映画評「親愛なる同志たちへ」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2020年ロシア映画 監督アンドレイ・コンチャロフスキー
ネタバレあり

僕が初めてアンドレイ・コンチャロフスキーを観たのはイヴァン・ツルゲーネフの映画化「貴族の巣」(1970年)で、その後彼は扱う内容を色々と変えて来たが、今回はアスペクト比4:3のモノクロ映画で、1962年6月にロシア南部の産業都市ノヴォチェルカッスクで起きた当局制圧事件を素材にした作品である。

フルシチョフを書記長とする時代のノヴォチェルカッスク、社会主義体制なのに物価が上がり、反面労働者の給料が三分の一に大幅に下げられる状況の下、労働者が反旗を翻してストライキを断行、暴動に発展して共産党の市政委員たちを監禁するなどした為、軍隊が派遣され銃撃を行う。但し、軍隊は空に発砲しただけである。にも拘らず、敷地内には死体が散乱され、当局が後始末をし、現場にいた人間全員に守秘義務を課す。
 実際にはKGBの狙撃部隊が建物の上から参加者を撃ったのだが、中年の女性委員リューダ(ユリア・ヴィソツカヤ)は、この行動に参加していた筈の18歳になる娘スヴェツカ(ユリヤ・ブロヴァ)の姿が見えないので、懸命に町内を探すうち、ユリヤを調べようとするKGB幹部ヴィクトル(アンドレイ・グセフ)の訪問を受けるが、彼は市政委員リューダの党に対する忠心ぶりを見て、娘の探索に協力していく。
 町を封鎖する軍の厳しいチェックを掻い潜って、辿り着いた荒れた墓の現場で埋めた官憲から娘の死を確信して家路に着く。が、家に戻ると老父が娘の鞄をチェックしている。娘は無事に帰ったのだ。
 大いに安堵したリューダは、国家や社会の現状に対して大きな不安を抱えつつ未来に希望を託す。

圧政批判の部分を内包するこの映画がよくプーチン政権のロシアで作られたものと思う(Allcinemaのコメントの同意する)が、ロシアは社会主義体制でなくなったし、中国の四人組批判と同じく、プーチンと彼の信奉するスターリンを批判しなければ何とかなるのかもしれない。ヒロインがスターリン時代は良かったと何回か言うのは、同じような思いを抱いているらしいプーチンを意識した可能性が高い。
 しかし、コンチャロフスキーがスターリン時代が本当に良いと思っていれば、フルシチョフ時代とは言え、現在のロシアに通じる圧政を取り上げる意味がないわけだから、それは余り賢くない検閲者を騙す偽装であり、実際には寧ろプーチン批判であろう、と僕は考える。ロシアでも解る人は解るはずだし、自由主義体制の人々は独裁政治への嫌悪を感じずには居られまい。

内容とモノクロの画面故に、50~60年代のポーランド映画を思い出させるものがあり、厳しい内容ながら捨てがたい映画的ムードがある。
 一方、時代や体制を超える母親の愛情にもぐっと来る。紛争下の混乱の最中に家族の為に奔走する「アイダよ、何処へ」とも共通する普遍的な母親の姿だ。

五十歩百歩という気もしないではないが、ロシアに比べれば中国の発言の方がまだ説得力がある。多分個人独裁ではないからであろう。ソ連や共産主義が好きで僕はロシア語を学んだわけではないものの、ロシアには本当にがっかりだ。その一方、ウクライナには申し訳ないが、ロシアの選手を個人の資格でオリンピックに出す方針には一応賛成。これに反対するウクライナは、ロシア文学関連の催しに反対する人々に似ていなくもない。

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