映画評「ストーリー・オブ・フィルム 111の映画旅行」
☆☆☆☆★(9点/10点満点中)
2021年イギリス映画 監督マーク・カズンズ
ネタバレあり
昨年11月に映画作りに関するドキュメンタリーを幾つか観た。それらはスタッフやその仕事の変遷に焦点を当てて作ったものであった。本作はマーク・カズンズなる人物が個人的な映画論を展開したような内容で、そういう意味では毛色が変わっている。
端的に言えば、画面(映画言語)と内容の関係を、【革新】彼の言葉を借りれば【拡張】のアングルから、緻密に語ったもので、映画言語について語るのが好きな僕にとっては相当面白い作品である。しかるに、色々と多角的に言っているので、どうまとめたものか非常に難儀を強いられる。
20世紀には映画における色々な革新があったが、21世紀の映画人はどんな革新をやってきたかというのをポイントに絞って幾つかのグループに分けて進行している。その一々について語るのは面倒臭いので、以下に述べる二点を除いてばっさり省略する。
従来の大型カメラを使ったSFX時代の作品を好む僕にとって、CG以降の技術革新は概して映画をつまらなくしたと思っているが、このカズンズという監督を見習えば、好意的に見ることができそうな気もする。
技術革新が画面を色々と拡張する。スマホだけで撮ったり、スマホの映像を有効に取り入れたり、これが技術的な意味での画面の拡張である。拡張された映画言語は、ひいては内容の拡張と関連するか、若しくは、引き出すかする。その逆のパターンは殆どないようである。
本編中最も刺激されたのは【構造的なスロー】という措辞である。【構造的な冗長さ】と言い換えても良いだろうが、確かに僕の印象でも、最近撮りっぱなしのような長い映画が公開されるようになった。
先日ルキノ・ヴィスコンティ「ルートヴィヒ」(1972年)の映画評で述べたように、一見無駄に長いと思われる長さにも意味があることがあるとは僕も思うところである。テオ・アンゲロブロス「旅芸人の記録」(1979年)における一座が歩くのを延々と撮った部分を思い出すと良いだろう。タイム・パフォーマンスなる思潮とは全く逆の考え方であり、シネフィルならこの感覚は解ってくれるのではないだろうか。
「PK」というインド映画に関する論述も古典的な演劇・映画観を刺激する。
アリストテレスの演劇論「詩学」を持ち出すまでもなく、理想的な演劇・映画とはトーンが統一されたものとされている。これを支持する僕には、この点において、大半のインド映画、日本に入って来る大半の韓国大衆映画はダメということになる。
かつて韓国映画「猟奇的な彼女」(2001年)を見て、その転換の鮮やかさにこの映画観が揺らいだことがあるが、その後出て来た韓国大衆映画が猫も杓子も漠然と似たことをやっているのを見るに及び、やはりこれはダメだということになった。
実物を見ていないので何とも言えないが、「PK」という作品はもっと鮮やかにトーンを瞬時に(マサラ・ムービー的な場面からテロ場面へ)変えているらしく、その移調が鮮やかであればトーンの統一という原則は必ずしも守れなくて良いとは思うのである。
画面を軸に、あるいは画面と内容を関連付けて映画を観ること、の面白さを知らせるドキュメンタリーとして、真に映画好きの方なら必見と思う。映画の見方を新たにする作品として大いに刺激されるだろう。
昨年の今頃“映画は1割の人の為に作られるのではない”と述べた甥Aは、大衆アニメと「ワイルド・スピード」シリーズしか観たことがない(大袈裟に言うとだけどね)。この映画が紹介する映画を何本か観て、同じ事が言えるかどうか?
2021年イギリス映画 監督マーク・カズンズ
ネタバレあり
昨年11月に映画作りに関するドキュメンタリーを幾つか観た。それらはスタッフやその仕事の変遷に焦点を当てて作ったものであった。本作はマーク・カズンズなる人物が個人的な映画論を展開したような内容で、そういう意味では毛色が変わっている。
端的に言えば、画面(映画言語)と内容の関係を、【革新】彼の言葉を借りれば【拡張】のアングルから、緻密に語ったもので、映画言語について語るのが好きな僕にとっては相当面白い作品である。しかるに、色々と多角的に言っているので、どうまとめたものか非常に難儀を強いられる。
20世紀には映画における色々な革新があったが、21世紀の映画人はどんな革新をやってきたかというのをポイントに絞って幾つかのグループに分けて進行している。その一々について語るのは面倒臭いので、以下に述べる二点を除いてばっさり省略する。
従来の大型カメラを使ったSFX時代の作品を好む僕にとって、CG以降の技術革新は概して映画をつまらなくしたと思っているが、このカズンズという監督を見習えば、好意的に見ることができそうな気もする。
技術革新が画面を色々と拡張する。スマホだけで撮ったり、スマホの映像を有効に取り入れたり、これが技術的な意味での画面の拡張である。拡張された映画言語は、ひいては内容の拡張と関連するか、若しくは、引き出すかする。その逆のパターンは殆どないようである。
本編中最も刺激されたのは【構造的なスロー】という措辞である。【構造的な冗長さ】と言い換えても良いだろうが、確かに僕の印象でも、最近撮りっぱなしのような長い映画が公開されるようになった。
先日ルキノ・ヴィスコンティ「ルートヴィヒ」(1972年)の映画評で述べたように、一見無駄に長いと思われる長さにも意味があることがあるとは僕も思うところである。テオ・アンゲロブロス「旅芸人の記録」(1979年)における一座が歩くのを延々と撮った部分を思い出すと良いだろう。タイム・パフォーマンスなる思潮とは全く逆の考え方であり、シネフィルならこの感覚は解ってくれるのではないだろうか。
「PK」というインド映画に関する論述も古典的な演劇・映画観を刺激する。
アリストテレスの演劇論「詩学」を持ち出すまでもなく、理想的な演劇・映画とはトーンが統一されたものとされている。これを支持する僕には、この点において、大半のインド映画、日本に入って来る大半の韓国大衆映画はダメということになる。
かつて韓国映画「猟奇的な彼女」(2001年)を見て、その転換の鮮やかさにこの映画観が揺らいだことがあるが、その後出て来た韓国大衆映画が猫も杓子も漠然と似たことをやっているのを見るに及び、やはりこれはダメだということになった。
実物を見ていないので何とも言えないが、「PK」という作品はもっと鮮やかにトーンを瞬時に(マサラ・ムービー的な場面からテロ場面へ)変えているらしく、その移調が鮮やかであればトーンの統一という原則は必ずしも守れなくて良いとは思うのである。
画面を軸に、あるいは画面と内容を関連付けて映画を観ること、の面白さを知らせるドキュメンタリーとして、真に映画好きの方なら必見と思う。映画の見方を新たにする作品として大いに刺激されるだろう。
昨年の今頃“映画は1割の人の為に作られるのではない”と述べた甥Aは、大衆アニメと「ワイルド・スピード」シリーズしか観たことがない(大袈裟に言うとだけどね)。この映画が紹介する映画を何本か観て、同じ事が言えるかどうか?
この記事へのコメント
聞き覚えのあるタイトルだと思ったら、数年前にザ・シネマで「ストーリー オブ フォルム」というタイトルで映画誕生からの歴史を12、3回に分けて放映していた、あれの続編ですね。wowowで全部放映してるんですか?
早速我が家のライブラリーを当たってみたところ、第1回の「オデッセイ」が見つかりました。
シリーズを全部見た記憶はありますが興味深い回とそこまでじゃない回があったような気がします。
これは他のものも探さねばなりません。
>映画誕生からの歴史を12、3回に分けて放映していた、あれの続編ですね。
そうですね。
続編は映画です(最近は映画とTVの差が少ないですが)。
WOWOWには、オリジナルのTV版はありません。かつて放送したかもしれませんが、現在の配信には見当たらず。あったら全部観たのになあ。
>興味深い回とそこまでじゃない回があったような気がします。
テーマ別となりますと、どうしてもそうなりますよね。
この映画版は、僕が普段からやっている映画言語を軸としての内容分析に似た、内容へのアプローチを示してくれているので、我が意を得たりという感じでした。
DVDが見当たらず、とりあえず1回目を観ようとしたら何と15回まで全部が1枚のディスクに入っていました。 最近、配信をプロジェクターで観ているのでDVDの扱い方を忘れていたようです。
最新作の ”111の映画旅行” もUNEXT で視聴しました。 これは第1回順番に見るのが私のような素人には良いようです。最新の本作は知らない作品も多く少しとっつきにくいですが、初回版は「映画の誕生」がテーマなので面白いです。
本作も以前のTV版も全く同じスタイルの作りになっていて、あの淡々としたナレーションが話を進めていきます。あのナレーションが一見難しい事を言ってそうで少し眠気を誘いかねない感じがしますが、よく聞いていると結構ユーモアもあって映画愛が滲み出ていますね。小津がお気に入りのようです。ま、当たり前か…
3月にTV版の15話のDVDが発売されるようですね。そうなったら配信にも出てくるかもです。 ご近所ならお貸しするんですが…
インド映画の「PK」観たいですね。
>何と15回まで全部が1枚のディスクに入っていました。
厳密に言えば、ブルーレイ・ディスクですね。
要領の小さいDVDでは画質をどんなに落としてもそんなに入りません。
どちらでも良いのですが(笑)
>あのナレーションが一見難しい事を言ってそうで少し眠気を誘いかねない感じがします
あははは。
しかし、映画論的に結構大事なことも言っていて、時には我が意を得たりであったり、時には刺激を受けたり、こういう形の映画史映画はありそうで余りなかったな。まあゴダールの「映画史」よりはずっと解りやすい。
>そうなったら配信にも出てくるかもです。
そうですね。
なるべく無料で観たいですが。
>インド映画の「PK」観たいですね。
インド映画も韓国映画も、良いアイデアを生み出すところには感心しています。洗練され切っていないところが、好きな人には良いのでしょうが、西洋映画の原則に慣れてしまった僕には、そこが不満。
とは言え、「PK」は映画論を刺激するような作品のようですから、観ないといけない映画になりました。
過去のTV版の15回分を全部制覇しました! ダビングしたら観た気になっていたようで実はあまり観ていませんでした。取り上げて下さらなかったら観ないまま終わっていたようです。
いやぁ、面白かったです。私なんかには昔の映画の相互関係が出てくるTV版の方が分かりやすかったです。クラシック音楽なら簡単にいえば、バッハ→モーツァルト→ベートーヴェンの順番が逆になる事はあり得ないのは常識なんですが、映画の場合はそこまで流れを考えていなかったなぁと反省しています。
「ネオリアリズモの照明は裸電球だ」ですって…確かに…(画面にロッセリーニの映画かな、天井からぶら下った裸電球が) 笑。 この監督はイギリス人ですか? さりげに面白い事を仰います。
眠くなりそうですが気が抜けません。
youtubeに監督来日時のインタビューの様子がアップされていました。
マーク・カズンズ監督はアイルランド人のようです。
日本映画をかっておられるようで腕に「田中絹代」の彫物が…渋い…
>過去のTV版の15回分を全部制覇しました!
この短期間によくぞ(@_@)
エネルギーありますねえ。
僕は最近映画評にエネルギーを注げず、結果的に良いものが書けないと感じています。厳密に言えば、映画鑑賞段階で注意力散漫を感じることしばしば。昨今の映画に問題があることも確かですが・・・・・・
>私なんかには昔の映画の相互関係が出てくるTV版の方が分かりやすかったです。
TVということもあって俯瞰的に眺めた結果かもしれませんね。僕は見ていないので、想像にすぎませんが。
映画版は一種の、かなり独自の、映画論でした。ただの映画のさわり紹介と言っている愚かな意見もありましたが、映画論ですよ。
>「ネオリアリズモの照明は裸電球だ」
実際そうだったかもしれません。
今日ヴィスコンティのデビュー作「郵便配達は二度ベルを鳴らす」を再鑑賞しましたが、そんな感じです(笑)
>マーク・カズンズ監督はアイルランド人のようです。
>日本映画をかっておられるようで腕に「田中絹代」の彫物が…渋い…
この間から触れている「ベルファスト」出身らしいですね。
ベルファスト出身には映画好きが多いらしい(笑)
田中絹代の彫物ですか・・・可愛い変態ですね(笑)
全15回X1時間を3〜4日がかりで観ました。副業をしながらの”ながら見”なので省エネでしたよ。
ただドキュメンタリーが多かった回で普通なら絶対に避けて通る映像を観てしまいショックでした。処刑シーンが苦手なので…好きな人は滅多にいないでしょうが…
キェシロフスキの「殺人に関する短いフィルム」とインドネシアのドキュメンタリーなんですが、夕食前に観てしまい吐き気がして辛かったです。
確かに戦後のイタリア映画は瓦礫映画の名に相応しく暗くて貧しいでしたね。
中学生くらいの時にTVで名画座みたいなのをやっていて「道」「自転車泥棒」
「ドイツ零年」(ドイツですけど) とか観ていて暗い国というイメージをずーっと持っていました。 「昨日,今日、明日」なんかも観ていたんですけどね。
この監督さんは日本映画(過去の)への造詣も深いです。今後もっと日本の映画人の名前を彫っていったら耳無し芳一状態になるんじゃないかと心配ですわ。
もしここまで読んで下さった方がおられたらですが
オカピー先生は「映画論」と難しそうに仰いますがビビることはないです。
「映画愛」に溢れていますから機会があれば是非観てみて下さいね。
>キェシロフスキの「殺人に関する短いフィルム」とインドネシアのドキュメンタリーなんですが、夕食前に観てしまい吐き気がして辛かったです。
インドネシアのドキュメンタリーというのは、「アクト・オブ・キリング」か「ルック・オブ・サイレンス」でしょうか。
前者の拷問再現から加害者の嘔吐にかけて凄かったデス。
>イタリア映画
>暗い国というイメージ
やはり敗戦した国の戦後は明るくなりようがないですね。
ヒトラーの台頭で映画先進国の座を投げ出したドイツの戦後映画は殆ど日本では公開されていないので、ドイツのムードは解りませんが、恐らく暗いでしょう。
>オカピー先生
>「映画愛」に溢れていますから機会があれば是非観てみて下さいね。
堅苦しくない映画論という感じがしまして・・・どうもすみません(笑)
映画愛・・・この映画版でも、21世紀の映画に論点を絞りながらも、古今東西の映画が色々と出て来て、実に幅広くきちんと見ているなあ、と感心しました。
生意気な生徒ですいません。
>前者の拷問再現から加害者の嘔吐にかけて凄かったデス。
まさにそれです。
12回目の「世界の映画製作と抗議」で取り上げられていました。
この回はタイトルからも想像がつきますが重い内容が多いです。
十数年前に観たグルジア映画の「懺悔」が取り上げられていますし(傑作だと思い ます)必見だとは思います。
ただ私のような気弱な人間には部分的に閲覧注意物件です。
>十数年前に観たグルジア映画の「懺悔」が取り上げられていますし(傑作だと思います)
WOWOWには出ていないので、未見です。
一時日本で公開された一連のトルコ映画のようなムードを感じますねえ。
2018年にきちんと劇場公開されたようなので、ジョージア(最近はグルジアと言うと叱られる・・・笑)・ブームか監督のブームが起きれば、観られるかも。DVDが出ていますが、高すぎる。
>12回目の「世界の映画製作と抗議」で取り上げられていました。
>必見だとは思います。
>ただ私のような気弱な人間には部分的に閲覧注意物件です。
アマゾンで全部購入するとおよそ25000円ですよ。こちらも高い。
これに関連して、配信が出る可能性に期待しましょうか。
>2018年にきちんと劇場公開されたようなので
昔の京都シネマ通信をひっぱり出してみたところ「懺悔」は日本(京都)では2009年に公開されていました。「懺悔」と他の2作で「祈り3部作」と呼ばれているようで2018年に一挙公開されたようです。
グルジアやモスクワでは製作後2、3年で公開され、モスクワでは最初の10日間で70万人以上が鑑賞したとか。その後のペレストロイカに繋がる重要な作品である、との事です。カンヌや何やらで大きな賞も取っているのに20年近く公開出来なかったのはアメリカの会社が世界配給権を買った為だと書いてありますが、「何でやねん?」です。
もう一回じっくり観たいです。
>日本(京都)では2009年に公開されていました。
Allcinemaを見ると、2018年初公開とありますので、前回は映画祭などに準ずる限定的な公開だったと推測されます。
>20年近く公開出来なかったのはアメリカの会社が世界配給権を買った為だと
うーん、怪しからんですねえ。
音楽でも、単純な著作権以外に、版権(一種の著作権ですね)というのもあって、映画やCMが使う時に難儀することもあるようです。
>Allcinemaを見ると、2018年初公開とありますので、
私が検索したall cinema には2008年12月20日 となっております。
映画祭とかではなく普通にミニシアター系で上映された模様です。
東京なら岩波ホール? 大阪なら第七劇場? ですかね。
>私が検索したall cinema には2008年12月20日 となっております。
あっ、本当だ!
昨晩見た時は2018年に見えましたが、どうも見間違いですね。
【Allcinema】【Yahoo!映画】では2008年、【Filmarks】と【映画.com】では2018年8月4日になっています。後者は調べが足りないようですね。すっかり信じてしまったじゃないか(笑)