映画評「牛首村」
☆☆(4点/10点満点中)
2022年日本映画 監督・清水崇
ネタバレあり
清水崇監督の「犬鳴村」「樹海村」に続く村シリーズ第3弾。
富山県。三人の女子高生が心霊スポットに出かけて、牛の首を被った一人がエレベーターに閉じ込められる。エレベーターは落下するが少女の死体は発見されない。
その関連動画をBF漣(萩原利久)に見せられた東京の女子高生・奏音(Koki [厳密には","が付くが煩いので省略] )は、行方不明になった少女が自分と瓜二つなのを知って興味を覚え、二人で富山へ出かけ、偶然出くわした地元の中年男・松尾諭の車で現場に直行する。
そこで幾つかの怪奇現象に遭遇するも大難なく過ごすが、やがて消えた少女・詩音(Koki二役)のBF将太(高橋文哉)と海辺で出会って、少女の家に連れてもらうと、そこに現れたのは何と奏音が初めて会う実母(堀内敬子)で、出張していた筈の父(田中直樹)もいる。
この映画には色々とご都合主義的な見せ方があるが、これほど脱力する設定はない。
つまり、三人の女子高生は、詩音の家に近い地元の心霊スポットに行ったのに過ぎないわけである。尤もこれは観客たる僕が勝手にもっと全国的に展開していると思い込んでいたのが悪いと言えないこともない。とは言え、アッキーナという名の少女は同一人物かどうか解らないものの「樹海村」にも出て来たわけで、かつての若大将シリーズ同様パラレルワールド的人物という扱いにしても、もっと見せ方に工夫をしないと要らぬ疑問が生ずる。意図的に謎めかしているのだろうが、左脳人間はこういうところに引っかかってしまう。
さて、くだんの中年男や漣が不可思議な死に方をした後、祖母(竜のり子)絡みの話を聞くうちに、この地方に双子の片割れを7歳になると牛の神様に捧げる為に穴に放り込む風習があったこと、祖母の代わりに犠牲になった妹・奇子(芋生悠)がいたことを知り、やがて一連の怪奇現象を奇子の霊が起こしていたことを知る。
出没する奇子が穴に落とされた時の年齢でも高齢でもなく妙齢であるのは穴の中で生きて二十歳くらいで殺されたからである。
幾つかある疑問のうち、終盤現在の牛首村で奏音たちが老若男女の双子を多数見出すのはどう理解したものか。風習が現在まで続いているなら8歳以上の双子はいないであろうし、とうに廃止されていたならただの双子に過ぎず、恐怖の対象にならない。単なるはったりか。
ラスト・ショットにもホラー映画の悪癖が出ているように思う。こういうアイデアはもう捨てた方が良い。
他方、余り恐くないのは相変わらずながら、前二作より怪奇映画として正統的な見せ方、楷書的な作り方をしているとも感じたので、採点は前作より★一つ増やして新味はあった第一作と同じにした。背景音楽も妙に神妙で、なかなか良い。
祖母の昔話は昭和40年くらいのお話の割に、風俗は戦前それも大正時代くらいのように見える。犠牲になった妹を Allcinema は”綾子”としているが、”奇子”が正しい模様。
2022年日本映画 監督・清水崇
ネタバレあり
清水崇監督の「犬鳴村」「樹海村」に続く村シリーズ第3弾。
富山県。三人の女子高生が心霊スポットに出かけて、牛の首を被った一人がエレベーターに閉じ込められる。エレベーターは落下するが少女の死体は発見されない。
その関連動画をBF漣(萩原利久)に見せられた東京の女子高生・奏音(Koki [厳密には","が付くが煩いので省略] )は、行方不明になった少女が自分と瓜二つなのを知って興味を覚え、二人で富山へ出かけ、偶然出くわした地元の中年男・松尾諭の車で現場に直行する。
そこで幾つかの怪奇現象に遭遇するも大難なく過ごすが、やがて消えた少女・詩音(Koki二役)のBF将太(高橋文哉)と海辺で出会って、少女の家に連れてもらうと、そこに現れたのは何と奏音が初めて会う実母(堀内敬子)で、出張していた筈の父(田中直樹)もいる。
この映画には色々とご都合主義的な見せ方があるが、これほど脱力する設定はない。
つまり、三人の女子高生は、詩音の家に近い地元の心霊スポットに行ったのに過ぎないわけである。尤もこれは観客たる僕が勝手にもっと全国的に展開していると思い込んでいたのが悪いと言えないこともない。とは言え、アッキーナという名の少女は同一人物かどうか解らないものの「樹海村」にも出て来たわけで、かつての若大将シリーズ同様パラレルワールド的人物という扱いにしても、もっと見せ方に工夫をしないと要らぬ疑問が生ずる。意図的に謎めかしているのだろうが、左脳人間はこういうところに引っかかってしまう。
さて、くだんの中年男や漣が不可思議な死に方をした後、祖母(竜のり子)絡みの話を聞くうちに、この地方に双子の片割れを7歳になると牛の神様に捧げる為に穴に放り込む風習があったこと、祖母の代わりに犠牲になった妹・奇子(芋生悠)がいたことを知り、やがて一連の怪奇現象を奇子の霊が起こしていたことを知る。
出没する奇子が穴に落とされた時の年齢でも高齢でもなく妙齢であるのは穴の中で生きて二十歳くらいで殺されたからである。
幾つかある疑問のうち、終盤現在の牛首村で奏音たちが老若男女の双子を多数見出すのはどう理解したものか。風習が現在まで続いているなら8歳以上の双子はいないであろうし、とうに廃止されていたならただの双子に過ぎず、恐怖の対象にならない。単なるはったりか。
ラスト・ショットにもホラー映画の悪癖が出ているように思う。こういうアイデアはもう捨てた方が良い。
他方、余り恐くないのは相変わらずながら、前二作より怪奇映画として正統的な見せ方、楷書的な作り方をしているとも感じたので、採点は前作より★一つ増やして新味はあった第一作と同じにした。背景音楽も妙に神妙で、なかなか良い。
祖母の昔話は昭和40年くらいのお話の割に、風俗は戦前それも大正時代くらいのように見える。犠牲になった妹を Allcinema は”綾子”としているが、”奇子”が正しい模様。
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