映画評「ツユクサ」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2022年日本映画 監督・平山秀幸
ネタバレあり
色々なジャンルをそつなくこなす監督として僕が信頼している平山秀幸監督による人間劇である。
49歳の小林聡美は、同僚の平岩紙や江口のりこと気のおけない友人関係をエンジョイしている。平岩紙の10歳の息子・斎藤汰鷹とも仲が良い。部屋に飾ってある息子の写真から推して、彼女にとっては疑似息子である。父親・渋川清彦に少年が馴染んでいないことを考えても、益々疑似親子っぽい。
映画は、1億分の1の確率で人に当たると天文好きの少年が言う隕石に当たった彼女にはきっと良いことがあるかもしれない、というムードを漂わす。
彼女がジョギングしている道のある丘で、交通誘導員・松重豊と知り合う。題名となっているツユクサは彼が草笛に利用している植物で、断酒している彼女が食事をしに通うバー(店主:泉谷しげる)で再遭遇したことから、ちょっとしたお付き合いが始まる。
妻を自殺で失った彼の本業は歯医者で、ふんぎりがついたのか、唐突にクリニックのある東京へ帰ると言う。これに少々がっくりしたヒロインは禁じていた酒を一口飲んで仕事に頑張ると誓うが、歯痛を治しに彼の店まで出かける。それで終わり、とふんぎりをつけ、少年から分けてもらった幸運の象徴である隕石の欠片で作ったペンダントを海に捨てる。
と、そこへ松重が現れる。
小林聡美が出る映画らしく、スローライフっぽい作品である。しかし、息子を失い一時は酒に頼った彼女の内面はスローライフなどという悠長なものではなく、田舎でのんびり暮らす見た目に反して、一種の緊張感を持っている筈。それを変えるのが隕石である。当たらなくても良い隕石に当たったのを少年は1億分の1に当たった幸運と捉え、映画はそれを彼女の人生に敷衍する。
幸運に当たる確率という観念を通奏低音にして中盤以降はちょっとしたロマンスを見せる。彼女の友人たちもそれぞれの個人的な事情を抱え、三人による群像劇の様相を示しているので、純然たるロマンス映画とは言えないものの、やはりその推移に面白味があるのは確かである。
ペンダントを捨てるのは他力本願を止めるというヒロインの意志であろう。少し解りにくいのが、松重氏の心理。聡美ちゃんと同様に、自死で妻を失って気分転換の為に田舎に越していたのだろうが、東京に戻る理由も曖昧なら彼女の前に再び姿を現す理由も曖昧である。
幕切れは正確には彼の心情・心理ではなく、状況が曖昧だ。ハリウッド型の純ロマンスならそれでも良いが、彼が本腰を入れて舞い戻ったのか単に遠距離恋愛を継続する為に戻ったのかよく解らない。左脳人間はこういうところが気になってしまうのである。
そんな次第でストーリーは若干弱いと感じるが、軽みのある良い作品と思う。軽み(軽味)は軽さとは違う。重くなりすぎず上品なさまを言うのである。厳密には “かろみ” と読む。松尾芭蕉が理想とする俳句をそう表現した。僕が映画評でこの単語を使う時はその意味である。
ツユクサは家の近くでよく見かけます。
2022年日本映画 監督・平山秀幸
ネタバレあり
色々なジャンルをそつなくこなす監督として僕が信頼している平山秀幸監督による人間劇である。
49歳の小林聡美は、同僚の平岩紙や江口のりこと気のおけない友人関係をエンジョイしている。平岩紙の10歳の息子・斎藤汰鷹とも仲が良い。部屋に飾ってある息子の写真から推して、彼女にとっては疑似息子である。父親・渋川清彦に少年が馴染んでいないことを考えても、益々疑似親子っぽい。
映画は、1億分の1の確率で人に当たると天文好きの少年が言う隕石に当たった彼女にはきっと良いことがあるかもしれない、というムードを漂わす。
彼女がジョギングしている道のある丘で、交通誘導員・松重豊と知り合う。題名となっているツユクサは彼が草笛に利用している植物で、断酒している彼女が食事をしに通うバー(店主:泉谷しげる)で再遭遇したことから、ちょっとしたお付き合いが始まる。
妻を自殺で失った彼の本業は歯医者で、ふんぎりがついたのか、唐突にクリニックのある東京へ帰ると言う。これに少々がっくりしたヒロインは禁じていた酒を一口飲んで仕事に頑張ると誓うが、歯痛を治しに彼の店まで出かける。それで終わり、とふんぎりをつけ、少年から分けてもらった幸運の象徴である隕石の欠片で作ったペンダントを海に捨てる。
と、そこへ松重が現れる。
小林聡美が出る映画らしく、スローライフっぽい作品である。しかし、息子を失い一時は酒に頼った彼女の内面はスローライフなどという悠長なものではなく、田舎でのんびり暮らす見た目に反して、一種の緊張感を持っている筈。それを変えるのが隕石である。当たらなくても良い隕石に当たったのを少年は1億分の1に当たった幸運と捉え、映画はそれを彼女の人生に敷衍する。
幸運に当たる確率という観念を通奏低音にして中盤以降はちょっとしたロマンスを見せる。彼女の友人たちもそれぞれの個人的な事情を抱え、三人による群像劇の様相を示しているので、純然たるロマンス映画とは言えないものの、やはりその推移に面白味があるのは確かである。
ペンダントを捨てるのは他力本願を止めるというヒロインの意志であろう。少し解りにくいのが、松重氏の心理。聡美ちゃんと同様に、自死で妻を失って気分転換の為に田舎に越していたのだろうが、東京に戻る理由も曖昧なら彼女の前に再び姿を現す理由も曖昧である。
幕切れは正確には彼の心情・心理ではなく、状況が曖昧だ。ハリウッド型の純ロマンスならそれでも良いが、彼が本腰を入れて舞い戻ったのか単に遠距離恋愛を継続する為に戻ったのかよく解らない。左脳人間はこういうところが気になってしまうのである。
そんな次第でストーリーは若干弱いと感じるが、軽みのある良い作品と思う。軽み(軽味)は軽さとは違う。重くなりすぎず上品なさまを言うのである。厳密には “かろみ” と読む。松尾芭蕉が理想とする俳句をそう表現した。僕が映画評でこの単語を使う時はその意味である。
ツユクサは家の近くでよく見かけます。
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