映画評「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2020年中国=香港合作映画 監督チャン・イーモウ
ネタバレあり
チャン・イーモウは、一時期「HERO<英雄>」「LOVERS」といった華麗なる大作時代劇を作っていたが、近年は再び1980~1990年代に似て小市民をテーマにした人情劇に帰って来ている。
文化大革命最中の中国北部の乾燥地帯。労働改造所(一種の刑務所)から脱走した男チャン・イーが、14歳の娘が映っているというニュース映画を見る為に第一分場なるところに現れる。男は第一分場から第二分場へ持って行くフィルム缶を盗むが、それを孤児の少女リウ・ハオツンに盗まれる。この二人がドタバタして呉越同舟的にトラックに乗るうち第二分場へ到着する。少女はこの地区に住んでいる。
この地区の上映施設を仕切っている映写技師でもある男ファン・ウェイに二人は一缶を渡す。遅れてやって来た頭の弱いその息子は、「英雄子女」という本編は無事に届けるも、一缶以外のニュース映画をまき散らして帰って来る。それを町民(どちらかと言えば村人)や経験者のチャンの協力を得て洗浄して何とか上映する。
チャンは、頻繁に出没するハオツンと相変わらず仲が悪いが、彼女が勉強好きの弟の為に電灯用の傘にフィルムを使おうと考えていることを知る。
このようにして、遂にチャンは激しく雨の降る蘇生フィルムの最初の方に懸命に働く娘を見出す。改造所に送られた為に離婚した彼は娘に会うこともままならないのだ。事情を知って多少同情の思いも生じたファンは、娘の映っているほんの一秒余りの部分をエンドレスにして上映してやる。実はこれはチャンを保安課に引き渡す作戦でもあって、見事にその罠に落ちた彼は改造所に連行されることになる。
砂漠を引っ張られていくチャンに少女は傘を手配してくれたことを感謝する為に追って来る。ファンが渡してくれた娘の写った二コマを引率者は捨て去る。フィルムは包みの新聞紙から散逸してしまう。それを遠くから見ていた娘は駆け寄って新聞紙が重要なのだと思って拾う。
2年後漸く釈放されたチャンは少女を訪れる。大分大人らしくなったハオツンは新聞紙を渡すが、勿論中身はない。しかし、二人の間には確かな友情が育っている。
ネタバレも甚だしく恐縮だが、僕はそもそも映画評は映画を見てから読むものと思って実践もしているので、世間がどう思おうがそのスタイルを貫いているのである。採点が一番最初にあるのもそういうことで、僕の採点で観たいかどうか判断する人がこの世にいるのであれば、気になった映画はご覧になってからお読み戴くようお願いする所存でござる。
さて、会えない娘をフィルムの中に探す男と、両親が既にいない少女が絡み合う内容と言えば、すぐに疑似親子に発展すると想像させるが、この映画はそうならない。互いの事情を知ってもなかなか信じ合わない。上映施設での捕物で僅かに少女が本当に娘を探していると確認できた男を助けようとするくらいである。しかし、映画が敢えて紹介しない、チャンがファンに頼んでフィルムの傘を娘に渡す一件をもって彼女は男を信頼するようになる。
2年後再会した二人に関して、 僕は敢えて “友情” と書いたのだが、 映画の見せ方からして、ここから二人の疑似親子関係は始まるのだろう、と思う。
ジュゼッペ・トルナトーレの傑作「ニュー・シネマ・パラダイス」を想起させるところがあり、人情劇ぶりも良いが、もう少し批判精神めいたものがないと物足りない。 "いや中国でそれは無理よ"と言われるかもしれないが、共産党や毛沢東の批判が絡まなければ、文化大革命そのものへの風刺はさほど厳しくないはずなのだ。少なくとも当局の人間が気づかないように “こする” ことができることは、経験で知っている。
リウ・ハオツンは、最後の一幕で「初恋の来た道」の頃のチャン・ツィイーのムードを漂わす。この後の作品にも使っているらしく、きっとチャン・イーモウの趣味なのにちがいない。
中国と香港は今や一心同体。合作映画と言う意味がなくなって来た。
2020年中国=香港合作映画 監督チャン・イーモウ
ネタバレあり
チャン・イーモウは、一時期「HERO<英雄>」「LOVERS」といった華麗なる大作時代劇を作っていたが、近年は再び1980~1990年代に似て小市民をテーマにした人情劇に帰って来ている。
文化大革命最中の中国北部の乾燥地帯。労働改造所(一種の刑務所)から脱走した男チャン・イーが、14歳の娘が映っているというニュース映画を見る為に第一分場なるところに現れる。男は第一分場から第二分場へ持って行くフィルム缶を盗むが、それを孤児の少女リウ・ハオツンに盗まれる。この二人がドタバタして呉越同舟的にトラックに乗るうち第二分場へ到着する。少女はこの地区に住んでいる。
この地区の上映施設を仕切っている映写技師でもある男ファン・ウェイに二人は一缶を渡す。遅れてやって来た頭の弱いその息子は、「英雄子女」という本編は無事に届けるも、一缶以外のニュース映画をまき散らして帰って来る。それを町民(どちらかと言えば村人)や経験者のチャンの協力を得て洗浄して何とか上映する。
チャンは、頻繁に出没するハオツンと相変わらず仲が悪いが、彼女が勉強好きの弟の為に電灯用の傘にフィルムを使おうと考えていることを知る。
このようにして、遂にチャンは激しく雨の降る蘇生フィルムの最初の方に懸命に働く娘を見出す。改造所に送られた為に離婚した彼は娘に会うこともままならないのだ。事情を知って多少同情の思いも生じたファンは、娘の映っているほんの一秒余りの部分をエンドレスにして上映してやる。実はこれはチャンを保安課に引き渡す作戦でもあって、見事にその罠に落ちた彼は改造所に連行されることになる。
砂漠を引っ張られていくチャンに少女は傘を手配してくれたことを感謝する為に追って来る。ファンが渡してくれた娘の写った二コマを引率者は捨て去る。フィルムは包みの新聞紙から散逸してしまう。それを遠くから見ていた娘は駆け寄って新聞紙が重要なのだと思って拾う。
2年後漸く釈放されたチャンは少女を訪れる。大分大人らしくなったハオツンは新聞紙を渡すが、勿論中身はない。しかし、二人の間には確かな友情が育っている。
ネタバレも甚だしく恐縮だが、僕はそもそも映画評は映画を見てから読むものと思って実践もしているので、世間がどう思おうがそのスタイルを貫いているのである。採点が一番最初にあるのもそういうことで、僕の採点で観たいかどうか判断する人がこの世にいるのであれば、気になった映画はご覧になってからお読み戴くようお願いする所存でござる。
さて、会えない娘をフィルムの中に探す男と、両親が既にいない少女が絡み合う内容と言えば、すぐに疑似親子に発展すると想像させるが、この映画はそうならない。互いの事情を知ってもなかなか信じ合わない。上映施設での捕物で僅かに少女が本当に娘を探していると確認できた男を助けようとするくらいである。しかし、映画が敢えて紹介しない、チャンがファンに頼んでフィルムの傘を娘に渡す一件をもって彼女は男を信頼するようになる。
2年後再会した二人に関して、 僕は敢えて “友情” と書いたのだが、 映画の見せ方からして、ここから二人の疑似親子関係は始まるのだろう、と思う。
ジュゼッペ・トルナトーレの傑作「ニュー・シネマ・パラダイス」を想起させるところがあり、人情劇ぶりも良いが、もう少し批判精神めいたものがないと物足りない。 "いや中国でそれは無理よ"と言われるかもしれないが、共産党や毛沢東の批判が絡まなければ、文化大革命そのものへの風刺はさほど厳しくないはずなのだ。少なくとも当局の人間が気づかないように “こする” ことができることは、経験で知っている。
リウ・ハオツンは、最後の一幕で「初恋の来た道」の頃のチャン・ツィイーのムードを漂わす。この後の作品にも使っているらしく、きっとチャン・イーモウの趣味なのにちがいない。
中国と香港は今や一心同体。合作映画と言う意味がなくなって来た。
この記事へのコメント