映画評「ルートヴィヒ [復活完全版]」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1972年イタリア=西ドイツ=フランス合作映画 監督ルキノ・ヴィスコンティ
ネタバレあり
1980年大学生の時にルキノ・ヴィスコンティ・ブームに乗って漸く公開された184分版を「ルードウィヒ 神々の黄昏」のタイトルで映画館で観た。
その後1時間近く長いこの “完全版” が「ルートヴィヒ」のタイトルで公開されたが、あれよりさらに長いのかとさすがに敬遠したい思いもしたものだ。 実際、大分前に保存版を作ったものの、長いので観ずにいたところ、この度WOWOWの配信にあったので、二日に分けて観てみた。
2012年の純ドイツ製「ルートヴィヒ」もあるが、勿論映画芸術的には比較にならない。あちらは生涯をなぞった歴史教科書みたいな平板な作品であった。
19世紀中葉、19歳でバイエルン(統合前のドイツの一王国)国王になったルートヴィヒ2世(ヘルムート・バーガー)は、オーストリア皇帝と結ばれた従姉エリザベート(ロミー・シュナイダー)に執心し、同時に隣国ザクセンの作曲家リヒャルト・ワーグナー(トレヴァー・ハワード)に傾倒して、国庫を投入して歌劇「トリスタンとイゾルデ」の上演を実現するも、相手の感謝は思った程ではなく、家臣の諫言に基づいて一度追放する。エリザベートはどうも精神が不安定になりがちなルートヴィヒに妹ゾフィー(ソニア・ペトロヴァ)を推奨するが、彼にとって姉を愛するようなわけには行かない。
折しも普墺(プロシャ=オーストリア)戦争が勃発、従姉の嫁ぎ先オーストリア側に付くが、戦争は弟オットー(ジョン・モルダー=ブラウン)に任せるだけで、自身は城造りと男色に耽溺していく。
かくして、精神病を発症した弟に続いて彼もそのように診断されて王位を剥奪され、軟禁された城の近くで謎の死を遂げる。
梗概的にはドイツ製と大して変わらないが、エリザベートへの傾倒についてこちらはかなり大きく取り上げられ、そこに彼が耽美の世界へ逃げ込んで精神を病む理由の一端を見出させようとしている。
そして、それによって、ヴィスコンティが好んで描いて来た高貴な者による滅びの美を、最も大掛かりに見せたのが本作と言えると思う。
同じように王が実際に携わった美しい城の数々を捉えるにしてもドイツ製が平板で重みがなかったのに比べると、ヴィスコンティの捉え方(撮影アルマンド・ナンヌッツィ)はさすがに重厚である。
反面、最初の版にも感じた冗長さ(男色関係の場面はあんなに長かったか?)を益々感じるのは否定できない次第ながら、映画にも文学にも退屈であっても全体のムード醸成や前段・後段との関係によりどうしてもその長さを必要とすることがあるのであり、本作などはかかる作品に相当すると思う。最初の版より★一つ分低くしたが、圧倒的重量級作品と言うべし。
最後の字幕を見ると、バーガーのイタリア語は、後に「イノセント」で主演するジャンカルロ・ジャンニーニが当てたようだ。
最初の邦題では英語とドイツ語読みの折衷と言う感じのルードウィヒで、この版ではドイツ語発音に近づけたルートヴィヒ。公開時によって濁音の位置が変わった珍しい例ではあるまいか。
1972年イタリア=西ドイツ=フランス合作映画 監督ルキノ・ヴィスコンティ
ネタバレあり
1980年大学生の時にルキノ・ヴィスコンティ・ブームに乗って漸く公開された184分版を「ルードウィヒ 神々の黄昏」のタイトルで映画館で観た。
その後1時間近く長いこの “完全版” が「ルートヴィヒ」のタイトルで公開されたが、あれよりさらに長いのかとさすがに敬遠したい思いもしたものだ。 実際、大分前に保存版を作ったものの、長いので観ずにいたところ、この度WOWOWの配信にあったので、二日に分けて観てみた。
2012年の純ドイツ製「ルートヴィヒ」もあるが、勿論映画芸術的には比較にならない。あちらは生涯をなぞった歴史教科書みたいな平板な作品であった。
19世紀中葉、19歳でバイエルン(統合前のドイツの一王国)国王になったルートヴィヒ2世(ヘルムート・バーガー)は、オーストリア皇帝と結ばれた従姉エリザベート(ロミー・シュナイダー)に執心し、同時に隣国ザクセンの作曲家リヒャルト・ワーグナー(トレヴァー・ハワード)に傾倒して、国庫を投入して歌劇「トリスタンとイゾルデ」の上演を実現するも、相手の感謝は思った程ではなく、家臣の諫言に基づいて一度追放する。エリザベートはどうも精神が不安定になりがちなルートヴィヒに妹ゾフィー(ソニア・ペトロヴァ)を推奨するが、彼にとって姉を愛するようなわけには行かない。
折しも普墺(プロシャ=オーストリア)戦争が勃発、従姉の嫁ぎ先オーストリア側に付くが、戦争は弟オットー(ジョン・モルダー=ブラウン)に任せるだけで、自身は城造りと男色に耽溺していく。
かくして、精神病を発症した弟に続いて彼もそのように診断されて王位を剥奪され、軟禁された城の近くで謎の死を遂げる。
梗概的にはドイツ製と大して変わらないが、エリザベートへの傾倒についてこちらはかなり大きく取り上げられ、そこに彼が耽美の世界へ逃げ込んで精神を病む理由の一端を見出させようとしている。
そして、それによって、ヴィスコンティが好んで描いて来た高貴な者による滅びの美を、最も大掛かりに見せたのが本作と言えると思う。
同じように王が実際に携わった美しい城の数々を捉えるにしてもドイツ製が平板で重みがなかったのに比べると、ヴィスコンティの捉え方(撮影アルマンド・ナンヌッツィ)はさすがに重厚である。
反面、最初の版にも感じた冗長さ(男色関係の場面はあんなに長かったか?)を益々感じるのは否定できない次第ながら、映画にも文学にも退屈であっても全体のムード醸成や前段・後段との関係によりどうしてもその長さを必要とすることがあるのであり、本作などはかかる作品に相当すると思う。最初の版より★一つ分低くしたが、圧倒的重量級作品と言うべし。
最後の字幕を見ると、バーガーのイタリア語は、後に「イノセント」で主演するジャンカルロ・ジャンニーニが当てたようだ。
最初の邦題では英語とドイツ語読みの折衷と言う感じのルードウィヒで、この版ではドイツ語発音に近づけたルートヴィヒ。公開時によって濁音の位置が変わった珍しい例ではあるまいか。
この記事へのコメント
パゾリーニの不幸の一部はヴィスコンティと同時代に活動したことかなと思ったりします。ヴィスコンティは強いですので。
>ヘルムート・バーガーはヴィスコンティの映画でだけいい役者になるんですよね。
オムニバス映画の一編を含めて4本に出ていますね。オムニバスを別にして、いずれも強烈ですね。
この作品が一番の大役でしょう。
「地獄に堕ちた勇者ども」は名画座で観て、その前後にTVでもやった記憶がありますが、最近は全く電波に乗らない。今回のWOWOWヴィスコンティ特集でも洩れました。
>ヴィスコンティ作品はカットするとよくなくなる
名画座で観る前に「ベニスに死す」の不完全版をTVで観ましたが、映画館で観た時のような感動が全くありませんでしたね。
時間を惜しんではヴィスコンティを満喫できません。
最近の若い人(だけでもないでしょうが)は、タイム・パフォーマンスと言って、早回ししたり飛ばしたりして見るようですが、却って時間の無駄。
>パゾリーニの不幸の一部はヴィスコンティと同時代に活動したことかなと思ったりします。
なるほど。
日本人には端正なヴィスコンティのほうが断然合っていますね。
艶笑ものに取り組む前のパゾリーニは好きです。
パゾリーニ、艶笑もの向いてないですよね。ああいう絵しか取れないせいでしょうが、艶笑ものやってるのは頭で分かっても、画面見てると笑えないというか、ユーモラスな雰囲気やコミカルな味がまったくないので。
「ソドムの市」もエログロ劇画的な笑いを狙ってたのかもしれないんですけど、グロいばっかりに見えて、へんなこというようですが、クイーンのヴィデオクリップがちょっとそんなかんじだったり。
ヴィスコンティだと、「ベリッシマ」とか「家族の肖像」はふつうに喜劇調でやれてたりするんですけどね。パゾリーニみたいに暗い陰気さがないからかな。
>パゾリーニ、艶笑もの向いてないですよね。ああいう絵しか取れないせいでしょう
映画芸術的には実に面白い絵を撮りますけど、仰るように、絵が湿っぽいので、笑える感じにならないのでしょうね。
>クイーンのヴィデオクリップがちょっとそんなかんじだったり。
そうですか。
近年YouTubeはよく利用しますが、音楽クリップは余り見ずに、専ら録音ばかり。今度見てみようっと(笑)
クイーンと言えば、一昨年、持っているCD以外のスタジオ・アルバムを全部CD化しました。