映画評「配達されない三通の手紙」
☆☆★(5点/10点満点中)
1979年日本映画 監督・野村芳太郎
ネタバレあり
40年くらい前に一度観ているが、この度WOWOWで再放送と配信があるのを知り、原作のエラリー・クイーン「災厄の町」を読んだ上で、もう一度観てみることにした。
原作では、ミステリー作家にして名探偵エラリー・クイーンが取材の為に小都市を訪れ、作られた後使用されないまま放置されていた銀行家の娘の新居用の家に越すという設定であるところを、映画版では銀行頭取・佐分利信の親戚筋である日米ハーフの青年・蟇目良が同家を訪れ、使われていない新居用住宅に暮らすことになるという風に変更されている。
原作通り結婚の直前に行方をくらましていた婚約者・片岡孝夫が3年ぶりに戻り、次女・栗原小巻と予定通りに結婚した為、青年は本家の方に越す。片岡夫婦引越しのドタバタの最中に毒薬に関する専門書の中にあった3通の奇妙な手紙が発見される。未来の期日で片岡が妹宛に書いた手紙で、内容は妻が病気になりやがて死ぬという流れである。小巻が最初にこれを読み、その動揺した様子に妹・神崎愛と蟇目君がその留守の間に手紙を盗み読む。
その頃片岡氏の妹・松坂慶子が同家を訪れ、暫く家に居ることになる。小巻は手紙の通りに(実はヒ素で)弱って行くが、氏の誕生パーティーで毒殺されるのは慶子である。小巻も少しヒ素を含んでいて益々体調を悪化させ、その後手紙の存在の発覚により容疑が固まった片岡は逮捕される。その間弱った体で出産をした小巻は死ぬ。
ここに片岡の無実を強く信じる女性ジャーナリスト竹下景子が現れ、謎の行動をとる。妻の葬儀に参加のために警護官付きで現れた片岡氏は、エンジンの掛けられたままの彼女の車に乗り、逃走する。
前回観た時まるで面白くないと思ったのは、野村芳太郎監督、新藤兼人脚色というハードルの高さがあったにちがいない。今回は清張ものなどに比べれば登場人物の造形などに貧弱な感じはするものの、それなりに楽しめた。
三通の手紙やヒ素というギミックや小道具は同じ使われ方をしていて、犯罪そのもののアウトラインは大体原作通り。
しかし、エラリー・クイーン(作家探偵)のような名探偵がいない設定に変えて、名探偵一人分の活躍を蟇目、神崎愛、その婚約者の検事・渡瀬恒彦に分担させている。その為原作のような、全ての事件の終了後に妹や検事の為にクイーンが全て説明するという展開がない。彼らはその場その場で知恵を出し合って一つの結論を出すのである。
新藤兼人としては本格ミステリー色を少し薄めて、逆に原作では薄目だったどろどろした人間関係を強くした感じ。多分に清張ものを意識したのであろう。
手紙や妹の存在がミスリードするのが原作同様ミステリーとして面白味になっている(妹は原作に比べるとぐっとミスリード度は弱い。名探偵不在という改変の弊害)反面、真犯人が目的の人物を確実に殺せる可能性はさほど高くなく感じられ、実際画面では偶然のようにも見える。その為に作者側が愛憎劇に傾けたのかもしれない。
「三人の妻への手紙」(1949年)をどうしても想起してしまうタイトル。実際、新藤御大としては頭にあったかもしれない。
1979年日本映画 監督・野村芳太郎
ネタバレあり
40年くらい前に一度観ているが、この度WOWOWで再放送と配信があるのを知り、原作のエラリー・クイーン「災厄の町」を読んだ上で、もう一度観てみることにした。
原作では、ミステリー作家にして名探偵エラリー・クイーンが取材の為に小都市を訪れ、作られた後使用されないまま放置されていた銀行家の娘の新居用の家に越すという設定であるところを、映画版では銀行頭取・佐分利信の親戚筋である日米ハーフの青年・蟇目良が同家を訪れ、使われていない新居用住宅に暮らすことになるという風に変更されている。
原作通り結婚の直前に行方をくらましていた婚約者・片岡孝夫が3年ぶりに戻り、次女・栗原小巻と予定通りに結婚した為、青年は本家の方に越す。片岡夫婦引越しのドタバタの最中に毒薬に関する専門書の中にあった3通の奇妙な手紙が発見される。未来の期日で片岡が妹宛に書いた手紙で、内容は妻が病気になりやがて死ぬという流れである。小巻が最初にこれを読み、その動揺した様子に妹・神崎愛と蟇目君がその留守の間に手紙を盗み読む。
その頃片岡氏の妹・松坂慶子が同家を訪れ、暫く家に居ることになる。小巻は手紙の通りに(実はヒ素で)弱って行くが、氏の誕生パーティーで毒殺されるのは慶子である。小巻も少しヒ素を含んでいて益々体調を悪化させ、その後手紙の存在の発覚により容疑が固まった片岡は逮捕される。その間弱った体で出産をした小巻は死ぬ。
ここに片岡の無実を強く信じる女性ジャーナリスト竹下景子が現れ、謎の行動をとる。妻の葬儀に参加のために警護官付きで現れた片岡氏は、エンジンの掛けられたままの彼女の車に乗り、逃走する。
前回観た時まるで面白くないと思ったのは、野村芳太郎監督、新藤兼人脚色というハードルの高さがあったにちがいない。今回は清張ものなどに比べれば登場人物の造形などに貧弱な感じはするものの、それなりに楽しめた。
三通の手紙やヒ素というギミックや小道具は同じ使われ方をしていて、犯罪そのもののアウトラインは大体原作通り。
しかし、エラリー・クイーン(作家探偵)のような名探偵がいない設定に変えて、名探偵一人分の活躍を蟇目、神崎愛、その婚約者の検事・渡瀬恒彦に分担させている。その為原作のような、全ての事件の終了後に妹や検事の為にクイーンが全て説明するという展開がない。彼らはその場その場で知恵を出し合って一つの結論を出すのである。
新藤兼人としては本格ミステリー色を少し薄めて、逆に原作では薄目だったどろどろした人間関係を強くした感じ。多分に清張ものを意識したのであろう。
手紙や妹の存在がミスリードするのが原作同様ミステリーとして面白味になっている(妹は原作に比べるとぐっとミスリード度は弱い。名探偵不在という改変の弊害)反面、真犯人が目的の人物を確実に殺せる可能性はさほど高くなく感じられ、実際画面では偶然のようにも見える。その為に作者側が愛憎劇に傾けたのかもしれない。
「三人の妻への手紙」(1949年)をどうしても想起してしまうタイトル。実際、新藤御大としては頭にあったかもしれない。
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