映画評「1640日の家族」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2021年フランス映画 監督ファビアン・ゴルゲール
ネタバレあり
母アンナ(メラニー・ティエリー)、父ドリス(リエ・サレム)、3人の兄弟から成る仲の良い五人家族のお話である。
ところが、一番下の息子シモンを連れて母親が或る場所へ行ってから、様子が一変する。その場所は児童相談所で、シモンは数年前に妻を失って呆然自失の若い父親エディ(フェリックス・モアティ)から二人が預かって育てて来た子供ということが判って来る。
青年が立ち直ったので、子供を自分のもとに引き取りたいと申し出て来たのである。急な変化は6歳くらいの幼児には無理なので、実父の家に少しずつ行くようにして慣らすことになるが、やがて、いずれも子供を傍に置きたいと思う養母と実父との間に感情のもつれが発生する。
子供は当然養母のほうを慕うが、実父も嫌ってはいない。結局、少年はある施設を介して父親の許に帰って行く。
里親をテーマにし、フランス社会の一側面が伺える内容になっているが、社会派ではなく人情ものである。タッチは近年言うセミ・ドキュメンタリーに近いが、あれらの作品群ほどには観照に徹していず、良い意味で大衆的な作劇になっている。
監督はこれが二作目のファビアン・ゴルゲール。登場人物一々の性格描出が丁寧で、特に三人三様の子供たちの様子が実に良い。シモンが子供ならではの我儘を発揮する一方、相手の立場を子供なりに理解しようとするところなどウルウルさせられる。タッチもなかなか瑞々しい。
自分が理想的な里親と思っていたアンナは、いざ実父に返すとなると愛しすぎた故のエゴが顔を出し、そう単純には行かない。最後に半ば無理矢理に離された後暫くして冷静さを取り戻し、街角で発見したエディとシモンの姿に寧ろ安堵を覚える。
客観的に見ればエディのほうがエゴイスティックだが、最後の親子の姿には観客もホッとさせられ、後味が良い。
昨年観たアメリカとカナダの合作映画「ブルー・バイユー」も大人になった里子の映画。こちらは人情的社会派作品でした。
2021年フランス映画 監督ファビアン・ゴルゲール
ネタバレあり
母アンナ(メラニー・ティエリー)、父ドリス(リエ・サレム)、3人の兄弟から成る仲の良い五人家族のお話である。
ところが、一番下の息子シモンを連れて母親が或る場所へ行ってから、様子が一変する。その場所は児童相談所で、シモンは数年前に妻を失って呆然自失の若い父親エディ(フェリックス・モアティ)から二人が預かって育てて来た子供ということが判って来る。
青年が立ち直ったので、子供を自分のもとに引き取りたいと申し出て来たのである。急な変化は6歳くらいの幼児には無理なので、実父の家に少しずつ行くようにして慣らすことになるが、やがて、いずれも子供を傍に置きたいと思う養母と実父との間に感情のもつれが発生する。
子供は当然養母のほうを慕うが、実父も嫌ってはいない。結局、少年はある施設を介して父親の許に帰って行く。
里親をテーマにし、フランス社会の一側面が伺える内容になっているが、社会派ではなく人情ものである。タッチは近年言うセミ・ドキュメンタリーに近いが、あれらの作品群ほどには観照に徹していず、良い意味で大衆的な作劇になっている。
監督はこれが二作目のファビアン・ゴルゲール。登場人物一々の性格描出が丁寧で、特に三人三様の子供たちの様子が実に良い。シモンが子供ならではの我儘を発揮する一方、相手の立場を子供なりに理解しようとするところなどウルウルさせられる。タッチもなかなか瑞々しい。
自分が理想的な里親と思っていたアンナは、いざ実父に返すとなると愛しすぎた故のエゴが顔を出し、そう単純には行かない。最後に半ば無理矢理に離された後暫くして冷静さを取り戻し、街角で発見したエディとシモンの姿に寧ろ安堵を覚える。
客観的に見ればエディのほうがエゴイスティックだが、最後の親子の姿には観客もホッとさせられ、後味が良い。
昨年観たアメリカとカナダの合作映画「ブルー・バイユー」も大人になった里子の映画。こちらは人情的社会派作品でした。
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