映画評「メタモルフォーゼの縁側」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2022年日本映画 監督・狩山俊輔
ネタバレあり

僕は同性愛者が隣に住んでいても何とも思わないが、特に男性同性愛者の性行為を見るのは生理的に抵抗がある。そもそも異性愛でも他人の性行為を観るのを決して愉快に思わない人間なので、差別ではないと思うが、気持ち悪いと言っただけで差別と言われかねない時代である。
 新聞で、女子中学生が男性同士が手を繋ぐのを見て抵抗を覚えたが、自分にも偏見があると気付いて反省したという投書を読んだ。また、男性同性愛者を気持ち悪いと思うのはおかまたちの振舞い等を見ての影響が多いだろう、とある識者が語っていた。
 後者の分析にはなるほどと思うところがあるが、偏見イコール差別とは限らないと僕は思う。長年育まれてきた異性愛をベースにした世界を当たり前に思って来た非当事者である一般人が違和感を感じるのはある程度仕方がないのではないか。こういうのは【習うより慣れよ】の伝で変わって行くであろう。
 こんなことを長々と書いたのは、本作がBL(ボーイズ・ラヴ)絡みと知った時に“観るか否か”悩んだ為である。 これまで全作品を観て来た【W座からの招待状】枠と雖も、純粋にBL映画であれば避けたかもしれないが、それを契機にして女子高校生と高齢女性が友情を育んでいく物語と解って安心して鑑賞に臨むことが出来た。

夫に先立たれた独り暮らしの80歳くらいの婦人・宮本信子が、女性漫画家・古川琴音が書くBLコミックを偶然手にする。中身を見て少々驚くが、後段が気になって続巻を求めに行った時高校生アルバイトの店員・芦田愛菜に声を掛けたことから、二人の間に同好の士という友情が芽生える。
 幼馴染の同級生男子・高橋恭平と付き合う以外は他者との交流が殆どない女子高生は、老婦人が新たな事にチャレンジし、あるいは高橋君のGL汐谷友希が留学する為に頑張っている姿を見て、何も目標のない自分に忸怩たる思いを禁じ得ないが、老婦人に励まされて、BL漫画らしきものをコミケに出すことを目指して頑張り始める。しかるに、目標は達成したものの、現場で勇気を失って出品をしないまま席を後にしてしまう。
 高橋君が買ってくれるほか、老婦人がコミケにかけつけられずに困っているのを見た古川女史が彼女が持っていた一部を買う。行き詰っていた女史は、この漫画の友情を描いたシンプルさに勇気づけられる。
 ひと時の夢を終えた愛菜ちゃんは進学に向けて頑張り始めるが、女史のサイン会にだけは出かけることにする。これを友希ちゃんを見送るかどうか悩む高橋君に妨害されるが、先に到着した老婦人は現場で冊子を買ってくれたのが女史であると知って感激する。後からやって来た愛菜ちゃんもそれを知り未来を明るく捉えることができる。
 後日、少女は、娘のいるノルウェーに越した老婦人の家を訪れ、家主に向って頼まれた漫画を送付する。

年齢差のある友情物語も良いものである。宮本信子と芦田愛菜の二世代違う女優二人の掛け合いが軽妙で実に良い。

それを効果的に見せたのは監督・狩川俊輔による画面の工夫ではないかと思う。俯瞰で二人を捉えたところなど面白いが、一般的に解りやすいのは、中盤の色々なマルチ画面の使い方である。愛菜ちゃんと老婦人、愛菜ちゃんと書道家たる老婦人に学ぶ小学生の習字の文字、ペンで漫画を描く愛菜ちゃんとコンピューターで書く古川女史、といった組み合わせで、それを連続して見せたところに勢いがあって大いに気に入った。
 走る愛菜ちゃんを断続的に見せたシークエンスも素晴らしい。

そうした場面の軽快さを増幅するのに、T字路sというグループの音楽が大貢献しているとも思われる。

僕は個人主義を基調としているので人権を大事に思っているが、多様性(というよりダイヴァーシティ)を根拠にした非多様ぶり、特に映画界におけるそれに、疑問を覚える。ダイヴァーシティに配慮するが故に映画作りが変になっている。とりわけ戴けないのは、白人役に有色人種を起用する幾つかの例である。演劇では認められても、観客が現実をしか見出さない映画ではこれは無理である。お話の理解も覚束ない。さすがにこの極端な例は限定的だが、最近現在を舞台にした洋画を見ると、夫婦の組合せが殆ど異人種・異民族のカップルである。欧米では実際にも多いであろうが、毎回こればかりでは不自然に思われてくる次第。映画は現実をよく反映すると思って来たが、今では啓蒙性が強く、そうとは言い切れなくなって来た。

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