が甚だ悪化していて放火・強盗などが頻出するのを紹介されると、幻滅するしかない。定家自身についても人間的であったという見方もできるが、イメージが悪くなるかもしれない。
中村 光夫
「風俗小説論」
★★★★1950年に丹羽文雄との論争に端を発して文学論で、当時主流を占めていた風俗小説が私小説のなれの果てであると喝破する。日本の自然主義や私小説が欧州の写実主義を社会を無視して作者自身に向けられた為に日本の近代文学は真に社会を描けてこなかったというのが主旨。欧州と日本の近代文学を一通り読んでいれば相当面白く読める。
プルタルコス
「プルターク英雄伝:ティーモレオーン/アエミリウス・パウルス」
★前回は潮文庫の英語版からの重訳で地名や人名に違和感があったので、岩波文庫の直訳版にした。が、読みにくさは潮文庫を上回り、そうでなくても地名・人名が無数に出て来る戦記に推移するこの組合せのようなパターンではどうにも集中できない。プルタルコスは吝嗇と清貧をよく沙汰するが、鷹揚で自分は清貧を貫いたアエミリウス・パウルスが好ましいと思っている模様。
「プルターク英雄伝:ペロピダース/マルケルルス」
★軍人として最盛期の時に亡くなった不運な将軍として知られる二人の比較。前述通り戦記は集中できない。
「プルターク英雄伝:アリステイデース/マルクス・カトー」
★★軍人よりこの二人のような政治家(大概軍人でもある)の話の方が面白い。ローマの加藤もといカトー(大)は弁論巧みな人で、色々な逸話があるが、プルタルコスは人間的にはギリシャの品位の高いアリステイデースのほうが上と見ている。
「プルターク英雄伝:フィロポイメーン/ティトス・フラーミニーヌス」
★英雄伝は最初がギリシャ系、二番目がローマ系と決まって配置されていて、この二人はギリシャがローマに征服される少し前にマケドニアからのギリシャ解放に活躍した同時代の軍人政治家。共闘したわけではない。フラーミニーヌスこそギリシャの恩人という立場をプルタルコスは取る。
桐野 夏生
「OUT」
★★★★大分前に映画版を観た。夜間食品工場で働く女性が夫君を殺害、ヒロインが仕事仲間二人を率いてその死体を片付け、関係者は誰も罪を問われない。それに一人のチンピラがその真相に気付く。この小説の凄いところはこれからの意外過ぎる展開にあるが、詳細は伏せておきましょう。さらにその裏で容疑者となった為に二つの会社をパーにした元殺人加害者が復讐に立ち上がって、彼女たちに迫っていく。小説の方が面白いかもしれない。
野間 宏
「暗い絵」
★★★終戦直後、転向して生き延びた主人公が、ブリューゲルの異様な絵(野間が勝手に作り上げた絵)を思い出すうちに、その絵の含まれる画集を持っていた仲間らと過ごした一日が蘇って来る。難解ではないが説明するのが難しい小説。親しかった他の3人が獄死したことから来る自己嫌悪を恐らくその絵が象徴し、その絵を見て主人公が「当時の人間の自覚の形じゃないか」と述べるところを見ると、一種の実存主義的な小説とも読める。
「崩壊感覚」
★★★前作の主人公のその後を描くようなお話で、同じアパートに住む学生が縊死したのを見て、戦時中に戦地で手榴弾で自殺しようとした時に覚えた体の内が崩壊するような感覚を呼び起こす。しかし、主人公はそこから性欲へと思いを馳せ、生きる力を得ようともがかなければならない。野間はかく明快には書かないが、きっとそんな話です(笑)
アラヴィンド・アディガ
「グローバリズム出づる処の殺人者より」
★★★カースト制よりももっと恐いインドの階級社会を皮肉っぽく描いた小説だが、叙述を中国の温家宝首相宛の手紙という形にしたことで二重の諧謔性が出て来る。インドも風刺されているが、中国が単純に持ち上げられていると思わないほうが良いのでは?
宮部 みゆき
「火車」
★★★★ “かしゃ” と読む。親戚の青年に頼まれた負傷休業中の刑事が、行方をくらましたそのフィアンセを探すうちに住宅ローンに端を発する借金地獄の社会が浮かび上がる。社会派の要素も濃厚だが、結構本格ミステリーで読み応え十分。ドラマ化されているが、同時代的に映画化されたも良かった素材。
連城 三紀彦
「恋文」
★★★★★WOWOWのスケジュール表に懐かしい作品名を発見したので、再鑑賞する代わりに原作のこちらを読んでみた。短編。倦怠期に入った夫婦の妻が、余命の少ない昔の恋人の為に家を出た夫を彼女と結婚させるというお話。三つの “手紙” が絡むが、やはり離婚届を恋文として扱ったところにぐっと来る。チェーホフとオー・ヘンリーを合わせて二で割ったような感じ。
プラトン
「国家」
★★★哲学書を読むにあたって、プラトンは対話形式で大半を平易な単語のみで進めるので、取り組みやすい。まだ選挙制による間接民主主義を見ていない時期に書かれたものだから、全てを現在に当てはめるわけには行かないものの、哲人王制を最良とするのを基本とした上で、民主制(直接民主制)が最良の君主制から最悪の僭主制(独裁制)までの全ての状態を含むとしたことに非常に納得させられた。カントに「永遠平和のために」に影響を与えているか?
モーリス・ルブラン
「八点鐘」(再)
★★★アルセーヌ・ルパンがレニーヌ公爵になりすまして恋に落ちたオルタンスを助手的に扱って名探偵ぶりを発揮する連作短編集8編。詩の名訳で知られ自身詩人もある堀口大学による新潮社版。高校の時に買った文庫本を再読した。太陽光線とレンズを活用した犯行、雪に付いた足跡をめぐる謎、密室トリック、ポーのような暗号トリックなど、古典となったトリックが少なくなく、比較的本格ミステリー的。
「怪盗紳士ルパン」(再)
★★★★★小学5年の学級図書にあったこの本(ポプラ社池田宣政訳)でアルセーヌ・ルパンに出会い、女性に徹底して優しい義賊というロマンティックな設定に惚れ込んだ。クラスの蔵書だけでは足りず、隣のクラスにまで足を運んだ。どれもこれも素晴らしく、僕はルパンのファンに留まらず、読書好きになったのである。ロマンティシズムではシャーロック・ホームズは物足りなかった。で、中学以降も折に触れてルパンものを読んだが、池田宣政の別名義である南洋一郎版は子供っぽすぎて物足りず、新潮文庫や創元文庫など大人向けの忠実な訳では散文的にすぎるような気がしたので、今回は中学生向きくらいの偕成社版に初めて触れてみた。ルパンの訳としてはこれくらいで丁度良く、今は殆ど読めないに等しい池田版はこんな感じではなかったかと思う。初期の短編を大体発表順にまとめたほぼ公式の短編集(8編収録)で、子供の時に偶然うまく行った首飾り窃盗や、泥棒を稼業と決めて初めて行った犯行などが収められる。かのホームズと遭遇する事件もあるが、ルパンはこの後もっと本格的にホームズに対峙する。さすがに小学生の時の感動再現とは行かぬまでも、当時の気分を思い出させるには十分なので満点を進呈!
そんな時には、誰も読まないようなものばかり読んできたオカピーの読書録で寒さを味わってくださいませ。
いえいえ、最近は皆様で読んでいるような本も大分手にしていますよ。昨年も同じようなことを書いた記憶がありますが、百科事典の索引(個別の記載がないものも含むので、リスト化したら8000作もあった。8割くらいは多分読めないもの)から作った古今東西の読書すべき作品のリストを殆ど制覇したので、余裕ができたわけです。
僕らしい作品と言えば、「太平記」「とはずがたり」という日本の大古典。この手は現代語訳を参考に原文で読むので踏破に大分時間がかかりましたが、もう残りは僅か。長編は「浜松中納言物語」「とりかへばや物語」くらいです。
書き下し文と通釈で読むことにしている漢籍は「貞観政要」のみ。もう少し読みたかった。しかし、実際にはそう多く残っていないのも事実。漢籍以外の中国古典もあります(今回は「官場現形記」のみ)がね。
中国圏以外の作品としては、何と「コーラン」! 期をまたがって少しずつ読み続けている「プルターク英雄伝」、プラトンやカント。
百科事典に代わるリスト候補としては、芥川賞(これは芥川賞全集を使って順番に読んでいる最中)、直木賞や本屋大賞、ブッカー賞やゴンクール賞といった文学賞受賞作が適当でしょうか。賞受賞のいかんに関係なく、映画化されたものも選びやすく、今回もこの手を使って多く読みました。その結果、今回は日本のミステリーも相対的には多いと言える数に。
それでは、ご笑覧あれ。
***** 記 *****
作者不詳
「太平記:第1巻~第11巻」
★★★後醍醐天皇即位から、元弘の変(1331~33年)による鎌倉幕府滅亡まで。感想的なところなど完全漢文調の部分は名文と言いたいところが多い(代わりに難しい)が、戦闘部分は平易な単なる漢文調。執権北条氏は確かに平家に繋がる一族ながら、源家を支えもしていたのだから、源平の戦いの視点で綴られるのはやや違和感あり。現代の作家なら政権末期の悪政を基調に置くだろう。
「太平記:第12巻~第21巻」
★★建武の中興が短期間で崩壊し、後醍醐天皇(南朝)崩御まで。楠木正成、新田義貞といった後醍醐側の名将の死が壮絶。事実上の南北朝が始まってい、北朝を立てた尊氏が朝敵と言われてもね。戦闘の推移は似たような表現が多く退屈なので、言葉の表現に注目してみた。細君を表すのに本来は女官を示す "女房" を使うところがあり、 "行かむ" の代りに "行かう(行こう)" という現代的な言葉遣いがあり、所有格に ”が” ではなく ”の” を使ったところがある。室町時代の狂言は90%近く現代語と共通する言葉遣いであるが、それをかかる文章語による作品に僅かとはいえ確認できたのが収穫だ。
「太平記:第22巻~第40巻」
★南北朝(旧朝廷と幕府側)の対立が膠着状態になり、1369年まだ少年だった義満が三代将軍に選ばれて、南北朝終焉(1392年)への曙光が生れたところで終わり。半世紀の間戦闘に明け暮れる時代なのに「太平記」とは実に皮肉なタイトル。第1巻からそうだが、戦闘部分は余り面白くない代わりに、道徳論の為に時々脱線して語られる中国の故事やファンタジーが楽しめる。
エラリー・クイーン
「災厄の町」
★★40年前に観た邦画「配達されない三通の手紙」の原作と知って急遽読んでみた。原作を読んでから再鑑賞もした。手紙というギミックの扱いと人物関係のミスリードがうまいが、初期の華麗さや刺激度を考えると地味な感じはする。
壺井 栄
「母のない子と子のない母と」
★★★敗戦後配偶者や家族を失った者たちの生活と心情を普遍的に綴った児童小説。母(妻)を失った子(夫)と、子(夫)を失った母(妻)が小さな幸せを見つけるハッピー・エンドなのは児童文学らしくて清々しい。志賀直哉の「母の死と新しい母」と混同して読んだ気がしていたが、初めてでした。
ウィリアム・バローズ
「裸のランチ」
★30年程前にデーヴィッド・クローネンバーグが作った映画版もさることながら、原作の方も、実体験に基づきながら麻薬的な幻想によってゆがめられた何とも不可思議な世界で、お話はあって無きが如し。ビート世代の文体は冷たすぎて今一つ馴染めない。世代が違うトーマス・ピンチョンはこの作品の影響を受けたのではないかと思う。
金子 みすゞ
「美しい町」
★★★★★近年になって再発掘された天才・金子みすゞ。生前は出版されなかった童謡集その一。生物も非生物にも魂があるように綴り、非生物にもそのように接して来た僕の心を激しく打つ。
「空のかあさま」
★★★★★童謡集その2。微視と巨視とを、あるいは空間を自由自在に往来するところに彼女の天才性がある。例えば、鐘を通じて自分のいる場所から、自分には全く見えない海の鳥の話になったりする。
「さみしい王女」
★★★★★童謡集その3。3・11直後からACジャパンが流した「こだまでしょうか」「私と小鳥と鈴」を収める。彼女の悲しい短い生涯を思うと、涙なしに読むことの出来ぬ詩群だ。
ミヒャエル・エンデ
「モモ」
★★★★無駄なことを排除する合理主義が蔓延して人間関係がぎすぎすし味気なくなっている社会への風刺を打ち出すと共に、その為に時間と人間の関係を考える哲学的要素もちりばめられ、大いに考えさせられる。児童文学と侮るなかれ。本当のファンタジーは、現実に立脚していることを知らしめる傑作で、宮崎駿の一連のアニメに通ずる。
イマヌエル・カント
「啓蒙とは何か」
★★★短い論文。カントは学者の理性の利用を公的と言い、政治家・宗教家のそれを私的と言う。前者が啓蒙には重要らしい。そして、自ら考えることがきちんとした共和制を生むのである。
「世界市民という視点からみた普遍史の理念」
★★★★なかなか興味深い。人間は非社交的な社交性を持つ故に、粗暴を捨てて理性に基づき平和を求めるという。これが解りやすく具体化されたのが国際連盟や連合である。カントが言うには、これは人類ではなく自然が行う。神ではなく自然と言うところに新鮮さを感じる。これは僕の【自然=神】の考えに近く、神が自然を作ったというキリスト教本来の考えとは異なるように思われるのだ。
「永遠平和のために」
★★★★永遠平和である為の色々条件を挙げている中で印象深いのが、共和制であることという部分。これは民主制を意味しない。カントに言わせれば、(全員参加型の)民主制は一種の独裁政治=全体主義になるので、統治者が少ない君主制の共和国がベターと言っている。平和を考える時、鎖国をする日本や清を一例として挙げるのも面白い。
ジョン・ディクスン・カー
「髑髏城」
★★★怪奇趣味の強いカーらしいミステリー。髑髏を模した館の持主たるマジシャン(現在のイリュージョニストに近い印象)の十数年前の謎めいた死亡事件/事故と、生前譲渡を約束された現在の持主である俳優が火につつまれて死んだ事件との関連をめぐるミステリー。この頃の本格推理は警察と名私立探偵とが形だけ競い合うという体裁が多いが、本作は公立と私立の探偵が本格的に謎解き合戦をするというところがミソ。老獪な私立探偵バンコランが相手の推理をうまく活用して解決するが、公立の男爵探偵は素人にも解る重大なミスを犯している。
米谷 ふみ子
「過越しの祭」
★★★第94回(1985年下半期)芥川賞受賞作。1960年代以降女性作家が活躍が目立つようになるに伴い、海外(全てアメリカ)に定住もしくは長期滞在する日本婦人を扱う小説が幾つか芥川賞を受賞した。本作は多分3作目で、芥川賞とは関係ない有吉佐和子「非色」という注目作もある。本作は自由を求めてアメリカへ渡ったのに、夫がユダヤ人(但し、無信心)であった為にユダヤ教に束縛されてしまう苦悩を描いている。多分今回の芥川賞受賞作品は多く一人称叙述だが、本作の場合語り手の関西弁が苦悩ぶりをマイルドにする効果がある、と思う。
村田 喜代子
「鍋の中」
★★★★第97回(1987年上半期)芥川賞受賞作。三期ぶりの受賞作は、黒澤明監督「八月の狂詩曲」の原作だが、映画が反核的な内容に収斂していくのに対し、こちらは老女の(実は曖昧な)記憶に翻弄されて家族に対する孫たちの思いがちょっと揺らぐ、一種の青春小説である。黒澤明は設定のごく一部(四人の孫が祖母に預けられること、舞台も長崎ではない)だけを借用して勝手にお話を作り上げたのだ。この小説は正統派の日本文学らしさがあって好み。
池澤 夏樹
「スティル・ライフ」
★★★第98回(1987年下半期)芥川賞受賞作。ドライな文体も、株の売買で使い込んだ金を帰そうとする逃走犯と、バイト先で知り合った為に協力する羽目になった “ぼく” の交流を描く内容も、村上春樹に従兄弟と言いたくなるくらいには似ている。兄弟とまでは行かない。些か苦手なタイプだが、雪は降るのではなく我々が上昇しているのだと主人公が悟る部分のイメージが非常に詩的。映画を見るようだ。
三浦 清宏
「長男の出家」
★★★★同じく第98回芥川賞受賞作。アメリカから帰国したインテリ夫婦の息子が小学生3年の時に僧侶になると言い出し、中学生になって実現するお話を、精神修養の為に禅宗の寺に定期的に出かける父親たる “ぼく” の視点から描く。終始シリアスなのにどこかユーモラスなのは、あばれ盛りの中学生と僧侶というギャップがあり、登場人物たちの会話が意図せぬまま齟齬するするからであろう。父親が禅宗の寺に通うのはアメリカから帰国してアイデンティティに揺らぎが生じたのが遠因であるようだが、帰国子女が増え始めた(と意識されるようになった)昭和末期らしい内容とも言えようか。
新井 満
「尋ね人の時間」
★★★第99回(1988年上半期)芥川賞受賞作。新井満は「ワインカラーのときめき」の歌手としてよく知っていた(EP購入)ので、当時芥川賞受賞という報道にちと驚いた。会社員歌手として小椋佳の後輩のような存在でしたね。銓衡(選考)委員は誰も述べていないが、主人公の離婚や不能を扱った本作は、現代人の孤独に加えて、青春へのレクイエムがテーマと思う。欧米映画では多いが日本文学では少ない、このテーマ性が気に入った。
南木 佳士
「ダイヤモンドダスト」
★★★第100回(1988年下半期))芥川賞受賞作。医者を目指すも家族の病気の為に地元の看護士に留まることになった主人公が、患者であるベトナム戦争の兵士であったアメリカの宣教師と、脳卒中で同室になった彼と豊かな交流を果たした後水車を作ることに没頭した父親の死を、相次いで経験する。水車の瓦解と人の死が交錯する様が詩的に美しいイメージを構築する。
李 良枝
「由煕」
★★★★同じく第100回芥川賞受賞作。“ユヒ” と読む。ヒロインたる “私” が日本語で語るのですっかり日本が舞台と思っていると、彼女は韓国に住む純然たる韓国人なので、それが判った時に多少違和感を覚える。しかし、在日韓国人女子学生たる由煕が、アイデンティティを探り当てようと留学生として赴いた祖国韓国に跳ね返され、却ってアイデンティティを見失ってしまう様の切なさにグッと来て、今回の芥川賞受賞作作品の中では一番ピンと来た。作者の半自伝的な作品と伺えるが、作者の分身は勿論 “私” ではなく “由煕” である。 語り手を第三者にして6年程前の自身を相対化したのだ。
ギャビン・ライアル
「深夜プラス1」
★★★企業合併等でもめて暗殺される可能性のあるオーストリアの実業家を、話し合いを実現する為にリヒテンシュタインにまで送り届ける役を仰せつかったビジネス・エージェントとガードマン(殺し屋)らの活躍を綴る企業サスペンス。スパイものに近い冒険小説の類で、文体や内容はハードボイルド小説に類する。従って、クールな台詞もちらほら出て来る。敵と味方が全員かつてフランスのレジスタンスの仲間たちというのが極めて映画的だが、何故か映画化になっていない。高い評判と僕の印象との落差を考えると、冒険小説は読むより映画版を観る方が楽しめる、という個人の趣味性に行き着く。
マイケル・オンダーチェ
「イギリス人の患者」
★★★★映画「イングリッシュ・ペイシェント」の原作。映画は、英国人とみなされていた正体不明の患者が看護婦に語るロマンスを軸に構成されているが、原作は一人の妙齢女性(カナダ人の看護婦)と彼女をめぐる三人の男性たちの群像劇の趣きで、寧ろヒロインを狂言回しにするような形でそれらがほぼ公平に分配されている。ロマンスの部分の比重は予想以上に低い。火傷を負って正体不明の英国人実はベルギー人の考古学者、ヒロインの父親の友人たるイタリア人スパイ(本業は盗賊)、爆弾処理を専門とするインド人工兵の物語。米国の日本への原爆投下を知ったインド青年が瞋恚にかられて突然反白人となるところがやや唐突すぎるが、それぞれに物語を持つ四人が綾なす人間模様は頗る美しい。
筒井 康隆
「家族八景」
★★★★恥ずかしいことに(?)筒井は短編ミステリー一編しか読んでこず、これがやっと二作目。TVドラマにもなった連作長編である。人の心が読めるテレパスの少女(若い未婚女性のこと、僕は少女と言う)七瀬が、その能力を隠す為に家政婦として働き、九家族(二家族に接する一挿話あり)を転々とし、様々な家族模様を知る。というSF小説で、色々なタイプの家庭の様子を点出して大変興味深いが、若い母親が赤ん坊を殺して自殺したり、熟年紳士が発狂したりするのはやりすぎのような気もする。しかるに、SFであるからこれくらいであって良いのかもしれない。
「乱調文学大辞典」
★★★★★ビアスの「悪魔の辞典」を恐らく意識しているが、あれほど品は良くない。しかし、語義が一々傑作なのである。文学史の知識があったほうが楽しめるのは言うまでもない。
「あなたも流行作家になれる」
★★★★文壇の実態を諧謔的に扱っている。余りに羽目を外した感が無きにしもあらずだが、諧謔に留まらず正鵠を射ているのではないかと思われるところも結構ある。知らんけど(最近流行語化したので、諧謔として使ってみた)。
小川 洋子
「博士の愛した数式」
★★★★博士(時に僕はこう言われます)の愛した同名映画の原作。本作が映画化された前後から、認知症を含め、記憶をテーマにした映画が俄然増えたような気がする。交通事故による脳の損傷の為に(事故以後の)記憶が80分しか持たなくなった数学者と、彼の生活の面倒を見ることになった通いの家政婦親子との交流を描いて映画同様じーんとさせる。数学が意外と生活に密接した学問であるという印象も変わらないが、博士が野球を見たこともないのに大のご贔屓としていた江夏に関する叙述が多いのに驚いた。そして江夏の背番号は28、完全数であると気付かされて感動。
呉 兢
「貞観政要」
★★★★王朝運営の最強のシステムは、優れた主君と腹蔵なく諫言する家臣という組み合わせである、ということが実によく解る。唐の太宗は世界史上でも稀に見る名君だが、その彼でも時には人倫的或いは国家運営上の過ちを起こすことがあり、それを常に修正したのが名臣・魏徴である。中国歴代王朝の優れたところは、家臣が君主の言動の記録を取り、それに君主の干渉が入らないようなシステムが構築されていたということ。だから、この本に書かれていることに忖度はないのである。
マーガレット・アトウッド
「侍女の物語」
★★★★環境汚染等複合的な問題が絡み合って妊娠しない女性が増えたアメリカで突然発生した独裁国家を舞台にしたディストピア小説。この国家の考えはかつてのピューリタン(清教徒)のようだ。妊娠できる女性は上流男子の持ち物(それを象徴するのが of + first name で呼ばれる仕組み)=侍女として大事にされ、同時に最下層とも見なせないことはない。現実の男尊女卑社会を透かして見せたような感じもするが、さすがに現在は勿論、書かれた時代でもここまで女性が蔑まれることはない。しかし、15年程前の我が国にも、 “女性は子供を産む機械” と言って批判された大臣がいましたっけ。この手の発言は、真意に関係なく、必ず炎上する。
アーチボルド・J・クローニン
「城砦」
★★★★1938年に作られた映画版が素晴らしかった。この小説も実に良い。前半医者としての使命に燃えていた主人公が、一度経済的豊かさの魔物に取り付かれて初心を忘れてしまうが、再びそれを取り戻す。医者の書いた医学ものだけに非常に説得力の高いものになっているが、主人公が目覚めた直後に愛妻を殺す(作者が死なすの意味なり)のは良くない。死んだことにより目覚めるほうが流れとしてベターであるし、それも映画のように友人の一人にしたほうが後味が良い。
レオポルド・フォン・ザッハー・マゾッホ
「毛皮を着たヴィーナス」
★★マゾヒズムの語源となった作家の代表作。なかなか読めなかったが遂に図書館が新訳版を買ってくれた。作者は恐らく照れて、自身を投影した主人公が女性から虐められる快感から脱却するというお話にしてしまったのが弱い。マゾヒズムは自分に向けられたサディズムである為マゾヒストがSに豹変する可能性は高いという僕の持論を裏打ちするようなところもあるが。
有吉 佐和子
「複合汚染」
★★★★実に変わった作品である。主人公は有吉佐和子本人。私小説ではなく、一番近いのはノンフィクション小説なのだが、この小説に出て来る有吉は実物とは少々違う。青島幸雄、市川房枝、石原慎太郎等が実名で出て来るが、彼女が市川房枝の選挙応援団として手伝っている時に知らされた複合汚染の問題について話し合う御隠居は落語のそれのように話を進める為の創作であるのは確か。半世紀前に彼女が心配した環境問題の幾つかはぐっと改善された。排気ガスに関する改善は、偶然にも本作に少し出て来る石原の貢献が無視できない。逆に当時認識されていなかった別の環境問題、例えば温暖化の問題について、彼女ならどう言うだろうか? 本作の問題提示の基底には日本の伝統への愛が横たわっているのだが、温暖化はナショナリズムを超えているのだから。
黒岩 重吾
「背徳のメス」
★★★★★子供の頃文庫本の最後に記載されている既刊本に黒岩重吾の名が幾つもあった(多作なのだ)が、読むのは今回が初めて。芥川賞受賞作品は遠くない将来ある程度読めてしまうので、そう簡単には行かない直木賞に目を付けたという次第。部下の看護婦らとの女性関係の為に周囲から軽蔑されることの多い産婦人科医の植(うえ)は、反面、医者としての倫理には忠実で、ミスで妊婦を死なしめた上司の科長と衝突する。やがて植自身もガスで殺されそうになる。科長との対決は敗北に終わるが、それに関して殺人未遂事件の犯人を追い詰めることには成功する。ミステリー要素は多いが、本格推理ではなく、人間描写に面白味がある。結末の持って行き方に唐突の感じがあるものの、実に面白く読める。
「休日の断崖」
★★★作者の出世作で、こちらは本格的な推理小説である。松本清張に似た香りがする。主人公の建築関係新聞社の社長である主人公が、親しくしているさる企業の取締役が東京で向うのを大阪駅で見送った翌日、出発方向とは反対にある断崖で謎の墜落死をしたことを教えられる。未亡人は夫の自殺を仄めかすが、主人公は疑いを禁じ得ず、犯人を突き止めることを亡き友人に誓う。犯人当てとアリバイ崩し(時間に関するトリック)を軸として充実。これも直木賞の候補になったらしい。
喜多村 筠庭
「嬉遊笑覧」(巻二下~巻之四)
★昨年下半期から読み始めた江戸時代の “百科事典”。 今回は服飾、道具、書画、詩歌、武事、雑技について。現代語訳がないので難儀するが、語源に関する説明で勉強になることが多い。漢文の引用は大半は読み飛ばす。
ムフンマド = モハメット(原著)
「コーラン」
★★世界最大宗教の経典。最初の数章を読めば事足りる。残りは延々と同じ事の繰り返し。好意的に捉えれば、どの章を読んでも、モハメットの主張は理解できることになる。只管強い言葉で書かれた教条群で、「聖書」ほど文学的価値はないと思われるが、最後の章の数々は短いが故に却って詩的に読めたりもする。
ウィリアム・シェイクスピア
「ヘンリー八世」
★★★晩年の、そして最後の史劇。スチュワート朝ジェームズ1世の娘エリザベスの結婚を祝すため、悪名高いヘンリー八世が教会を巻き込んで、長年の妻カタリーナ・デ・アラゴン(キャサリン)と離婚して結婚したアン・ブーリンの立后と、子供の誕生を祝す部分を眼目に書かれた。為に、陰謀なども出て来るが全体的には穏当なイメージが強い。この結婚騒動故に英国に国教が生れたというのは世界史で習いましたよね、皆さん。また、アン・ブーリンは3年後斬首された。1960年代それを題材に「1000日のアン」という戯曲が書かれ、映画化もされた。
石垣 りん
「石垣りん詩集」
★★★★中学の時に第二詩集「表札など」の『しじみ』を読んで、作者の名前を憶えた。いつか他のも読んでやろうと考えるうちに50年経ってしまった。単行詩集というものは図書館に行っても余り読めるものではなく、大概「〇〇詩集」のような形で抄を読むことになる。その中で第一詩集「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」はほぼ全て紹介されているのではないか。初期の頃は強い口調の反戦的な詩を書いていた彼女は、次第に自分について書くようになった。しかし、視線を自分に内向することは同時に社会や国家に向けることになる。それをよく示す詩群である。働けない家族の為に自分が身を粉にして働いている現実を歌った幾つかの詩には胸が押しつぶされそうになる。
李 宝嘉
「官場現形記」
★★義和団事件直後の文字通り清朝末期の官僚たちの腐敗をこれでもかこれでもかと綴った白話小説で、作者死亡の為未完(前半のみ完)。その結果、ちょっとしたメタフィクションが発生した。最後の登場人物(この小説に特定の主人公はいず、数話ごとに主人公が引き継がれていく。「ウィンチェスター銃73」のライフル銃同様、汚職が狂言回しを演ずる)が死ぬ前に記録を残すが、半分を残して焼失してしまう。残ったのがこの前半部分と言うのである。後継者が書いているので完全なメタではないが、面白い幕切れになっている。種々の汚職があるとは言え、延々汚職の詳細が書かれるだけで次第に飽きて来る。60巻のうち10巻も読めば十分という感じ。作者の死後数年で清朝は滅びる。ここまで官僚が腐っていれば当然という気がする。
皆川 博子
「ジャムの真昼」
★★★★3年前に読んだ短編集「蝶」が日本の戦前・戦後にほぼ絞って書かれていたのに対し、こちらの短編集はドイツの戦争に集約されよう。写真や絵画から着想した由で、導入部の「森の娘」と最後を締める「少女戴冠」だけ日本人が主人公。「ジャムの真昼」「おまえの部屋」がとりわけナチス絡みのお話となっている。戦争を絡めて記憶も問題になることが多く、その典型が精神錯乱した女性を主人公にした「光る輪」。難物が多いが、作者自身がモデルとなったらしい、突然私小説から幻想の世界へ鮮やかにワープする「少女戴冠」を読むと俄然全体のピントが合う。要は、多かれ少なかれ様々な障碍者に対する排除(に対する諸感情)をテーマに若しくは背景に書かれた作品群なのだ。
乃南 アサ
「凍える牙」
★★★★日本で二度ドラマ化され、韓国で映画化された刑事ミステリー。韓国版は面白かったが、例によってお笑いがきつめなところがマイナスだった。原作でも笑みが洩れるところはある。しかし、笑えるのは、中年刑事と機動隊からやってきた女性警官の関係の、逆凸凹コンビがそこはかとなく醸し出すユーモアによってであった。作者は微塵も笑わそうとしたわけではない。この差は大きい。狼犬が絡む連続殺人事件をめぐる捜査もので、これはドラマではなく本格的に映画で見たい。腹の出た中年刑事は20年くらい前のビートたけし、女性警官は候補は多くいて、ドラマ版の天海祐希/木村佳乃でも良いが、もう少しクール・ビューティの中谷美紀でどうだろうか(いずれもアラサーの時)?
グレアム・スウィフト
「マザリング・サンデー」
★★★★★英国映画「帰らない日曜日」の原作となった中編小悦。映画が実に要領良く作られていたことが解る。寧ろ短すぎるくらいなので、原作では殆ど描かれていない夫との描写を適切な量で加えて、この一人称的三人称小説をうまく消化したと思う。彼女は喪失感を乗り越えて作家として大成、自身の過去を相対化できる境地に達したのだろうという感慨を覚えさせる。大昔のある一日だけをフィーチャーして、その日こそ彼女を後に作家たらしめた運命の日であったと思わせ、あるいは、行間にその間の苦悩をにじませるところが秀逸。珠玉の作品でありましょう。
ジュリアン・バーンズ
「フロベールの鸚鵡」
★★★有吉佐和子の「複合汚染」に似て、エッセイ的な小説である。こちらの書き手はちゃんとした別名があるが、まあバーンズその人と考えて良く、一種のノンフィクション小説と言える。徹底したフロベールの研究書の類だが、フロベールと浮名を流した女性が書いたような見せかけたフィクションがあるなど、十分小説である。
「終わりの感覚」
★★★★続けて読んだわけではない。選んだ作品が一月前に読んだ作品の作者だったということ。映画「ベロニカとの記憶」の原作。そのことをすっかり忘れて読んでいたところ、殆ど終結のところでこの映画を思い出した。お話は何故か昔交際した女子大生ヴェロニカの母親から遺産が残されて吃驚した主人公がその謎を解くために記憶を辿り、悪戦苦闘するうちに衝撃の事実を知らされる。通奏低音は記憶と意識のずれ。どんでん返しで驚かしてやろうとして書かれたものではないものの、幕切れが鮮やかだ。
後深草院 二条
「とはずがたり」
★★鎌倉時代後期に書かれた宮廷文学。作者は引退後の後深草院の愛人でもあった女房で、色々出入りがあり、出家した後半は鎌倉時代に多く係れた紀行文に変わる。個人的には後半の方が面白い。愛欲の果てに出家した瀬戸内寂聴が自分の半生とこの作品をオーヴァーラップさせていた記憶がある。出家が一種のファッションであった当時と単純比較することはできないと思うが。
ヘンリー・ジェイムズ
「黄金の盃」
★★★20年くらい前に観た映画「金色の嘘」の原作。舞台は英国で、アメリカ出身の娘マギーがイタリアの公爵アメリーゴと結婚し、その孤独を埋めさせるようにマギーを含めた周囲がその父親アダム・ヴァーヴァーに娘の知人であるシャーロットと娶せるように仕込む。ところが、シャーロットは以前恋愛関係にあった公爵と焼け木杭には火が付いてしまう。マギーと父親の絆が深い為その間隙をついて二人の仲は益々昵懇になるが、現実に目覚めたマギーが誰も、特に父親が傷つかないように修復を図る。と梗概を書けば、普通の不倫小説だが、ジェイムズはその第一人者たる得意の一人称的三人称という文体によって、その複雑怪奇で繊細過ぎる心理を顕微鏡のように綴っていくのである。
堀田 善衛
「定家明月記私抄」
★★★★続編についても一緒に語る。藤原定家の日記「明月記」は読みようがないので、堀田が苦労して読み取って書き綴った本著作が非常に参考になる。僕は唱歌「かまくら」が好きで、鎌倉時代に非常にロマンティシズムを覚えているのだが、これを読むと甚だ幻滅する。定家は平清盛が台頭する前から日記を書き始め、間欠しながらも、後鳥羽上皇が隠岐で死ぬ辺りまで50年以上に渡ってこの日記を書いた。平安末期から鎌倉時代初頭が激しい争いに明け暮れたことを僕も一応知っているが、それ以外に人心が甚だ悪化していて放火・強盗などが頻出するのを紹介されると、幻滅するしかない。定家自身についても人間的であったという見方もできるが、イメージが悪くなるかもしれない。
中村 光夫
「風俗小説論」
★★★★1950年に丹羽文雄との論争に端を発して文学論で、当時主流を占めていた風俗小説が私小説のなれの果てであると喝破する。日本の自然主義や私小説が欧州の写実主義を社会を無視して作者自身に向けられた為に日本の近代文学は真に社会を描けてこなかったというのが主旨。欧州と日本の近代文学を一通り読んでいれば相当面白く読める。
プルタルコス
「プルターク英雄伝:ティーモレオーン/アエミリウス・パウルス」
★前回は潮文庫の英語版からの重訳で地名や人名に違和感があったので、岩波文庫の直訳版にした。が、読みにくさは潮文庫を上回り、そうでなくても地名・人名が無数に出て来る戦記に推移するこの組合せのようなパターンではどうにも集中できない。プルタルコスは吝嗇と清貧をよく沙汰するが、鷹揚で自分は清貧を貫いたアエミリウス・パウルスが好ましいと思っている模様。
「プルターク英雄伝:ペロピダース/マルケルルス」
★軍人として最盛期の時に亡くなった不運な将軍として知られる二人の比較。前述通り戦記は集中できない。
「プルターク英雄伝:アリステイデース/マルクス・カトー」
★★軍人よりこの二人のような政治家(大概軍人でもある)の話の方が面白い。ローマの加藤もといカトー(大)は弁論巧みな人で、色々な逸話があるが、プルタルコスは人間的にはギリシャの品位の高いアリステイデースのほうが上と見ている。
「プルターク英雄伝:フィロポイメーン/ティトス・フラーミニーヌス」
★英雄伝は最初がギリシャ系、二番目がローマ系と決まって配置されていて、この二人はギリシャがローマに征服される少し前にマケドニアからのギリシャ解放に活躍した同時代の軍人政治家。共闘したわけではない。フラーミニーヌスこそギリシャの恩人という立場をプルタルコスは取る。
桐野 夏生
「OUT」
★★★★大分前に映画版を観た。夜間食品工場で働く女性が夫君を殺害、ヒロインが仕事仲間二人を率いてその死体を片付け、関係者は誰も罪を問われない。それに一人のチンピラがその真相に気付く。この小説の凄いところはこれからの意外過ぎる展開にあるが、詳細は伏せておきましょう。さらにその裏で容疑者となった為に二つの会社をパーにした元殺人加害者が復讐に立ち上がって、彼女たちに迫っていく。小説の方が面白いかもしれない。
野間 宏
「暗い絵」
★★★終戦直後、転向して生き延びた主人公が、ブリューゲルの異様な絵(野間が勝手に作り上げた絵)を思い出すうちに、その絵の含まれる画集を持っていた仲間らと過ごした一日が蘇って来る。難解ではないが説明するのが難しい小説。親しかった他の3人が獄死したことから来る自己嫌悪を恐らくその絵が象徴し、その絵を見て主人公が「当時の人間の自覚の形じゃないか」と述べるところを見ると、一種の実存主義的な小説とも読める。
「崩壊感覚」
★★★前作の主人公のその後を描くようなお話で、同じアパートに住む学生が縊死したのを見て、戦時中に戦地で手榴弾で自殺しようとした時に覚えた体の内が崩壊するような感覚を呼び起こす。しかし、主人公はそこから性欲へと思いを馳せ、生きる力を得ようともがかなければならない。野間はかく明快には書かないが、きっとそんな話です(笑)
アラヴィンド・アディガ
「グローバリズム出づる処の殺人者より」
★★★カースト制よりももっと恐いインドの階級社会を皮肉っぽく描いた小説だが、叙述を中国の温家宝首相宛の手紙という形にしたことで二重の諧謔性が出て来る。インドも風刺されているが、中国が単純に持ち上げられていると思わないほうが良いのでは?
宮部 みゆき
「火車」
★★★★ “かしゃ” と読む。親戚の青年に頼まれた負傷休業中の刑事が、行方をくらましたそのフィアンセを探すうちに住宅ローンに端を発する借金地獄の社会が浮かび上がる。社会派の要素も濃厚だが、結構本格ミステリーで読み応え十分。ドラマ化されているが、同時代的に映画化されたも良かった素材。
連城 三紀彦
「恋文」
★★★★★WOWOWのスケジュール表に懐かしい作品名を発見したので、再鑑賞する代わりに原作のこちらを読んでみた。短編。倦怠期に入った夫婦の妻が、余命の少ない昔の恋人の為に家を出た夫を彼女と結婚させるというお話。三つの “手紙” が絡むが、やはり離婚届を恋文として扱ったところにぐっと来る。チェーホフとオー・ヘンリーを合わせて二で割ったような感じ。
プラトン
「国家」
★★★哲学書を読むにあたって、プラトンは対話形式で大半を平易な単語のみで進めるので、取り組みやすい。まだ選挙制による間接民主主義を見ていない時期に書かれたものだから、全てを現在に当てはめるわけには行かないものの、哲人王制を最良とするのを基本とした上で、民主制(直接民主制)が最良の君主制から最悪の僭主制(独裁制)までの全ての状態を含むとしたことに非常に納得させられた。カントに「永遠平和のために」に影響を与えているか?
モーリス・ルブラン
「八点鐘」(再)
★★★アルセーヌ・ルパンがレニーヌ公爵になりすまして恋に落ちたオルタンスを助手的に扱って名探偵ぶりを発揮する連作短編集8編。詩の名訳で知られ自身詩人もある堀口大学による新潮社版。高校の時に買った文庫本を再読した。太陽光線とレンズを活用した犯行、雪に付いた足跡をめぐる謎、密室トリック、ポーのような暗号トリックなど、古典となったトリックが少なくなく、比較的本格ミステリー的。
「怪盗紳士ルパン」(再)
★★★★★小学5年の学級図書にあったこの本(ポプラ社池田宣政訳)でアルセーヌ・ルパンに出会い、女性に徹底して優しい義賊というロマンティックな設定に惚れ込んだ。クラスの蔵書だけでは足りず、隣のクラスにまで足を運んだ。どれもこれも素晴らしく、僕はルパンのファンに留まらず、読書好きになったのである。ロマンティシズムではシャーロック・ホームズは物足りなかった。で、中学以降も折に触れてルパンものを読んだが、池田宣政の別名義である南洋一郎版は子供っぽすぎて物足りず、新潮文庫や創元文庫など大人向けの忠実な訳では散文的にすぎるような気がしたので、今回は中学生向きくらいの偕成社版に初めて触れてみた。ルパンの訳としてはこれくらいで丁度良く、今は殆ど読めないに等しい池田版はこんな感じではなかったかと思う。初期の短編を大体発表順にまとめたほぼ公式の短編集(8編収録)で、子供の時に偶然うまく行った首飾り窃盗や、泥棒を稼業と決めて初めて行った犯行などが収められる。かのホームズと遭遇する事件もあるが、ルパンはこの後もっと本格的にホームズに対峙する。さすがに小学生の時の感動再現とは行かぬまでも、当時の気分を思い出させるには十分なので満点を進呈!
この記事へのコメント
身に覚えのある本が何冊かありますね!
正直なところ「オカピー先生はまじめすぎるんちゃいますか?」と思うことも時々あるんですがやはりこうやって覚えていて読んで下さって嬉しいです。
「マザリング サンデー」良かったですね!
そう言えば先日グレンダジャクソンが亡くなりましたね。最後の作品になったようですね。
>身に覚えのある本が何冊かありますね!
クローニン「城砦」、皆川博子「ジャムの真昼」、グレアム・スウィフト「マザリング・サンデー」。
モカさんご紹介の本に外れなしです!
>グレンダジャクソンが亡くなりましたね。最後の作品になったようですね。
弘田三枝子が亡くなった時大して記事にならなかった事を考えれば、ある程度の長さの訃報になっていて、却って驚きました。
「土を喰らう十二ヵ月」という邦画を近いうちにアップしますが、これもまたこの三月に亡くなった奈良岡朋子の遺作に当たるようです。
ハズレなしとは光栄です! お勧めする時は一応吟味してさり気なくゴリ押ししてるんですが ^_^
☆「侍女の物語」
アトウッドを3冊読んだ中で本作は読みづらさワースト1でした。
「蒼き目の暗殺者」は話が複雑なのがちょっと辛かったですが読みにくくはなかったかな… もう殆ど忘れてしまいましたが。
1番最近に読んだ「またの名をグレイス」はスイスイ読めてしまいました。
それぞれ翻訳者は違っていて、そのせいなのかそもそもの原作の違いなのかは分かりません。この辺が翻訳本の難しいところですね。
☆「博士の愛した数式」
これを書くまでの小川洋子は結構好きだったのですが…私が天邪鬼なのかもしれませんが、狙ってる感がしたんですよね…何を狙ってるかって、賞取り合戦を…笑
でも今調べてみたら本屋大賞しか取ってなかったです。映画化されてベストセラーになりましたね。
>☆「侍女の物語」
>アトウッドを3冊読んだ中で本作は読みづらさワースト1でした。
何となく解ります。そんな思いをした記憶があります。
>それぞれ翻訳者は違っていて、そのせいなのかそもそもの原作の違いなのか
そういうのは確かにあるでしょう。
「プルターク英雄伝」は、重訳版は英語由来の人名地名が悩ましく、直訳版は訳者の文章が悪文で誠に読みにくい。次はどちらを読むか悩みますね。
>小川洋子は結構好きだったのです
今日、芥川賞を受賞した「妊娠カレンダー」を読みました。
>☆「博士の愛した数式」
>でも今調べてみたら本屋大賞しか取ってなかったです。
どれくらいの権威があるか知りませんが、読売文学賞というのも受賞しているようですよ。
僕は野球(観戦)も好きですので、江夏ネタで大いに楽しめました。江川の方が好きですが、江川は背番号が28ではない。
文章の息が続かないきらいがあって、読みづらい面もある作家ですが、なにか偏見というか先入観を持たれて、食わず嫌いにされた作家だったのかもしれません。
桐野夏生は単行本で一気に読むのがいいですね。
>有吉佐和子『複合汚染』は、ユーモアもあって
自分が登場人物となる場合は、非常に可笑しく楽しい作家ですね。
作品の幅が広く、夭折したのが残念です。
>桐野夏生は単行本で一気に読むのがいいですね。
僕も文庫分冊で読みました。すみません(笑)
宮部みゆきの「火車」も長かったですが、辛うじて文庫1冊でしたね。これも実に面白かった。
最近は、女性作家のミステリー/サスペンス小説が面白いですね。
今回、マーガレット・アトウッドの「侍女の物語」のレビューがありましたので、コメントしたいと思います。
この物語は、ギレアデ政権の間、バンゴア市と呼ばれていた場所から発掘された、およそ30本のカセットテープに吹き込まれていたものを文章に起こしたものという設定になっていますね。
語り手の女性は、出産を目的に集められた女性の第1陣のうちの1人。
ギレアデ政権は、その後、様々な粛清と内乱を経て崩壊したようですが、まだまだその初期段階にあり、日々の監視が厳しく、違反者は容赦なく処刑されていた時代です。
各個人からその個性を奪い取るには、名前と言葉を取り去るのが効果的なんですね。
単なる出産する道具である侍女たちの名前は「オブ+主人の名」。
この物語を語っているのは、「オブフレッド」と呼ばれる女性です。
侍女たちは、くるぶしまで届く赤い衣装を纏い、顔の周りには白い翼のようなものが付けられて、周囲とは遮断されています。
日々決められた通りに行動し、侍女同士での挨拶ややり取りも決められた通りの言葉。
もちろん、私物と言えるようなものは一切ありませんし、自殺や逃亡に使えそうな道具は慎重に取り除かれています。
侍女たちにはもちろん自由もなく、その存在に人間性などこれっぽっちも求められていません。まさに「二本足を持った子宮」。
一見荒唐無稽な設定なのですが、しかし、よくよく考えて見れば、これは十分あり得る未来なんですね。それが恐ろしいです。
いつどこでこのようなことが起きてもおかしくありません。
この作品は、1985年に書かれた作品なので、それから38年経ったことになるのですが、世界的な状況はますます悪化するばかり。
ここまで極端ではなくとも、ここに書かれた現実が近づいているような気がします。
既にどこかでこういった類の洗脳が行われているかもしれませんね。
それでも、子供や夫を奪われて「侍女」となった女性たちは、そうなる以前の暮らしを覚えているのです。
それに対して、次世代の「侍女」たちは、元々そのような自由な世界が存在していたなど知る由もなく、それがまた恐ろしいところです。
子供ができない夫婦にとって、侍女はありがたいはずの存在なのですが、そこは人間。
人間の感情はそう簡単に割り切れるものではありません。
単なる行為に過ぎないとはいえ、主人の妻には嫉妬されることになりますし、水面下では様々な感情が入り乱れることになります。
その辺りも実に面白かったですね。
>「侍女の物語」のレビュー
レビューというほどのものではありませんが、そうなったのは、本(小説や戯曲)はどうしてもお話を語るしかないからなんです。これが左脳人間的にもう一つ面白くない。
僕が映画評をずっとやってきているのは、お話をどう演出が生かしているかどうか見るところに、左脳的面白味があるからです。
見たい映画が少ない今、本のレビューも出来れば、映画鑑賞本数を減らせるのですがね^^
私の大好きな、大好きな作家のひとり、小川洋子さんの「博士の愛した数式」について紹介されていましたので、コメントしたいと思います。
私は、学生時代を通してずっと数学が好きでしたが、それでも、この本の博士にかかると、数式がこれほど美しく感じられるとは、本当に驚きました。
「友愛数」「素数」「完全数」「素因数」「双子素数」-----博士によって繰り広げられる数式は、どれも本当にチャーミングでエレガント。
特に「exp(iπ)+1=0」というオイラーの公式の美しさと、そこにこめられた温かさが素晴らしいですね。
しかし、記憶が80分しかもたないというのは、どんな気持ちなのでしょう。朝起きるたびに、記憶はリセットされています。
それは単に新しい1日が始まるというのとはまるで違うはず。
「僕の記憶は80分しかもたない」と書いた時の博士の気持ち、そして、そのメモを見て、自分の記憶に障害があることを改めて知る時の気持ち。
その気持ちは博士にとって、80分たてば忘れ去られてしまうものではありますが、それでもやはり切なくなってしまいます。
小さな声でメモを読み上げている博士の姿には、堪らなくなってしまいました。
そして「新しい家政婦さん と、その息子10歳 √」という拙い似顔絵入りのメモの微笑ましさや温かさもまた、切なさでいっぱい。
この80分しか記憶の残らない博士の存在は、北村薫さんの「ターン」の主人公の「くるりん」とは逆の状態なんですね。
「ターン」に登場する森真希の場合は、何かを成し遂げた実績は、全て消え失せてしまうものの、自分の記憶だけは確実に積み重ねていくことができます。
しかし、博士の場合、自分の書いたメモや走り書きによって、何日もかけて数学の問題を解いていくことはできますが、しかし、それまで積み重ねていった記憶は一切残りません。
家政婦である「私」やその息子のルートに好意を抱いたとしても、新しい日が始まるごとに、また新たな好意を抱き、人間関係を築いていかないといけないのです。
博士の元を去ることになった私の、博士が自分のことを二度と思い出してくれないという事実に苦しむ場面は、本当に心に沁み入ってきます。
そして、博士のルートに対する絶対的な愛情も、物語の中で大きな存在となっているタイガースや江夏のエピソードもいいですね。
数学とはまた違う温かさを醸し出していて、しかも、そのエピソードが数学に帰結していく意外な繋がりもとても良かったですね。
主な登場人物は博士と家政婦の「私」、そして「私」の10歳の息子のルートのみ。
透明な静謐の中で、淡々とひたすら水のように流れていく物語。
しかし、その中には、確かな愛情が感じられますし、その流れは確実に心の中に沁み込んできますね。
恋愛的な要素が全く存在せずに、人のことをこれほど大切にしているのが感じられる作品は、なかなかないのではないでしょうか。
>小川洋子さんの「博士の愛した数式」
>人のことをこれほど大切にしているのが感じられる作品は、なかなかないのではないでしょうか。
僕も余り記憶がありません。
映画化された理由がよく解ります。
あらためて、昨年度のオカピーさんの読書録を拝読しています。
その中で、乃南アサさんの「凍える牙」がありましたので、コメントしたいと思います。
この乃南アサさんの「凍える牙」は、その他の強力な候補を破り、第115回直木賞を受賞した作品ですね。
30代で離婚歴のある音道貴子。離婚の原因は夫の浮気。
そして、今回彼女と一緒に組むことになったのは、かつて女房に逃げられた経験のある中年刑事の滝沢。
男社会の中で認められずに、孤軍奮闘する女刑事と、女刑事の存在を認めたくない、叩き上げの頑固者の刑事の構図ですね。
この2人が、渋々ながらも一緒に捜査活動を続けるうちに、徐々にお互いを認め合っていくことに-----というのは、言ってみればありがちなパターンなのですが、しかし、なかなか読ませてくれますね。
しかし、滝沢の愛想がないのは、実際には貴子のことが嫌いというよりも、どう扱っていいのか分からないからではないでしょうか。
そして面倒くさいからというのもあるのでしょう。
そして、貴子の方も決して自分の弱みを見せようとはせず、だからといって頑張っている姿を主張したくもないという頑固さから、必要以上に愛想がありません。
女刑事としては、柴田よしきさんの「RIKO」シリーズに登場する緑子の方が迫力があると思うのですが、この貴子の無表情な感じもいいですね。
この物語では、貴子と滝沢の視点が交互に描かれ、この2人が実は似たもの同士だったということが、次第に分かってきます。
無理に相手のことを理解しようとはせず、単なる傷のなめあいの関係にはならないところがいいですね。
ただ、事件の方は、時限発火装置と犬の咬傷の両面から捜査されることになるのですが、これがどうも中途半端な印象を受けました。
せっかくの時限発火装置という設定が生かしきれていないような気がします。
貴子と疾風のシーンがとてもいいのですから、初めから時限発火装置など使わず、そちらに的を絞った方が良かったのではないかと思いました。
それにしても、貴子と疾風の魂の触れ合いの描写には、思わず目頭が熱くなりました。
〉乃南アサさんの「凍える牙」
>無理に相手のことを理解しようとはせず、単なる傷のなめあいの関係にはならないところがいいですね。
それは、僕も大いに感じました。
懐かしいモーリス・ルブランの「怪盗紳士ルパン」のレビューをされていますので、コメントしたいと思います。
今回、私が読んだのは、平岡敦さん訳のハヤカワ文庫HMです。
ルパンのシリーズは、子供の頃に、ポプラ社から出ていた南洋一郎さん訳の全集を読んで以来です。
一度、新潮社から出ている、堀口大學さん訳のルパンシリーズを読もうとしたのですが、ルパンが自分のことを「わし」と言うこと、そして訳文がいささか古く感じられて読みづらく、創元推理文庫から出ているルパンは「リュパン」という表記が馴染めなかったという経緯もあるのですが、今回読んだ平岡敦さんの訳は、非常に読みやすくて良かったですね。
子供の頃のワクワクした気持ちが蘇ってくるような訳文でした。
ルパンといえば、ピカレスクロマンの元祖とも言える人物。
しかし、泥棒とはいえ、ミステリの謎解き的要素を持つ作品も多い中で、この本に収められている9編は、そのルパンの活躍の中でも純粋に泥棒としてのルパンを楽しむことができるものばかり。
今読んでも100年以上前の作品とは思えないほど楽しかったですね。
子供の頃に読んだ時も、いきなりルパンが逮捕されて驚いた覚えがありますが、最初の4編と「遅かりしシャーロック・ホームズ」では、宿敵ガニマール警部とのやり取りに始まり、まさかの逮捕、そして脱獄とその後が描かれて、同時にルパンのロマンスも楽しむことができます。
シャーロック・ホームズとの邂逅もこれが最初。
「王妃の首飾り」ではルパンの生い立ちが、「ハートの7」では「わたし」がルパンの冒険譚を伝えるきっかけとなった物語が、そして「アンベール夫人の金庫」では無名時代のルパンが、「黒真珠」では裏をかかれたルパンの名推理ぶりが描かれ、この1冊だけでも、ルパンの様々な面が、ぎっしりと詰まった1冊になっていると思います。
>「怪盗紳士ルパン」
>今回、私が読んだのは、平岡敦さん訳のハヤカワ文庫HMです。
色々読んでいますが、ハワカワ文庫版は未経験です。
当座は中学生向けくらいの偕成社版で、全部読み直してみたいと思っています。ルパンにはこのくらいが丁度良いと思いました。
>堀口大學さん訳のルパンシリーズを読もうとしたのですが、ルパンが自分のことを「わし」と言うこと
全部ではないですけどね。
堀口は、偉ぶる場合にそう訳しているようでした。
池澤夏樹さんの中編2編の「スティル・ライフ」は、第98回芥川賞と中央公論新人賞を受賞した作品ですね。
どちらも「ぼく」と佐々井、文彦とクーキンという、ひょんなことで知り合った2人の奇妙な関係と友情を描いた作品。
これはもう物語の筋を追うよりも、雰囲気を味わいながら読むべき作品かもしれません。
もちろん、物語としても面白いのですが、それ以上にこの雰囲気が好きですね。
バーで飲んでいる時のチェレンコフ光の話、雨崎での雪の降る情景、スケートをしている時の霧の思い出話。
とても透明で、静かでひんやりとした空気。
自分が星になってしまったような、もしくは宇宙から降ってくる微粒子の1つになってしまったような感覚を覚えます。
全くといっていいほど音が感じられないのに、同時にそれがとても豊かな音があるような気もしてきます。
そして、作品全体を通して、理系の話題が多いのですが、それがとても詩的で美しいのです。
因みに「ヤー・チャイカ」というのは「私はカモメ」という意味。
世界で最初の女性飛行士となったテレシコワのコールサインが、この言葉だったんですね。
雪の研究家・中谷宇吉郎が、雪の中にいると我々が浮かび上がっているように感じていると「雪」の中で仰っています。
池澤夏樹は自分で感じたのか、それともこの本を参考にしたのかちょいと気になりますね。尤も、僕もそういう感じを覚えたことがあります。
>因みに「ヤー・チャイカ」というのは「私はカモメ」という意味。
Я чайка ですね。僕は大学ではロシア語を専攻しました。
「スティル・ライフ」は芥川賞全集で読んだので、これは未読。後で読んでみます。