映画評「天使が隣で眠る夜」
☆☆☆(6点/10点満点中)
1994年フランス映画 監督ジャック・オーディアール
ネタバレあり
本格的な犯罪映画ではなく犯罪の絡んだドラマという印象の作品を作ることが多いフランスの監督ジャック・オーディアールのデビュー作。
米国の閨秀作家テリー・ホワイトのミステリー「真夜中の相棒」の映画化で、米国女性作家によるミステリーのフランスでの映画化と言えば「太陽がいっぱい」(1960年)を思い出す老骨です。しかもどちらも同性愛が底に横たわっている。時代故に「太陽がいっぱい」の原作「リプリー」は仄めかし程度だったが。
中年セールスマンのジャン・ヤンヌが、可愛がっていた若い刑事イヴォン・バックに捜査中の監視を頼まれるが、その現場でバックは撃たれて植物状態になる。怒り心頭に発したヤンヌは仕事も放ったらかしにして犯人探しの旅に出る。
一方、旅がらすの熟年賭博師ジャン=ルイ・トランティニャンが移動中に知り合った多少頭の足りない若者マチュー・カソヴィッツを子飼いにしてヤクザの商売に関わる。カソヴィッツは鍛えられて大仕事である殺しを実行し、その時に絡んだのがバック刑事である、という寸法。
ここまで映画は、現在進行形のヤンヌの挿話をトランティニャン組の挿話が時間的に追いかける形で随時シフトしながら進行するが、事件の様相が明確になるやこの二組が交わることになる。
ヤンヌは実行犯の若者ではなく、師匠格のトランティニャンを射殺して、若者を “稚児” にする。最初はその気のなかったトランティニャンも最初からその傾向のあった若者の余りの頼りなさに愛情を覚えるようになり、ちょっとした同性愛的感情を芽生えさせたらしい。
個人の趣味から言わせて貰えば、同性愛の要素をぐっと抑えて犯人探しに集中すればもっと大衆的に楽しめる作品になったであろうが、オーディアールの作る映画は大概犯罪は要素の一つに過ぎない。これが彼の作家性なのだから仕方があるまい。
これも近頃多い(この作品は1994年の旧作だが、この辺になると、今の作品との差が少ない)反復の映画に近いが、印象的な反復は、カソヴィッツがバックを正面から撃つシチュエーションを、ヤンヌがトランティニャンを撃つという形で繰り返すところくらいである。
“バックを正面から撃つ”というのも、面白い。
1994年フランス映画 監督ジャック・オーディアール
ネタバレあり
本格的な犯罪映画ではなく犯罪の絡んだドラマという印象の作品を作ることが多いフランスの監督ジャック・オーディアールのデビュー作。
米国の閨秀作家テリー・ホワイトのミステリー「真夜中の相棒」の映画化で、米国女性作家によるミステリーのフランスでの映画化と言えば「太陽がいっぱい」(1960年)を思い出す老骨です。しかもどちらも同性愛が底に横たわっている。時代故に「太陽がいっぱい」の原作「リプリー」は仄めかし程度だったが。
中年セールスマンのジャン・ヤンヌが、可愛がっていた若い刑事イヴォン・バックに捜査中の監視を頼まれるが、その現場でバックは撃たれて植物状態になる。怒り心頭に発したヤンヌは仕事も放ったらかしにして犯人探しの旅に出る。
一方、旅がらすの熟年賭博師ジャン=ルイ・トランティニャンが移動中に知り合った多少頭の足りない若者マチュー・カソヴィッツを子飼いにしてヤクザの商売に関わる。カソヴィッツは鍛えられて大仕事である殺しを実行し、その時に絡んだのがバック刑事である、という寸法。
ここまで映画は、現在進行形のヤンヌの挿話をトランティニャン組の挿話が時間的に追いかける形で随時シフトしながら進行するが、事件の様相が明確になるやこの二組が交わることになる。
ヤンヌは実行犯の若者ではなく、師匠格のトランティニャンを射殺して、若者を “稚児” にする。最初はその気のなかったトランティニャンも最初からその傾向のあった若者の余りの頼りなさに愛情を覚えるようになり、ちょっとした同性愛的感情を芽生えさせたらしい。
個人の趣味から言わせて貰えば、同性愛の要素をぐっと抑えて犯人探しに集中すればもっと大衆的に楽しめる作品になったであろうが、オーディアールの作る映画は大概犯罪は要素の一つに過ぎない。これが彼の作家性なのだから仕方があるまい。
これも近頃多い(この作品は1994年の旧作だが、この辺になると、今の作品との差が少ない)反復の映画に近いが、印象的な反復は、カソヴィッツがバックを正面から撃つシチュエーションを、ヤンヌがトランティニャンを撃つという形で繰り返すところくらいである。
“バックを正面から撃つ”というのも、面白い。
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