映画評「耳をすませば」(2022年実写版)

☆☆☆(6点/10点満点中)
2022年日本映画 監督・平川雄一朗
ネタバレあり

柊あおいのコミックをスタジオジブリの近藤喜文が映画化したアニメは実に瑞々しい秀作だった。本作は、そのお話をベースにその10年後(1998年という設定)の現在を交えて進む実写映画である。

かの作品が秀作であったが故に、時間軸を二つにした二重構造とは言え、実写版が好評をもって迎えられる可能性は低いが、僕はそれなりに健闘したと思うのである。

1987年、本好きで学校の図書室に足繁く通う中学3年生女子・月島雫(安原琉那)は、自分が読もうとしている本をいつも先に読んでいる男子生徒・天沢聖司(荒木飛羽)のことが気になる。最初は生意気と思ったものの、一流のチェロ奏者になる夢を持っている少年の意志に憧れるものもあって相思の仲に。しかるに、成功を夢見て翌年イタリアに修行の旅に出る少年と、片やファンタジーの書き手になる夢を叶えるべく精進することにした雫とは、10年後の成功と丘での再会を約して離れ離れになる。

これはアニメでも扱われた内容であるが、アニメで少年がバイオリン製作者志願だったのが、チェロ奏者に変えられている。こちらのほうが華があり実写向きだからであろう。

98年出版社の児童文学部門の編集員として働いて数年の雫(清野菜名)は、並行して行っている物語作りはまるで上手く行っていないだけでなく、自分の担当している児童文学者(田中圭)から首を言い渡されてしまう。その心は、彼女が素直に意見を言ってくれなくなったからである。
 かくして動揺を禁じ得ない彼女はイタリアに赴き、今ではCDも発表する四重奏団のリーダー格として活躍する聖治(松坂桃李)に会って落ち着きを取り戻そうとするが、10年も離れていた自分に対してメンバーの女性が近くで彼を見て思いを寄せてきた現実を突き付けられ、別れて帰って来る(とは親友たちへの説明)。
 多少は開き直れた雫は、謝りに行った作家から自分に向き合えと言われ、仕事と創作の両方に頑張れる張り合いが生じる。そんな或る夜、聖治が思いがけず、10年前の約束を果たし、かつ、或る思いを告げる為に彼女を訪れる。

勿論、現在と過去とが随時往来しつつ進行するわけだが、余り煩くなっていないのは殊勲だろう。

大人になった二人のお話だから、自ずとロマンスに傾いていくだろうと予想した通りの展開となり、余りに恋愛模様に焦点を絞って甘くなりすぎはしないかという懸念に対し、実際には二人が各々素直に自分の心に向き合うという人間としての成長ぶりと絡み合いながら(ロマンスの)終結になだれ込んでいくように見せているので、観客も割合素直に観ることができるのではないか。

中学生時代は、実写では照れてしまいそうなアニメの感覚を大いに取り込んでいるが、俳優たちの溌溂さも手伝ってさほど違和感を覚えない。25歳の成人となった現在の部分も、余りリアリティに拘らなければ爽やかな青春像として見られる筈である。(許容できる場合と出来ない場合があるが)大衆映画を見るに際して余り現実に拘り過ぎてもつまらない、ということを勉強するには良い作品と思う。

琉那ちゃんを見るうちに、この間も「開運!なんでも鑑定団」に出演していた西村知美を思い出しましたな。

この記事へのコメント