映画評「C.R.A.Z.Y.」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2005年カナダ=モロッコ合作映画 監督ジャン=マルク・ヴァレ
ネタバレあり

僕より若いのに一昨年のクリスマスに亡くなったジャン=マルク・ヴァレ監督の作品はブログで4本取り上げているが、これはそのどれよりも古い作品である。

奇しくもこの作品の主人公ザックが生まれるのは1960年のクリスマス。ヴァレより3つ若いが、出身地のケベック州を舞台にしているところを見ると、自伝的内容を含もうか。

軍経験者で音楽愛好者の父(ミシェル・コテ)と母(ダニエル・プロル)の一家の4番目の息子に生れたザック(思春期後期-青年期マルク=アンドレ・グロンダン)は、1970年代後半デーヴィッド・ボウイなどに憧れ同時代のロックを聴いて青春を謳歌しているが、保守的な父親は彼の風情を男らしくないと決めつけ、本人にその意識がないのにザックが同性愛者ではないかと疑う。また、ザックは一番不良性向の高い次男レイモン(青年期ピエール=リュック・ブリヤン)とも犬猿の仲である。
 こうした環境下で、彼には幼馴染の少女ミシェル(ナターシャ・トンプスン)と徐々に親密度を深めて行き、悪友たちにまじって麻薬を吸引し、中性的な外観を装うようになる。父親は男友達と車中にいたのをオカマと決めつけ、精神科医にも見て貰ったりするが、医者はその行為を父親に対する同性愛の意図しない発露とする。ザックはそれを甚だしい見当違いと思いつつ、次第に男性に対して関心が向く自分に気付くも、男性の誘いには徹底して抵抗する。
 そんなある日、ザックは長男の結婚式で彼は麻薬の口移しを接吻と誤解されて責められ、その勢いでエルサレムに行く。砂漠に倒れた時にレイモンが出て来る不思議な幻想を見て帰国すると、レイモンはオーヴァードーズで昏睡したことを知らされる。しかし、その死を介して父親と互いの肉親愛を確認するのである。

今ほどにはLGBTQに関する映画的要求も高くない時代のせいもあって、主人公の立場は最後まで曖昧だが、兄の死から10年後の現在に関する主人公の言葉には、同性愛者である自分の性的指向を認めたことが遠回しに伺われる。現在の映画であればこの辺をもっと明確にして終える筈で、この辺りの人々の感覚は僅か15年くらいでも大幅に変わっているような気がする。

映画の作りとしては、帰国直後に主人公がミシェルとステディぶりを見せるところがあるのが曖昧さを強めてしまうので疑問。反面、仲が悪かった筈の次男との絆がそれ故に一番強かったのではと推量されるのは、砂漠で兄の幻想を観るところから伺われる。これは兄の生霊が彼を招いたとも理解できるが、より文学的には、キリストの言葉のように彼が兄を、あるいは兄が彼を背負っていたという一心同体を示していると解釈できる具合で、地理的な彷徨により暗示されもする精神の彷徨を描いてなかなか瑞々しい。

この秀作が昨年まで日本では劇場公開されていなかったのは不思議だ。

しかし、僕が一番喜んだのは音楽である。父親が北米で大人気のパッツィー・クライン(飛行機事故で夭折した女性カントリー歌手、ローリング・ストーン誌の【偉大な歌手ランキング】で白人女性歌手のトップになった。日本では余り知られていない歌手なのでビックリ)贔屓で、これが父親の保守性の象徴として最後まで使われる。
 主人公は、僕と同じくピンク・フロイドもご贔屓(同じ世代です)で、部屋は「狂気」Dark Side of the Moon のジャケットを模してい、劇中 “虚空のスキャット”The Great Gig in the Sky が二度聞かれ、次のLP「炎」Wish You Were Here から “クレイジー・ダイアモンド”Shine On You Crazy Diamond がかかる。 ボウイーでは近年よく映画で使われる “スペース・オディティ”Space Oddity がかかる。

タイトルはパッツィー・クラインの曲だが、5人の兄弟を示していた、と判る最後がちょいと泣かせる。

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