映画評「ザ・ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリデイ」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2021年アメリカ映画 監督リー・ダニエルズ
ネタバレあり

映画ファンになってそれほど経たない1973年に「ビリー・ホリデイ物語 奇妙な果実」という伝記映画を見た。彼女の名前しか知らない中学生につきそう楽しめたとは言えないが、当時人気のあったダイアナ・ロスを見に行ったようなものだから、それはそれで良しとしたものだ。
 で、およそ50年後製作の本作は、題名が示すようにそれまでの彼女の伝記映画とは少し違うアングルで作られた。

終戦後ビリー・ホリデイ(アンドラ・デイ)は、黒人リンチを暗喩した歌曲「奇妙な果実」Strange Fruit を歌い続けていた為、白人至上主義の体制を維持したい国家側の思惑の下、本来は関係のない麻薬取締局が動き出す。その為に駆動されたのは黒人取締官ジミー・フレッチャー(トレヴァンテ・ローズ)で、記者として接近させた後に逮捕させる。
 屈辱的な服役を終えた後もビリーは様々な夫や様々な黒人音楽家に虐待され、その為に麻薬からなかなか縁を切れないでいるが、フレッチャーは彼女と接するうちに密かに愛するようになる。

彼が、ビリー・ホリデイ&ハー・オーケストラの車を追うのが素敵だ。彼が追うのは麻薬取締局の指示もあったのだろうが、寧ろ彼女が麻薬に走るのを阻止し、或いは自分の所属する当局による仕込みを妨害する目的があったのだろうかと推測するとその愛情にぐっと来る。

しかし、その後10年余り彼女が1959年に44歳で亡くなるまで麻薬局は執拗に追い続けるのである。

その当時に比べれば黒人の立場は相当改善されている一方、反リンチ法が成立したのはちょうど1年前に過ぎず、人間の進歩の遅々たるや呆れ返るしかない(勿論長い歴史の中で相対的にはこの間の変化は速い)。

昨日の「エルヴィス」に続いて、多寡の差こそあれ、反体制的要素が伝記映画にまで及んでいることに、時代性を大いに感じる。個人的にはメッセージばかりが重視されるこうした風潮を必ずしも歓迎しないが、体制・国家と個人との対立には胸を締め付けられることも多い。

この映画は「奇妙な果実」を反体制の代名詞のように使う一方、それとは対照的に甘く熱いラブ・ソング「オール・オブ・ミー」All of Me を通奏低音として使っている。後半はこれがビリーとフレッチャーとの関係を彩るが、この並列の故に二つの作品を観ているような印象も出て来る。彼が麻薬取締局の捜査官であるので水と油のような関係とまでは言えず、それなりにまとまってはいるが、どちらかにもっと集中したほうが良い映画になったような気もする。題名が示す第一主題と音楽的主題(通奏低音)が一致しないのが問題と言うべきかもしれない。

それにしても、アンドラ・デイの歌唱が見事だ。ビリー・ホリデイの特徴的な歌い方(かつてよくよく聴くうちに気付いたことに、厳密には発音が独特なのだ)をうまくかつ現代的に取り込んでいる。あっぱれ。

一曲だけラップを取り込んだようなオーパーツな歌が挿入されていた。 加えて、エンディング・ロールにおけるダンス練習の間に “当時は(プラダは)なかった” とフレッチャー役のローズが言う台詞が面白い。フレッチャーとしての台詞なら楽屋落ち(メタフィクション)になるからである。

この記事へのコメント

モカ
2023年03月09日 20:08
こんにちは。

>アンドラ・デイの歌唱が見事だ。

アメリカはこの分野の人材には事欠きませんね。ほんとに見事でした。

>ビリー・ホリデイの特徴的な歌い方

 彼女の発声は楽器のようだと誰だか忘れましたがコロンビア時代のバンド仲間が申しておりました。 何の楽器でしょう?
 あの声はビロードの表面を撫でたように粘るというか…お家にビロードがあれば試してみてください ^_^。

 新しい「ビリーホリデイ物語」が明日から公開されるようで、この週末に行くつもりです。


オカピー
2023年03月10日 08:39
モカさん、こんにちは。

>アメリカはこの分野の人材には事欠きませんね。ほんとに見事でした。

本当にね。
あるバレエ映画に対する批判に、ケガをしたプリマドンナの代りに新人がいきなり抜擢されるのを見て“そんなに甘い世界なのか”というのがありましたが、甘いのではなく、あちらにはそれくらい実力者がいるということなのだと思いました(のを思い出す)。

>コロンビア時代のバンド仲間が申しておりました。 何の楽器でしょう?

明後日投稿する予定の「BILLIE ビリー」という映画で誰かが言っていましたね(後で証言者を確認します)。トランペットかサックスでしょう。

>新しい「ビリーホリデイ物語」が明日から公開されるようで、この週末に行くつもりです。

今ビリー・ホリデイ・ブーム。黒人、女性、麻薬という要素があるので政治的な思惑もあって取り上げられているのでしょうが、もっと音楽やキャラクターに集中した映画になっていると良いと思います。
2023年11月18日 09:14
>アンドラ・デイの歌唱が見事だ。

すごかったです。ビリー・ホリデイになりきって、声の雰囲気や独特のテンポを完全に咀嚼して自分の歌として歌ってましたね。

>反リンチ法

殺人事件は、白人が黒人を殺した場合も成立して裁かれますが、反リンチ法が長らくなかったというのはおどろきでした。リンチという社会問題はない、ということになっていたのでしょうか。

アメリカは州法で、いまでも同性愛が違法にされている州もあるようですね。公民権運動の流れで、同性愛も認めろと法改正運動が起きて、そのせいかアメリカの同性愛の権利主張は戦闘的なんでしょう。あれをそのまま日本に持ち込むのはどうかと思うほどです。
オカピー
2023年11月18日 18:13
nesskoさん、こんにちは。

>>アンドラ・デイの歌唱が見事だ。
>すごかったです。

モカさんも仰っているように、あちらの人材は豊富です。
しかし、豊富すぎるから、少々上手いくらいでは、台頭できません。厳しい世界でもあります。

>反リンチ法が長らくなかったというのはおどろきでした。

本当に。
僕もとうに出来ているものと思っていました。

>そのせいかアメリカの同性愛の権利主張は戦闘的なんでしょう。
>あれをそのまま日本に持ち込むのはどうかと思うほどです。

そうですね。
この手の反対論者は、明治以降西洋から導入した性意識を日本の伝統としていて全くデタラメですし、激しい推進論者はそれこそ土壌が違うのにそのまま導入しようとする。それもまた問題ですね。